私の子供の頃は、山も畑も田んぼも手入れがされていてとてもきれいでした。
 そのまわりの道端も、土手なども、牛の餌や堆肥にするために農家の人が朝草を刈ったのでとてもきれいでした。
 子供は自由に野山を駆け回って遊ぶことが出来ました。学校の登下校も、誰にも監視されずに自由気ままに帰り道を選ぶことが出来ました。
 勉強は学校で先生が教えてくれるので学習塾に行かなくても良い時代でした。ですから子供たちは自然の恵みに接することができて、生活は自然の恵みの中にありました。
 春になって竹の子が生え始めると、しゃぶる時に口の中がざらざらしないように、竹の子の皮の表面のケバケバをズボンなどに擦り付けたりして取り除き、二つ折りにして革の内側に梅干を挟んでしゃぶりました。
 一生懸命に梅干の入った竹の皮をしゃぶると、だんだんと竹の皮が赤くなってきて、梅の酸っぱい味がしてくるのです。だれが考えついて始めたのか知りませんが、なんとも言えないおしゃぶりでした。
 つつじの花が咲き始めると、つつじの花をつんで花の蜜を吸って甘酸っぱい味を楽しみました。花を摘んでビンなどに入れて棒で突いたりして食べたりもしました。
 麦秋の頃になると、桑畑にどどめ(桑の実)が色づき始めます。道端の大きな桑の木には美味しいどどめがいっぱい生っていて学校の行き帰りには子供が群がりました。
 どどめにも違いがあって、濃い紫色をしているのを簸かえり、薄ピンク色のどどめを米どどめと言ったような気がします。どどめは簸かえりが主流で、米どどめは古い品種の桑の木に生りました。古い品種だったので桑葉の収量が少なく、だんだん桑葉の収量が多い改良された桑に植え替えてしまったのでしょう。家には長峰沢の畑のほんの一部にしか植えてありませんでした。
 でもさっぱりとした味で美味しかったので、どどめの取れる頃になると、桑きりの手伝いに行ったときなどには必ず其処の所に行って米どどめを探しました。
 簸かえりどどめでも、桑畑の土手に植えてあった大きな葉で大きな木になる『ろそう』と言う桑の木には、普通のどどめより一回りも大きな実がなったような気がします。
 麦わらで麦籠を編み、どどめをとりに行くこともありました。
 どどめの最盛期を迎える頃になると、山では山グミが真っ赤に熟れ始めます。学校帰りなどに山道に寄り道して楽しみました。
 道端や畑の土手などに生えている真っ赤に熟れた野いちごの実も楽しみの一つでした。
 夏を過ぎる頃には、土手に張り付くように生えているしどめ〔地方によっては、草ボケ、シドミなどとも言う〕の木の実が黄色く色づいてきて食べ頃になってきます。と言っても、しどめの実は黄色くなっても渋いというか、酸っぱいと言うか、顔をしかめながらの食べ物です。それでもしどめを見つけるとついつい食べたくなっておもいきりしかめっ面にして食べました。
 10月に入る頃になると、山栗が生り始めます。足でイガを割って実を取り出し、歯で栗の実の皮をむき、渋をとって食べました。
 運動会に茹でて持っていくために、山栗を山にとりに行ったこともありました。
 また山には小さくて丸い山柿もありました。
 春にはちたけ、秋には初茸を中心にいろいろなキノコも山に生えました。
 今では山は荒廃し、農地も畑を中心に荒廃化が始まり、昔はたわわに実っていた野山も恵みも激減したような気がします。そして今の子供たちを見るに付け、登下校の道草もなくなったようですし、家ではゲームや塾に忙しくて、野山で遊ぶ雰囲気がなくなったような気がします。外で遊ぶ姿もなくなりました。
 でも、私が味わってきた野山の恵みを、今の子供達も必要なのではないかと思います。