15 やまし
 昭和30年代頃までは、食生活のための竃、囲炉裏での燃料、そして暖を取るための燃料もすべて燃し木に頼っていました。
 ですから、生活の収入源である春の養蚕から秋の稲の収穫、麦まきが終わると、冬場の農家の仕事としてやましがありました。
 やましは、山に生えている下草を刈り取り、熊手でくずぎ(松などの針葉樹の落ち葉が多くて竃や囲炉裏の燃料に適しているのをくずぎと言い、楢の木などの落葉樹の落ち葉が多いところを木の葉と呼びましたが、松林がほとんどであったので総称で言う時にはくずぎはきと言いました。)はきをして、大かごに入れ、その後は、竹棒の先に鎌を結わえて、枯れ枝(不必要な枝もあわせて)を引っ掻き落とす「枯れっこ掻き」を行ない、枯木の伐採と間伐した木を玉詰めして、家に持ち帰り木小屋の中に積み込んで一年間の燃料としました。
 ですから、冬場となると、学校の帰りが早いときや休みの日には、子供はやましに刈り出されます。そしてやましに行く時には、牛の引く荷車の上の籠の中に入って乗るか、歩きであったので、行き帰りに時間がかかり大変でした。そこで何時も弁当もちでのやましでした。やかんで沸かしたような気もしますが、お茶はポットもない時代でしたから、どのように持っていったのか、記憶が定かではありません。しかし、木の枝を折ったり、篠ん棒を使ったりして、家族みんなで食べる食事は格別なものがありました。
 それに正月を過ぎると、お茶休みの時には決まって山で餅を焼きました。燃し灰の中から豆餅、繭玉などを掻きだして食べる、その美味しさは格別、昨日のように思い出されます。
 探検隊のように何事も興味しんしんで、昼休みの時などは、山の周りの少し遠い山までも足を伸ばして周辺の状況を知って楽しみました。この頃の山はどこも綺麗で、山の中を駆け回っても何の不都合がありませんでした。
 やましの仕事の合間には、木登りしたり、くずぎの入っていたかごから飛び降りたり、本当に自然の中で過ごしていたのだなあと思い起こせます。