千手堂村(現・埼玉県比企郡嵐山町大字千手堂)

 千手堂村(せんじゅどうむら)
千手堂村ハ江戸ヨリ行程(こうてい)拾六里、郷(ごう)名前村*1ニ同ジ。領(りょう)ハ松山ニ属(ぞく)セリ。村名ハ千手観音(せんじゅかんのん)ノ堂アリシヨリ起リシト云フ。此堂今ハ一院トナリ、民戸四十余。東ハ菅谷村(すがやむら)ニ続キ、南ハ槻川(つきかわ)ヲ限リテ鎌形村(かまかたむら)ニ隣リ、西ハ遠山村(とおやまむら)ニテ、北ハ平沢村(ひらさわむら)ニ境ヘリ。東西五町(ちょう)*2南北四丁(ちょう)*3許(ばか)リ。当所ハ古ヘヨリ御料所(ごりょうしょ)*4ナリシガイツノ頃ニヤ大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)*5ニ賜(たまわ)リ、宝暦元年(ほうれき)(1751)所替(ところがえ)アリテ御料所ニ属シ、同十三年(1763)清水殿ノ領知(りょうち)トナリ、寛政九年(かんせい)(1797)上リテ御料所ニ復セリ。検地(けんち)*6ハ寛文八年(かんぶん)(1668)坪井次右衛門(つぼいじえもん)糺(ただせ)セシ後、延宝八年(えんぽう)(1680)新開(しんかい)ノ地*7アリテ中川八郎左衛門(なかがわはちろうざえもん)改(あらため)シト云フ。
   *1:平沢村と同じ玉川郷に属する。
   *2:1町は約109メートル。
   *3:丁は町と同じ。
   *4:幕府の直轄領。天領。
   *5:江戸時代中期の幕臣大岡忠相(おおおかただすけ)。先祖は徳川氏三河以来の家臣で旗本。町奉行に昇進して越前守となる。さらに寺社奉行、奏者番(そうしゃばん)になり、加増されて一万石の大名になる。八代将軍徳川吉宗の信任が厚かった。
   *6:支配地の田畑(たはた)の面積(めんせき)や生産高を調査(ちょうさ)すること。
   *7:新しく開墾した土地。

高札場(こうさつば)*1 村ノ中程ニアリ。
   *1:掟(おきて)などを書いてかかげた立て札の場所。

小名(こな) 中島 原 谷 上

槻川(つきかわ) 南ノ方鎌形村(かまかたむら)堺(さかい)ニアリ、川幅(かわはば)十八間*1(けん)。
   *1:1間(けん)は約1.8メートル。

春日神社 村ノ鎮守(ちんじゅ)ナリ、村持。

番神社*1 同持。
   *1:三十番神。天台宗・日蓮宗で、法華経を守護する神。本地垂迹(ほんじすいじゃく)説に基づく。1か月の30日間、1日一体ずつ祭る。


千手院(せんじゅいん) 曹洞宗*1、遠山村(とおやまむら)遠山寺(えんざんじ)末、普門山(ふもんざん)ト号ス。本尊千手観音ヲ安セリ。当院古ヘワツカノ堂ナリシヲ幻室伊芳(げんしついほう)ト云フ僧一院(いちいん)トナセリ。依テ彼僧ヲ開山トス。示寂(じじゃく)ハ天文十五年(てんぶん)(1546)二月朔日(ついたち)ト云フ。入間郡黒須村蓮華院(れんげいん)ノ観音堂(かんのんどう)ニカケタル鰐口(わにぐち)ノ銘ニ、奉施人武州比企郡千手堂鰐口(わにくち)大工(だいく)越松本、寛正二年辛巳*2(かんしょう)(しんし)(1461)十月十七日願主(がんしゅ)釜形四郎五郎(かまがたしろうごろう)トアリ、越松本*3ノ三字ハ解シ難ケレド、是(これ)当院ノモノナルベケレバ寛正ノ頃*4ハイマダ堂タリシコト知ルベシ。
   *1:1227年、道元が中国から伝えた禅宗の一派。臨済宗と並ぶ禅宗の二大宗派。
   *2:昭和改修版(1957年1月発行)には、「寛政二年辛巳」となっているが、文意と干支からして、「寛正」が正しい。雄山閣版も「寛正二年」としている。
   *3:『入間市史通史編』329頁によると、「大工越松本」とあるのは鳩山町小用の鋳物師(いもじ)の製作を意味する(清水与四次『小用村上小用村鋳物師の研究』)という。
   *4:「寛政」を*2により、「寛正」と改める。


光照寺(こうしょうじ) 日蓮宗(にちれんしゅう)*1下総国(しもうさのこく)葛飾郡(かつしかぐん)真間弘法寺末、法蓮山ト号ス。本尊三宝(さんぼう)*2ヲ安ズ。
  *1:鎌倉時代の日蓮を開祖とする仏教の宗派。
  *2:三宝尊。向かって右に多宝如来、中央に「南無妙法蓮華経」の題目、左に釈迦牟尼仏を配したもの。