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   体育館の工事始まる
 本村においては、教育関係者は勿論、一般村民からも久しくその建設を要望されていた菅谷中学校体育館の建築がこの程本格的に決定した。村ではこれまで諮問機関として体育館建築委員会を設け、場所、様式、構造、規模、運営上使用上の便否等細部に至る精密な調査研究を重ねて来たが、ようやくその結論が得たので、東松山市井部建築士に設計を依頼。県の指導もあって、この程設計書が完成し、九月二十五日には建築業四社の競争入札が行なわれ、その結果、大宮市の松栄建設株式会社に落札した。
 又、九月二十九日から開かれた定例村議会において、その建築契約の承認及び建築費に関する予算も議定されたので、建築もいよいよ本格化したのである。
 この体育館は、学校生徒の体育だけではなく、成人式、敬老会等全村の公的な会合、儀式等の場所として、広く使用する講堂としての目的も兼ねているので、設計上その点も配慮してある。
 体育館の大きさは、建坪数三一九坪、構造は鉄骨、一部鉄筋コンクリート造。屋根は、長尺の亜鉛引鉄板瓦棒葺の切妻形、場所は、菅中西側の敷地である。
 尚、この請負金額は、二千五百七十万円である。

     『菅谷村報道』155号 1964年(昭和39)10月10日
   体育館上棟
 菅中体育館は四十二メートルの大トラスが七基上り、鋲打ちの段階になったので、一月十四日、現地で上棟式を行った。現在までの進捗状況は大体六〇パーセント程度であるが、基礎の設計変更により約三十日間工期は遅れている。従って体育館が完全に使用できるようになるのは、四月の新学期からではないかと見られるが、、建築委員会では三月の卒業式には何とか使用できるように強く要請している。

     『菅谷村報道』157号 1965年(昭和40)2月10日
   菅中体育館整備委員会
 村では体育館の完成と同時に内部施設の充実を期すべく体育館整備委員会を発足させた。
 会長は奥平武治氏(議長)、副会長は関根昭二(建築委員長)、米山永助(商工会長)の両氏、委員には市川紀元、島本圭三、木村平六、山下伝次郎、吉野松蔵、新藤武治、鯨井正作、宮本一郎、小林久、藤野定良、簾藤庄治、栗原弥之助、根岸寅次の各氏である。
 なお、この委員会は本年度三百五十万円を目標に会社、工場などの事業所、団体などからの寄附をいただくことにしているが、個人でも寄附を希望する人からは受け入れることになっている。

     『菅谷村報道』157号 1965年(昭和40)2月10日

   村長報告
 関根村長は三月十日に開かれた定例村議会において、諸報告を行ったが、その要旨は次の通り。【中略】

一、菅中体育館寄附金の申込は順調である。予定の95パーセントまでになっている。
一、体育館工事は順調に進捗しており、二五日までには完了の予定である。【後略】

     『菅谷村報道』158号 1965年(昭和40)4月10日
   謝辞 教育文化の振興に努力 菅中校長 権田正雄
 待望の体育館の落成祝賀式が、合併十周年という本村として極めて意義深い記念式典の好き日に、県知事殿始め多数の来賓並びに村民各位の御臨席のもとに、斯も盛大に挙行されますことは、菅谷村教育史上特筆すべき事蹟であって、本当におめでたい限りであります。
 この輝かしい式典に当り、皆様方の御前でお礼の言葉を申し述べます機会を得ましたことは、私の無上の光栄とするところであります。
 由来本村は教育村として常に他をリードし、他村の追随を許さなかったのでありますが、こと体育館のことに関しては、常に必要な事は痛感しておりましたが、色々の関係からその機熟さず不便を忍ばねばならない状況にあったのであります。
 処が昨年今頃から体育館建設の機運は、ほうはいとして燃え上って参りました。たまたま菅谷小中PTAが体育館建設の陳情運動を起すや、村議会といたしましてもあたかもこれと呼応するように、体育館建設を決議し、時を移さず世紀の事業はその緒に着いたのであります。
 以来村長殿始め村当局のご苦心、建設委員、内部施設整備委員各位の並々ならぬお骨折りとご配慮、井部設計士の斬新味豊かな設計と近代建築技術を最高度に活用しての松栄建設の堅実な施工と、更には教育委員会、村議会、PTA、在村各種工場等、村を挙げての陰に陽にのご支援ご協力がみごと実を結んだことに思いを致し、唯々有難く感謝と感激で一ぱいです。
 ご覧なさい、この外観を、調和の美しさを、この明るさと内部施設を、そしてその規模の広大さを、実に堂々たるもので、県下に誇り得るに充分のものがあると申しても決して過言ではないと信じます。
 こんな立派な体育館を着くっていただいた職員、生徒の感激もまた一入(ひとしお)のものがあろうかと思います。この上はこの体育館を本校教育の向上に役立てるのはもちろん、広く本村文化向上の面でも最高度に役立てると共に、管理の適正を期し、いやが上にも本村教育文化の振興するよう努力いたし、皆様方のご努力、ご苦労に報いたい所存であります。どうぞ今後層一層のご援助とごべんたつをこの上ともお願いいたします。
 いささか覚悟の一端を申し述べて感謝の詞といたします。
   昭和四十五年四月十五日

     『菅谷村報道』159号 1965年(昭和40)5月10日