38 稲刈り
昭和50年頃までの稲刈りは、秋のお日待ち(昭和40年代ごろまでは9月19日と決まっていて、神社の大祭りが行なわれ獅子舞が奉納されましたが、今は一月(ひとつき)遅れの10月19日の前の日曜日となる)の頃から田んぼの溝上げ(田んぼが乾くように田んぼの周りや中に30cm巾ぐらいの排水用の溝を掘る作業)が始まり、田んぼが乾いた10月下旬頃より本格的な稲刈りが始まりました。
稲刈りはすべて手作業でしたので、子供も貴重な労働力でした。ですから、稲刈りの時期が来て日曜日ともなると、どこの家でも家族だけでなく、親戚までも総動員して稲刈りを行なうので、前の水田耕地は賑やかでした。どこを見ても稲刈りの花が咲いているような光景でした。
しかし、子供の頃は、まだ田んぼが整備されておらず、これといった道路もないところがほとんどでしたので、稲刈りに田んぼに行くときには必ずハンディ棒か、ハンディ棒の足などを担いだりして材料を運びました。
それぞれの田んぼごとに稲刈りが終わると、父がハンディを作り始めます。みんなは選って水で濡らしておいた藁で、7〜8株の刈り取った稲株をまとめて結わえ始め、結わえ終わるとハンディの側に寄せておきます。人が多いときは結わえるのとハンディ掛けを手分けして始めたりもしますが、その手順は、梃子の人が一結わえの稲を取り上げて、その5分の1ぐらいの稲株をつかんで分けてから吊るし掛けする人に渡すと、受け取った人は直ぐにハンディ棒に吊るし掛けできます。ですから二人の呼吸によって早くも遅くも作業が進みます。
ハンディ棒に対して稲の方が少し多い場合には、吊るし掛けした稲の上に、一結わえを半分にして、人が馬に乗るような形で重ねて掛けます。ですから、重ね掛けを『馬に掛ける』とか『馬掛けにする』とか言いますが、天日により初冬の空っ風の中でハンディに掛けて自然乾燥させるから美味しい米が出来るのだと言われています。
そのように重労働ながら、家族が力を合わせて一田んぼ、一田んぼと稲刈りを終わらしていくときの達成感はなんとも言いがたいもので、一田んぼ、一田んぼ、終わった終わったとの喜びでがんばりました。
中学1〜2年生の頃だったのでしょうか?定かではありませんが、暗くなってきたので稲刈りを終わりにして帰ることになりました。でも、大きな月が昇ってきたので、家族の者が帰った後に驚かせてやろうと思い、3畝ぐらいの田んぼを月の光で刈ってしまった事がありました。
今の子供に比べて、なんとも逞しく意地もったものよと、自分で思い出しても感心する稲刈りの思い出でもあります。