笛吹峠考
 将軍澤ノ南方数町ニ在リ、亀井村ノ大字須江・奥田ノ両區ニ境界セル稍々北寄ノ長頂巒脉(らんみゃく)*1ノ東西ニ蜿蜒(えんえん)*2シタル宛然(えんぜん)*3肥後(ひご)ノ田原坂ニ髣髴(ほうふつ)*4セシ中央ノ切處(せっしょ)*5一夫両手ヲ揮(ふる)ヘバ*6萬卒超ユルヲ得難キ真個(しんこ)*7天嶮(てんけん)*8ノ要扼(ようやく)*9タリ往古鎌倉ヨリ北武上毛等ニ通ズルノ國郡道路ナリシト云フ、而(しか)モ有事(ゆうじ)*10争衡(そうこう)*11ノ日ニ際シテハ、廣ク南北死命ヲ制スベキ兵書ノ所謂(いわゆる)争地ニシテ、其獲喪(かくそう)*12ハ事定マルト已(や)ムト人存スルト亡(ぼう)スルトノ第一着ヲ示ス大演舞臺タリ、故ニ笛ヲ鳴ラシテ屡々(しばしば)戒心シ策應(さくおう)*13スルニ資(よ)リテ斯(かく)名アリトゾ、古今幾許(いくばく)*14爰(ここ)ニ争戦アリシ中ニモ、彼著明ノ会戦ニシテ且(かつ)惜ムベカリシハ正平七年(しょうへい)(1352)三月廿八日ノ一戦ニ南朝司令ノ主将新田左兵衛督(かみ)*15義宗青年気鋭生兵(せいへい)*16ヲ以テ大軍ノ尊氏ヲ軽ンジ直チニ攻勢ヲ執(と)リ、要害ヲ離レテ敵ニ乗(じょう)ゼラレ一敗、信越(しんえつ)*17ニ退却(たいきゃく)シ時ヲ待ツノ止ムヲ得ザルニ至レルコト是ナリ、但(ただ)シ此役(えき)*18ヤ四五日前義宗ガ尊氏ヲ石濱ニ追迫(おいせ)マリテ、彼ヲシテ単身絶対割服(かっぷく)*19セントスルマデニ苦メタルニ似ズ、斯(かく)敗ヲ取リシハ兵書ニ復(ま)タ人ヲ侮(あなど)ル者ハ亡ブトイヘルニ近シ、嗚呼(ああ)天嶮ヨリモ恐ルベキハ油断ナリ、然レドモ小新田(にった)公ノ英名ハ斯(この)峠ノ真景(しんけい)*20ト相須(ま)チテ長(とこし)ヘニ*21昭々(しょうしょう)*22タリ、這(これ)ハ姑(しばら)ク措(お)キ世人何者ノ愚(ぐ)ゾ、此峠ノ此役(えき)ヲ上信ノ碓氷嶺(うすれい)ニ嫁(か)シ*23テ迷論ヲ吐(は)ク、林衡(はやしたいら)*24ノ博識ヲ以テ尚且(かつ)然(しか)リ、武州ヲ前ニ当テトアレバトテ徑(ただ)チニ三十里ノ碓氷嶺ヲ思フトハ、軍情ニ朦(くら)キモ程(ほど)コソアレ、一卒モ居合セズ腹切ラントマデニ敗レシ尊氏、三日計(ばかり)ニ十萬騎ヲ集メツヽ、十里程ノ当笛吹峠ニ寄ルサヘモ異数(いすう)*25ノ位ナリ、笛吹ヲウスイ(……)ト訓(くん)シ自ラ苦ム者何ノ見地(けんち)*26ゾヤ、マダシモ竿吹ヲ用ヘヨカシ
   *1:ぐるぐると巡っていっている山のつづき。
   *2:うねうねと長いさま。
   *3:そっくりそのままのさま。
   *4:よく似ているさま。
   *5:要害の地。
   *6:充分に発揮すれば。
   *7:まことに。
   *8:地勢険しいところ。
   *9:敵をまちぶせして食い止めこと。
   *10:非常の事態が起こること。
   *11:優劣を争うこと。
   *12:得るか失うか。
   *13:しめしあわすこと。
   *14:どんなに多く。
   *15:兵衛府・衛門府の長官。
   *16:新手の兵。
   *17:長野・新潟方面。
   *18:戦い。
   *19:腹をきって死ぬこと。
   *20:まことのようす。
   *21:永久に。
   *22:きわめてあきらかなさま。
   *23:誤って充てる。
   *24:林述斎(はやしじゅっさい)(1768-1841)。名は衡(たいら)。江戸後期の朱子学者。美濃(みの)岩村藩主松平乗薀(のりもり)の3男。『寛政重修諸家譜』、『新編武蔵風土記稿』『新編相模国風土記稿』などの編纂に関与した。
   *25:他に例のないこと。
   *26:判断する際の立場。

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2003年5月14日 小川京一郎さん撮影