明治五年十一月太政官は「今般太陰暦(たいいんれき)ヲ廃シ太陽暦(たいやうれき)御頒行(ごぶんこう)相成候ニ付来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候」と布告し、「諸祭典旧暦月日ヲ新暦日ニ相当シ施行可致事太陽暦一年三百六十五日 閏年三百六十六日四年毎ニ置之」とした。従来の暦は正確には太陰太陽暦というので、小の月を29日、大の月を30日とし、12ヶ月で354日とし、太陽の運行の1年365日に合せるために19年間に7度の閏月を置いて調整して来た。布告文の中で「太陽暦ノ如キ各国普通之ヲ用ヒテ、我独リ太陰暦ヲ用ユ、豈(あに)不便ニ非ズヤ」と述べているが、月の運行を主とする太陰暦に矛盾がある上に、我国も開国以来諸外国との交際、貿易が頻繁となると不便を感ずるのは当然であった。しかし、一般国民の生活としては江戸三百年以来親しんで来た旧暦を一朝にして改めることはむずかしかった。政府も二、三年太陽暦の下で太陰暦を比較したならば、「下民モ必ズ其便ヲ覚フベシ」と考えていた。ところが1876年(明治8)正月を迎えるに当って「農事又ハ金銭融通之都合ヲ以テ旧暦正月ニ至リ休業慶祝可改旨協議罷在候宿村モ有之哉ニ相聞」ということで、祝祭日も政府の思う通りに行われず、布達第百廿五号をもって「自己之都合ヲ以旧暦相用候義ハ最不相す事ニ候 一月一日は不及申兼テ布達之通諸祝日相祝可申様」と区長を以て懇切に説諭するよう指示している。降って1887年(明治20)12月比企郡平沢村から連合戸長に提出した「御請届」によれば「積年之習慣一時ニ蝉脱セス政令謹順ナラザル向モ有之」と改暦以来15年を経過しても尚旧暦に拘泥して、新年の佳節及国の祭日も区々で、これでは忠君愛国の臣民の分にも悖(もと)り、外国人に対しても愧(は)ずべきことであるとして、堅く新暦を守ることを誓約している。続いて布達百廿五号は「太陽暦遵守奉表祝意候ニ付テハ左ノ条項ヲ履行スベシ」と言葉力強く命じている。即ち祝祭日が列挙されているが、今日のそれと比較すると大部趣を異にしている。
    上段(旧暦)                   下段(新暦)

一月一日   松飾国旗掲出        一日 元旦
         神拝年礼ノ事         第二月曜日 成人の日
   三日   元始祭
   三十日  孝明天皇祭
二月十一日 紀元節              十一日 建国記念の日
三月廿日   春季皇霊祭                    二十日 春分の日
四月三日   神武天皇祭          二十九日 みどりの日
五月                       三日  憲法記念日
                          四日  国民の休日
                          五日  子供の日
七月                       二十日  海の日
九月廿三日 秋季皇霊祭          十五日 敬老の日
                          二十三日 秋分の日
十月十七日 神嘗祭             第二月曜日 体育の日
十一月三日 天長節             三日  文化の日
   廿三日 新嘗祭             二十三日 勤労感謝の日
十二月                      二十三日 天皇誕生日

 上段、当時の祝祭日は神と天皇を慶祝する日であり、天皇制による神国日本の国体をよく表している。なお最後に「旧暦年賀及び五節句(*)等は断然廃止の事」と結んでいる。旧暦による行事が横行していたことが窺える。
 また、文中「御国旗ヲ掲出スル事以下同断」とあり、祝祭日には国旗を掲出する様指示されている。1873年(明治6)11月布達第125号にも「御国旗相掲け可奉祝之御日柄及布達」の文言があり、既に10月14日定められた祝祭日に国旗を掲出するよう布達されていた。掲出すべき国旗「日の丸」についてはその発生に諸説あるが、1873年(明治6)10月10日熊谷県令河瀬秀治が各区正副区長へ出した告文の中に「日の丸」の旗の形状規定を示している。「流曲尺ニテ二尺五寸 竪壱尺七寸五分 日ノ丸差渡し一尺五分 先ノ明七寸五分 乳ノ方明七寸」、これれをメートル法に直して図指すると左の如くになる。国旗の制定の時期を確定することはむずかしいが、明治三年十月の太政官日誌の御布告写によれば「海軍御旗章、国旗章別冊之通ニ候条」とあって図示されたものと同じである。この国旗(日の丸)を祝祭日には掲出せよということであった。後世、祝祭日を旗日と呼んだのはその名残りであろう。

*:五節句
  正月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、
  七月七日(七夕)、九月九日(重陽)

【参考資料】
  井上清家文書 ���   4 内外各種新聞要録附録 明治五年十一月
  中村常男家文書 ���546 用留 明治五年
      仝    ���  551 用留 明治七年
  内田喜雄家文書 ���102 御請届 明治廿年十二月
  『新聞が語る明治史』 明治元年〜明治廿五年 (原書房)
  『日本史広辞典』 (山川出版)
  『近代総合年表』 (岩波書店)