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   酪農振興に乳牛を貸付ける
 村では酪農振興策の一つとして、三十三年度予算に三十万円の資金をあげて、乳牛の貸付制度をはじめることになった。
 その要領は次の通り。

一、貸付対象者
 酪農を始めようとする者、現に酪農を営むもの。
二、貸付期間
 貸付乳牛が雌仔牛を産んでこれを返すまで。
三、貸付申請
 毎年四月末日までに村長に申請書を出す。
四、貸付の変更
 期間中返納しようとするときに事由を具して申出る。
五、借受人は転貸出来ない。
六、飼養管理、返納に要する経費は借受人負担。
七、借受人は家畜共済に加入する。
八、雌仔牛の返納は生後四ヶ月以上。
九、乳牛の妊娠、分娩は村長に報告する。
一〇、貸付乳牛に事故があったときは村長に届ける
 貸付期間中に乳牛として使用出来なくなった場合は所定の金額で賠償する。
一一、貸付乳牛の払下げ
 納付義務を完了したときは無償。
 雌仔牛を産まないものは時価。
尚、この規定により借受申請書を提出したものは現在五一名となっている。

     『菅谷村報道』89号 1958年(昭和33)5月30日

論壇 喜ぶには早い 乳牛貸付制度
 前号で報道されたように、村の酪農振興のため、乳牛貸付制度が定められたが、五月十五日の締切りまでに、希望者五一名、押すな押すなの盛況で、先ず先ずお目出度い次第である。
 然し果してこの借受人の殺到が、すぐその儘、本村の酪農振興につながるかどうか、これで酪農の前途は明るいと、手放しで喜べるかどうか。
 遺憾ながら喜ぶにはまだ早い。
 乳牛を飼えばそれが酪農だと考へる人がいくら牛を飼っても酪農は振興しない。いままでの経営はそっくりその儘で、それに乳牛の飼養、つまり搾乳業という副業を一つとりつけても、これは酪農業にはならない。
 識者によれば、日本の酪農は十中の九分九厘までは名は酪農と呼ばれ乍実は酪農でも何でもない。ニセ酪農だと口を極めて警告している。本格的な酪農態勢を整えないニセ酪農の数がいくらふえても酪農は振興しない。
 これ等の人は飼料高と乳価の下落で採算が立たぬと忽ち離脱したり、第一、飼牛技術そのものに無知であるから、肝腎の牛をつぶしてしまったりして、振興どころか却って酪農を呪詛するようになる。
 現今酪農の危機を叫ぶ声は高い。(註:埼玉新聞六月七日・九日所載「危機に立つ埼玉の農業」参照)
 然しどんな危機に見舞はれても、不況に喘(あえ)いでも乳牛の飼養は止められない。この一筋という酪農家、熱意と共に止められない態勢、経営形態を確立した酪農家が増えなければ酪農振興にはならない。
 乳牛をとり入れたことで従来の経営が大きく変化して、従来の経営とあたし加った乳牛飼養という仕事と、この二つの間に切っても切れない関係が出来て、ここに初めて酪農という経営の形が生れる。飼料作物の栽培で生産が縮小され、搾乳、給餌(きゅうじ)の仕事で労働は年間に均分され、女子でも出来るようになると、女子の手間を生み出すために、台所や風呂場を改善して、いはゆる生活の合理化が必要になる。生産乳の一部を自家用として飲めば、米が浮いて金にかわる。まゆと麦と米がとれたときだけしか入って来なかった現金が、毎月乳代として規則的に入ってくる。経営が変って、生活が変って、いやでも考え方が変ってくる。ここに本当の酪農家が生れ出て、かうなると鬼が出ても蛇が出ても酪農は止められない態勢が出来る。
 村では本年度三十万円の予算を投じて酪農振興にのり出した。然し借りる側にも酪農に対する認識の不足がある。貸す側も、本当の酪農振興の配慮に不充分である。
 村が乳牛貸付のため三十万円の予算を投じたことは、本村が将来真の酪農村として立っていこう、酪農をもとにして新しい村作りをしようと決意したことを示すとすれば、漫然と乳牛を貸付けて、これで酪農振興とすましている訳にはいかない。
 ではどうするか。やることは沢山ある。然し差し当りこれだけはのがせない。先ず借受者に真の酪農の意味を充分に知らせること。
 充分に知れば、よしやろうという決意が生れ、決意が出来れば、如何にして乳牛を飼うか、その方法、飼養技術の知識を欲してくるだろうから、村はこれに対する指導機関を作って、彼等の要求にこたえる。これが何を措いてもせねばならぬ最初の仕事である。単なる増頭政策では酪農の振興にならない。貸付後の施策が重大である。手放しで喜んでいられないという理由はここにある。(貸付審査会委員小林博治)

     『菅谷村報道』90号 1958年(昭和33)6月30日

   乳牛貸付審査会で貸付適格者を審査
 既報の通り、乳牛貸付の制度が出来、申請者を審査するため、貸付審査委員会がおかれ、委員として次の諸氏を委嘱を受け、六月十日第一回の委員会が開かれた。
一、村議代表
 山下欽治 島田忠治 坂本幸三郎 米山永助
一、酪農協会役員
 奥平武治 鯨井正作 根岸卯平 小林英助
 杉田善作 権田三次
一、学識経験者
 山田巌 田村孝一 藤田利雄
一、役場
 小林博治

尚、会長は小林博治、副会長は山田巌の両氏が選ばれた。委員会は本年度の申込者五十名について適格者を検討、本年度の貸付頭数約十頭と見て、候補者十名を選定し、七月上旬にこれ等の人達と懇談して酪農業の実態を説明し、将来、永続して酪農をやる意志が有かどうかをただした上、適格者として村長に答申することになった。

     『菅谷村報道』90号 1958年(昭和33)6月30日

   乳牛貸付審査委員会 本年度貸付者を決定
 本年度の乳牛貸付対象者を決定する審査委員会は、七月二十四日の午後開催。前回の内定者十名を招いて先づ明治乳業の田村技師から、酪農経営の心構えと、乳牛の生理、とくに仔牛の飼養管理について解説した後、次の十名を正式に決定した。

1、中村武一(勝田) 2、金井東輔(大蔵) 3、内田与平(平沢) 4、長島茂(鎌形) 5、中村文雄(越畑) 6、福島義治(将軍沢) 7、小林辰見(吉田) 8、山下茂治(大蔵) 9、川口忠治(吉田) 10、山下彌一(大蔵)(番号は貸付の順序を示す)

尚、仔牛の買付は酪農協会に一任することとし、八月よりはじめて、十月末日mでに貸付を完了する予定とした。貸付後は、審査会と酪農協会が協力して飼養管理について指導、助言をすることとなった。

     『菅谷村報道』91号 1958年(昭和33)7月30日

   乳牛貸付 八月中に五頭
 乳牛貸付者の選定は、既報のように、七月の審査会で決定したので、村では、貸付事務を酪農協会側の審査委員に委託し、買付と貸付の仕事を開始した。
 委任をうけた委員は、村内及び近隣の酪農家中、仔牛売却希望者を調査し、八月九日、村内及び滑川、東松山市を巡廻して、この日三頭、更に二十日には小川町能増(のうます)に出かけて二頭買入れ、これを次のように貸付た。
 1貸付者、2生後日数、3体高、 4購入先は次の通り。

 1中村武一(勝田) 2一四四日 3二・九五尺 4横田初太郎(滑川)
 1金井東輔(大蔵) 2一二〇日 3二・九五尺 4木村朝光(菅谷)
 1内田与平(平沢) 2九三日 3三尺 4吉野次郎(鎌形)
 1長島茂(鎌形) 2一一五日 3三・二〇尺 4根岸(能増)
 1中村文雄(越畑) 2二〇三日 3三・四〇尺 4根岸(能増)

     『菅谷村報道』92号 1958年(昭和33)9月10日

   貸付乳牛買入
 乳牛貸付審査委員会では、九月二十九日に更に三頭買入れ、次のように貸付た。

 貸付者  生産者
 福島義治 小原(滑川)
 山下茂治 森田(滑川)
 小林辰見 森田(滑川)
     『菅谷村報道』93号 1958年(昭和33)10月1日
   乳牛買付
 乳牛貸付審査委員会では、十一月二十日、午後更に次の二頭を買付け、二十二日貸付を終った。
 貸付者     生産者
 吉田又一(遠山) 内田清(中爪)
 小沢猪助(根岸) 萩野音吉(上唐子)

 現在までの貸付状況は次のとおり。
▽八月貸付
 中村武一(勝田)
 金井東輔(大蔵)
 内田与平(平沢)
 長島茂(鎌形)
 中村文雄(越畑)
▽九月貸付
 福島義治(将軍沢)
 山下茂治(大蔵)
 小林辰見(吉田)
▽十一月
 吉田又一(遠山)
 小沢猪助(根岸)

     『菅谷村報道』93号 1958年(昭和33)10月1日