埼玉縣武蔵國比企郡菅谷村(すがやむら)大字鎌形(かまがた)字清水(しみず)
 郷社(ごうしゃ)*1 八幡神社(はちまんじんじゃ)
  昭和二一・一○・一五 法人登記済
   *1:1871年(明治4)に定められた神社の格式の一つ。神社を分かって官社と諸社とし、諸社をさらに府社・藩社(廃藩置県とともに府・県社となる)・県社・郷社に分けた。県社の下が郷社、その下が村社、それ以下が無格社。この社格制度は1946年(昭和21)2月2日廃止された。太政官達:明治四年(1871)七月四日郷社定則「郷社は凡戸籍一区に一社を定額とす。仮令は二十ケ村にて千戸許ある。一郷に社五ケ所あり。一所各三ケ村五ケ村を氏子場とす。此五社の中式内か或は従前の社格あるか又は自然信仰の帰する所か凡て最首となるべき社を以て郷社と定むべし。余の四社は郷社の付属として是を村社とす。」

一 祭神(さいじん)
  譽田別尊(ほむたわけのみこと)*1
  比賣神(ひめのかみ)*2
  神功皇后(じんぐうこうごう)*3
   *1:『日本書紀』『古事記』に第15代と伝える応神天皇(おうじんてんのう)。『日本書紀』によれば仲哀天皇・神功皇后の子で、在位41年、110歳(古事記では130歳)で没した。
   *2:主神誉田別尊の妻。品陀真若(ほむたのまわか)王の女の仲姫。
   *3:仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后(きさき)。応神天皇の母。

一 由緒(ゆいしょ)
 當社ハ人王(にんのう)*1五十代桓武天皇(かんむてんのう)ノ御宇(ぎょう)*2延暦十二(えんりゃく)癸酉(みずのととり)年(793)坂上田村麿(さかのうえたむらまろ)東夷征伐(とういせいばつ)トシテ下向(げこう)ノ時當所塩山ニ到リ地景ニ感アリテ筑紫宇佐(つくしうさ)ノ神*3ヲ祭祀セラレ同十六丁丑(ひのとうし)年(797)奥羽(おうう)ノ國司(こくし)トナリ将軍ニ任セラレ再下向ノ節社殿ヲ増築シ崇敬ヲ盡(つく)サル。郷民之ヲ産土神(うぶすなかみ)ト尊崇セリ。其後八幡太郎源義家木曽左馬頭源義仲大将軍源頼朝及夫人北條政子等厚ク信仰アリテ何レモ神田(しんでん)ヲ寄附セラレ造營ヲ加ヘラル。社殿ノ結構(けっこう)*4壮麗(そうれい)ヲ極メシト云フ。現今存在セル神躰(しんたい)ト云ヒ傳フルハ円頂法服(えんちょうほうふく)*5ニテ念珠(ねんじゅ)*6等ヲ持セラル則傳教大師(でんきょうだいし)*7ノ彫刻ナリト。又銅華鬘(けまん)*8二箇ヲ傳フ。一ハ円径五寸五分ニシテ弥陀(みだ)*9ノ座像ヲ鋳出(いだ)シ傍(かたわら)ニ安元二(あんげん)丙申(ひのえさる)天(1186)八月之吉清水冠者源義高トアリ。一ハ円径四寸八分ニシテ薬師*10ノ座像ヲ鋳出ス。左傍ニ貞和四(じょうわ)戌子(つちのえね)年(1348)七月日大工兼泰(かねやす)トアリ其他ノ文字磨缺(まけつ)シテ讀ム可カラス。斯(これ)二華鬘ノ神寶ト云ヒ傳フ。盖(けだ)シ當時佛法隆盛ニシテ浮図子(ふとし)*11恐クモ神ヲ左右セシヨリ斯(かく)ノ如キヲ神躰トシ復(また)タ神寶トセシナラン。當社往古(おうこ)*12ハ塩山(しおやま)ニアリシカ中古年暦(ねんれき)不詳兵燹(へいせん)*13ヲ罹(こうむ)リ社殿烏有(うゆう)*14ニ属セシ時現今ノ地ニ遷(うつ)セリト云フ。以降漸々(ぜんぜん)*15衰微(すいび)シ僅(わずか)ノ神田(しんでん)ヲ傳フル而巳(のみ)ニ至リシカ天正(てんしょう)ノ末年東國徳川氏ノ領國ト為ルニ及ンテ同十九年辛卯(かのとう)(1591)十一月徳川家康ヨリ社領二十石ヲ寄附セラル。徳川代々将軍ヨリ朱印ヲ以テ該地(がいち)ヲ賜ハレリ。御一新*16ニ至リ明治元年(1868)辰(たつ)十一月之ヲ奉還ス。因(よっ)テ同七年(1874)ヨリ同十二年(1879)迄逓減禄(ていげんろく)ヲ下賜(くだしたま)ハレリ*17。
附記(ふき) 田村将軍*18地景ニ感アリシト云フ鹽山(しおやま)ハ当社ヲ距ル西北凡ソ四丁ニシテ峨々(がが)*19タル嶮山(けんざん)*20ナリ。東ハ上原(うえはら)ノ谷。西ハ小倉山(おぐらやま)。南ハ小窪(くぼ)ニシテ麓ニ月川(今槻川(つきかわ)ト云フ)ノ流ヲ帯ヒ断岩(だんがん)*21奇石最モ多シ又鹽沢(しおさわ)ト云フアリ。往古此邉ヨリ潮湧出セシアリ因テ鹽沢(しおさわ)鹽山(しおやま)ノ名起リシト云フ。当社ヨリ西々南凡(およそ)二丁半ニ木曽殿屋敷(きそどのやしき)ト唱フル地アリ。木曽義仲出生セシ所ト云フ。義仲ノ父帯刀先生義賢(たてわきせんじょうよしかた)ハ秩父次郎大夫義澄(よしずみ)ノ養子トナリ当郷大蔵堀復(ま)タハ上野國多胡庄(こうずけのくにたごしょう)ニ居ヲ為セシカ。久壽二乙亥(きゅうじゅ)(きのとい)年(1155)八月多胡庄ヨリ鹽山(しおやま)ニ移ラントシテ大蔵堀ニ到リシ時兄源義朝ノ長子義平(よしひら)ニ殺サル。義仲当時嬰兒(えいじ)*22タリ人ニ介抱(かいほう)セラレ死ヲ免(まぬ)カル。人ト成ルニ及テ産地*23ノ神ナルヲ以テ特ニ当社ヲ崇敬ス。長子義高来リ住スルアリ亦厚ク崇敬セリト云フ。
 明治四十年九月十三日上地林四反参畝拾七歩編入許可
 明治四十一年二月二十二日神饌幣帛料供進神社ト指定
   *1:神代の神々に対して、神武天皇以後の天皇をいう。
   *2:宇内(うだい)(天下・世界)を御する意。帝王が天下を治めている期間。御代(みよ)。
   *3:全国八幡宮の総本宮、大分県宇佐市にある宇佐神宮の祭神、八幡大神(応神天皇)・比売大神・神功皇后。
   *4:構え、組立て。
   *5:頭が丸く僧の衣。
   *6:数珠(じゅず)。
   *7:最澄(さいちょう)(767-822)。日本の天台宗、比叡山延暦寺の開祖。
   *8:仏前を荘厳にするために仏堂の内陣の欄間などにかける装飾。
   *9:阿弥陀如来。
   *10:薬師如来。
   *11:僧侶。仏教徒。
   *12:いにしえ。過ぎ去った昔。大昔。
   *13:燹は野火の意。戦争による火災。兵火。
   *14:何もないこと。皆無。
   *15:しだいに。
   *16:明治維新。
   *17:境内を除くほかは上知(あげち)を命じられ、旧領の額に応じて減額された禄が支給された。
   *18:坂上田村麻呂(758-811)。平安初期の武人、征夷大将軍となり蝦夷(えぞ)征伐に大功をたてた。
   *19:山や岩石等が険しくそびえ立っている様。
   *20:険しい山。
   *21:断ち切ったように高くそびえ立つ岩。絶壁。
   *22:赤ん坊。乳飲み子。
   *23:生まれた土地。出生地。

一 社殿 本殿 拝殿

一 境内 三千三百七十三坪  昭和廿三年四月廿七日
     三三二四坪八合八勺
    決 昭和二十五年六月二十一日
     三三六一坪七合五勺

一 氏子 百九十五戸
 崇敬者 貮千五百五十五戸

一 境内神社
 琴平(ことひら)神社
  祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)*1
  由緒 不詳
  社殿 本殿
   *1:大和の三輪山に鎮座する神。大神神社(おおみわじんじゃ)の祭神。。

 菅原(すがわら)神社
  祭神 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
  由緒 不詳 明治四十一年(1908)二月二十日同大字字殿ヶ谷戸無格社菅原神社ヲ本社ニ合祀ス
  社殿 本殿

 白和瀬神社
  祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
     稚産靈尊(わくむすびのみこと)*1
  由緒 不詳
  社殿 本殿
   *1:穀物・養蚕の神。

 山神社 
  祭神 大山祇尊(おおやまつみのみこと)*1
  由緒 不詳
  社殿 本殿
   *1:大山祇神・大山津見神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子。山をつかさどる神で、水の神、田の神としても信仰された。

 八坂神社
  祭神 素盞嗚尊(すさのおのみこと)*1
 由緒 明治四十一年(1908)三月十四日同大字字殿ヶ谷戸無格社八坂神社ヲ境内神社トシテ移轉ス
 社殿 本殿
   *1:建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)・須佐乃袁尊。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子。天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟。

 瀬戸神社
  祭神 瀬織都比賣命(せおりつひめのみこと)*1
     速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)*1
  由緒 明治四十一年(1908)三月十四日同大字字西落合無格社瀬戸神社ヲ境内神社トシテ移轉ス
  社殿 本殿
   *1:どちらも罪やケガレを清める神。

 由緒追記 昭和二年(1927))八月一日郷社ニ昇格。仝年八月十三日神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)ニ指定セラル。昭和九年(1934)一月二十四日町村道改修用地ニ該当ノ為二十坪境内除却許可

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2003年5月14日 小川京一郎さん撮影
※八幡神社境内図(『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁、1992年)1427頁
八幡神社(鎌形)