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嵐山町内の小字と同じ小字名がある隣接の旧市町村 1

       嵐山町の小字と同じ小字名がある隣接の旧市町村

 1999年(平成11)4月以降、全国で行われてきた平成の大合併が2010年3月末で区切りを迎えました。埼玉県内市町村数は、1950年代の「昭和の大合併」で323から109に再編され、その後92市町村の枠組みが続き、2010年4月1日時点で40市23町1村となりました。合併にともない、消えていく地名があります。小字などは使われることも少なくなりました。
 嵐山町に接する市町村の小字名を調べ、嵐山町の小字名と同じものがあるか調べて見ました。1955年前後の旧市町村を基準にしています。(作成:佐川清子)


【表記の仕方】
嵐山町の小字名<よみかた>=嵐山町大字名(旧村町名)
 * 嵐山町の小字名と表記の漢字と読みが同じものがある他町村の大字名と旧町村名。 * 表記の漢字が同じでも、読みが違う。
 * 表記の漢字は異なるが、読みは同じ。
 * 一字文字がはいるもの・欠けるものなど。
【例】
  峰<みね>=平沢(菅谷村)
   * 秋山(折原村)、金尾(寄居町)
   * <峯>=赤沼・大豆戸(今宿村)、椚平(大椚村)、西古里(男衾村)
   * <美根>=桃木(明覚村)
  山ノ根<やまのね>=遠山(菅谷村)
   * 上細谷(北吉見村)、黒岩(西吉見村)
   * <山之根>=南吉見{堤内}(西吉見村)
   * <山の根>=松崎{堤内}(北吉見村)
   * 山根<やまね>=葛袋{甲・乙}(唐子村)

油免<あぶらめん>=鎌形(菅谷村)  
 * 岩殿(高坂村)
 * <ゆめん>=土塩(福田村)
 * 油面<あぶらめん>=勝田(七郷村)

 
荒井<あらい>=広野(七郷村)  
 * 塩(小原村)、五明(玉川村)、中尾(宮前村)、畠山(本畠村)
 * <新井>=泉井・竹本(亀井村)、小用(今宿村)、奈良梨(八和田村)、別所・瀬戸   明覚村)、牟礼(男衾村)、山田(福田村)

粟久保<あわくぼ>=鎌形(菅谷村) 
 * 別所(明覚村)

池田<いけだ>=吉田(七郷村) 
 * 石坂(今宿村)、角山(小川町)、高谷(八和田村)

池ノ谷<いけのや>=吉田(七郷村)  
 * 大附(明覚村)

石神<いしがみ>=勝田(七郷村) 
 * 桜沢(寄居町)

壱町田<いっちょうだ>=志賀(菅谷村)、吉田(七郷村)  
 * 毛塚・早俣(高坂村)
 * <一町田>=将軍沢(菅谷村)
 * <壱丁田>=宮鼻(高坂村)
           
稲荷林<いなりばやし>=将軍沢(菅谷村)
 * 高坂・西本宿(高坂村)、御正新田(御正村)、本田(本畠村)

入<いり>=平沢)(菅谷村)
 * 泉井(亀井村)、桜沢(寄居町)、田黒(玉川村)、別所(明覚村)

入山<いりやま>=越畑(菅谷村)
  * 秋山・西ノ入(折原村)、岩殿(高坂村)、笠原・原川飛地(竹沢村)、葛袋(唐子村)、   下横田(八和田村)、富田・牟礼(男衾村)

岩崎<いわさき>=(越畑)  
 * <いわざき>=桜沢(寄居町)

岩花<いわはな>=川島(菅谷村)・杉山(七郷村)
 * 松山(松山町)

岩鼻<いわはな>=越畑(七郷村)
 * 瀬戸(明覚村)、菅沼(武川村)
 * <いわばな>=五明(玉川村)

上ノ台<うえのだい>=鎌形(菅谷村)
 * 折原(折原村)、五明・玉川(玉川村)、桜沢(寄居町)、土塩(福田村)、須江(亀   井村)、大豆戸(今宿村)、奈良梨(八和田村)
 * <上野台>=下里(小川町)

上ノ前<うえのまえ>=川島(菅谷村)
 * 富田(男衾村)

上ノ山<うえのやま>=志賀・千手堂(菅谷村)                   * 月輪(宮前村)、風布(寄居町)、本田(本畠村)、靭負(竹沢村)

上原<うえはら>=平沢(菅谷村)
 * 笠原(竹沢村)、上唐子(唐子村)、畠山(本畠村)
 * <上ノ原>=折原(折原村)、桜沢(寄居町)、下青鳥(野本村)、鉢形・露梨子(鉢   形村)   

後<うしろ>=吉田(七郷村)
 * 上原(武川村)、本田(本畠村)、竹本(亀井村)

後谷<うしろやつ>=越畑(七郷村)、鎌形・平沢(菅谷村)
 * 上横田(八和田村)、山田・和泉(福田村)
 * <後ロ谷>=大豆戸(今宿村)
 * <後ヶ谷>=角山(小川町)

打越<うちこし>=杉山(七郷村)、遠山(菅谷村)  
 * 飯田(大河村)、田黒(玉川村)、羽尾(宮前村)、松山(松山町)

内出<うちで>=古里(七郷村)
 * 木部(竹沢村)、腰越(大河村)、東平(松山町)、別所(明覚村)
 * 内手<うちで>=市の川(松山町)、大附(明覚村)、角山(小川町)
 * 内手<うちて>=桜沢(寄居町)

姥谷<うばやつ>=吉田(七郷村)
 * 姥ヶ谷<うばがや>=本田(本畠村)

榎町<えのきまち>=吉田(七郷村)
 * 下唐子(唐子村)、下野本(野本村)、増尾(大河村)

大木<おおぎ>=越畑(七郷村)
 * 福田(福田村)

扇谷<おおぎやつ>=広野(七郷村) 
 * <おおぎだに>=富田(男衾村)
 * <おおぎがやつ>=大谷(大岡村)

大沢<おおさわ>=越畑(七郷村)
 * 青山(大河村)、木呂子(竹沢村)、椚平(大椚村)、別所(明覚村)

大下<おおしも>=広野(七郷村)
 * <おおした>=田中(武川村)

大平<おおびら>=鎌形・将軍沢・遠山(菅谷村)
 * 上横田(八和田村)
 * <おおひら>=青山(大岡村)、五明(玉川村)、小用(今宿村)、中尾(宮前村)
 * <おおひら{こう}>=葛袋(唐子村)
 * <おおひら{おつ}>=葛袋(唐子村)
 * <おゝひら>=伊子(宮前村)

大谷<おおやつ>=大蔵(菅谷村)、吉田・越畑(七郷村)
 * 大橋(亀井村)、鷹ノ巣(男衾村)、下里(小川町)、奈良梨(八和田村)、西ノ入(折   原村)、羽尾(宮前村)、東平(松山町)、三ヶ山(鉢形村)
                   
尾根<おね>=古里(七郷村)
 * 大附(明覚村)、五明(玉川村)                
 * <於根>=別所(明覚村)
 
表<おもて>=平沢(菅谷村)
 * 泉井・竹本(亀井村)、金尾(寄居町)、鷹ノ巣(男衾村)

押出し<おんだし>=平沢(菅谷村)
 * 押出<おしだし>=千代(小原村)

女堀<おんなぼり>=菅谷(菅谷村)
 * 石橋(唐子村)

風早<かざはや>=遠山(菅谷村)
 * 椚平(大椚村)、西平(平村)

柏木<かしわぎ>=古里
 腰越(大河村)、中尾(宮前村)

柏田<かしわだ>=大蔵(菅谷村)
 * 赤浜(男衾村)

金井<かない>=平沢(菅谷村)
 * 畠山(本畠村)

蟹沢<かにさわ>=古里(七郷村)
 * 飯田(大河村)、大塚・下里(小川町)、土塩(福田村)
 * <かにざわ>=水房(宮前村)
 * <がんざ>=小江川(小原村)

上<かみ>=菅谷(菅谷村)
 * 富田(男衾村)、能増(八和田村)、長在家(武川村)
 * <上ミ>=大野(大椚村)
 * <賀美>=久保田(南吉見村)

上河原<かみがわら>=大蔵(菅谷村)
 * 腰越(大河村)、番匠(明覚村)、
 * <かみかわら>=下青鳥(野本村)
 * <上川原・かみがわら>=角山(小川町)、原川(竹沢村)、樋春(御正村)
 * <上川原・かみかわら>=下唐子(唐子村)
 * <上川原・かみかわはら>=押切(御正村)

上耕地<かみこうち>=古里(七郷村)
 * 高見(八和田村)

上宿<かみじゅく>=鎌形(菅谷村)
 * 石橋・葛袋(唐子村)、大串・久保田(南吉見村)、大塚(小川町)、末野(寄居町)、   用土(用土村)
 * <かみじく>=本田(本畠村)

神山<かみやま>=古里(七郷村)
 * 鷹ノ巣・西古里(男衾村)

川端<かわばた>=吉田(七郷村)
 * 伊勢根(八和田村)、折原(折原村)、別所(明覚村)、畠山(本畠村)、増尾(大   河村)、南吉見(西吉見村、)山田(福田村)
             
川袋<かわぶくろ>=杉山(七郷村)
 * 月輪(宮前村)

川向<かわむかい>=大蔵(菅谷村)
 * 小川(小川町)、五明(玉川村)、野田(松山町)、羽尾(宮前村)
 * <かわむこう>=今市(男衾村)、上唐子(唐子村)、南吉見(西吉見村)

北原<きたはら>=鎌形(菅谷村)
 * 伊子(宮前村)、金尾(寄居町)、塩(小原村)、中爪(八和田村)
 * 北ノ原<きたのはら>=福田(福田村)

北山<きたやま>=平沢(菅谷村)
 * 小川(小川町)、腰越(大河村)、玉川(玉川村)、別所(明覚村)

木ノ下<きのした>=遠山(菅谷村)
 * 青山(大河村)、泉井(亀井村)、折原(折原村)

久保<くぼ>=菅谷(菅谷村)
 * 赤沼(今宿村)、上原・明戸(武川村)、小川(小川町)、雲河原(平村)、下押垂(野   本村)、下唐子(唐子村)、末野(寄居町)、富田(男衾村)、野原・柴(小原村)
 * 窪<くぼ>=田甲(西吉見村)

腰巻(こしまき>=広野(七郷村)
 * 金尾・桜沢(寄居町)、福田(福田村)

五反田<ごたんだ>=吉田(七郷村)
 * 赤浜・富田(男衾村)、石橋(唐子村)、市ノ川(松山町)、角山(小川町)、久保   田(南吉見村)、熊井(亀井村)、正代(高坂村)、大豆戸(今宿村)、玉川(玉川   村)、土塩(福田村)、靭負(竹沢村)

小林<こばやし>=平沢(菅谷村)
 * 赤沼(今宿村)、石橋(唐子村)、金尾(寄居町)、椚平(大椚村)、富田(男衾村)、   畠山(本畠村)

小原<こばら>=志賀(菅谷村)
 *  <こはら>=柏崎(野本村)

駒込<こまごめ>=古里(七郷村)
 * 塩(小原村)

小谷<こやつ>=大蔵(菅谷村)
 * 大橋(亀井村)、五明(玉川村)、下横田(八和田村)、西ノ入(折原村)

坂上<さかうえ>=将軍沢(菅谷村)
 * 上横田(八和田村)、立原(折原村)、玉川(玉川村)

坂下<さかした>=菅谷(菅谷村)
 * 上横田(八和田村)、下古寺(大河村)、鷹ノ巣(男衾村)、田甲{堤内}(西吉見   村)、地頭方{堤内}(北吉見村)、土塩(福田村)、西ノ入(折原村)、本郷(明覚   村)、本田(本畠村)、水房(宮前村)、

笹山<ささやま>=志賀(菅谷村)
 * 大附(明覚村)、大谷(大岡村)、木呂子・靭負(竹沢村)、小用(今宿村)、田黒   (玉川村)、増尾(大河村)、山田(福田村)  

三反田<さんたんだ>=将軍沢(菅谷村村)、吉田(七郷村)
 * 桜沢(寄居町)、下横田(八和田村)、万光寺(東吉見村)

三反町<さんだんまち>=越畑(七郷村)
 * 江綱(南吉見村)、古凍(野本村)

山王<さんのう>=千手堂(菅谷村)
 * 上野本(野本村)、神戸(唐子村)、畠山(本畠村)、山田(福田村)
 * <三王>=松崎{堤内}(北吉見村)     

清水<しみず>=越畑・古里・吉田(七郷村)、鎌形・川島・菅谷(菅谷村)  
 * 赤沼・小用(今宿村)、上古寺・腰越(大河村)、上横田(八和田村)、椚平(大椚   村)、田甲(西吉見村)、田中(武川村)、中尾・羽尾(宮前村)、西本宿(高坂村)、   東平(松山町)、牟礼(男衾村)、山田(福田村)

下<しも>=菅谷(菅谷村)
 * 赤沼(今宿村)、奥田、竹本(亀井村)、下細谷(南吉見村)、能増(八和田村)、   日影(玉川村)、福田(福田村)
 * <下モ>=大野(大椚村)

下河原<しもがわら>=大蔵・根岸(菅谷村)
 * 押切(御正村)、神戸(唐子村)、下青鳥(野本村)
 * <下川原>=明戸・菅沼(武川村)、今宿(今宿村)、笠原・原川・靭負(竹沢村)、   樋春(御正村)

下郷<しもごう>=広野(七郷村)
 * 下青鳥(野本村)

下耕地<しもごうち>=古里(七郷村)
 * 大塚(小川町)、福田(福田村)
 * <下広地・しもごうち>=広野(七郷村)
 * <下廣地・しもごうち>=小川(小川町)
 * <しもこうち>=高見(八和田村)
   
下宿<しもじゅく>=鎌形(菅谷村)
 * 石橋(唐子村)、大串(南吉見村)、末野(寄居町)、成沢(御正村)、用土(用土   村)
 * <しもじく>=本田(本畠村)

下山<しもやま>=平沢(菅谷村)
 * 古凍(野本村) 

社宮司<しゃぐうじ>=越畑・吉田(七郷村)
 * <しゃくじ>=吉田(七郷村)、本田(本畠村)

城山<じょうやま>=越畑・杉山(七郷村)
 * 山田(福田村)
 * <しろやま>=石橋(唐子村)、高谷(八和田村)、下里(小川町)、末野(寄居町)、   田黒(玉川村)、南吉見(西吉見村)

新田<しんでん>=越畑(七郷村)
 * 小江川・塩・須加広・板井(小原村)、大橋(亀井村)、上野本・下野本(野本村)、   上横田・能増(八和田村)、古名新田(東吉見村)、下唐子(唐子村)、田甲・南吉   見(西吉見村)、田中(武川村)、地頭方{堤内}・一ツ木{堤内}(北吉見村)、西ノ   入(折原村)、福田(福田村) 

新田前<しんでんまえ>=川島(菅谷村)
 * 須加広(小原村)、奈良梨(八和田村)、三本(御正村)、南吉見(西吉見村)

曽利町<そりまち>=鎌形(菅谷村)
 * <反町>=下唐子・葛袋(唐子村)、下里(小川町)、高坂・早俣(高坂村)、田甲   (西吉見村)、土塩(福田村)、奈良梨(八和田村)、桃木(明覚村)
 * <反り町>=正代(高坂村)、古凍(野本村)

嵐山町の小字と同じ小字名がある隣接の旧市町村 2

大堂<だいどう>=越畑(七郷村)
 * <大道>=小用(今宿村)、羽尾(宮前村)

高城<たかしろ>=鎌形・将軍沢(菅谷村)
 * 用土(用土村)

高山<たかやま>=吉田(七郷村)
 * 三品(折原村)

滝ノ入<たきのいり>=志賀(菅谷村)
 * 笠原(竹沢村)、上古寺(大河村)、雲河原(平村)、田黒(玉川村)、牟礼(男衾   村) 

滝森<たきもり>=遠山(菅谷村)
 * <滝ノ森>=風布(寄居町)

竹之花<たけのはな>=吉田(七郷村)
 * 本田(本畠村)
 * <竹ノ花>=鷹ノ巣・西古里(男衾村)、高見(八和田村)、用土(用土村)
 * <竹花>=上銀谷(東吉見村)、下青鳥(野本村)
 
立山<たてやま>=越畑(七郷村)
 * 熊井(亀井村)、下横田(八和田村)

田端<たばた>=遠山(菅谷村)
 * 菅沼(武川村)、立原(折原村)、用土(用土村)

田向<たむかい>=将軍沢(菅谷村)
 * 今泉{堤内}(北吉見村)、日影(玉川村)
 * <たむこう>=明戸・田中(武川村)、本田(本畠村)

辻<つじ>=志賀(菅谷村)
 * 今宿(今宿村)、小園(鎌形村)

鶴巻<つるまき>=志賀・将軍沢(菅谷村)、吉田(七郷村)
 * 赤浜(男衾村)、大塚(小川町)、岡(大岡村)、本田(本畠村)

寺台<てらだい>=広野(七郷村)
 * 寺ノ台<てらのだい>=水房(宮前村)

寺前<てらまえ>=広野・吉田(七郷村)
 * 押切(御正村)、下里(小川町)、末野(寄居町)、立原(折原村)、福田(滑川村)
 * 寺ノ前<てらのまえ>=葛袋(唐子村)、高谷(八和田村)

寺山<てらやま>=遠山・菅谷(菅谷村)
 * 中尾(宮前村)、御正新田(御正村)

天神台<てんじんだい>=吉田(七郷村)
 * 赤沼(今宿村)

堂ノ入<どうのいり>=越畑(七郷村)
 * 瀬戸(明覚村)、富田(男衾村)

豊田<とよた>=川島(菅谷村)
 * <とよだ>=南吉見(西吉見村)

中内手<なかうちで>=古里(七郷村)
 * 大谷(大岡村)、上細谷・松崎(堤内)(北吉見村)、木部(竹沢村)、長在家(武川   村)

中郷<なかごう>=広野(七郷村)
 * 小川(小川町)、木呂子(竹沢村)、野原(小原村)、福田(福田村)、保田原(鎌   形村)

中島<なかじま>=千手堂(菅谷村)
 * 板井(小原村)、飯田(大河村)、小川(小川町)、小用(今宿村)、田木(高坂村)、   立原(折原村)、一ツ木{堤外}(北吉見村)、樋春(御正村)

中原<なかはら>=千手堂(菅谷村)
 * 笠原・原川〈飛地〉(竹沢村)、下野本(野本村)、田甲(西吉見村)、増尾(大河村)、   松山(松山町)、牟臓蔽槙仟次
 * 中ノ原<なかのはら>=五明(玉川村)

仲ノ町<なかのまち>=将軍沢(菅谷村))
 * <中之町>=古凍(野本村)
 * <中ノ町>=中曽根〈堤内〉(北吉見村)
 * <中の町>=松崎〈堤内〉(北吉見村)

仲町<なかまち>=越畑(七郷村)、志賀(菅谷村)
 * 今泉〈堤内〉(北吉見村)

中谷<なかやつ>=平沢(菅谷村)、吉田(七郷村)
 * 小江川(小原村)、鷹ノ巣(男衾村)、畠山(本畠村)

中山<なかやま>=将軍沢(菅谷村)
 * 飯島新田・江和井(東吉見村)、今市・鷹ノ巣(男衾村)、押切(御正村)、上横田(八   和田村)、田甲・和名(西吉見村)、馬場(明覚村)、東平(松山町)、福田・山田(福   田村)、三品(折原村)、用土(用土村)
 * <仲山>=南吉見(西吉見村)

西裏<にしうら>=菅谷(菅谷村)
 * 前河内(南吉見村)
 * <西浦>=明戸(武川村)、石橋(唐子村)、和泉(福田村)、今宿(今宿村)、上野   本(野本村)、勝呂(竹沢村)、鷹ノ巣・富田(男衾村)、成沢・三本・御正新田(御   正村)

西耕地<にしこうち>=川島(菅谷村)
 * 今泉{堤内}・中新井{堤内}・一ツ木{堤内}(北吉見村)
 * <にしごうち>=和泉(福田村)、市ノ川(松山町)、丸貫(東吉見村)

西原<にしはら>=大蔵(菅谷村)
 * 上原・田中(武川村)、上唐子・下唐子(唐子村)、上野本・下野本(野本村)、塩・柴・   千代・須加広(小原村)、田甲(西吉見村)、富田(男衾村)、東平(松山町)

西ノ谷<にしのやつ>=吉田(七郷村)
 * 小江川(小原村)
 * 西谷<にしやつ>=岡(大岡村)、羽尾(宮前村)、山田(福田村)、靭負(竹沢村) * 西谷ツ<にしやつ>=羽尾(宮前村)
 * 西谷<にしだに>=西平(平村)
 * 西谷<にしや>=江和井(東吉見村)

西山<にしやま>=越畑(七郷村)
 * 上横田(八和田村)、五明(玉川村)、勝呂(竹沢村)、山田(福田村)

沼下<ぬました>=川島・千手堂(菅谷村)
 * 赤浜(男衾村)、角山(小川町)、上唐子(唐子村)、上野本(野本村)、黒岩・和名   (西吉見村)、小園(鉢形村)、柴(小原村)、立原(折原村)、用土(用土村)

沼田<ぬまた>=根岸(菅谷村)
 * 須加広(小原村)、土塩(福田村)

八反田<はったんだ>=将軍沢(菅谷村)、吉田(七郷村)
 * 押切・三本(御正村)、木部(竹沢村)、久保田(南吉見村)、下横田(八和田村)、   高坂・西本宿(高坂村)

花見堂<はなみどう>=川島(菅谷村)
 * 赤沼・大豆戸(今宿村)、熊井(亀井村)

原<はら>=千手堂(菅谷村)
 * 赤浜・富田(男衾村)、泉井(亀井村)、久保田・下細谷(南吉見村)、田甲(西吉見   村)、末野(寄居町)、露梨子(鉢形村)、番匠(明覚村)

原後<はらご>=古里(七郷村)
 * <はらうしろ>=西古里(男衾村)

番匠免<ばんじょうめん>=鎌形(菅谷村)
 * 馬場(明覚村)、宮鼻(高坂村)

馬場<ばんば>=鎌形(菅谷村)、広野・吉田(七郷村)
 * 飯田(大河村)、馬場(明覚村)、畠山(本畠村)、福田(福田村)、用土(用土村)
 * <ばば>=小用(今宿村)

日影<ひかげ>=越畑(七郷村)
 * 大橋(亀井村)、用土(用土村)

東原<ひがしはら>=菅谷(菅谷村)
 * 上唐子・下唐子(唐子村)、上野本(野本村)、小園(鉢形村)、須加広・千代(小原   村)、富田(男衾村)、用土(用土村)

東山<ひがしやま>=越畑(七郷村)
 * 熊井(亀井村)、長谷(吉見村)

日向<ひなた>=越畑(七郷村)、遠山(菅谷村)
 * 赤沼(今宿村)、泉井・熊井(亀井村)、小江川(小原村)、笠原・木部(竹沢村)、   中爪(八和田村)

冨士山<ふじやま>=越畑(七郷村)
 * 今市(男衾村)、角山(小川町)、金尾(寄居町)、
 * <藤山>=東平(松山町)

船久保<ふなくぼ>=越畑(七郷村)
 * 西平(平村)

堀込<ほりごめ>=杉山(七郷村)
 * 和泉(福田村)、用土(用土村)
 * <ほりごみ>=中爪(八和田村)

堀ノ内<ほりのうち>=大蔵(菅谷村)
 * 折原(折原村)、柏崎(野本村)、金尾(寄居町)、腰越(大河村)、小用(今宿村)、   桜沢(寄居町)、富田(男衾村)、羽尾(宮前村)、三本(御正村)、牟礼(男衾村)
 * <堀之内>=松崎〈堤内〉(北吉見村)

前<まえ>=勝田・吉田(七郷村)
 * 押切(御正村)、柴(小原村)、下青鳥(野本村)、瀬山(武川村)

前耕地<まえこうち>=勝田(七郷村)
 * 立原(折原村)
 * <まえごうち>=樋春(御正村)
 * 前河内<まえごうち>=熊井(亀井村)

前田<まえだ>=古里(七郷村)
 * 小江川(小原村)、笠原・木部・勝呂(竹沢村)、上唐子(唐子村)、久保田・下細谷   (南吉見村)、柴・三本(御正村)、田黒(玉川村)、富田(男衾村)、中曽根〈堤内〉   ・本沢(北吉見村)、西古里(男衾村)、野田(松山町)、番匠(明覚村)、用土(用   土村)

前谷<まえやつ>=鎌形(菅谷村)、吉田(七郷村)
 * 小江川(小原村)、岡(大岡村)、大豆戸(今宿村)、鷹ノ巣・西古里(男衾村)、山   田(福田村)

前山<まえやま>=根岸(七郷村)
 * 市の川(松山町)、神戸(唐子村)、土塩(福田村)田甲(西吉見村)

松原<まつばら>=志賀(菅谷村)
 * 和泉(福田)、小用(今宿村)、下青鳥(野本村)、須加広(小原村)、能増(八和   田村)、早俣{堤内}(高坂村)、東平(松山町)、御正新田(御正村)

丸山<まるやま>=越畑(七郷村)、将軍沢(菅谷村)
 * 和泉・山田(福田村)、小江川・塩・野原(小原村)、大野(大椚村)、折原(折原村)、   金尾(寄居町)、北吉見・田甲・和名(西吉見村)、葛袋(唐子村)、五明(玉川村)、   下横田(八和田村)、竹本(亀井村)、立原(折原村)、大豆戸(今宿村)、番匠(明   覚村)、用土(用土村)

水境<みずさかい>=志賀(菅谷村)
 * 秋山・三品(折原村)、大附(明覚村)

道上<みちうえ>=根岸(菅谷村)
 * 上横田・高谷(八和田村)、山ノ下(西吉見村)

峰<みね>=平沢(菅谷村)
 * 秋山(折原村)、金尾(寄居町)
 * <峯>=赤沼・大豆戸(今宿村)、椚平(大椚村)、西古里(男衾村)
 * <美根>=桃木(明覚村)

宮下<みやした>=吉田(七郷村)
 * 板井・千代(小原村)、雲河原(平村)、高谷(八和田村)
 * 宮ノ下<みやのした>=下横田(八和田村)

宮田<みやだ>=吉田(七郷村)
 * 江綱(南吉見村)
 * <みやた>=小園・露梨子・鉢形(鉢形村)、鷹ノ巣・富田(男衾村)、山田(福田村)、   山ノ下(西吉見村)

宮前<みやまえ>=越畑(七郷村)、遠山(菅谷村)
 * 青山(大河村)、伊勢根・上横田・奈良梨(八和田村)、泉井(亀井村)、上唐子・神   戸(唐子村)、小園(鉢形村)、須加広(小原村)、田木(高坂村)、月輪(宮前村)、   樋春(御正村)、古凍(野本村)、山田(福田村),
 * 宮ノ前<みやのまえ>=赤浜・今市・富田(男衾村)、下押垂(野本村)

冥加沢<みょうがざわ>=遠山(菅谷村)
 * <茗荷沢>=大附(明覚村)、西ノ入(折原村)

向井<むかい>=古里(七郷村)
 * 板井(小原村)
 * <向イ>=志賀(菅谷村)
 * <向>=泉井・大橋(亀井村)、和泉・菅田(福田村)、能増(八和田村)

向原<むかいはら>=志賀(菅谷村)
 * <むかいばら>=玉川(玉川村)

向山<むこうやま>=遠山(菅谷村)、
 * 椚平(大椚村)、熊井(亀井村)、腰越(大河村)、西古里(男衾村)、古凍(野本   村)、本田(本畠村)、南吉見(西吉見村)、桃木(明覚村)
 * <むかいやま>=小川・下里(小川町)、玉川(玉川村)、風布(寄居町)

物見山<ものみやま>=遠山(菅谷村)
 * 五明(玉川村)
 
谷ツ<やつ>=杉山(七郷村)
 * 高谷(八和田村)
 
谷<やつ>=千手堂(菅谷村)
 * 青山(大河村)、小江川(小原村)、五明・日影(玉川村)、下横田(八和田村)、   中尾(宮前村)、山田(福田村)

柳町<やなぎまち>=勝田・広野(七郷村)
 * 今泉{堤内}・上砂{堤外}・中曽根(北吉見村)、江綱・久保田(南吉見村)、下青   鳥・下野本(野本村)、下里(小川町)、高坂・早俣(高坂村)

柳原<やなぎはら>=越畑(七郷村)
 * 大橋(亀井村)、田木(高坂村)、風布(寄居町)
 * <やなぎわら>=荒子・万光寺(東吉見村)、前河内(南吉見村)

山下<やました>=吉田(七郷村)
 * 泉井・大橋・熊井(亀井村)、大附・番匠(明覚村)、折原(折原村)、上野本(野   本村)、木部(竹沢村)、小用・大豆戸(今宿村)、五明(玉川村)、下里(小川町)、   下古寺(大河村)、露梨子(男衾村)、野原(小原村)、三本(御正村)

山ノ神<やまのかみ>=越畑(七郷村)
 * 板井・千代(小原村)、大附(明覚村)、奥田(亀井村)、桜沢(寄居町)、高見(八   和田村)、西古里(男衾村)、畠山(本畠村)
 * 山神<やまのかみ>=鉢形(鉢形村)

山ノ根<やまのね>=遠山(菅谷村)
 * 上細谷(北吉見村)、黒岩(西吉見村)
 * <山之根>=南吉見{堤内}(西吉見村)
 * <山の根>=松崎{堤内}(北吉見村)
 * 山根<やまね>=葛袋{甲・乙}(唐子村)

横吹<よこぶき>=遠山(菅谷村)
 * 下里(小川町)

葭ノ入<よしのいり>=志賀(菅谷村)
 * <吉ノ入>=折原(折原村)

両家<りょうけ>=勝田
 * 羽尾(宮前村)

六反田<ろくたんだ>=吉田(七郷村)
 * 小江川(小原村)、久保田・下細谷(南吉見村)、勝呂(竹沢村)、古凍(野本村)

六丁<ろくちょう>=広野(七郷村) 
 * <六町>=江和井(東吉見村)
 * <六町北>=飯島新田(東吉見村)
 * <六町南>=飯島新田(東吉見村)

 
参考資料 
 嵐山町 : 和紙公図、大字コード・字コード表、嵐山町の郷土誌を学ぶ会資料
 小川町 : 小川町大字小字区域図、小川町編纂図、大字・小字登録一覧表
 江南町 : 『江南町史資料編4 近代・現代』「付録 行政参考資料」(2001年)   玉川村 : 『玉川村植物誌』(1995年)   
 都幾川村 :『都幾川村史 地理編』(1999年)
 滑川村 : 『滑川村史 通史編』(1984年)
 鳩山町 : 鳩山町史編さん調査報告書第3集「鳩山の地名」(2002年)
 東松山市 : 「東松山市の小字名」
 寄居町 : 埼玉県市町村誌第14巻、大字・小字登録一覧表 
 吉見町 : 吉見の昔ばなしシリーズ17「吉見の地名と方言」(2002年)
 韮塚一三郎『埼玉県地名誌』(北辰図書、1969年)

七郷村誌原稿目次

  古里村(社寺明細帳)

  古里村(地籍帳)

  古里村(村誌)

  吉田村(社寺明細帳)

  吉田村(地籍帳)

  吉田村(村誌)

  越畑村(地籍)

  越畑村(村誌)

  越畑村(神社明細帳)

  勝田村(地誌)

  勝田村(社寺明細帳)

  広野村(村誌)

  広野村(地籍帳)

  広野村(社寺明細帳) 

  広野村(社寺明細帳・鬼鎮神社)

  杉山村(村誌)

  杉山村(地籍帳)

  杉山村(社寺明細帳)

  太郎丸村(村誌)

  太郎丸村(地籍帳)

  太郎丸村(神社明細帳)

菅谷村の沿革目次

  菅谷村

  志賀村1

  志賀村2

  平沢村

  遠山村

  千手堂村

  鎌形村

  大蔵村

  根岸村

  将軍沢村

菅谷村の沿革(鎌形村)

沿革
 名稱 鎌形村俚碑ニ曰ク本村ハ鎌形八幡ヲ遷セリト。因ッテ鎌形ノ語アリト云ヘリ。
 所属 松山領ニ属シ鎌形郷大河原ノ庄ト唱フ。明治五申年(1872)二月大小[区]ヲ置キ六大区四小区ト称ス。同十二年(1879)四月比企横見郡役所ノ管理ニ属シ、同十七年(1884)七月本村外八ヶ村ヲシテ菅谷村聯合戸長役場ヲ置ク。
分合 往昔ヨリ一村タリシニ寛文ノ頃分レテ内郷、植木山ノ二村トナル。明治七年(1874)二月合セテ一村トナル。
管轄 古時未詳。天正ノ頃ハ松山領ニ属シ同十八年(1590)松山城亡ヒテヨリ北条氏ノ故地八州ヲ以テ徳川氏ニ賜フトナリ。正保ノ頃ヨリ御代官支配所ノヨシ。后元禄十一年(1698)徳川氏ノ臣金田周防守ノ采地タリ。天保十四年卯年(1843)八月武蔵国川越ノ城主松平大和守領地トナル。慶応三卯年(1867)正月同領主前橋ヘ移ル。依ッテ前橋領ト改ム。明治二年(1869)八月前橋藩支配所タリ。明治四年(1871)七月更ニ前橋縣ノ管轄トナル。明治五年(1872)二月入間縣ニ更ル。明治六年(1873)六月熊谷縣ノ所轄トナル。同十二年(1879)四月比企横見郡役所ノ管理ニ属ス。同十七年(1884)七月本村及外八ケ村ヲシテ菅谷村聯合戸長役場ヲ置ク。

位置彊域
 位置 比企郡西ノ方
  東 同郡大蔵村耕地
  西 同郡田黒村塩山ノ山脈
  南 同郡須江、竹本二村ノ山峯
  北 同郡千手堂村大平山ノ頂上。菅谷村槻川ノ中央
幅員
 東西 拾六丁九間
 南北 三十三丁
 周回 二里廿三丁四十二間
 面積 百十三万六百廿二坪
地味
 色 白三分 黒七分
 質 真土 埴土 ●土(くろつち)
 適種 中稲晩稲及大麦ニ宜シ。最楮桑ニ適ス。
地勢
 山脈 西北塩山大平山ノ両山ヲ負ヒ最嶮ナリ。松、雑木生茂ス
 水脈  北方槻川ハ秩父郡笠山ノ北方ヨリ出テ東流シテ本村ニ至ル。南ノ方都幾川ハ大野村ヨリ出テ北流シテ本村ニ至リ、北ノ方千手堂村菅谷村トノ界ニ至リ、二川合水東流シテ大蔵村ニ継ク。筏等通行ニ便ナシ。

地種
 官有地
  第一段別 七反八畝四歩 筆数 四筆
  第二段別 ナシ
  第三段別 八拾四町四反一畝十六歩 筆数百三十八筆
  第四段別 五反六畝歩 筆数 二筆
  小計段別 八拾五町七反五畝廿歩 筆数 百四十四筆
 民有地
  第一段別 貳百拾九町四反三畝貳歩 筆数 二千八百九十五筆
  第二段別 壱町六反八畝廿歩 筆数 九拾二筆
  小計段別 貳百九拾壱町壱反壱畝廿歩 筆数 二千九百八十七筆
 總計段別 三百七拾六町八反七畝拾貳歩 筆数 三千百三十一筆

里程
 元標所在 本村中央字清水
 本縣庁ヘ 十一里
 本郡役所ヘ 二里壱町
 近驛 東 松山町 二里壱町三十七間二尺
    西 小川村 二里十町
    南 越生村 二里十八町
    北 熊谷驛 四里十八町
 著名市邑 日本橋ヘ 十七里

耕宅地及塩田
 民有荒地 田 三反壱畝拾参歩
 民有地  田 段別 四拾町貳反廿五歩 筆数 八百四十四筆 地価 貳萬貳千七百五拾九円九拾銭一厘
 民有地  畑 段別 九拾八町四反九畝廿歩 筆数 千貳百四筆 地価 壱万四千五百四円廿七銭八厘
      宅地 段別 拾八町五反六畝拾八歩 筆数 百五十五筆 地価 四千八百八十六円六拾銭七厘
 總計段別 百五拾七町貳反七畝三歩 筆数 二千二百三筆 地価 四万貳千百五十円七十八銭六厘

字地
 石代(こくだい) 舊字 石代
  段別 五町九反廿六歩
  筆数    百廿三筆
 番匠免(ばんじょうめん) 舊字 川間
  段別 五町貳反貳畝三歩
  筆数 百壱筆
 木ノ宮(きのみや) 舊字 木ノ宮
  段別 五町八反八畝十三歩
  筆数 百廿三筆
 曽利町(そりまち) 舊字 アナタ
  段別 四町七反壱畝十六歩
  筆数 九十七筆
 兼ヶ谷戸(かねがいと) 舊字 兼ヶ谷戸
  段別 五町七反六畝廿八歩
  筆数 九十六筆
 南門(みなみかど) 舊字 南門、山ノ神
  段別 拾貳町壱反廿三歩
  筆数 百八十八筆
 北原(きたはら) 舊字 原、大倉原
  段別 拾三町三畝八歩
  筆数 百六十九筆
 南原(みなみはら) 舊字 原、大倉原
  段別 拾壱町壱反九畝十四歩
  筆数 百廿七筆
 油免(あぶらめん) 舊字 油免、臺柳沢
  段別 四町九反壱畝拾壱歩
  筆数 五十七筆
 下宿(しもじゅく) 舊字 宿
  段別 拾壱町五反六畝五歩
  筆数    百九筆
 北宿(きたじゅく) 舊字 植木山下
  段別 拾町貳反八畝拾九歩
  筆数 九十一筆
 上宿(かみじゅく) 舊字 宿
  段別 八町四反六畝拾歩
  筆数 四十八筆
 上ノ臺(うえのだい) 舊字 植木山臺
  段別 六町五反三畝十八歩
  筆数 廿七筆
 粟久保(あくぼ) 舊字 粟久保
  段別 八町貳反四畝六歩
  筆数 四十筆
 高城(たかしろ) 舊字 大ヶ谷
  段別 壱町七反十八歩
  筆数 三十八筆
 下大ヶ谷(しもおおがや) 舊字 下大ヶ谷
  段別 壱町五反三畝廿八歩
  筆数 廿貳筆
 上大ヶ谷(かみおおがや) 舊字 丸山
  段別 三町九反九畝五歩
  筆数 廿壱筆
 中大ヶ谷(なかおおがや) 舊字 丸山
  段別 六町八反六畝六歩
  筆数 六十二筆
 亀ノ原(かめのはら) 舊字 玉川界
  段別 九町参畝十三歩
  筆数 五十筆
 南中島(みなみなかじま) 舊字 中島
  段別 七町三段九畝十三歩
  筆数 九十八筆
 北中島(きたなかじま) 舊字 中島、岩清水
  段別 七町九反八畝廿二歩
  筆数 百三筆
 辻ヶ谷戸(つじがやと) 舊字 辻ヶ谷戸、小峰(こみね)
  段別 六町五畝廿七歩
  筆数 九十五筆
 殿ヶ谷戸(とのがいと)【コード表ではとのがやと】 舊字 殿ヶ谷戸
  段別 八町壱反廿貳歩
  筆数 百六筆
 清水(しみず) 舊字 馬場
  段別 四町九畝四歩
  筆数 五十九筆
 馬場(ばば) 舊字 馬場、宮ノ下
  段別 五町八段八歩
  筆数 七十三筆
 前谷(まえやつ) 舊字 上原
  段別 八町三反六畝四歩
  筆数 五十八筆
 東上原(ひがしうえはら) 舊字 上原
  段別 拾壱町九反三畝廿八歩
  筆数 九拾貳筆
 千騎沢(せんぎさわ)【コード表ではせんがさわ】 舊字 千騎沢
  段別 八町貳反三畝貳歩
  筆数 九十二筆
 西上原(にしうえはら) 舊字 上原
  段別 六町八反十五歩
  筆数 百九筆
 後谷(うしろやつ) 舊字 上原
  段別 三町三反七畝九歩
  筆数 三十七筆
 塩山(しおやま) 舊字 西裏
  段別 五町四反八畝四歩
  筆数 五十四筆
 女久保(おなくぼ) 舊字 女久保
  段別 三町七反五畝十三歩
  筆数 廿六筆
 細原(ほそばら) 舊字 小畔
  段別 三町三段三畝三歩
  筆数 四十三筆
 塩澤(しおざわ) 舊字 塩沢【澤?】
  段別 九町八反壱畝十八歩
  筆数 七十四筆
 西落合(にしおちあい) 舊字 落合
  段別 五町七反九畝十五歩
  筆数 七十筆
 東落合(ひがしおちあい)【地元では中落合(なかおちあい)】 舊字 落合
  段別 拾壱町五反五畝廿六歩
  筆数 百五十三筆
 野銭場(やせんば) 舊字 落合
  段別 貳町壱反七畝拾貳歩
  筆数 八十八筆
 大平(おおびら) 舊字 比丘尼山
  段別 拾貳町壱反九畝廿一歩
  筆数 壱筆

戸数
 平民 本籍 百四十二戸
  内現住 百四十二戸
   入寄留 管外二戸 管内一戸
   小計 百四十五戸
  合計本籍 百四十二戸
   現住 百四十二戸
    入寄留 管外二戸 管内一戸
  総計 百四十五戸

平民
 本籍 戸主 男百三十八人 女四人 計百四十二人
    家族 男三百五人 女三百九拾六人 計七百壱人
    合 八百四十三人 現住八百四十三人
 入寄留 管外 戸主 男二人 女〇 計二人
        家族 男三人 女三人 計六人
        合八人
     管内 戸主 男一人 女〇 計一人
        家族 男二人 女三人 計五人
        合六人
     ■(かかわり)合 拾四人
 總計 男四百五十一人 女四百六人 計八百五十七人

本籍年令
 五年未満 男六十人 女五十三人 合百十三人
 五年以上 男五十三人 女五十二人 合百五人
 十年以上 男四十人 女四十四人 合八十四人
 十五年以上 男三十二人 女二十七人 合五十九人
 廿年以上 男四十一人 女三十八人 合七十九人
 廿五年以上 男二十五人 女二十六人 合五十一人
 三十年以上 男廿九人 女十六人 合四十五人
 三十五年以上 男三十九人 女二十八人 合六十七人
 四十年以上 男二十三人 女二十六人 合四十九人
 四十五年以上 男二十四人 女二十二人 合四十六人
 五十年以上 男二十七人 女十六人 合四十三人
 五十五年以上 男十四人 女十四人 合二十八人
 六十年以上 男十五人 女十四人 合二十九人
 六十五年以上 男十一人 女八人 合十九人
 七十年以上 男三人 女九人 合十二人
 七十五年以上 男五人 女四人 合九人
 八十年以上 男二人 女〇 合二人
 八十五年以上 男〇 女二人 合二人
 總計 男四百四十三人 女四百人 合八百四十三人

生死及就籍除籍
 出生 男十七人 女三人 合二十人
 就籍 男四人 女五人 合九人
 計 男二十一人 女八人 合二十九人
 死亡 男八人 女七人 合十五人
 除籍 男三人 女十二人 合十五人
 計 男十一人 女十九人 合三十人

牛馬
 牛 〇
 馬 内種牡五十九頭 外種ナシ 合計五十九頭


 荷車 大六以上廿五輌 合計廿五輌

神社
 八幡社
  所在 村ノ中央字清水 坪数二千八十六坪
  祭神 譽田別尊(ほんだわけのみこと)
  社格 村社
  創建年月日 末詳
  祭日 毎年九月十五日
  氏子 百五十八戸
  末社 四社 琴平社 白和瀬社 菅原社 山神社
  現任宮司若クハ祠官ノ名  齋藤周養
  雑 天正十九年(1591)社領廿石ヲ賜ハリ寛文四年(1664)焼失セシカ貞享二年(じょうきょう)(1685)再ビ御朱印ヲ賜リ延暦十二年(793)坂上田村麿勅命ヲ蒙リ東夷征伐トシテ関東ニ趣キシ時鹽山ニ勧請ストナリ。其ノ后此ノ清水ニ遷ルトナリ。
 瀬戸神社
  所在 村ノ西ニアリ 坪数百四十坪
  祭神 末詳
  社格  雑社
  創建年月日 末詳
  祭日 二月二日
  氏子 百五十八戸
  現任宮司若クハ祠官ノ名 斎藤周養
 菅原社
  所在 村ノ西方ニアリ 坪数六十六坪
  祭神 菅原道真卿
  社格 雑社
  創建月日 末詳
  祭日 一月廿五日
  氏子 百五十八戸
  現任宮司若クハ祠官ノ名 齋藤周養
 八阪神社
  所在 村ノ中央ニアリ 坪数五十二坪
  祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
  社格 雑社
  創建年月 末詳
  祭日 七月十六日
  氏子 百五十八戸
  現任宮司若クハ祠官ノ名 齋藤周養

寺院
 威徳山班渓寺
  所在 村ノ中央 坪数千貳百五十四坪
  宗派 曹洞宗 寺格 入間郡竜ヶ谷村龍穏寺末派
  開基人名 僧 彿聚孫
  開基年月 寛永年中
  現住ノ姓名 守梅克宗
  雑 彿聚孫寛永三年(1626)十二月十六日寂セリト。サレド當寺ハ清水冠者義高ノ母威徳院殿班渓妙虎大姉追福ノタメ草創セリ。コハ舊キ人ナレバ霍峯ハ中興ニテ開山ノ名ハ失セシナルベシ。此ノ寺ニ一個ノ鐘アリ。
伏以(フシテオモニミルニ) 武州比企郡鎌形村威徳山班渓禅寺者木曽義仲ノ長男清水冠者義高爲阿母威徳院殿班渓妙虎大姉所創建矣然歳霜遥移後請龍穏十六代霍峯聚孫大和尚ニ為鼻祖而洞上添脈連環而建法幢習宗風者歴然大法器末周脩可惜乎卑有簾藤氏天巖自然居士者皈依(きえ)三宝ノ情至焉居士在世ノ月就千當時寄附油田畑兼雖欲鋳梵鐘鳴晨昏天連有数既而逝時自價若干之昆吾以遺言シテ曰ク願逐志憑茲其子信有仁孝速命冶工這筒銅鐘新一時成矣天鐘者三世佛傅法輪初法器刹莫大於鐘降伏魔外剣輪頓空等ノ之妙功用流傅古今付可勝計焉殊居士施燈油地鋳鐘功徳虚空消暝此善根者豈唐■矣願以此功徳普及於一功我等与衆生皆共成佛又所庶幾者依件脩書此回向力
 銘日
  葦原国■ 武蔵州傍 比企故郡
  鎌形木郷 禅民行道 祖上禅房
  威徳山高 班渓水長 冥鶴留影
  澤龍續光 法幢靈地 宗風妙彰
  今歳新鋳 金童掛廊 朝撃暮撃
  円音無量 堅響三世 横聞十方
  ■鐘梵殺 ■■金鋼 自他人畜
  彼是存亡 出生威宅 到湿槃場
  朝野安穏 相屋盈康 簾藤枝葉
  栄盛久昌 四海清平 寺担繁昌
  簾藤氏子孫萬々歳
  前永平後住班渓沢翁叟思謹詣
  功徳主 當村 簾藤佐五左衛門
      法名 天巖自性居士
  于時享保四巳亥年(1719)二月十五日井上治兵衛重治
  野州安阿蘓郡佐野天明住 冶工 井上太郎左ヱ門重延

 経王山宗信寺
  所在 村ノ西ノ方 坪数四百廿六坪
  宗派 日蓮宗下総国眞間弘法寺ノ末派
  開基年月 慶安年中
  開基人名 日法
  現住ノ姓名 無住

道路
 松山道 等級 里道
  長 南ハ玉川郷界ヨリ東ノ方大蔵村界ニ至ル村内長延拾四町拾五間
  幅 貳間ト両端ニ濕抜堀付属ス
  形状 平垣直道中央ニ木曽殿橋アリ
  雑項 西平ヨリ松山町ニ通スル里道ニシテ従来道橋等ノ修繕ハ本村ノ負擔
 熊谷道 等級 里道
  長 南方田黒村境ヨリ北方千手堂村境ニ至ル長サ十五丁十八間
  幅 貳間ト両端ニ濕抜堀アリ
  形状 字辻ヶ谷戸ヨリ東ヘ折レ北ニ向ッテ直道ナリ
  雑項 入間郡越生驛ヨリ熊谷驛ニ通ズル里道ニシテ従来道橋等ノ修繕ハ民費ニ属ス

地所 明治九年(1876)十二月調査ノ分
 官有地
  村社 段別 六反九畝拾六歩
  社地 段別 八畝拾八歩
  用材林反別 壱町壱反六畝廿六歩
  薪炭材 段別 壱反四畝拾七歩
  芝地 段別 拾壱町五畝廿五歩
  秣場 段別 貳拾八町六反八畝四歩
  川 段別 貳拾七町壱反五畝歩
  溜池 段別 三反二畝拾七歩
  溝渠 段別 三町六反三畝十三歩
  道路 段別 拾町五反九畝拾四歩
  寺院境内 段別 五反六畝歩
  合計段別 八拾五町七反五畝歩
 民有地
  田 段別 四拾町貳反廿五歩
  畑 段別 九拾八町四反九畝廿歩
  郡村宅地 段別 拾八町五反六畝十八歩
  鍬下地 段別 壱町七反九畝三歩
  荒地 段別 三反一畝十三歩
  林 段別 九拾五町四反五畝貳歩
  秣場 段別 貳拾八町貳反七畝五歩
  籔地 段別 五反壱畝十五歩
  萱生地 段別 七反三畝十歩
  芝地 段別 七段九畝三歩
  石置地 段別 貳段貳畝六歩
  畦畔籔 段別 四町六畝廿歩
  墓地 段別 壱町貳反貳畝五歩
  斃馬捨場 段別 壱反六畝十八歩
  溜池 段別 拾貳歩
  合計反別 貳百九拾壱町一反一畝二十二歩
 總計反別 三百七拾六町八段七畝拾貳歩

山嶽
 塩山
  所在 村ノ西部
  形状 孤山ニシテ嶺上ヨリ西ハ田黒村ニ属シ北ニ槻川ヲ帯ヒ東南ハ本村ニ属シ樹木生セズ
  高 五十丈
  登路 登路ニ条。一ハ本村字塩沢ヨリ登ル高三丁険ニシテ近シ。一ハ小久保ヨリ上ル高六丁易シテ遠シ。
  樹木 岩石多ク樹木生セズ
  景致 全山岩石夛ク西ハ秩父連山ヲ遠景シ北ニ槻川ノ険流ヲ梺ニ望ミ東南ハ本村ノ人家及耕地ヲ一見シ都幾川ノ清流ヲ遠望ス
 大平山
  所在 村ノ西北部
  形状 北東ハ千手堂村ニ属シ山脈北方ニ延長シ同山雷電山ニ連ル。岩石夛ク樹木生セス。
  高 八十五丈
  登路 二条アリ。一ハ本村ヨリ槻川ヲ渡リ字細原口ヨリ登ル七町ニシテ険。一ハ千手堂上ノ山ヲ経テ上ル。十二町ニシテ易シ。
  樹木 樹木ナシ。柴草生ズ
  景致 西南東ノ三方ハ槻川ヲ沿ヒ北方ハ山脈雷電山ニ連ル。但シ西方秩父郡山ヲ眺望シ、東ハ都幾川、槻川、両川ノ流ヲ望シ風景宜シ。

林籔(りんそう)
 民有地 字兼ヶ谷戸 段別 壱町壱反五畝五歩 主用 薪炭材
 民有地 字南門 段別 八反六畝十二歩 主用 薪炭材
 民有地 字北原 段別 七反壱畝十五歩 主用 薪炭材
 民有地 字南原 段別 参町貳畝五歩 主用 薪炭材
 民有地 字油免 段別 三町二反四畝廿二歩 主用 薪炭材
 民有地 字下宿 段別 二町壱反二畝貳歩 主用 用材
 民有地 字下宿 段別 五町五反五畝廿六歩 主用 薪炭材
 民有地 字北宿 段別 貳町四反九畝十五歩 主用 薪炭材
 民有地 字北宿 段別 六町九歩 主用 用材
 民有地 字上宿 段別 壱町五反二畝十五歩 主用 用材
 民有地 字上宿 段別 四町四反九畝四歩 主用 薪炭材
 民有地 字上ノ臺 段別 五反六畝四歩 主用 用材
 民有地 字上ノ臺 段別 五町壱反六畝九歩 主用 薪炭材
 民有地 字粟久保 段別 八町四畝拾貳歩 主用 薪炭材
 民有地 字中大ヶ谷 段別 四町三段九畝三歩 主用 薪炭材
 民有地 字上大ヶ谷 段別 二町八段八畝廿一歩 主用 薪炭材
 民有地 字亀ノ原 段別 壱町壱段八畝十一歩 主用 用材
 民有地 字亀ノ原 段別 七町七反八畝十九歩 主用 薪炭材
 民有地 字南中島 段別 貳町貳反八畝五歩 主用 薪炭材
 民有地 字北中島 段別 壱町壱反五畝八歩 主用 薪炭材
 民有地 字辻ヶ谷戸 段別 五畝七歩 主用 用材
 民有地 字殿ヶ谷戸 段別 四段四畝二十二歩 主用 薪炭材
 民有地 字清水 段別 貳拾八歩 主用 薪炭材
 民有地 字馬場 段別 二反二十九歩 主用 用材
 民有地 字前谷 段別 二町九反八畝十八歩 主用 用材
 民有地 字前谷 段別 三町六反四畝廿四歩 主用 薪炭材
 民有地 字東上原 段別 二町五反八畝十五歩 主用 用材
 民有地 字東上原 段別 壱町二反壱畝壱歩 主用 薪炭材
 民有地 字千騎澤 段別 三町九反五畝四歩 主用 薪炭材
 民有地 字西上原 段別 八段壱畝五歩 主用 薪炭材
 民有地 字後谷 段別 四段五畝廿六歩 主用 用材
 民有地 字後谷 段別 貳町六反七畝七歩 主用 薪炭材
 民有地 字塩山 段別 壱町六反壱畝十九歩 主用 用材
 民有地 字塩山 段別 参町参反五畝三歩 主用 薪炭材
 民有地 字女久保 段別 壱町七段八畝十九歩 主用 薪炭材
 民有地 字女久保 段別 壱町壱反九畝十一歩 主用 用材
 民有地 字細原 段別 壱町九段七畝十七歩 主用 薪炭材
 民有地 字塩沢 段別 壱町七反貳畝十一歩 主用 用材
 民有地 字塩沢 段別 三町六反八畝七歩 主用 薪炭材
 民有地 字西落合 段別 六段四畝参歩 主用 用材
 民有地 字西落合 段別 壱町四畝九歩 主用 薪炭材
 民有地 字東落合 段別 六段貳拾歩 主用 薪炭材
 合計反別 九拾五町九段六畝拾七歩

原野
 大ヶ谷(おおがや)原
  所在 村ノ南部ニアリ
  所属 本村ト玉川郷入会ニシテ民有ニ属ス
  段別 貳拾貳町六反壱畝貳拾壱歩
  形状 全景平坦ニシテ小シク高燥ノ地アリ。八方傾斜シテ数条ノ小谷アリ。
  生産 萱草生茂ス。村民ノ秣場ナリ。
 高城ノ原
  所在 村ノ南部ニアリ
  所属 本村ト玉川郷入會ニシテ民有ニ属ス
  段別 五町六反五畝十四歩
  形状 全景平坦
  生産 萱草生茂村民ノ秣場ナリ

河渠
 都幾川
  発源 秩父郡大野村ヨリ発ス
  流状 東北ヘ曲流シテ水勢急流ナリ
  所属ノ長 千百十五間 最廣五十五間 最狭 十二間
  深 最深八尺 最浅二尺 清流
  潅漑 本村田方七分通用水ノ便ニ供フ
  運輸 筏ヲ通便セシム
  物産 鮎魚生ス
  雑項 水源秩父郡大野村字鳶巣■脊両山ヨリ発シ沿村々小流ヲ合シ東北流シテ本村ニ至リ大河トナリ南方玉川郷ノ界ヨリ北ニ向ヒ東ヘ折レ又北ニ向ヒ急流シテ本村野銭場ニテ槻川ト會流ス。水源ヨリ本村ニ至ル水路凡五里。
 槻川
  発源 西方秩父郡笠山ノ梺ヨリ発ス
  流状 東北ヘ曲流シテ水勢急流ナリ
  所属ノ長 千五百四間 最廣四十間 最狭十三間
  深 最深九尺 最浅二尺
  潅漑 岸高クシテ用水便ナシ
  運輸 筏ニ通便セシム
  物産 鮎魚生ズ
  雑項 西方秩父郡笠山ノ梺ヨリ発シ北流シテ坂本村ニ至リ大内沢村ヨリ出ル小泉ト合シテ南流シテ比企郡腰越村ニ至ッテ東ニ折レ小川村ニテ竹澤川ト合流シテ下里、遠山ノ二村ヲ経テ字細原山ノ西隅ヨリ千手堂村ト劃シテ本村字野銭場ニテ都幾川ト会流ス

橋梁
 木曽殿橋
  所在里道松山道字南中島、亀ノ原ヨリ発水ナス軽井沢堀ニ架設ス
  長 五間
  幅 貳間
  構造 土橋
  架設年月 明治十六年(1883)四月

堤塘
 石代堤
  長 村ノ北方字石代ヨリ東方大蔵村境ニ至ル六百三十七間
  高 八尺ヨリ一丈ニ至ル
  幅 馬踏六尺 堤敷三間
  雑項 都幾、槻ノ二川相混シ殊ニ急流ノタメ洪水ノ節ハ折々小破壊アリ。時トシテハ大破損アリ。耕地一面冠水シ田畝三分ノ一ハ砂入等アリ。修繕費ハ官民二途ニ属ス。

名勝
 蚕影山(こかげさん)
  所在 村ノ西ノ隅ニ位ス
  景致 巨巌重疊シテ高サ十余丈。岩間ニ老タル苔松ハ槻川之河面ニ伏シ絶頂ニ蚕守護ノ蚕影山神社ノ宮殿アリ。山嶺ハ一面ノ松林ニシテ南ハ本村塩山ノ高山及道見山【?】ヲ近ク望ミ北ニ槻川ヲ隔テテ大平山ノ岩山ヲ近見シテ西ニ細原アリ。面前ニ槻川ヲ帯ビタリ。川中巨大ノ石間ヲ漲流セル水泡ハ恰モ白布ヲ瀑スガ如シ。之ニ浮遊ル鮎魚ハ■シテ【概?】一尺有余ニシテ数十匹並列シテ渕深タル川中ヲ争ヒ躍回スル鮎魚ハ左ナガラ鯉魚ノ如シ。部中【郡中?】第一ノ名勝タルヲ踏メリ。

租税
 国税
  地税金 千九拾四円九拾四銭三厘
  酒造税金 七百八拾四円四銭四厘
  車税金 拾貳五十銭
  牛馬売買免許税金 貳円
  賣薬税金 貳円
  合計金 千八百九拾壹円四拾八銭七厘
 地方税
  地租割金 百九拾五円廿九銭八厘
  戸数割金 九拾貳円七拾五銭八厘
  営業税金 三拾六円六拾銭
  雑種税金 三拾貳円五拾銭
  合計金 三百五拾七円拾五銭六厘

舊租
 田高 米 九拾壱石八斗八升五合 石盛 十三、十一、九、免
 畑高 永 五拾四貫貳百五拾三文二厘九毛 石盛 十一、九、六、免
 屋敷高 永 壱貫五百三十八文三分七厘壱毛 石盛 十一、免
 合計地租 米 九拾壱石八斗八升五合
 永 五拾五貫七百八十一文四分

舊雑税
 野手米 壹石壹斗六合
 柴草冥加 永貳百五拾文
 綿売出シ 永八百七文
 荏(えごま)代 永 貳百四拾八文
 合計 米 壹石壹斗六石
    永 壱貫三百五匁

舊検地帳表書合計
 表書 寛文八歳戊申(1668)八月十七日
  武州比企郡玉川領鎌形村御検地水帳
   拾冊ノ内 案内 弥右衛門 太郎兵衛 三郎左衛門 縫殿助
 合 上田 壱町五反九畝廿三歩
   中田 五町九反六歩
   下田 六町六反貳畝八歩
   下下田 三町六反六畝貳歩
   上畑 貳町壱反三畝四歩
   中畑 拾貳町貳畝拾九歩
   下畑 四拾壱町六反四畝六歩
   下々畑 三拾五町九反五畝拾八歩
   切畑 貳町八反七畝歩
   屋敷 壱町壹反五畝壹歩

舊検地帳表書合計
 表書 元文五年申(1740)十一月
  武蔵国比企郡玉川郷鎌形村入會秣場検地帳
   御代官 柴村藤右衛門
    手代 八木仙右衛門 木村浅助
 合 秣場 貳拾貳町壹反壹畝拾貳歩

舊検地帳所載ノ字
 寛文八年戊申八月十七日拾冊ノ内 検地役人 曽根五郎左衛門外三人
  辻ヶ谷戸 馬場 上原 田向 塩澤 女久保 西裏 小畔 川端 小峰 殿ヶ谷戸 宮ノ下 千騎沢 宿 落合 供養塚 シヤラク屋敷 南門 山ノ神 原 兼ヶ谷戸 アナタ 川間 石代 上大ヶ谷、丸山 夜打久保 下大ヶ谷 粟久保 植木山臺 油免臺 植木山下 柳沢 木ノ宮 関上 大倉原 中島 玉川界 岩清水

物産
 米 生産高 四百七拾四石五斗
 糯米 生産高 三拾八石四斗
 大麦 生産高 五百八石三斗五升
 小麦 生産高 四百五拾八石三斗五升
 粟 生産高 三拾六石
 大豆 生産高 百八十九石
 蕎麦 生産高 二十六石
 甘薯 生産高 千七百五十貫匁
 実綿 生産高 五百二十六貫匁
 まゆ 生産高 六十三石
 楮皮 生産高 四百メ匁
 清酒 生産高 三百七石六升三合
 焼酒 生産高 壹石貳斗貳升七合

民業
 農業 四百十一戸
 農商兼業 二十四戸
 工業 専業者 ナシ
 医業 一戸
 農工兼業 十七戸
 雑項 農事ヲ主トスト雖モ農間工業ナスモノ十余人。婦女子ハ農間生綿機ヲ紡織スルモノ夛シ

七郷村誌原稿 太郎丸村(神社明細帳) ルビ・注



埼玉縣下武蔵國比企郡太郎丸村字午     村社    淡洲(あわす)神社
一祭神 豊玉姫命
一由緒 抑々本社由緒書ハ慶應二寅年秩父地方ヨリ亂民蜂起シ来リ民家ヲ佗壊【破壊】シ或ハ放火スル際遺憾ナル哉由緒書類モ悉(ことごと)ク絡亂燃焼セラレ故ニ其詳細ヲ知ルニ由ナシ只口々ニ傳フルハ大化年中本社再建スル所ナルト自来年月久キヲ經ルヲ以テ之レガ修繕ヲ施スト雖モ元禄ノ頃。社宇大ニ披損ス是レヲ以テ猶再建スト云棟札(むなふだ)【由緒、建築年月、建設者などを書いて棟木に打ち付ける札】ニ元禄八子年((西暦一六九五年))九月吉辰ト記載アリ今現ニ存立スル社宇ハ則之也
一社殿(しゃでん) 間口 貳間貳尺
    奥行 貳間七寸
一境内(けいだい) 貳百四拾五坪  官有地第壱種
一境内(けいだい)神社三社 
 菅原神社
  祭神 學大神
  由緒 末社菅公ハ本社ヨリ後ニ建立シタル由シ只口ニ傳フ本社右側ニ存ス
  社殿(しゃでん) 間口壱尺壱寸五歩
     奥行二尺八寸
  祭神 稲荷大神
  由緒 末社稲荷大神ハ本社ヨリ後ニ建立シタル由シ只口ニ傳フ本社ノ右側ニ存ス
  社殿(しゃでん) 間口壱尺壱寸五歩
     奥行二尺八寸
 嚴島神社
  祭神 市杵姫命
  由緒 嚴島神社ハ石造宮ニシテ寛政戊午年((寛政十年 西暦一七九八年))十一月吉日本村婦女子等ノ建立スル所ナリ
  社殿(しゃでん) 間口六寸五歩
     奥行六寸
  鳥居(とりい) 高サ壱丈壱尺二寸
     巾壱丈
  旗掉置場 間口三尺二寸
       奥行八間壱尺
一氏子 戸數廿三戸
一管轄廰迄距離 拾貳里廿五町
以上
右者明治十二年本縣第廿三号御達之基キ取調候所相違無御座候也
氏子惣代      大澤常十郎∪ 明治十七年五月六日       中村嘉十郎∪ 田幡慶三郎∪ 淡洲(あわす)神社祠掌兼務       権訓道寸      宮本廣野 ∪ 戸長代理筆生(ひつせい)      田幡載太郎∪
 比企横見郡長鈴木庸行殿
武藏國比企郡    太郎丸村
淡之洲神社境内(けいだい)上地(あげち)【収公された土地】官林字鎮守
従前反別三畝七歩 明治丗六年四月廿五日付境内(けいだい)ニ編入ヒ写届∪
一改正反別 四畝五歩
  東耕地  南現境内(けいだい)  平地
  西道   北用水堀  赤交
 木種
  杉木目通(めどおり)【目の高さで測った木の太さ】壱尺四以上弐尺八寸迄 四本 長壱間
  同   三尺四以上五尺七寸迄 拾本 長弐間
  松木目通(めどおり)六尺四□八尺五寸迄  五本 長三間
 下草料無御座候 里程(りてい) 都幾川通菅谷村迄陸路三十丁右川岸ヨリ東京迄四拾七里廿丁
右之通リ御座候也
右村      旧戸長    明治十二年七月七日         田幡宗順
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

村社淡洲(あわす)神社     第六大區五小區       比企郡太郎丸村 字午三百七十三番       立会人       除税地反別八畝五歩        大澤作右衛門∪ 官林反別四畝五歩        副戸長      田幡載太郎 ∪ 戸長       田幡宗順  ∪
   明治十年四月十四日

丈量詰村扣  明治十年四月廿四日四人泊リ奥田氏其外三人御派出ニ相成該地御検査済ニ相成御取調候以上扣
除地(じょち)【朱印地以外で租税を免除された土地】淡ノ(ママ)洲神社    第六大區五小區      
比企郡太郎丸村 境内(けいだい)反別八畝五歩       立會人       大澤作右衛門∪ 副戸長       田幡載太郎 ∪ 戸長       田幡宗順  ∪
   明治十年丑四月廿四日

七郷村誌原稿 太郎丸村(村誌) ルビ・注

別紙之通村誌編製草稿仕候条御査點之上御指揮被成下度此段上申候也
比企郡         太郎丸村      明治十三年十二月         戸長     田幡宗順∪
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

武藏國比企郡太郎丸村
 本村昔時ヨリ壱部ニシテ口碑本郡松山領ニ属シ村名改称分郷等ノ事ナシ
疆域
 東ハ中尾水房(みずふさ)ノ二村ト山林丘陵ヲ以界トシ正南ハ廣野村字川嶋ト市ノ川ヲ以境トス南ヨリ西ハ志賀村杉山二村ニ接ス正北ハ廣野村ト田畝ヲ以畫(くぎ)リ北ヨリ東ハ伊古(いこ)村ト田畝ヲ以相對ス
幅員
 東西拾壱町五拾五間南北六町五拾三間
管轄ノ沿革
 慶應二寅年六月((六月十七日))無頼之徒蜂起シ世直ト称シ民家ニ亂入シ財貨ヲ掠奪シ或ハ放火シ或ハ破毀シ頗(すこ)ブル惨状ヲ極ム噫乎遺憾ナルカナ本村古書稿[?]ヲ蒙リ蕩然(とうぜん)烏有(うゆう)【皆無】ニ属ス故ニ沿革ノ詳(つまびらか)ナルヲ知ルニ由ナシ只タ此ニ記スル所ハ口碑ニ流傳スルヲ述ルニ過ス天正ノ頃松山領トナリ宝暦年間ハ御代官岡部料((領))ニ属ス其後宝永年間頃ヨリ猪子左太夫ノ知行所トナル明治元辰年 王政復古之際シ同年八月品川縣ノ管轄スル処トナリ仝二年九月韮山縣ニ轉ス以後明治四年十一月ニ至リ而入間縣ニ轉ス同六年熊谷縣ノ所轄スル処トナル
里程(りてい)
 熊谷縣廰(けんちょう)ヨリ南方三里
 四隣同郡廣野村壱町二拾間
本村及ヒ各村元標ナキヲ以テ皆掲示場ヨリ掲示場マテ
 水房(みずふさ)村十二丁杉山村十六町
 近傍(きんぼう)宿町本郡松山町二里小川村ヘ壱里廿五町
地勢
 東ハ岡巒起伏シ雑樹欝生(うっせい)シ西南地勢平衍(へいえん)シテ賀須川ハ杉山廣野二村ノ間ヨリ来リ南部ヲ流レテ市ノ川ニ入ル市ノ川ハ西ヨリ来リ賀須川ノ水ヲ合セテ南境ヲ環流ス其側ニ賀須川市ノ川ニ入ル本村ノ南舟筏(しゅうばつ)ノ理アラス夏時驟雨ノ過スルアレハ忽チ汎濫シテ堤外ニ溢レ田圃ヲ害ス土人(どじん)之レヲ憂フ但薪炭(しんたん)ノ窮ヲ告ル者稀也
地味(ちみ)
 其色赤黒壚(ろ)土粘土相混シ過半壚(ろ)土ヲ交エ稍ニ稲梁(とうりょう)ニ回シ桑茶楮ニ適セス
 水利便ナラス時ニ水旱(かん)【おおみずとひでり】苦シム
税地
 田  旧反別  八町貳反九畝二歩
    改正反別 九町弐反七畝廿九歩
 畑  旧反別  拾四町八畝七歩
    改正反別 拾壱町五反五畝十歩
 宅地 旧反別  四反八畝十七歩   
    改正反別 貳町三反五畝拾八歩
 山林 旧反別  拾六町九畝拾八歩
    改正反別 二十町二反二畝拾五歩
 芝地 旧反別  
    改正反別 四反拾五歩
飛地
 本村ノ東ノ方水房(みずふさ)村ノ部分ニアリ
字地
 午地  村ノ中央ニ当リ東西二百三十間南北百二十間
 子地  午ノ地ノ西方ニアリ東西二百間南北百二十間
 卯地  午ノ地ノ南端ニ接ス東西百二十七間南北百八十七間
 巳ノ地 午ノ地ノ東方アリ東西百八十五間南北百二十五間
 酉地  午ノ地ノ東北ニアリ東西百五十間南北七十間
貢租(こうそ)
 地租(ちそ) 米三拾四石八斗五升七合
    金貳百拾六円六拾五銭弐厘
 賦金(ふきん) 国税金百七拾八円九十六銭二厘
    縣税金拾壱円拾七銭五厘
明治八年ノ租ニ依ル
 總計 米三十四石八斗五升七合
    金貳百四十五円弐銭三厘

戸數    寄留(きりゅう)壱戸平民
 本籍廿三戸平民 社壱戸
人數
 男六十八人口平民女七十九人口平民 総計百四拾七口
牛馬
 牡馬拾四頭
舟車
 荷車二輌
山 ナシ

 市ノ川深キ處五尺浅キ処五寸廣キ処ハ五間狭キ処ハ二間緩流水色澄清舟筏(しゅうばつ)通セス堤防アリ村ノ西ヨリ南四拾五町五拾間水流長拾町水房(みずふさ)村ニ至ル用水不便賀須川深キ処三尺浅キ処五寸廣キ処四間狭キ処二間本村ノ西方廣野村ヨリ来ル市ノ川ト合水流長四町拾二間用水不便時ニ大水患有リ
 大橋 川嶌道ニ屬ス村ノ南方ニ当リ二町八間三尺
    市ノ川中流ニ架ス長三間五尺巾壱間土造
森林
 淡洲(あわす)林 官有ニ屬ス東西四間南北四間反別
     村東二丁十二間ニアリ大樹繁茂(はんも)シ杉多シ
原野 ナシ
牧馬 ナシ
礦山 ナシ
湖沼
 表谷(おもてやつ)溜池【小字辰にある馬喰(ばく)沼】 東西二十一間南北三十一間周回百六十八間五尺本村東ノ方ニアリ田[以下記入なし]
 小谷溜池 【小字辰にある小谷沼】 東西二十六間南北八間三尺周回六十七間二尺村ノ東南ノ方ニアリ田[以下記入なし]
 下溜池【小字申の三ツ沼下沼】 東西二十二間南北三十間周回百四十三間三尺村ノ東ノ方ニアリ田[以下記入なし]
 中溜池【小字申の三ツ沼中沼】 東西六十三間南北十五間周回百五十二間村ノ東ノ方ニアリ田[以下記入なし]
 上溜池【小字申の三ツ沼上沼】 東西五十壱間南北三十四間周回百五十九間五尺村ノ東方ニアリ田[以下記入なし]
 小申山溜池【小字酉にあるゴッチザル沼(ゴキ沼)】 東西十六間三尺南北十一間四尺周回五十六間五尺村ノ北東ノ方ナリ田[以下記入なし]
 申山溜池【小字甲の与左衛門沼カ】 東西三十一間南北二十一間四尺周回百三間二尺村北東ノ方ナリ田[以下記入なし]
 五十谷(ごじゅうやつ)溜池【小字戌の五(後)重谷沼】 東西十五間三尺南北七間周回四十七間三尺村ノ東北ナリ田[以下記入なし]
道路
 熊谷道 村西ノ方比企郡杉山村界ヨリ入東ノ方本郡中尾村ニ至ル長九町四十一間巾壱間半道敷□ナリ本郡小川村ヨリ大里郡熊谷駅エ達スルノ経路ナリ
堤塘(ていとう)
 囲堤(いてい) 市ノ川賀須川ニ沿ヒ西ノ方字酉ノ前ヨリ連續シ東方本村ノ南方ニ至リ長四町五十五間馬踏(ばふみ)壱間敷二間四尺修繕費用ハ民ニ屬ス
瀧 ナシ
温泉 ナシ
冷泉 ナシ
陵墓 ナシ

 淡洲(あわす)神社村社々地東西十七間南北十八間三尺面積村東ニアリ豊玉姫命ヲ祭ル勧請年月不詳祭日九月十九日老杉拾数本
寺 ナシ
學校
 村ノ北西ノ方同郡杉山村椙山(すぎやま)小学校ヘ通学生生徒男十五人 女二人
事務所
 村ノ中央田幡宗順ノ宅舎ヲ仮用ス村ノ事務ヲ取扱ス
病院 ナシ
郵便局 ナシ
製綿場 ナシ
古跡 ナシ
名勝 ナシ
物産
 動物 繭 質美悪相混ス 七石   鶏 百五十羽
    鶏卯 九百六十
 植物 米質美百二十石 大麦質四十五石 小麦質悪二十石 大豆質美八石 小豆質悪五石五斗 粟質悪八斗六升 蕎麦(そば)質悪三石
製造物
 生絹(きぎぬ)質美百三十疋(ひき)本郡小川村ヘ輸ス 薪(まき)五百駄
 生酒百何石
器用物 ナシ
民業
 男 農桑(のうそう)ヲ業トスルモノ二十戸工ヲ業トスルモノ三戸
 女 農業紡織ヲ業トスルモノ五十人

七郷村誌原稿 太郎丸村(地籍帳) ルビ・注

●太郎丸村
第廿五号              五月一日 持参
郡長江差出シ村扣也  地籍帳
            武藏國比企郡
明治十五年五月一日        太郎丸村
官有地
   第壱種
一神地 
  村社

   第三種
一林反別四畝五歩
    内
   用材林反別壱畝歩
   薪炭(しんたん)材林反別三畝五歩
一河反別八反八畝弐拾弐歩
    内
   市の川反別七反三畝拾五歩 但長七百三拾五間
                 巾平均三間
   賀須川反別壱反五畝七歩 但長弐百弐拾八間五歩
                 巾平均弐間
一溜池反別壱町六反八畝弐拾三歩
一溝渠(こうきょ)反別五反八畝廿四歩
    内
  小谷用水路反別弐畝拾五歩 但長七拾五間
                巾平均壱間
  表谷用水路反別壱反壱畝廿四歩 但長弐反三拾五間
  巾平均壱間五歩
  内谷用水路反別三反拾九歩 但長九反拾九間
                巾平均壱間
  五十谷用水路反別四畝拾弐歩 但長百三拾弐間
                 巾平均壱間
  小申山用水路反別弐畝廿四歩 但長八拾四間
                 巾平均壱間
  大申山用水路反別六畝廿弐歩 但長百三拾五間
                 巾平均壱間五歩
一市ノ川堤敷(つつみしき)反別六反七畝弐歩 但長五百三間
                巾平均四間
一道路反別弐町壱反拾弐歩
    内
   村道反別三反七畝拾三歩
   耕作道反別壱町七反弐畝廿九歩
民有地
   第壱種
一田反別九町弐反七畝弐拾九歩
   壱反九歩       冷水堀
   拾四歩        溜井
   外反別六畝弐拾七歩  畔敷
一畑反別拾壱町五反五畝拾歩
    外反別三畝四歩    掻上地((カキ上地))
       租第百三拾号達取調差出シ候地籍帳之内御尋議有之ニ付五月八日郡役所よりオカキアケチトカイ名ス
一郡村宅地反別弐町三反五畝拾八歩
一開墾鍬下(くわした)畑【新たに開墾した土地で、検地を受けず高入になっていない畑】反別三反壱畝拾九歩
      明治八年ヨリ廿七年迄弐拾ヶ年季
一茅生地反別壱畝弐拾弐歩
一芝地反別四反拾五歩
一林反別弐拾町弐反弐畝拾五歩
    内
   用材林反別弐町三反六畝廿八歩
   薪炭(しんたん)材林反別拾七町八反五畝拾七歩

   第弐種
一墓地反別弐反七畝壱歩
一斃馬捨場反別弐畝壱歩

合反別五拾町六反拾四歩
内譯
   官有地
    此反別六町六畝三歩
   民有地
    此反別四拾四町五反四畝拾壱歩

右者地籍編纂之儀本縣乙第六號ヲ以テ御達之趣ニ依リ私共立會取調候所書面之通リ相違無之候也
比企郡太郎丸村        小前惣代      田幡慶三郎∪ 明治十五年四月一日      〃 田幡載太郎∪ 戸長       田幡宗順∪
 埼玉縣令吉田清英殿

七郷村誌原稿 杉山村(社寺明細帳) ルビ・注

社寺明細帳
比企郡杉山村
埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字清明 村社    八宮神社
一祭神 建速須佐之男(たけはやすさのお)命
    大己貴(おおなむち)命
    稲田比賣(いなだひめ)命
一由緒 祭神建速須佐之男命大巳貴命稲田比賣命徃古勸請四十五代聖武帝ノ御宇【西暦七二四〜七四九年】ト申其後六十一代朱雀院ノ御宇【西暦九三〇〜九四六年】天慶二年【西暦九三九年】十二月平将門(たいらのまさかど)関東ニ在リテ謀反(むほん)ヲ起シ朝意ニ叛キ此時六孫王經基(つねもと)公當村ノ旧城ニ御出陣在テ藤原秀郷(ふじわらひでさと)平貞盛(たいらのさだもり)ヲシテ當国ノ精兵ヲ募リ将門ヲ討ス時陣中疫癘流行シ斃者不少依テ社頭ニ於テ朝敵征討得疫癘(えきれい)消除ノタメ御意願有之霊験著シク反賊怱チ伏誅シ疫疾頓(にわか)ニ癒(いゆ)依テ經基王再ヒ當社ヲ修繕シ四方四維ノ村落ニ祀テ八宮神社ト号シ法施トシテ仁王會六万部御修行有之今ニ六万塚六万坂ト申所アリ城跡僅ニ存ス此言審ナラスト雖モ傅テ有之今ニ春秋両度祭典ヲ成シ皇國安全ノ祝詞(のりと)ヲ奉ス依テ前記前摘記載ス
一社殿(しゃでん)間數 間口貮間壱尺五寸
      奥行三間壱尺
一境内(けいだい)坪數 百四坪 官有地第壱種
一氏子戸數 五拾二戸
一管轄廳迄距離里數 十二里二十五丁
以上

右之通取調候処相違無御座候也
右村         氏子総代      明治十五年十月三日       内田六平 ∪ 仝 初雁源作 ∪ 金子惣三郎∪ 祠掌        杉山儀順 ∪ 戸長        初雁良助 ∪

埼玉縣武蔵國比企郡杉山村字上城ヶ谷戸
積善寺由緒
抑當山者人皇第一百五代後柏原院御宇【西暦一五〇〇〜一五二六年】大永五年【西暦一五二五年】ノ草創ニシテ祐源阿闍梨ノ開基(かいき)ナリ本尊ハ則チ開祖自ラ調((彫))刻シ玉フ尊像アリ[ナリ?]其原由ヲ尋ルニ城跡ノ山腹ニ清泉アリ徃昔(おうせき)【むかし】根本大師(こんぽんたいし)福聚金剛(ふくじゅこんごう)【平安初期の天台宗の開祖最澄(767年〜822年)のこと。伝教大師】此處ニ於テ金光明経(こんこうみょうきょう)廣説(こうせつ)シ玉フ聖地也云々彼ノ至徳ニ慣(なじみ)テ[祐]源[阿]闍梨爰ニ一宇ノ精舎ヲ建立シ彌陀ノ尊躯ヲ奉安置國家安穏萬民豊樂ノ為ニ金寳山王ノ法會[?]ヲ修行シ玉フ霊地ナリ故ニ号ヲ福王山泉明院積善寺ト称ス

埼玉縣下武蔵国比企郡杉山村字上城ヶ谷戸    男衾郡塚田村       普光寺末    天台宗比叡山派 積善寺
一本尊阿彌陀如来
一由緒
一堂宇間數 間口七間三尺 奥行六間
一庫裏(くり)間數 間口貮間三尺 奥行三間三尺
一境内(けいだい)坪數貮百八拾七坪 官有地 第四種
一境外(けいがい)所有地
 田反別弐反八畝廿七歩  杉山村字岩花
  地價金百弐円四拾九銭五厘
 田反別弐畝廿八歩 同村字表猿ヶ谷戸
  地價金八円拾七銭
 畑反別四反七畝九歩 同村字玉ノ岡
  地價金四拾四円三厘
 林段別八畝拾六歩 同村字上城ヶ谷戸
  地價金壱円廿八銭
 林段別四畝四歩 同村字玉ノ岡
  地價金六拾弐銭
 林反別四反五畝壱歩 同村字下城ヶ谷戸
  地價金六円七拾五銭五厘
 荒地反別壱畝拾五歩 同村字岩花
  明治九年ヨリ仝十七年迄九ヶ年季
一檀徒人員三拾九人
一管轄廳迄ノ距離 拾貮里弐拾五丁
  以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村         檀徒総代      明治十五年十月三日 新井□次郎∪ 仝        伊藤和十郎∪ 仝        水島源次郎∪ 積善寺住職     萬山純衛 ∪ 戸長        初雁良助 ∪

埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字豊岡     仝郡大谷村      宗悟寺末   曹洞宗  蔵身庵
一本尊地蔵尊
一由緒不祥
一堂宇間數 間口六間三尺 奥行五間
一境内(けいだい)坪數貮百五拾壱坪持文[分]蔵身庵
一境外(けいがい)所有地
 田段別五畝拾四歩 杉山村字中窪
  地價金貮拾四円四拾六銭五厘
 田段別壱畝三歩 仝村字同
  地價金四円五拾四銭四厘
 畑段別七畝六歩 仝村字関口
  地價金七円拾六銭
 林段別貮反三畝三歩 仝村字豊岡
  地價金三円四拾六銭五厘
一信徒人員拾壱人
一管轄廰迄距離里數拾貮里貮拾五丁
   以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村         信徒総代      明治十五年十月三日      金子忠三郎∪ 仝        金子熊次郎∪ 仝        初雁亰之助∪ 本山比企郡大谷村宗悟寺住職      厚見玉峯   戸長        初雁良助 ∪


十三年五月十八日郡出張小川村ヘ出向再調ニ付取調出
埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字下城ヶ谷戸 男衾郡塚田村      普光寺末   積善寺
天台宗比叡山派
一本尊阿弥陀如来
一由緒不祥
一堂宇間數 間口七間三尺
      奥行六間
一庫裏(くり)間數 間口貮間三尺
      奥行三間三尺
一境内(けいだい)坪數貮百八拾七坪    官有地 第壱種
一境外(けいがい)所有地
 耕地反別貮反八畝貮拾七歩  杉山村字岩花
   地價金百貮円四拾九銭五厘
 耕地反別貮畝廿八歩     同村字表猿ヶ谷戸
   地價金八円拾七銭
 耕地反別四反七畝九歩    同村字玉ノ岡
   地價金四拾四円三厘
 山林反別八畝拾六歩     同村字上城ヶ谷戸
   地價金未定
 山林反別四畝四歩      同村字玉ノ岡
   同断
 山林反別四反五畝壱歩    同村字下城ヶ谷戸
   同断
 荒地反別壱畝拾五歩     同村字岩花
   同断
一檀徒人員三拾九人
一管轄廰迄ノ距離拾壱【貳】里廿五丁
以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村戸長代理     筆主     明治十二年九月           水島源次郎

埼玉縣下武蔵国比企郡杉山村字清明 村社    八宮神社
一祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
    大巳貴命(おおなむちのみこと)
    稲田姫命
一由緒 不祥
一社殿(しゃでん)間數 間口貮間壱尺五寸
      奥行三間壱尺
一境内(けいだい)坪數 百四坪  官有地 第壱種
一氏子戸數 五拾貮戸
一管轄廰迄距離里數拾壱里貮拾五丁
以上

埼玉縣下武蔵国比企郡杉山村字豊岡 宗悟寺末       曹洞宗 蔵身庵
一夲尊地蔵尊
一由緒不祥
一堂宇間數 奥行 五間
      間口 六間三尺
一境内(けいだい)坪數 貮百五拾壱坪 税地
一境外(けいがい)所有地
 耕地段別五畝拾四歩   杉山村字中窪
  地價金貮拾四円四拾六銭五厘
 耕地段別壱畝三歩    杉山村字同
  地價金四円五拾四銭四厘
 耕地段別七畝六歩    同村字関口
  地價金七円拾六銭
 山林段別貮反三畝三歩  同村字豊岡
  地價金未定
二信徒人員拾壱人
管轄廰迄距離里數 拾壱【貳】里貳拾五丁
以上

埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字豊岡 同郡大谷村      宗悟寺末   蔵身庵
一本尊地蔵尊
一由緒不詳
一堂宇間數 間口六間三尺
      奥行五間
一境内(けいだい)坪數 貮百五拾壱坪  税地
一境外(けいがい)所有地
 田反別五畝拾四歩    杉山村字中窪
  地價金貮拾四円四拾六銭五厘
 田反別壱畝三歩     同村字同上
  地價金四円五拾四銭四厘
 畑反別七畝六歩     同村字関口
  地價金七円拾六銭
 林反別貮反□畝三歩   同村字豊岡
  地價金三円四拾六銭五厘
一信徒人員拾壱人
一管轄廳迄距離里數拾貮里貮拾五丁
以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村      戸長     初雁良助∪


神官名簿 比企郡杉山村             村社祠掌           杉山儀順         文政八酉年十月十一日生
就職明治九年四月廿一日
教導職明治十三年九月十日拝命
   補權少講義
本籍埼玉縣武蔵國比企郡杉山村第拾番地

天台宗住職名簿 比企郡杉山村             天台宗積善寺住職       萬山純衛         天保十一子年七月廿四生
天台宗本寺 武蔵國男衾郡塚田村 
            普光寺末
住職明治九年十二月廿日 拝命    
教導職明治九年三月十九日
   試補
本籍埼玉縣平民武蔵國男衾郡赤濱村第百拾三番地

右は本郡第十七号御達ニヨリ神社寺院住職及教導職之者取調候処別紙之外更ニ無之依テ此段御届及候也
右村     戸長    明治十六年六年三日         初雁良助

 比企横見郡長鈴木庸行殿

七郷村誌原稿 杉山村(地籍帳) ルビ・注

  地籍帳
武蔵國比企郡   杉山村

官有地
 第一種
  一神地 村社反別三畝拾四歩

 第三種
  一林反別貮反三畝拾歩
 内
    用材林反別壹反八畝拾三歩
    薪炭(しんたん)材林反別四畝廿七歩
  一原野反別五町七反八畝廿貮歩
 内
    芝地反別四町八反八畝拾歩
    秣場(まぐさば)反別九反拾貮歩
  一籔地反別壹畝歩
  一河反別貮町五反四畝拾五歩
 内
    市ノ川反別貮町壹反四畝歩 但長三千二百拾間
巾平均二間  
    賀須川反別四反拾五歩 但長千二百十五間
                巾平均壱間
  一溝渠(こうきょ)反別四反四畝拾五歩
 内
    用惡水路反別三反貮畝拾五歩
    堀敷反別壹□貮畝歩
  一堤塘(ていとう)反別壹町貮反四畝拾八歩
 内
    市ノ川堤敷(つつみしき)反別壹町貮反歩
    賀須川堤敷(つつみしき)反別四畝拾八歩
  一道路反別三町八反貮畝六歩
   内
    村道反別七反廿歩
    耕作道反別三町壹反壹畝拾六歩

 第四種
  一寺院境内(けいだい)反別九畝拾七歩

民有地
 第一種
  一田反別貮拾四町九反廿四歩
 内
    反別貮畝拾歩 冷水堀
    反別八歩 湧水場(ゆうすいば)
    外反別壹町七反五畝廿九歩 畦畔敷
  一畑反別貮拾八町八反九畝拾七歩
 内
    反別廿貮歩 湧水場(ゆうすいば)
  一郡村宅地反別四町三反六畝廿四歩
  一田荒地反別貮畝廿五歩 明治九年ヨリ仝十七年迄九ヶ年季
  一林反別六拾五町九反廿歩
 内
    用材林反別四町三反貮畝歩
    薪炭(しんたん)材林反別六拾壹町五反八畝廿歩
  一藪地反別壹町五反四畝廿六歩
  一芝地反別壹反八畝廿三歩
  一小學校敷地反別貮反六畝七歩

 第二種
  一溜池反別壹町貮反四畝三歩
  一墓地反別貮反壱畝拾四歩
  一斃馬捨場反別七畝廿四歩

合反別百四拾三町六反壹畝廿三歩
 此譯
  官有地
此反別拾四町貮反壹畝廿三歩
  民有地
此反別百貮拾九町三反九畝廿六歩

右者地籍編纂之儀本年本県乙第六号ヲ以御達之趣ニ依リ私共立會取調候処書面之通相違無之候也
比企郡杉山村         小前惣代      明治十五年五月十八日       早川徳次郎∪ 仝 水島源次郎∪ 戸長        初雁良助∪
 埼玉縣令吉田清英殿



標籏建設地所近傍(きんぼう)図調製心得
一図面ハ標籏建設地ヲ実見シ地券図ニ照準シテ雛形ノ如ク標籏アル処ヲ中央トシ北ヲ上トシ南ヲトシ東西ヲ左右トシ美濃全紙充分丈ヶ地券図(六百分一)(即チ一分壱間)ニ写取可シ
一若シ美濃全紙之内一両三村相跨候時ハ各村申合調製スベシ
一此図面ハ通知之日ヨリ五日□内当出張所江差出スベシ
一佗日官吏派出之標籏建設地不分明之節ハ各役場江尋問致ベクニ付直ニ答ヘ得ル為メ此圖面之扣圖ヲ役場江貯有シ置ク可シ
一圖上ニ者縣郡村字堺地番号一田畑森林墓地池沼芝地秣場(まぐさば)岸堤川名及ヒ水流□□□向道路ハ國道県道里道ノ区別并ニ到達スヘシ地名所有主ノ姓名等分明ニ記載スヘシ
参謀本部測量課出張官

七郷村誌原稿 杉山村(村誌) ルビ・注

杉山村

武蔵國比企郡杉山村
 本村古時ヨリ比企郡松山領水房(みずふさ)ノ庄杉山村ト唱ヒ以降村名改正及ヒ分郷等ノ事ナシ
疆域
 東ハ同郡廣野村及ヒ太郎丸村ニ相對シ廣野村ハ耕地里道、或ハ用水路ヲ以テ界ス太郎丸村ハ加須川用水ノ下流市ノ川ニ入ル所ヲ以テ界ス西ハ本郡中爪(なかつめ)村ト市ノ川ノ中央ヲ以テ界ス南ハ本郡志賀村ト市ノ川ノ中央以テ界ス北ハ仝郡越畑村ト山林或ハ耕地ヲ以テ界ス
幅員
 東西 貮拾七町五拾間  南北 八町五拾間
【新編武蔵風土記稿では、「東西八町許り南北十八町」】
 面積 貮里拾三町四拾五間
管轄沿革
 古昔比企十郎重成領地タリ徳川氏至ッテ籏下森川金右ヱ門ノ采地トナリ明治元年【西暦一八六八年】八月維新ノ際品川縣ノ管轄トナリ同二巳年韮山縣ニ轉ス以後明治四年入間縣ニ轉シ仝六年熊谷縣ノ所轄トナル
里程(りてい)
 熊谷縣廳ヨリ南西隅ニシテ三里拾貮町三拾三間四隣本郡廣野村ヘ九町中爪(なかつめ)村ヘ貮拾壱町五間志賀村ヘ拾三町八間貮尺越畑村ヘ貮拾壱町近方宿町本郡松山町ヘ貮里貮拾町大里郡熊ヶ谷駅ヘ三里拾貮町本郡小川ヘ一里拾八町
地勢
 東ハ概子平坦ニシテ耕地ナリ西南ハ市ノ川ヲ帯(お)ブ勢緩慢沐沿岸曲折舟筏(しゅうばつ)ヲ通セズ唯車馬ノ便ヲ得ルノミ北方ヨリ村ノ中央東方ニ至ル山林連亘(れんこう)シ雜木繁茂(はんも)セリ概スレハ本村山林ニ富メルヲ以テ自ラ薪炭(しんたん)等ノ贏(えい)餘ナリ
地味(ちみ)
 其色概スレハ青色ニシテ間埴土ヲ交ヘ其質悪シク稲梁(とうりょう)ニ適セス(里俗ニヘナト唱ヒケシク亦赤色ヲ混ス)桑麥ハ應セリ殊ニ水旱(すいかん)ノ患多シ
税地
 田 旧拾五町九反八畝歩 畑 旧貮拾三町七反廿三歩
   改貮拾四町九反貮拾四歩 改貮拾八町七反六畝歩
 宅地 旧七反廿四歩  山林 旧拾町六反六畝拾八歩
   改四町三反八畝九歩  改六拾六町壱反三畝五歩
 籔地 旧ナシ       柴地 旧ナシ
    改壱町五反四畝廿六歩   改壱反八畝廿三歩
 總計 旧五拾町八反四畝五歩
    改百貮拾五町九反壱畝廿七歩
飛地
 畑 壱反五畝貮拾三歩  本村ノ南方志賀村字北町裏ノ内ニアリ
字地
 雁城(がんじょう) 村ノ中央ニアリ東西三町二拾間南北壱町四拾五間
 打越(うちこし) 村中央掲示場ノ位置ヨリ北方ニシテ東西三町五十間南北壱町四十間
 杢ノ入(もくのいり) 打越ノ南ニ連亘(れんこう)シ東西二町十間南北三町二十間
 關口(せきぐち) 村ノ中央ヨリ西隅ニシテ東西壱町四十八間南北四町二十五間
 岩花(いわはな) 杢ノ入ノ南ニ方リ東西壱町三十五間南北三町廿五間
 稲笠(いながさ) 関口ノ東ニ連リ東西三町五十五間南北壱町四十間
 川袋(かわぶくろ) 中央ヨリ東南隅ニ方リ東西二町南北二町拾間
貢地
 地租(ちそ) 米四拾四石七斗 金貮拾五円
 賦金(ふきん) 國税金五円 縣税金三円
 総計 米四拾四石七斗 金貮拾五円
戸數  
 本籍 五拾貮戸平民 社一村社 寺一天台宗
 総計 五拾四戸
人數
 男 百七拾三人平民 女 百四拾七人平民
 総計 三百廿二人
 他出寄留(きりゅう) 男三人女四人 入寄留(きりゅう)ナシ
牛馬
 牡馬三拾頭
舟車 
 之レナシ

 之レナシ

 市ノ川 深キ処四尺浅キ処壱尺廣キ処六間狭キ処四間ニ過キス緩流ニシテ水色澄清舟筏(しゅうばつ)通セス堤塘(ていとう)アリ村ノ西方越畑村界ヨリ来リ東方太郎丸村界ニ至ル長サ壱里廿二町五十間下流松山町ノ北東ヲ經テ荒川ニ入ル
 加須川用水 深キ処四尺浅キ処二尺村ノ北方越畑村界ヨリ来リ東南隅ニ至リ市ノ川ト合シテ東流ス長サ拾四町二十間巾三間アリ田貮町九反八畝歩ノ用水ヲ洪((供))ス
 万歳橋 熊谷徃還ニ属ス村ノ東方市ノ川ノ下流ニ架シ木造ニシテ長サ三08/04/26間巾五尺【現在の川袋橋】
 萬代橋 熊谷徃還ニ属ス村ノ東方廣野村ニ界スル加須川用水ノ下流ニ架シ土造ニシテ長サ二間巾五尺

 之レナシ

 之レナシ
原野
 十三墳(じゅうさんづか) 官有ニ属ス村ノ東南ニアリ南北四町東西壱町五十間東西北ハ民有地ニ接シ南ハ市ノ川ヲ隔テヽ志賀村ニ相對シ眺望佳タリ反別三町七反九畝廿五歩アリト雖モ樹木ナク唯柴草ノミ
 尼ヶ墳 官有ニ属ス村ノ西北ニアリ東西壱町五十間アリ南北五十間越畑村ニ連接シ南西ハ本村ノ民有地ニ連亘(れんこう)ス段別九反拾貮歩ニシテ樹木ナク唯草ヲ生スルノミ
牧場
 ナシ
礦山
 ナシ
湖沼
 打越(うちこし)池  村ノ北方ニアリ東西三十間南北十六間周□(回)壱町二十三間田四町七反七畝十歩用水ニ洪((給))ス
 杢ノ入(もくのいり)池 打越池ノ南ニ方リ東西四十五間南北十四間周回壱町三十八間田貮町壱反八畝廿壱歩ノ用水ニ洪((給))ス
道路
 熊ヶ谷道 村ノ西方中爪(なかつめ)村界ヨリ入ル廣野村界ニ至ル道敷二間本村或ハ西方ノ村落ヨリ熊ヶ谷駅ニ至ルノ經路タリ
掲示場 村ノ中央戸長(こちょう)初雁亰之助ノ所有地ニアリ
堤塘(ていとう)
 囲堤(いてい) 市ノ川ノ北端ニ沿ヒ村西方越畑村界ヨリ連續シテ東方太郎丸村界ニ至ル長サ貮拾町馬蹈壱間堤敷(つつみしき)二間ヨリ三間水量定□及ヒ根堅ノ樹木ナシ修繕ノ如キ大破ハ官ヲ仰キ小破ハ民ニ属ス

 之レナシ
温泉
 之レナシ
冷泉
 之レナシ
陵墓
 之レナシ

 八宮神社 村社東西五間三尺南北四拾貮間面積百十四坪村ノ中央ニアリ素戔鳴(すさのお)尊ヲ祭勧請年暦不祥祭日十月十五日

 積善寺 東西二十間南北十三間面積貮百八十七坪天台宗武蔵国男衾郡赤濱村普光寺ノ末流ナリ村ノ中央南方ニアリ創立年暦不詳
 藥師堂  東西十七間南北十八間面積貮百七十三坪村ノ東端ニアリ藥師十二神ヲ安置ス徃時行基菩薩之レヲ作スト云フ創立年暦不詳
 観音堂  東西五間三尺南北四間面積貮拾四坪村ノ東南隅ニアリ十一面観音ヲ安置ス創立年暦祥ナラス
 蔵身庵(ぞうしんあん)  東西壱町南北壱町十間面積貮百五十一坪アリ曹洞宗比企郡大谷村宗悟寺ノ末流ナリ寛文年間【西暦一六六一〜一六七三年】創立スト云フ其後衰微セシヲ以テ天明二壬寅年【一七八二年】ノ春庵主梅光中興ス村ノ西方ニアリ
學校
 公立小學校一ヶ所 椙山(すぎやま)學校ト称ス夲村ノ中央小丘上ニアリ東西十九間南北十二間越畑村廣野村太郎丸村杉山村ノ四ヶ村聯合校トス生徒男四拾九人女拾三人ナリ教場ノ都合生徒ノ出入大略其便ヲ得タリ校内開濶(かいかつ)ニシテ□日赫鑠タル大暑ニ群集ノ生徒書ニ倦ミ字ニ醉ヒルト雖モ南薫颯々トシテ満場洗カ如ク忽(たちま)チ新鮮タル大氣ノ呼吸ヲ得心地復蘇息ノ思ヲナス冬ニ至ルヤ後ノ小丘ニ老杉古松アリ之レカ北風ヲ遮リ日光充分舎内ヲ輝キ故サラニ寒氣ヲ知ラス抑造物主ノ本□ニ好適スルヤ否ヤ
事務取扱所 村ノ中央ニアリ戸長(こちょう)初雁亰之助ノ宅舎ヲ仮用ス
病院 ナシ
郵便局 之レナシ
製糸場 之レナシ
古跡
 城墟 村ノ中央民有地ニアリ東西三町四十間南北四町二十間ナリ凸アリ凹アリ濠形今尚存ス宝亀十一年【西暦七八〇年】陸奥ノ賊某反ヲ謀リ獨リ其意ヲ逞スト故ニ征東ノ令出サレシ処比企十郎重成武蔵ノ入西ニ住居ス征東大使ヘ従軍シ賊地ニ赴キ戰功數回賊尤モ拒キ抜ク能ハスシテ歳ヲ起スルモ終ニ明年平定ヲ秦スト比企氏其功少ナシトセス爲ニ天應年間【西暦七八一〜七八二年】其賞ヲ賜リ爰ニ新城ヲ築キ累世六代ニシテ下総(しもうさ)ノ国ニ相馬將軍叛逆ヲ起自ラ平親王ト称ス關東諸國ヲ陥レ朝議是レヲ誅セント當時參議藤原忠文宣旨ヲ蒙リ征東大將軍ト爲リ兵ヲ率ヒテ東下ス時ニ讒者(ざん(そしる)しゃ)アリ報シテ曰ク比企某將門ニ反ヲ助クト故ニ後チ亡ブト雖モ舊記傅ハレサレハ明祥スルニ由ナシ唯言傅ヲ以テ記スノミ
名勝 之レナシ
物産 
 動物 鶏百五十羽 鶏【卵】五百
 繭  質悪 三十五石
 植物 米 質悪五十五石    大麥 質悪四十八石
    小麥 質中十八石    大豆 質悪貮十石
    小豆 質悪貮石
    桑 質中三百駄     楮 質中五百〆目
 製造物 生絹(きぎぬ) 百五十匹本郡小川村ヘ輸送
     白木綿 二百五十反仝上
     薪 六百駄大里郡熊ヶ谷ヘ輸送
民業
 男農ヲ専ラニスル者四十五戸 工ヲ業トスル者七戸
 女農ヲ専ニスル者五十五人 紡織ヲ専ニスル者十人

七郷村誌原稿 広野村(社寺明細帳・鬼鎮神社) ルビ・注

武蔵國比企郡廣野村社寺明細帳
埼玉縣下武蔵國比企郡廣野村字天沼 村社    鬼鎮神社
一祭神 衝立久那止命(つきたつくなどのみこと) 八衢比古命(やちまたひこのみこと) 八衢比賣命(やちまたひめのみこと)
一由緒 壽永元壬寅年勧請
    現今社殿ハ壽永五壬子年閏二月再建従来村社
一社殿(しゃでん) 間口二間三尺 奥行四間
一神樂殿(かぐらでん) 間口二間 奥行□間三尺
一社務所(しゃむしょ) 間口□間三尺 奥行□間
一神輿庫(みこしくら) 間口二間 奥行二間
一境内(けいだい)坪数□壱坪   官有第壱種
一境内(けいだい)神社□□
   八坂神社
     祭神 須佐之男命
     由緒 元治元年甲子年六月勧請
        上野(こうつけ)国新田郡世良多村【世良田村】鎮座八坂神社ノ分神霊ナリ
     建物 間口三尺 奥行三尺
一氏子戸数弐拾三戸
一管轄廰迄ノ距離 拾壱里
  以上
右之通取調候処相違無御座候也
右社       惣代      明治十六年七月丗一日 権田□右□□ 島崎助次郎  権田恵助   右社       祠掌      小川喜六   戸長      井上萬吉  
 埼玉縣令吉田清英殿

七郷村誌原稿 広野村(社寺明細帳) ルビ・注

戸長役場ノ扣
武蔵國比企郡廣野村社寺明細帳
埼玉縣下武蔵國比企郡廣野村字深谷 村社    八宮神社
一祭神 健速須佐之雄命(たけはやすさのおのみこと)
  由緒不詳
一社殿 間口二間三尺 奥行三間三尺
一境内(けいだい)坪数百六拾坪 官有第一種
【明治四一年三月三日上地林八畝七歩境内(けいだい)編入許可、計四百七坪となる】
一境内(けいだい)神社三社
  榛名神社
  祭神 苛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
       速須佐之男命
     由緒不詳
    建物 間口五尺 奥行□間
【于時文化九壬申((一八一二年))五月二日驟震動雷前代未聞之大大氷乱耕作竹木迄如枯野相成□地及大難男女老若驚入仍而為嵐災難除今般奉辻座此地満行宮令繁栄信願者也 当所講中敬白】(宮本敬彦氏撮影写真により、比企郡神社誌を訂正)

  琴平神社【比企郡神社誌には広正寺境内(けいだい)から明治維新時に境内(けいだい)に勧請したと言うとある】
    祭神 【大己貴命(おおなむちのみこと)】
       崇徳院
     由緒不詳
    建物 間口四尺 奥行五尺
  天祖神社
    祭神 天照皇大神宮
     由緒不詳
  建物 間口七尺 奥行壱間
一氏子戸数五拾五戸
一管轄廰迄ノ距離 拾貮里
  以上
右之通取調候処相違無御座候也
         右社
          惣代
明治十六年七月廿一日      永島竹次郎∪ 永島佐兵衛∪ 永島榮次郎∪ 権田浪吉 ∪ 戸長 井上萬吉 ∪
 埼玉縣令吉田清英殿
埼玉縣下武蔵國比企郡廣野村字寺臺 比企郡市ノ川村永福寺末   廣正寺 
一本尊 阿弥陀佛
  慶長十一丙午年((一六〇六年))五月徳川家臣高木筑後守廣正公法恩謝徳ノ為ニ奉安置
一法堂 間口九間 奥行七間四尺
一境内(けいだい)坪数千九百四拾四坪 官有第四種
一境内(けいだい)建物八ヶ所
 前衆寮(しゅりょう) 間口三間 奥行貮間壱尺五寸  後衆寮(しゅりょう) 間口三間 奥行貮間五尺
     大庫裡(おぐり)堂 間口五間壱尺 奥行四間壱尺
    寳蔵  間口貮間貮尺 奥行三間三尺((昭和六年九月二一日の地震で半壊))
    山門  間口貮間三尺 奥行貮間壱尺
 中雀門 間口七尺 奥行四尺  惣門  間口九尺 奥行五尺五寸  通用門 間口九尺 奥行五尺
一境外(けいがい)所有地
三百五十五番 田三畝廿四歩   廣野村字寺臺 地價金拾四円四拾壱銭三厘 三百五十六番
  畑五畝歩     仝  仝
  地價金六円七拾銭壱厘
三百五十四番
  田五畝拾五歩   仝  寺臺
  地價金貮拾四円六拾銭貮厘
三百八十二番 田壱反拾四歩   仝  字寺前 地價金五拾円四拾四銭四厘 三百八十七番 田四畝廿七歩   仝  仝 地價金弐拾壱円九拾四銭 三百八十八番 田三畝拾九歩   仝  仝 地價金貮拾壱円貮拾五銭貮厘 四百拾九番 田壱畝廿三歩   仝  仝 地價金七円八拾九銭五厘 四百廿番 田弐反四畝四歩  仝  仝 地價金百貮拾四円六拾壱銭九厘 四百二十四番 田壱反弐畝拾八歩 廣野村字寺前 地價金六拾五円八銭六厘 四百二十五番 田九畝廿貮歩   仝  仝 地價金四拾六円九拾壱銭 四百弐拾六番 田壱反九畝拾五歩 仝  仝 地價金八拾七円弐拾五銭六厘 九百九十五番 田貮反五畝廿壱歩 仝  大田坊 地價金百貮拾三円九拾三銭 九百九十六番 田七畝廿三歩   仝  仝 地價金三拾七円四拾五銭四厘 三百八十九番 田六畝六歩    仝  字寺前 地價金貮拾九円八拾八銭壱厘 三百九十四番 田五畝七歩    仝  仝 地價金三拾四円貮拾四銭壱厘 四百十六番 田九畝四歩    仝  仝 地價金四拾七円拾八銭五厘 四百貮十壱番 田貮畝拾九歩   仝  仝 地價金拾五円四拾貮銭貮厘 四百二十二番 田七畝歩     仝  仝 地價金四拾七円拾貮銭 四百二十三番 田弐畝拾六歩   廣野村字寺前 地價金拾六円五拾七銭 四百二十四番 田壱反貮畝拾八歩 仝  仝 地價金六拾五円八銭六厘 四百十七番 田壱反三畝廿一歩  仝  仝 地價金七拾円七拾三銭貮厘 四百十八番 田壱畝廿三歩   仝  仝 地價金七円八拾九銭五厘 四百十九番 田壱畝廿三歩   仝  仝 地價金七円八拾九銭五厘 三百三十八番 畑壱反八畝拾歩  廣野村字寺臺 地價金貮拾六円六拾五銭三厘 三百三十九番 畑八畝三歩    仝  仝 地價金拾五円四拾九銭五厘 三百四十二番 畑九畝拾歩    仝  仝 地價金拾七円八拾四銭 三百四十三番 畑四畝廿三歩   仝  仝 地價金八円壱銭七厘 三百四十四番 畑九畝六歩    仝  仝 地價金拾三円三拾七銭弐厘 三百四十五番 畑九畝九歩    廣野村字寺臺 地價金拾三円五拾貮銭五厘 三百四十九番 畑壱反六畝廿貮歩 仝  仝 地價金貮拾四円三拾貮銭七厘 三百五十六番 畑五畝歩     仝  仝 地價金六円七拾銭壱厘 三百九十八番 畑壱畝拾三歩   仝  字寺前 地價金貮円四拾壱銭七厘 四百貮番 畑三畝廿壱歩   仝  仝 地價金五円三拾八銭六厘 三百六十四番 畑貮反四畝三歩  仝  寺前 地價金三拾貮円貮拾六銭八厘 三百七十三番 畑壱反壱畝廿三歩 仝  仝 地價金拾九円七拾九銭八厘 三百七十四番 畑壱反四畝五歩  仝  仝 地價金貮拾三円八拾壱銭七厘 三百七十五番 畑九畝九歩    仝  仝 地價金拾七円七拾九銭四厘 三百七十六番 畑壱反八畝拾六歩 仝  仝 地價金三拾九円七拾銭四厘 三百七十七番 畑□畝拾八歩   廣野村寺前 地價金拾三円五拾五銭四厘 三百七十九番 畑壱反三畝拾貳歩 仝  仝 地價金拾九円四拾七銭七厘 三百八十番 畑六畝九歩    仝  仝 地價金拾円六拾銭三厘 三百五十七番 林壱反五畝廿三歩 仝  字寺臺 地價金 三百六十番 林壱町四反壱畝廿四歩  仝  仝 地價金 四百四十五番 畑壱反三畝拾九歩 仝  字馬場 地價金貳拾六円七銭壱厘 四百四十六番 畑五畝廿九歩   仝  字馬場 地價金拾円三銭七厘 四百四十九番 畑三畝廿六歩   仝  字馬場 地價金六円五拾銭三厘 四百五十七番 畑四畝廿六歩   仝  仝 地價金九円三拾銭四厘 四百五十八番 畑五畝九歩    仝  仝 地價金拾貳円五拾七銭七厘 四百六十番 畑壱反弐畝八歩  廣野村字馬場 地價金弐拾□円拾貳銭八厘 五百五十五番 畑八畝廿五歩   仝  字竹ノ花 地價金拾四円八拾七銭貳厘 五百五十九番 畑壱反四畝拾五歩 仝  仝 地價金貳拾七円七拾三銭九厘 五百六十番 畑壱反四畝廿貳歩 仝  仝 地價金弐拾四円八拾銭壱厘 七百三十番 畑七畝廿五歩   仝  字大野田 地價金拾円四拾八銭壱厘 八百六十三番 畑七畝七歩    仝  字深谷 地價金九円六拾八銭五厘 千八百九十六番 畑壱畝廿四歩   仝  字天沼 地價金貳円三銭五厘 四百六十一番 宅地四畝六歩   仝  字馬場 地價金拾壱円九拾七銭 千八百九十七番 宅地四畝廿八歩  仝  字天沼 地價金拾七円弐拾六銭七厘 千九百壱番 宅地貳畝拾八歩  仝  仝 地價金九円拾銭 三百二十八番 林六畝拾歩    廣野村字寺臺 地價金九拾五銭 三百七十四番 林六畝七歩    仝  字寺前 地價金九拾三銭五厘 六百十六番 林弐反壱畝三歩  仝  字中郷 地價金三円拾六銭五厘 千九百七十五番 林四反四畝拾弐歩 仝  字岩花 地價金六拾六銭
一檀徒 四百六拾六((ママ))人
一管轄廰迄ノ距離 拾弐里
以上
右之通取調候処相違無御座候也
右寺         明治十六年七月丗一日 惣代 永嶋竹次郎∪ 仝  永嶋佐兵衛∪ 仝  永嶋栄次郎∪ 仝  権田浪吉 ∪ 仝住職        阿山英俊 ∪ 戸長 井上萬吉 ∪
 埼玉縣令吉田清英殿

埼玉縣管下武蔵國比企郡廣野村字寺前 地蔵堂
一本尊地蔵菩薩
  天明五乙巳年((一七八五年))六月廣正寺十代梵光和尚奉安置
一堂宇 間口弐間 奥行三間三尺
一境内(けいだい)坪数弐拾三坪  民有持主 廣正寺
一信徒四百六拾名
一管轄廰迄ノ距離 拾弐里
  以上 
右之通取調候処相違無御座候也
右堂         明治十六年七月丗一日  惣代 永嶋栄次郎∪ 仝  権田浪吉 ∪ 廣正寺住職      阿山英俊 ∪ 戸長  井上萬吉 ∪
 埼玉縣令吉田清英殿

【社寺什物帳      □□□□】

埼玉縣下武蔵國比企郡廣野村字花見堂 薬師堂
一本尊薬師佛
  正和二年((一三一三年))九月九日安置
一堂宇 間口二間三尺 奥行三間
一境内(けいだい)坪数 二百坪 官有第四種
一信徒 四百六拾名
一管轄廰迄ノ距離 拾壱里
  以上
右之通取調候処相違無御座候也
右信徒      惣代     明治十六年七月 永嶋竹次郎 永嶋佐兵衛 廣正寺住職  阿山英俊 
       戸長
        井上萬吉
埼玉縣令吉田清英殿

【昭和一七年三月三一日広野広正寺に所属認可】

七郷村誌原稿 広野村(地籍帳) ルビ・注


地籍帳 武蔵國比企郡 廣野邨
官有地
   第一種
一神社
  村社
    此反別壱反六畝拾壱歩

   第三種
一林反別三反五畝五歩
    内
   用材林反別七畝九歩
   薪炭(しんたん)材反別貮反七畝廿六歩
一芝地反別弐町九反四畝歩
一河反別貮町壱反八畝四歩
    内
   市ノ川反別壱町弐反三畝廿四歩 但長千八百五十七間巾平均弐間
   賀須川反別七反六畝廿歩 但長千百五十間巾平均弐間
   滑川反別壱反七畝廿歩 但長弐百十二間巾平均弐間五歩
一溜池反別貮町四反壱畝拾四歩
一溝渠(こうきょ)反別九反五畝廿六歩
    内
   扇谷水路反別壱反六畝拾七歩 但長四百九十七間巾平均壱間
   用悪水路反別四反三畝拾九歩
   堀敷反別三反五畝廿歩
一堤塘(ていとう)反別七反廿八歩
    内
   市ノ川堤敷(つつみしき)反別六反七畝拾八歩 但長六百七十六間巾平均三間
   賀須川堤敷(つつみしき)三畝拾歩      但長五十間巾平均弐間
一道路反別八町五反八畝四歩
    内
   村道反別貮町三反三畝六歩
   耕作道反別六町貮反四畝廿八歩
一湧水溜(ゆうすいため)反別貮拾貮歩

   第四種
一寺院境内(けいだい)反別七反壱畝拾四歩

    民有地
   第一種
一田反別四拾八町七段四畝拾五歩
    内
   反別壱反廿四歩 冷水場
   反別壱畝拾歩  湧水場(ゆうすいば)
   内反別弐拾五歩  井戸敷
   外反別三町五畝廿八歩 畦畔敷
一畑反別四拾六町三反壱畝拾八歩
    内
   反別八歩 湧水堀
一郡村宅地反別九町六反三畝拾七歩
一林反別七拾四町八反四畝拾壱歩
    内
   用材林反別七町五段六畝歩
   薪炭(しんたん)材林反別六拾七町弐反八畝拾壱歩
一芝地反別壱反壱畝拾五歩

   第二種
一溜池反別弐反弐畝歩
一墓地反別□反五畝廿四歩
一斃馬捨場反別壱反歩
   合反別貮百貮町七段壱畝拾六歩
    此譯
   官有地
    此反別拾九甼貮畝八歩
   民有地
    此反別百八拾三町六段九畝八歩

右者地籍編纂之儀本年本縣乙第六號ヲ以テ御達シ趣ニ依リ私共立會取調候処書面之通リ相違無之候也
            比企郡廣野村
             小前惣代
   明治十五年四月廿九日      小林佐右エ門
                  仝
                   権田浪吉
                  戸長
                   井上萬吉
 埼玉縣令吉田清英殿

七郷村誌原稿 広野村(村誌) ルビ・注

地誌
  比企郡
   廣野村

武蔵国比企郡廣野村
本村古時ヨリ三部ニ分レ東南ノ壱部ヲ川島トシ北ノ壱部ヲ勝田トシ本郡松山領ニ屬シ村名改稱分郷等ノ事ナシ
疆域
東ハ伊子(いこ)太郎丸水房(みずふさ)ノ三村ト山林丘陵ヲ或ハ田畝ヲ以テ界トシ正南ハ月輪(つきのわ)村ト田畝山林ヲ以テ境トス南ヨリ西ハ志賀村杉山ノ二村ニ接ス正西ハ越畑村ト田畝ヲ畫(くぎ)リ北ハ吉田村ニ憐シ北ヨリ東ハ滑川ヲ隔テヽ和泉(いずみ)菅田(すがた)ノ二村相接ス
幅員
東西拾町五十六間南北拾五町五拾間 面積實測ヲ経ス暫ク欠ク 十五年二月十四日本郡戸上申面積六拾壱万八千百五十壱坪
管轄沿革
天正ノ頃((一五七三〜九二年頃))松山領ト言傳ス文禄元年((一五九二年))二月一日徳川氏ノ家臣高木九助廣正之ニ代リ知行トス元禄十一年((一六九八年))寅五月高木廣正遠江ニ知行ヲ遷スニ因リ本村四分ノ三ヲ黒田豊前守代リ領ス其ノ四分一ヲ御代官高谷太兵衛ニ代リ支配ス同暦十一年七月嶋田藤十郎高谷太兵衛ニ代リ知行ス元禄十四年((一七〇一年))正月比企長左エ門黒田氏ニ代リ支配ス同暦十七年((一七〇四年))其ノ三分ノ一ヲ木下伊賀守ヘ渡ス同人之ヲ知行トス残リ三分ノ二ヲ宝永二酉年((一七〇五年))正月内藤主膳ヘ渡ス同人之ヲ知行トス其残地ヲ宝永四亥年九月大久保筑前守ヘ渡ス同人之ヲ知行トス元禄十一年ヨリ寳永四年マテ拾年間ニ漸々本村四給ニ分ル明治元辰年((一八六八年))王政復古ニ際シ同年八月品川縣ノ管轄スル処トナリ仝二巳年九月韮山縣ニ轉ス以後明治四年十一月ニ至リ又入間縣ニ轉シ同六年熊谷縣ノ所轄スル処トナリ
里程(りてい)
熊谷縣廳ヨリ南方貮里三十丁 四隣同郡伊子(いこ)村ヘ三拾町 本村及各村共ニ元標ナキヲ以テ皆掲示場ヨリ掲示場迄距離 月輪(つきのわ)村ヘ三十三町三十二間杉山村ヘ九町和泉(いずみ)村ヘ廿八町太郎丸村ヘ拾四町廿四間近傍(きんぼう)宿町本郡松山町イ貮里拾七町五間小川村イ壱里十八町
地勢
東ハ岡巒起伏シ雜樹叢生ス西南ハ地形平衍(へいえん)ニシテ其中央ヨリ西南ニ賀須川ヲ帯(お)ビ下流市ノ川ニ入ル舟楫(しゅうしゅう)通セス北ハ滑川ヲ帯(お)ビ舟筏(しゅうばつ)【ふねといかだ】便ナラス但薪炭(しんたん)ノ欠乏ヲ知ルモノ稀ナリ
地味(ちみ)
其色赤黒壚土粘土(方言ノツチネバツチ)相混シ過半壚土ヲ交エ稍ニ稲梁(とうりょう)ニ宜シク桑茶ニ適セス水利便ナラス時々水旱(すいかん)ニ苦シム
税地
 田  旧反別四十壱甼五反七畝廿((十二?))歩
    改正反別四十八甼七反四畝十五歩
 畑  旧反別四十七甼四反九畝十二歩
    改正反別四十六甼三反壱畝十八歩
 宅地 旧反別貮甼八反貮畝廿三歩
    改反別九甼六反三畝十七歩
 山林 旧反別貮十弐甼八反二歩
    改正反別七十四甼八反四畝十一歩
 芝地 旧反別四反八畝廿二((四?))歩
    改正反別貮町九反四歩
 聰計 旧反別百拾甼壱反八畝廿五歩
    改正反別百八十二町四反八畝壱歩
飛地
本村ノ東南川島ノ壱部ハ太郎丸水房(みずふさ)月輪(つきのわ)志賀村ノ四村ノ間ニ
 旧反別三十二町四反三畝廿歩
 改正反別六十壱町六反二畝廿六歩
   内
  田  旧反別九甼[一反五畝二十三歩]
     改正反別十壱甼三反八畝廿七歩
  畑  旧反別拾貮町三反五畝八歩
     改正反別拾貮甼六反九畝十四歩
 [宅地 七反九畝十五歩
  山林 九町九反八畝十六歩]
本村北方勝田ノ壱部勝田吉田伊子(いこ)和泉(いずみ)ノ四村ノ間ニ挟リ
 旧反別九町七反三畝五歩
 改正反別十三甼八反六畝壱歩
   内
  田  旧反別四町四反貮畝四歩
     改正反別四町八反貮畝十二歩
  畑  旧反別三町八反壱畝九歩
     改正反別三町九反三畝廿九歩
  宅地 旧反段別三反四畝壱歩
     改正反別□□□□□
  山林 旧反壱甼壱反五畝廿壱歩
     改正反別四町壱反貮畝六歩
字地
中郷(なかごう) 村中央掲示場ノ位置東ヘ[百]二十八間西ヘ四十間南ヘ百三十八間北ヘ八十五間 下郷(しもごう) 中郷ノ東南ニ当リ東西百八十間南北二百四拾五間 廣野ヶ谷戸(こうやがいと) 中郷ノ西北ニ当リ東西百四十三間南北百七十四間 川島 本村東南ニ当リ東西五((三?))百六((二?))十八間南北三百五十間 勝田 本村ノ北ニ当リ東西二百五十間南北四百二十四間
貢租(こうそ)
 地租(ちそ) 旧税 米百三十九石九斗七升四合
       金八百六十九円九十五銭壱厘
    新税 米四百八十八石九斗壱升六合
       金五百六十壱円壱銭五厘
 賦金(ふきん) 旧国税金七十二円六銭九厘
    旧縣税金拾壱円三十銭
    新国税金二百八十円廿銭四厘
    新縣税金百五十九円三十四銭五厘
 聰計 旧税 米百三十九石九斗七升四合
       金九百五十三円三十二銭
    新税 米四百八十八石九斗壱升六合
       金一千円五拾六銭四厘
戸數
 本籍七拾四戸平民 寄留(きりゅう)【九〇日以上、本籍地以外の一定の場所に居住する目的で住所または居所を有すること】三戸平民 社二戸村社二座
 【寺二戸曹洞宗一宇 堂一宇 総計八十一戸]
人数
 男百貮拾五口平民 女貮百三十口平民 聰計三百五十五口 他出(たしゅつ)寄留【(きりゅう)転出者】男四人女四人 外寄留(きりゅう)男五人女五人
牛馬
 牡馬四拾頭
舟車
 荷車壹輌

 金讃(かなさな)山 高サ三拾六丈余周回本村ニ限リ八町五十八間村ノ東方ニアリ岩石聳(そび)エ樹木過半生セス登路一條稍ニ険ナリ西方字下郷ヨリ登ル五丁余

 市ノ川 深キ所五尺淺キ処五寸廣キ処五間狭キ処二間緩流水色澄清舟筏(しゅうばつ)通セス堤防アリ村ノ東南岩花ヨリ東方月輪(つきのわ)境ニ至リ長拾壱丁五十一間水流志賀村ヨリ来リ月輪(つきのわ)ニ至ル長サ三十壱丁四拾間
 滑川  深キ処ハ四尺淺キ処ハ五寸廣キ処五間狭キ処ハ三間緩流水色濁リ吉田村ヨリ来リ伊子(いこ)村ニ至リ其間七丁五十六間田貮町歩ノ用水ニ供ス
 大橋  小川道ヲ屬ス村ノ西方ニ当リ三町二尺賀須川ノ中流ニ架ス長サ三間[三尺]巾貮間土造
森林
 明神((八宮神社の通称))林 官有ニ屬ス東西五十間南北三拾二間段別貮反七畝廿六歩村ノ東南貮丁壱間ニアリ大樹繁茂(はんも)シ雜木多シ
 鬼神林 官有ニ属ス東西三十四間南北二十間段別七畝九歩村南方二十三町五間ニアリ大樹繁茂(はんも)シ□時納涼ニ適ス
原野 ナシ
牧場 ナシ
礦山 ナシ
湖沼
 ・廣野ヶ谷戸溜池(異名殿ヶ谷戸(とんがいと)沼)東西十九間南北十八間周回五十七間村ノ西北ニアリ田壱町七反九畝九歩ノ用水ニ供ス
 ・石倉上ノ溜池((上・下あわせて谷沼)) 東西三十八間南北六十二間周回百七十七間村ノ西北ニアリ田壱丁五反歩ノ用ニ供ス
 ・石倉下ノ溜池((上・下あわせて谷沼)) 東西二十八間南北三[十三]間周回百〇壱((二十二?))間村ノ西北ニアリ田壱町壱反歩ノ用水ニ供ス
 ・寺前溜池 東西三十四間南北三十七間周回六百間村ノ西北ニアリ田壱町壱反歩ノ用水ニ供ス
 ・中郷溜池((わきのぬま))(異名宇塔坂((おとうざか))沼)東西三十壱間南北拾間周回壱町拾三間村ノ東ニアリ田壱町歩用水供ス
 ・大野田溜池(異名弁天沼)東西三十八間南北三十九間周回貮丁八間村北東ニアリ田三町五反歩ノ用水ニ供ス
 ・大野田手洗溜池(異名盥(たらい)沼)東西十二間南北十二間周回四十七間村ノ北方ニアリ田四反三畝歩ノ用水ニ供ス
 ・金塚順平(かねづかじんべい)溜池 東西二十間南北二十間周回壱丁八間村ノ東ニアリ田壱町三反貮畝廿歩用水ニ供ス
 ・金塚溜池(異名深谷ツ沼)東西十五間南北三十七間周回壱丁五十二間村ノ東ニアリ田壱町壱反七畝歩用水供ス
 ・深谷ツ(ふかやつ)溜池(異名雨ヶ谷沼)東西二十八間南北二十五間周回壱丁二十五間村ノ東方ニアリ田壱町三反五畝十五歩用水供ス

 ・下郷溜池(異名ウシロ□ノ池)東西三間南北十三間周回壱丁十九間村ノ東南ニアリ田壱反九畝廿歩ノ用水供ス
 ・金皿溜池(異名ノ扇沼)東西六十間南北六十間周回三丁十一間村ノ東ニアリ田五町七反歩ノ用水ニ供ス
 ・花見堂溜池 東西十二間南北二十四間周回壱丁壱間村ノ南東ニアリ田九反八畝十四歩ノ用水ニ供ス
 ・天沼溜池 東西壱丁南北五十四間周回三丁村ノ南ニアリ田六町八反七畝廿六歩ノ用水ニ供ス
 ・□山溜池 東西四十六間南北十七間周回壱丁三間村ノ東南ニアリ田壱丁八反歩ノ用水ニ供ス
 ・猿田溜池 東西五十[三間南北二十]四間周回二町五十八間村ノ北方[ニアリ]壱町八反七畝廿五歩用水供ス
道路
 熊谷道 村ノ西方武蔵國比企郡杉山村ヨリ入リ北方本郡勝田村ニ至ル長サ九町二間巾壱間半道敷ナシ本郡小川村ヨリ大里郡熊谷驛ニ達スルノ経路ナリ
掲示場 村ノ中央字中郷民有地ニ有リ
塘堤
 囲堤(いてい) 市ノ川ニ沿ヒ南方本村字岩花ヨリ連続シ東方月輪(つきのわ)境ニ至ル長拾壱町五十壱間馬踏(ばふみ)【堤防の上を人馬が通行できるように平にした部分】壱間敷二間半修繕費用ハ民ニ属ス
瀧 ナシ
温泉 ナシ
冷泉 ナシ
陵墓
 高木廣正墓 村ノ北方廣正寺境内(けいだい)ニアリ碑石依然トシテ存高木氏ハ後陽成帝ノトキ徳川氏ノ家臣ニシテ功多シト□□ス慶長十一丙午年((一六〇六年))七月廿六日卒ス

 八宮神社 村社々地東西十五間南北十三間面積百六十坪村ノ東南ニアリ建速須佐之雄命((たけはやすさのおのみこと))ヲ祭ル勧請年月不詳祭日五月十日老杉三本小樹草生ス
 鬼神神社 村社々地東西三十二間南北十四間面積三百三十壱坪村ノ南方ニアリ衝立久那止命((つきたつくなどのかみ))ハ衢比古命((やちまたひこのみこと))ハ衢比賣[命]((やちまたひめのみこと))勧請年月不詳祭日四月廿四日十月十八日老松数本

 廣正寺 東西四十間南北五十間面積千八百六十九坪曹洞宗武蔵國比企郡市ノ川村永福寺末派ナリ村ノ西北ニ有リ慶長十酉年((一六〇五年))麾下高木九助廣正開基(かいき)創建ス
 藥師堂 東西十九間南北十八間面積貮百坪
學校
 村ノ西方同郡杉山村椙山(すぎやま)小斈校ヘ通フ生徒男二十二人女十七人
事務所
 村ノ中央字中郷永島竹次郎ノ宅舎ヲ仮用ス村ノ事務ヲ取扱
病院 ナシ
郵便局 ナシ
製絲場 ナシ
古跡 ナシ
名勝 ナシ
物産
 動物 繭質美悪相混ス八石 鶏二百四十羽 鶏卵一千五十
 植物 米質美二百四十三石 大麦質美九十六石 小麥質美百三十石八斗 大豆質美百六十石 小豆質美[十九石]九斗 粟質悪壱石七斗五升 蕎麦(そば)質悪八石
 器用物 鎌二百挺
 製造物 生絹(きぎぬ)質美百五十疋(ひき)本郡小川村ヘ輸送ス 薪八百駄
民業
 男農桑(のうそう)ヲ業トスモノ六十七戸工ヲ業ヲスルモノ七戸
 女農業紡織ヲ業トスルモノ百四十人

前記之通編輯仕候ニ付此段上申候也
           右村
             戸長
  明治十四年二月十七日        井上萬吉
埼玉縣令白根夛助殿

中郷掲示場ヨリ太郎丸村境迄拾貮町四十八間
同所より太郎丸村掲示場江拾四丁貮拾四間
同所より川島鬼神迄貮拾三丁五間
同所より月輪(つきのわ)村境迄三拾貮丁拾七間
同所より月輪(つきのわ)村掲示場江三拾三丁三拾貮間
同所より松山町元標江貮里拾七丁五間
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