東松山駅−唐子−武蔵嵐山駅−武蔵嵐山定期バスが開通

1
104-1248
武蔵嵐山駅前

2
104-1247
武蔵嵐山駅前バス停車場

3
104-1250
私設武蔵嵐山バス停車場

4
104-1249
私設武蔵嵐山バス停車場

5
104-1253
私設武蔵嵐山バス停車場

   武蔵嵐山へ定期バス 観光道路も完成
 東武鉄道では、駅−嵐山、東松山−嵐山に定期バスを運行することになり、四月七日、東京陸運局に免許申請を出し、近く許可、開通の見込みである。
 運行時間割は、

駅発が、
 午前 八時三〇分
 〃  九時三〇分
 〃 一一時四〇分の三回
 午後 一時〇〇分
 〃  二時〇〇分
 〃  三時〇〇分
 〃  四時〇〇分の四回

嵐山発は、
 午前 七時三五分
 〃  八時四五分
 〃  九時四五分
   一一時〇〇分の四回
 午後 一時一五分
 〃  二時一五分
 〃  四時一五分の三回

料金は全線十円

 又、東松山−嵐山は午前が東松山七時、嵐山駅七時二五分、武蔵嵐山七時三五分。午後が武蔵嵐山四時三五分、駅五時〇三分、東松山五時三〇分の一回宛となっている。
 この料金は四〇円。
 尚、千手堂の登山口から、山の入口までの村道、及びここから六角堂上の駐車場に至る観光道路七百米は、巾員を四米−五米にひろげ、改良工事が完成した。この工事は、地元、千手堂、遠山地区の地主、区民が、全面的協力と奉仕をして、完成したものである。

     『菅谷村報道』110号 1960年(昭和35)5月15日

   嵐山駅定期バス
 昨年から話題に上っていた嵐山駅から、嵐山六角堂までのバス運行は、この程、運輸省の許可が出て、十月から開始出来る情勢になった。これについて東武では、村及び、一平荘の協力態勢如何により実施か否かに踏み切る腹をきめ、六月三十日、東上業務局の斉藤課長等が来村し、このことについて、村長と協議した。
 尚、一平荘の協力関係については、村長、議長が庄田氏と面接して協議を進めている。

     『菅谷村報道』124号 1961年(昭和36)7月20日

   東武バス開通
 かねて計画中の、武蔵嵐山駅、武蔵嵐山六角堂上までの東武定期バスは、九月十六日開通と決定、会社から役場に通知があった。
 停留所は、役場前、平沢、公会堂前の三ヶ所、運賃は全線十円の見込み。

     『菅谷村報道』125号 1961年(昭和36)8月15日

   東武バス開通祝
 別項のとおり、東松山−嵐山駅−武蔵嵐山間東武定期バスは、九月十六日から開通したが、地元、村、村観光協会、商工会ではこれを記念して、午前十時からその祝賀式を行った。折悪しく、十八、九台風の襲来で万国旗の飾りつけや、花火打上げ等の計画は不可能だったが、十時二十分先づ運転手、車掌さんに花束を送り、村長がテープを切って、新村建設以来最初のバスが動き出した。当日の参会者は主催者側、青木村長、小林助役、青木議長、市川副議長、福島商工会長、関根、内田副会長。来賓は、東武自動車局埼玉事務所長、東武の東上業務局長代理、嵐山駅長、関根茂良氏、一平荘川崎支配人等で一同は、嵐山まで便乗して、運行状況を視察、十一時から内田屋を会場とする祝賀の宴に臨んだ。

     『菅谷村報道』126号 1961年(昭和36)9月20日

   東武バス開通式
 嵐山駅と明覚駅間にバスが動いたのは昭和十二、三年頃(1937〜1938)、戦争中はこれがと絶えて以後十数年、槻川をはさむこの地区は、依然明治・大正時代の姿で映っていた。
 景勝地武蔵嵐山の開発も、今の処まだはかばかしくないが、村の要請が通って、九月十六日から、駅と嵐山の間に定期バスが開通した。村では県道の改修と伴って、これを南は玉川、北は古里まで延長する計画。バス開通は村民の眠りをさます黎明(れいめい)という訳か。写真はテープを切る青木村長。

     『菅谷村報道』127号 1961年(昭和36)11月30日