47 雨ごい
 私の子供のころに異常旱魃があって、農家の人達が雨ごいをしたところ大雨が降って、田植えを終わらせることが出来たとの想い出があります。
 そこで、それが何年であったのか町の報道縮刷版の頁をめくったところ、昭和33年(1958)7月30日発行の報道に、「50年ぶりの旱魃に対処するために菅谷村議会協議会も開かれた、干害対策費も110万円を超えた」との記事がありました。ですから、私が覚えている旱魃になって雨ごいが行なわれたのは此の時のことなのでしょう。
 田植えの時期となり、田植えをする準備が出来ると農家の人は落ち着かなくなりました。春から旱魃気味で溜池の水も少なく、田植えの準備が出来ても日照り続きで、いっこうに田植えに必要と思われる雨が降らないからです。
 それで沼の関係者が話し合って、沼にある水で平等に田植えをしようと言うことになりました。初めは4分植え(各農家の4割の水田を植える)だったと思いますが、沼下各関係者の4割の水田を決めて、それぞれに役員の立会いで水を引いて田植えをすることになりました。
 そして、役員の立会いで各関係者の4割の水田を植え終わりました。でも、沼に水が残っていたので、次は2分(2割)植えをしようと話し合って田植えを終わりました。それでも水が沼に少し残っているのでどうしようかとの話も始まりました。
 農家の人達は、少しずつでも田植えが進むことを喜びながらも、田植えを終わらせるほどの水と養い水のことを考え、日照りの空を眺め、雨が降ることを祈るばかりでした。雨が降らなくて田植え作業が出来なくても田んぼに出て、イライラしながら鍬を担いで行ったり来たりしていました。そんな農家の人の話は決まって雨が降って欲しいとのことばかりでした。
 そこで、雨ごいをしようと言うことになり、兵執神社の社務所(龍泉寺)に農家の人(役員だけだったとも思われます)が集まり、雨ごいの行事(熊谷のどこからだか水を汲んできて……【上之神社(上之村神社、雷電神社)?】と言う話でしたが、内容についてはよくわかりません)が行なわれました。
 私も、大人たちと同じ思いでいましたので、田んぼの中で日照りの空を恨めしく眺めていました。
 そしてその時に、兵執神社の社務所で打ち鳴らされた雨ごいの鐘の音が、妙にはっきりと耳の底に残っています。
 そして、雨ごいの御利益は不思議とたちまち現われて、大雨(報道では7月4日に恵みの雨)が降って、天水を利用している北田地区以外の古里では田植えを終えることが出来ました。
 私の記憶の中に、それより1〜2年の間に、雨ごいはなかったもののもう1回旱魃があったとインプットされています。しかし報道をめくる限りでは、前後の年に記載されていないので、そう酷いものではなかったのかも知れません。
 しかし、雨ごいをしたころは、すべての農家が自然と向き合い自然と真剣勝負をしていたように思います。村をあげて自然と真剣勝負をしていたように思えます。

*この時の町の報道に、7月1日現在で植付けできない水田が42%あったが、7月4日の恵みの雨によって稲の植付けがほぼ完了し残るのは1.8%になった事が報じられています。
 また、1.8%の中に入っていた天水場である北田地区は、部落総出で杭で田んぼに穴を開けて植え込む方式の葱植えで、植付けを終えたとあります。