1909年(明治42)9月、埼玉県知事は「教育ノ普及並青年修養ノ資ニ供スルノ目的」をもつて「通俗巡回文庫」を設置しました。全県を6方面48区に区分し、一定量の図書を巡回閲覧させ、義務教育以後の青年女子の修養と風紀の振興と知識の開発を意図したものでした。
 この時期公共の図書閲覧機関が極めて未発達で、本を読む機会に乏しかった地域の人々にとっては本に接する良い機会だったことでしょう。翌年6月、七郷村に巡回文庫が到着し、新築なった七郷小学校で開始式が行われました。
 どんな本がどのように巡回されたか、吉田・広野・古里地域の例を図示してみました。一度に25冊〜37冊の本が配られ、一ヶ所に13日滞留させました。小学校長が事務取扱となり、一週間以内の貸出しもしたようですが、主として小学校を閲覧所としていました。本の種類は伝記・道徳・農業・女性・家庭に関するものが多く、小説や娯楽類の読み物はほとんどみあたりません。
 1914年(大正3)の比企郡下の文庫閲覧人員を10月末より翌3月10日まで130日間の統計でみますと、3万1284人で、一日凡そ240人の人々が本を読んだことが分かります。
 普及利用の程度、或いは効果は即断できませんが、知事が「是ヲ以テ、(中略)図書館設置ノ基礎ヲ為スニ至ルベシ」と告諭した通り、これが図書館の先駆となりました。
 七郷青年興農会学集部々長馬場覚司の名前で、金泉寺に於いて図書館開館式の挙行が案内された文書が残されています。年不詳ではあるが、恐らく若かった馬場覚司が活躍した大正10年代(1920年代前半)のことだと思われます(市川貢家文書7172)。

   付 巡回文庫図書目録・回覧順序図

※資料 根岸茂夫家文書150、井上清家文書88、市川貢家文書2351、『小川町の歴史 資料編(近代)』

 →「七郷村郷土研究91 社会教育 青年会」、「菅谷村郷土誌20 教育会、同窓会、青年会の沿革