畠山重忠事蹟之記
菅谷村大字菅谷字城ニ菅谷城趾在リ、秩父荘司次郎畠山重忠ノ鎌倉創業ニ策應(さくおう)*1シ相地築城居守シタルノ古墟タリ、現形(げんけい)*2菅谷宿通(東西)迤南(いなん)*3数丁ニ位シタル凡(およそ)三丁四方許(ばかり)ノ丘陵ナリ、南邊ハ東流セル都幾川ニ臨ミ、處々(ところどころ)絶壁ヲナシ大率(たいしゅつ)*4五六丈(じょう)ノ高嶂(こうしょう)*5連綴(れんてつ)*6シ、北邊ハ宿南小名(こな)*7元宿(もとじゅく)ト称セル境上ヨリ、平地ニ高キコト二三丈ヲ以テ里道ニ沿フテ蜿蜒(えんえん)*8シ東西復(ま)タ澗田(かんでん)*9谿窪(けいあ)*10ヲ以テ限リ、尚北面左右翼隅(よくぐう)*11ニ追手門(おうてもん)*12搦手(からめて)門*13等ノ遺型在リ、四縁ヨリ乳内ニ亘(わた)リ起伏ノ裡(うち)*14自然ノ要扼(ようやく)*15ヲ存シ、如今(じょこん)*16ハ陸田(りくでん)*17ニ變シテ多ク桑楮(そうちょ)*18其他農植ノ間彼此ニ松栢(しょうはく)*19ノ疎林(そりん)*20或ハ茅薄(ぼうはく)*21葛蘿(かつら)*22ノ参差(さんさ)*23タルヲ認ムルノミナルモ、少ナクトモ昔時天嶮(てんけん)*24ノ一壮郭墟タリシヲ偲(しの)バルヽナリ、殊ニ諸種ノ傳説ヲ輳合(そうごう)*25スレバ其東西北陸續ノ三郊(こう)*26ハ仍(すなわち)幾数十丁ニ渉(わた)レルノ要塞地タリシヲ覺(おぼ)ユ、宜(うべ)ナリ*27古史、皆(みな)本城ノ重忠ニ重カリシヲ載(の)セテ大同(だいどう)*28タルコト、其後世、岩松遠江守又ハ太田源六其他ノ在営セシ等ハ姑(しばら)ク措(お)クモ、必ズヤ先ヅ當初ノ主将重忠ヲ以テ該城ノ歴史ヲバ装飾スベシ、抑(そもそ)モ本城址ニ直接ノ関係ヲ有セル重忠ハ青史(せいし)*29既(すで)ニ已(すで)ニ定論アリ、由来世人ニモ知レタル中ニ就キ略序(りゃくじょ)*30センニ、其家ハ素(もと)関東ノ名豪、特ニ武州秩父ニ於テ奕葉(えきよう)*31ヲ累ネ来リ、祖父重綱父重能*32ニ至リ庄司(しょうじ)*33ヲ以テ擢(ぬき)ンデテ源平ノ間ニ著シ、重忠箕裘(ききう)*34ヲ承(うけつ)グニ及ンデ仁忠才勇父祖ニ超乗*35シ信義徳望ノ歸スル所鎌倉右大将源頼朝ノ親任ニ會(あ)フテ連(しき)リニ*36大官(だいかん)*37ヲ司直(しちょく)*38スルヨリ施政ノ偏倚(へんき)*39ヲ避(さ)クルタメ、北武(ほくぶ)*40男衾(おぶすま)ノ畠山ニ城(きづ)キ終(つい)ニ更(さら)ニ當菅谷ニ城キ幾(ほと)ント北武全體ヲ管轄スルニ逮(およ)ビ、敢テ求メズシテ威名赫々(かっかく)*41彼レガ如クアリシナリ、重忠ノ人ト為(な)リ誠(まこと)明月ノ如クニシテ、而(し)カモ盈(み)チテ虧(か)ケズ善ク圓ヲ持テルモノ徳望ノ然(しか)ラシムル所、和田義盛ト倶(とも)ニ覇府(はふ)*42第一ノ左右(さう)*43タリ、旦仁忠奇禍(きか)*44ヲ避ケズ、頼朝没後、頼家*45・實朝*46ヲ輔安(ほあん)*47スルヲ自任トセルニ反シ、君家外戚ノ大奸(かん)*48黨與(とうよ)*49ヲ擧(あげ)テ構陷(こうかん)*50是(これ)務(つと)ムルニ抗(こう)シ、成(な)ラザルニ迫(せま)リテ*51寃厄(えんやく)*52ニ斃(たお)レタルモ勇ニシテ義ナリ、其往日(おうじつ)*53頼朝ノ蔭子(かげこ)*54三郎忠久ヲ冥護(みょうご)*55擁封(ようふう)*56セル如キ真ニ才ナリ信ナリ、是ニ於テカ八百年来ノ嶋津公爵家ノ今日在リ一(いつ)*57ニ重忠ノ賜(たまもの)タリ、此他曽我兄弟ニ、又ハ或方面ニ其徳行ヲ致セルコト鮮少(せんしょう)*58ニアラザリシ、此菅谷地方幸ニ斯(かか)ル偉人最終ノ治本領内タリ、学校モ因(よっ)テ其城山ヲ冠字トシタリキ、亦将(は)タ斯クノ如キ正大ノ氣象ノ其孰(いず)レニカ調謬(ちょうびゅう)*59センコトヲ相思セラル、世説ニ云ヘル菅公*60重盛*61ニ重忠ヲ併(あわ)セテ本朝ノ三聖者トハ、蓋(けだ)シ輿臺子(よだいし)*62輩ノ衆庶ニマデ其人格ヲ首肯(しゅこう)*63セシムルノ近キヲ知ルニ足(た)ル、本文ニ由緒アル碑文ヲ掲(かか)クル左ノ如シ
  武蔵國比企郡菅谷村者(は)畠山重忠之墟(きょ)*64也、方(まさに)其盛城備置佛寺曰(いう)長慶、至中世遷於此云、寛永(かんえい)中岡部某公受邑(ゆう)*65、是地有故癈寺、寶永(ほうえい)三年丙戌(ひのえいぬ)(1706)遂以其址賜先太夫多田重勝、命永為塋域(えいいき)*66乃(すなわち)安千手大士名多田堂、没則(ぼっすればすなわち)葬焉(ここに)、子英貞嗣(つぎ)月以其没日會衆(しゅうかい)*67誦(ずす)普門品已(すでに)十三萬餘巻、先是岡部氏滅而(て)英貞土着、不徒(ただならず)今茲(ここ)建石勒(きざむ)概銘曰
  維春維秋維石維悠
   寛政(かんせい)九年歳在丁巳(ひのとみ)(1797)夏四月十九日
              多田英貞一角甫(ほ)*68誌(しるす)

   *1:しめしあわせること。
   *2:現在の形。
   *3:斜め南につらなる。
   *4:おおむね。
   *5:高くけわしい山。
   *6:連なること。
   *7:小字。
   *8:うねうねと長いさま。
   *9:「澗」は谷川の意。谷水の田。
   *10:谷のくぼんだところ。
   *11:つばさのはて。
   *12:大手門、城の正面の門。
   *13:城の裏門
   *14:裏の俗字。
   *15:敵を待ち伏せして食い止めること。
   *16:今の世。
   *17:はたけ。
   *18:桑とこうぞ。
   *19:松と柏。
   *20:木のまばらな林。
   *21:かやとすすき。
   *22:くずとかづら。
   *23:不揃いな樣。
   *24:自然の要害。
   *25:あつめあわせる。
   *26:郊外。
   *27:もっともである。
   *28:大体同様である。
   *29:歴史。
   *30:あらましを述べる。
   *31:代々。
   *32:畠山重忠の曽祖父が重綱、祖父が重弘、父が重能となる。
   *33:荘園領主の命を受けその荘園を管理した職。
   *34:父祖の業をつぐこと。
   *35:追い越すこと。
   *36:つづけざまに。
   *37:大官、高官。
   *38:公明正直に司る。
   *39:かたよりもたれる。
   *40:北武蔵。
   *41:あらわれて盛んなさま。
   *42:幕府。
   *43:かたわら。
   *44:思いがけない災難。
   *45:頼朝の長子、二代将軍、比企能員と結んで北条氏を除こうとして伊豆修善寺に幽閉され暗殺された。
   *46:頼朝の次子、三代将軍、鶴岡八幡宮の境内で兄の頼家の子公暁に殺された。
   *47:助力し安んずること。
   *48:非常な悪者。
   *49:なかま。
   *50:無実の罪を作って人をおとしいれる。
   *51:きわまる。
   *52:無実のわざわい。
   *53:過ぎ去った日。
   *54:人知れずかくまった子。
   *55:神仏が知らず知らずのうちに守ってくれること。
   *56:まもりふうずる。
   *57:第一
   *58:わずか。
   *59:あやまりをしらべる。
   *60:菅原道真。
   *61:平重盛。
   *62:召使。
   *63:うなずくこと。
   *64:古跡。
   *65:封土。
   *66:墓所。
   *67:会に寄り集まる。
   *68:あざな。

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2003年5月22日 小川京一郎さん撮影