杉山村

武蔵國比企郡杉山村
 本村古時ヨリ比企郡松山領水房(みずふさ)ノ庄杉山村ト唱ヒ以降村名改正及ヒ分郷等ノ事ナシ
疆域
 東ハ同郡廣野村及ヒ太郎丸村ニ相對シ廣野村ハ耕地里道、或ハ用水路ヲ以テ界ス太郎丸村ハ加須川用水ノ下流市ノ川ニ入ル所ヲ以テ界ス西ハ本郡中爪(なかつめ)村ト市ノ川ノ中央ヲ以テ界ス南ハ本郡志賀村ト市ノ川ノ中央以テ界ス北ハ仝郡越畑村ト山林或ハ耕地ヲ以テ界ス
幅員
 東西 貮拾七町五拾間  南北 八町五拾間
【新編武蔵風土記稿では、「東西八町許り南北十八町」】
 面積 貮里拾三町四拾五間
管轄沿革
 古昔比企十郎重成領地タリ徳川氏至ッテ籏下森川金右ヱ門ノ采地トナリ明治元年【西暦一八六八年】八月維新ノ際品川縣ノ管轄トナリ同二巳年韮山縣ニ轉ス以後明治四年入間縣ニ轉シ仝六年熊谷縣ノ所轄トナル
里程(りてい)
 熊谷縣廳ヨリ南西隅ニシテ三里拾貮町三拾三間四隣本郡廣野村ヘ九町中爪(なかつめ)村ヘ貮拾壱町五間志賀村ヘ拾三町八間貮尺越畑村ヘ貮拾壱町近方宿町本郡松山町ヘ貮里貮拾町大里郡熊ヶ谷駅ヘ三里拾貮町本郡小川ヘ一里拾八町
地勢
 東ハ概子平坦ニシテ耕地ナリ西南ハ市ノ川ヲ帯(お)ブ勢緩慢沐沿岸曲折舟筏(しゅうばつ)ヲ通セズ唯車馬ノ便ヲ得ルノミ北方ヨリ村ノ中央東方ニ至ル山林連亘(れんこう)シ雜木繁茂(はんも)セリ概スレハ本村山林ニ富メルヲ以テ自ラ薪炭(しんたん)等ノ贏(えい)餘ナリ
地味(ちみ)
 其色概スレハ青色ニシテ間埴土ヲ交ヘ其質悪シク稲梁(とうりょう)ニ適セス(里俗ニヘナト唱ヒケシク亦赤色ヲ混ス)桑麥ハ應セリ殊ニ水旱(すいかん)ノ患多シ
税地
 田 旧拾五町九反八畝歩 畑 旧貮拾三町七反廿三歩
   改貮拾四町九反貮拾四歩 改貮拾八町七反六畝歩
 宅地 旧七反廿四歩  山林 旧拾町六反六畝拾八歩
   改四町三反八畝九歩  改六拾六町壱反三畝五歩
 籔地 旧ナシ       柴地 旧ナシ
    改壱町五反四畝廿六歩   改壱反八畝廿三歩
 總計 旧五拾町八反四畝五歩
    改百貮拾五町九反壱畝廿七歩
飛地
 畑 壱反五畝貮拾三歩  本村ノ南方志賀村字北町裏ノ内ニアリ
字地
 雁城(がんじょう) 村ノ中央ニアリ東西三町二拾間南北壱町四拾五間
 打越(うちこし) 村中央掲示場ノ位置ヨリ北方ニシテ東西三町五十間南北壱町四十間
 杢ノ入(もくのいり) 打越ノ南ニ連亘(れんこう)シ東西二町十間南北三町二十間
 關口(せきぐち) 村ノ中央ヨリ西隅ニシテ東西壱町四十八間南北四町二十五間
 岩花(いわはな) 杢ノ入ノ南ニ方リ東西壱町三十五間南北三町廿五間
 稲笠(いながさ) 関口ノ東ニ連リ東西三町五十五間南北壱町四十間
 川袋(かわぶくろ) 中央ヨリ東南隅ニ方リ東西二町南北二町拾間
貢地
 地租(ちそ) 米四拾四石七斗 金貮拾五円
 賦金(ふきん) 國税金五円 縣税金三円
 総計 米四拾四石七斗 金貮拾五円
戸數  
 本籍 五拾貮戸平民 社一村社 寺一天台宗
 総計 五拾四戸
人數
 男 百七拾三人平民 女 百四拾七人平民
 総計 三百廿二人
 他出寄留(きりゅう) 男三人女四人 入寄留(きりゅう)ナシ
牛馬
 牡馬三拾頭
舟車 
 之レナシ

 之レナシ

 市ノ川 深キ処四尺浅キ処壱尺廣キ処六間狭キ処四間ニ過キス緩流ニシテ水色澄清舟筏(しゅうばつ)通セス堤塘(ていとう)アリ村ノ西方越畑村界ヨリ来リ東方太郎丸村界ニ至ル長サ壱里廿二町五十間下流松山町ノ北東ヲ經テ荒川ニ入ル
 加須川用水 深キ処四尺浅キ処二尺村ノ北方越畑村界ヨリ来リ東南隅ニ至リ市ノ川ト合シテ東流ス長サ拾四町二十間巾三間アリ田貮町九反八畝歩ノ用水ヲ洪((供))ス
 万歳橋 熊谷徃還ニ属ス村ノ東方市ノ川ノ下流ニ架シ木造ニシテ長サ三08/04/26間巾五尺【現在の川袋橋】
 萬代橋 熊谷徃還ニ属ス村ノ東方廣野村ニ界スル加須川用水ノ下流ニ架シ土造ニシテ長サ二間巾五尺

 之レナシ

 之レナシ
原野
 十三墳(じゅうさんづか) 官有ニ属ス村ノ東南ニアリ南北四町東西壱町五十間東西北ハ民有地ニ接シ南ハ市ノ川ヲ隔テヽ志賀村ニ相對シ眺望佳タリ反別三町七反九畝廿五歩アリト雖モ樹木ナク唯柴草ノミ
 尼ヶ墳 官有ニ属ス村ノ西北ニアリ東西壱町五十間アリ南北五十間越畑村ニ連接シ南西ハ本村ノ民有地ニ連亘(れんこう)ス段別九反拾貮歩ニシテ樹木ナク唯草ヲ生スルノミ
牧場
 ナシ
礦山
 ナシ
湖沼
 打越(うちこし)池  村ノ北方ニアリ東西三十間南北十六間周□(回)壱町二十三間田四町七反七畝十歩用水ニ洪((給))ス
 杢ノ入(もくのいり)池 打越池ノ南ニ方リ東西四十五間南北十四間周回壱町三十八間田貮町壱反八畝廿壱歩ノ用水ニ洪((給))ス
道路
 熊ヶ谷道 村ノ西方中爪(なかつめ)村界ヨリ入ル廣野村界ニ至ル道敷二間本村或ハ西方ノ村落ヨリ熊ヶ谷駅ニ至ルノ經路タリ
掲示場 村ノ中央戸長(こちょう)初雁亰之助ノ所有地ニアリ
堤塘(ていとう)
 囲堤(いてい) 市ノ川ノ北端ニ沿ヒ村西方越畑村界ヨリ連續シテ東方太郎丸村界ニ至ル長サ貮拾町馬蹈壱間堤敷(つつみしき)二間ヨリ三間水量定□及ヒ根堅ノ樹木ナシ修繕ノ如キ大破ハ官ヲ仰キ小破ハ民ニ属ス

 之レナシ
温泉
 之レナシ
冷泉
 之レナシ
陵墓
 之レナシ

 八宮神社 村社東西五間三尺南北四拾貮間面積百十四坪村ノ中央ニアリ素戔鳴(すさのお)尊ヲ祭勧請年暦不祥祭日十月十五日

 積善寺 東西二十間南北十三間面積貮百八十七坪天台宗武蔵国男衾郡赤濱村普光寺ノ末流ナリ村ノ中央南方ニアリ創立年暦不詳
 藥師堂  東西十七間南北十八間面積貮百七十三坪村ノ東端ニアリ藥師十二神ヲ安置ス徃時行基菩薩之レヲ作スト云フ創立年暦不詳
 観音堂  東西五間三尺南北四間面積貮拾四坪村ノ東南隅ニアリ十一面観音ヲ安置ス創立年暦祥ナラス
 蔵身庵(ぞうしんあん)  東西壱町南北壱町十間面積貮百五十一坪アリ曹洞宗比企郡大谷村宗悟寺ノ末流ナリ寛文年間【西暦一六六一〜一六七三年】創立スト云フ其後衰微セシヲ以テ天明二壬寅年【一七八二年】ノ春庵主梅光中興ス村ノ西方ニアリ
學校
 公立小學校一ヶ所 椙山(すぎやま)學校ト称ス夲村ノ中央小丘上ニアリ東西十九間南北十二間越畑村廣野村太郎丸村杉山村ノ四ヶ村聯合校トス生徒男四拾九人女拾三人ナリ教場ノ都合生徒ノ出入大略其便ヲ得タリ校内開濶(かいかつ)ニシテ□日赫鑠タル大暑ニ群集ノ生徒書ニ倦ミ字ニ醉ヒルト雖モ南薫颯々トシテ満場洗カ如ク忽(たちま)チ新鮮タル大氣ノ呼吸ヲ得心地復蘇息ノ思ヲナス冬ニ至ルヤ後ノ小丘ニ老杉古松アリ之レカ北風ヲ遮リ日光充分舎内ヲ輝キ故サラニ寒氣ヲ知ラス抑造物主ノ本□ニ好適スルヤ否ヤ
事務取扱所 村ノ中央ニアリ戸長(こちょう)初雁亰之助ノ宅舎ヲ仮用ス
病院 ナシ
郵便局 之レナシ
製糸場 之レナシ
古跡
 城墟 村ノ中央民有地ニアリ東西三町四十間南北四町二十間ナリ凸アリ凹アリ濠形今尚存ス宝亀十一年【西暦七八〇年】陸奥ノ賊某反ヲ謀リ獨リ其意ヲ逞スト故ニ征東ノ令出サレシ処比企十郎重成武蔵ノ入西ニ住居ス征東大使ヘ従軍シ賊地ニ赴キ戰功數回賊尤モ拒キ抜ク能ハスシテ歳ヲ起スルモ終ニ明年平定ヲ秦スト比企氏其功少ナシトセス爲ニ天應年間【西暦七八一〜七八二年】其賞ヲ賜リ爰ニ新城ヲ築キ累世六代ニシテ下総(しもうさ)ノ国ニ相馬將軍叛逆ヲ起自ラ平親王ト称ス關東諸國ヲ陥レ朝議是レヲ誅セント當時參議藤原忠文宣旨ヲ蒙リ征東大將軍ト爲リ兵ヲ率ヒテ東下ス時ニ讒者(ざん(そしる)しゃ)アリ報シテ曰ク比企某將門ニ反ヲ助クト故ニ後チ亡ブト雖モ舊記傅ハレサレハ明祥スルニ由ナシ唯言傅ヲ以テ記スノミ
名勝 之レナシ
物産 
 動物 鶏百五十羽 鶏【卵】五百
 繭  質悪 三十五石
 植物 米 質悪五十五石    大麥 質悪四十八石
    小麥 質中十八石    大豆 質悪貮十石
    小豆 質悪貮石
    桑 質中三百駄     楮 質中五百〆目
 製造物 生絹(きぎぬ) 百五十匹本郡小川村ヘ輸送
     白木綿 二百五十反仝上
     薪 六百駄大里郡熊ヶ谷ヘ輸送
民業
 男農ヲ専ラニスル者四十五戸 工ヲ業トスル者七戸
 女農ヲ専ニスル者五十五人 紡織ヲ専ニスル者十人