28 こどもの使い
 昔は、電話や宅急便などありませんでしたので、物日などに作った御馳走やちょっとした贈り物、伝言などの親戚などへの使いは子供の役目でした。
 昭和30年代後半までの乗り物は、バイクが流行始めたものの自転車か歩きでした。ですから大人は、忙しい生活の中でちょっとした親戚などへの使いをしている余裕はありませんでした。それに、子供が使いならば使いを出した方も使い先においても、忙しい生活の中で接待することに気を使わなくても済むと言う、今から考えると生活の知恵もあったのだと思われます。
 初めての親戚などへ使いに行った時は、行く道をどう知ったのか覚えておりませんが、子供の頃から使いに行っていました。
 ですから、山にそった木の葉の積もった細い道を通って、一の入りのおばさんの家(昭和30年代までランプ生活)に行ってランプの光の中でお汁粉をご馳走になった時に暗くておわんの中が見えなかったので食べた思いがしなかったこと、大塚洋一さんの家に行った時に、まだ中学生ぐらいだった洋一さんの姉さんが手をついて挨拶してくれるので、小さな私はどのように挨拶したらよいかと戸惑ったこと、中尾のおばあさんのしっかりとした目での挨拶、などなど、いろいろなことの思いでがいっぱいあります。
 それに私は、大塚こんにゃく屋での運び手伝いもしていました。秋から春にかけて、隣のこんにゃく屋の光一おじさんが、注文があったので蒟蒻やところてんを運んでくれと時々頼みに来ました。行く場所は、ほとんど熊谷市(旧江南町)の大沼公園にあるお店か、県立農業教育センター前の大阪を熊谷方面に下った所にあった店でしたが、自転車の後ろに、こんにゃくやところてんを入れる特別製の箱を積んで、光一おじさんに頼まれるままに運びました。
 しかし、お店に行ったらお店の容器に箱から出して移し変えてくるのですが、間違って落としてしまったら大変です。蒟蒻はぐにゃぐにゃしていて壊れないので安心なのですが、ところてんを落としてしまったら、ばらばらになって商品にならないので大変です。
 ところてんは、持って行ったところてんの一丁を12個ぐらいにする道具で、お店の容器に入れてくるのですが、容器に入れるのをお店の人は良く見ています。どんなに丁寧にお店の容器に入れようと思ってもこばが少し欠けるので、見られながらの作業は非常に子供ながら嫌なものでした。
 そんな思いもしながらも、子供の頃、おじさんに頼まれるとお使いをしていました。でも、5つ違いの私の弟に聞くと、そんな想い出はないと言いますが、それは、長男と次男の家族の感覚の違いとともに、5年の間の大きな時代の変化の大きさかとも思います。