GO! GO! 嵐山 3

嵐山ふるさと塾・チーム嵐山

2008年12月

嵐山町 町民文化大学始まる 1981年

   嵐山町 安らぎの里づくり推進
     まず町民文化大学
       講演や歴史、焼き物講座
 心豊かな安らぎある“里づくり”を目指している比企郡嵐山町は、その第一弾として「町民文化大学」を開講する。市町村が独自でこうした構想を進めているのは県内でも初めて。同町では、この新企画を足場に、自然、歴史、公共施設の三本柱による“すばらしいオラが里”を実現させたいと張り切っている。

 同町では、さる五十四年(1979)九月、住民、文化団体、学識経験者らメンバー二十人で「嵐山町文化行政懇談会」(簾藤惣次郎代表)を結成、里づくりについて協議した結果、「美しい自然」「ゆかしい歴史」「近代的な公共施設」という嵐山町の独自性を生かした町づくりを推進することにした。
 美しい自然と環境では 1 都幾川、槻川をきれいにしホタルの里をつくる 2 山あいの湿地帯にショウブを植えて名所をつくるなど。
 ゆかしい歴史では 1 重忠祭、木曽殿三代祭を開く 2 鎌倉街道を整備し、笛吹峠から将軍沢の窯跡群へ通じる“歴史の道”を造る 3 菅谷館跡、杉山城跡を整備して城跡公園にするなど。
 公共施設では 1 ふるさと歩道、関東遊歩道を結んだ拠点に文化活動の宿泊施設をつくる 2 古い民家の移築保存などそれぞれ具体的な構想を打ち出した。

  来月、松本清張氏を招く
 この構想に基づく里づくり推進の第一弾が「町民文化大学」の開校。来月、作家松本清張さんを招いて「古代史と私」と題した講演会を開くのを皮切りに来年二月まで必修コースとして「里づくり教養講座」「焼き者講座」「女性講座」「健康講座」を毎週土、日曜日に開くことにした。町民が一体となって里づくりのボランティア精神を養い、学習の場を通じて嵐山町を愛する心を養っていこうというねらい。魅力ある里づくりを町ぐるみで進めていくとしている。
     『読売新聞』1981年(昭和56)5月21日

嵐山町の農産物直売 朝市開始 1986年

     朝市ビラ

   嵐山町の朝市について
     “待望の朝市の実現をめざして”
       農協、町、生産者が力を合わせて!
 このたび、農協、役場と生産者の代表者が、嵐山の朝市について、打合せ会議を持ち、準備委員会が発足致しました。初めての事業で色々と大変なことが予想されますので、世話役には、野菜・花木等に経験の深い、忍田政治さんを始め、柴田美作さん、山岸宗朋さんの三名の方々にお願い致しました。生産者代表の心強い意見もあり、「朝市」は昭和六十一年(1986)四月より実施することになりました。四月と言っても、「初市」は二十六日になります。現在初市をめざして関係スタッフは、一生懸命取り組んでおります。「朝市」とは地元でとれた農産物を中心に、生産者が自分で荷造りをし、持出して店を開きます。四月の朝市は、準備の遅れもありまして、一回ですが、五月から十一月迄の七ヶ月間は毎週土曜日の朝六時三〇分から九時迄開店致します。場所は菅谷支店の資材倉庫で、農協と役場の看板が建てられます。
 野菜の栽培、販売については、今までの農業経営のやり方から見れば、全く初歩となりますが、荒廃桑園、遊休農地の一〇〇%利用を実現するためには、適当だと思われます。野菜もきびしい産地間の競争が展開されておりますが、これを契機に、現在すでに導入されている「ミョウガ」「ウド」「ミニトマト」「ブロッコリー」等と合わせて、さらに作目を拡げて野菜の生産販売に取り組んで行くのが、最善の策だと考えられます。「地元の新鮮な野菜を出来るだけ安く地元の消費者へ供給する」と言う事をキャッチフレーズに実施致します。年々生産量が増加すれば、市場出荷態勢も実施致します。組合員の皆様にはそのような目標を定めた中で、第一歩として「朝市」への協力をお願い致します。
 農協は関係機関と連携を密にして、生産・出荷の指導に当ります。尚「朝市」について詳しいことは後日お知らせ致します。
     嵐山町農業協同組合『農協だより』第30号 1986年(昭和61)4月
          朝市

 嵐山町内の農産物直売の歴史は、1972年(昭和47)11月3日、嵐山町花木園芸組合が中央公民館前で行った即売会にはじまる。出品者は15名、売上げは4万8750円。翌年には地産団地、小川信用金庫駐車場、中央公民館前で直売会を行い、年間売上額は123万4005円となった。嵐山町4Hクラブでは1973年(昭和48)5月3日、地産団地で初めての即売会を行う。20代の農家の若者たちの直売会は好評で、年間5回実施して56万3410円を売上げたが、二年間で取りやめとなった。県民休養地事業の一環として1981年度(昭和56)に指定を受け、1983年(昭和58)に嵐山町が建設した槻川橋側の農産物直売所は町観光協会が経営。1984年(昭和59)5月2日販売開始。販売に当たったのは千手堂生活改善グループ。前年8月2日から川原のテントで農産物直売を初めていた。経過は大塚基氏『嵐山町とともに』(2005年3月発行)に詳しい。「朝市ビラ」は、同書347頁より転載。

嵐山町が文化行政モデル町に指定される 1979年9月

  「里づくり文化構想」 嵐山町
     県は市町村文化行政研を新設
 地域に根ざした文化の振興を図るため県が昨年度から始めた文化行政モデル市町村事業で、モデル町に指定された嵐山町と白岡町の研究成果が、このほどまとまり、県に提出された。嵐山町は、文化の視点からみた地域づくりの構想として「里づくり文化構想」を、白岡町は“文化の砂漠・白岡”の地域文化を育てるための具体策として『かくて未来へ』の提言をまとめている。うち白岡町はすでに埼玉版に掲載したが、県のうけとめ方と、嵐山町の構想を紹介しよう。

 両町は、町議会、住民、文化団体代表、学識経験者、町職員で構成する文化行政研究会を設置、(顕醜埓の現状を集約、資料の収集、整備をする∧顕獣賃里畔顕蹴萋阿慮従を掌握し、今後の方向を展望するC楼菠顕修凌橋宗∧顕重環境の育成の方策を研究するい海譴蕕寮果に基づき、各町での文化行政の推進方向について研究する−などをテーマに研究を進めてきた。
 嵐山町では、県の指定を受けて「町文化行政懇談会」を設置、昨年(1979)九月二十八日から七回の会合を重ね、「里づくり文化構想」をまとめた。
 同構想はまず“里づくり”について「日本語として古くて美しい里という語に、新しい意味と内容を与え、この言葉を新しくよみがえらせるという期待と地域やコミュニテイーに代わるべき言葉としてあえて採用する」と宣言、文化の視点からみた里づくり構想として、里づくり文化構想をまとめた、としている。
 具体的にはー然を活かす⇔鮖砲魄Δ垢覘施設を整える−三点について、具体的提言をしており、河川とため池、丘陵、田園などの自然環境保全、自然と町民生活の融和、既存産業の振興と花木、盆栽などの産地化など産業と自然の活用を訴えているほか史跡、遺産の保存と利用、文化財の保護−などについてふれている。
 中心となる「里づくりへの新たな提言」では、町の日の制定、姉妹都市の提携、町民文化大学の開設などを例示し、これらについて具体化を提言している。また、同町のイメージを「典雅翠嵐の里」とし、里づくりの精神を象徴する言葉として「人道の起点」を採択した、としている。
 県では両町の文化行政への意欲的な取り組みを評価、今年度も継続して、さらに研究を深めることにしており、両町に具体的な方法を研究してもらう方針だ。また、この成果を各市町村に反映させるため、県段階で、市町村文化行政研究会を設置することにした。
     『毎日新聞』1980年(昭和55)5月21日

嵐山町 千手堂生活改善グループ 槻川の川原に農産物直売所を開設 1983年

   直売所のあゆみ 千手堂生活改善グループ
 槻川の直売所をご利用いただきありがとうございます。会員一同心より御礼申し上げます。
 千手堂生活改善グループ員で、槻川の川原にテントを張り、直売所を始めましたのが、五十八年(1983)七月末でした。昨年(1984)休養地事業として、モダンな建物を町で造られました。
 そして五月二十日に、オープン致しました。最初野菜を並べましたとき、あまりにも立派な建物でとまどうほどでした。ここで売るにふさわしい建物を作り出したいと、懸命に努力いたしてまいりました。町の産業課や東松山農業改良普及所の先生、お客様方の御指導をいただき品質や荷姿等が改善されてきております。
 オープン以来会員のほかに、鎌形、大蔵、遠山、将軍沢の有志のかたがたの出荷をいただきました。
 会の名称も、今年から「あゆみ」と命名され、皆協力しあって、生産し、販売することを、誓ったのでございます。
 千手堂生活改善グループ員と、鎌形から出荷しておられる二名、計二十六名で当番をきめ、販売に当たっています。売上高の一割を運営費としております。
 種子、農業資材、消耗品等も、一括購入し、経費削減をはかっています。一部作物は、共同育苗し会員に配布して、品質の均一と向上に努めております。
 九月より直売所は土・日曜の販売となりますので、共同育苗したミニトマトの、東京市場出荷を計画中です。
 年間を通じて販売できるよう、農産物及び加工品も含め検討してまいります。場所、方法も研究し、表現致したいと思います。
 この大地にとりくみ、自分たちの手で、良い産物を産み出し、お分かちあいする大きな喜びを感じています。そしてこの故郷に互いに生きているという共感をしみじみ感じているのです。このささやかないとなみが、低迷する農村にすこしでも約立てばと思っております。(千手堂生活改善グループ)
     『嵐山町報道』334号 1985年(昭和60)9月20日

県民休養地嵐山渓谷わきに農産物直売所開設についてはhttp://blog.livedoor.jp/rekisibukai/archives/648962.html参照。

県民休養地嵐山渓谷わきに農産物直売所開設 1984年

   県民休養地嵐山渓谷わきに農産物直売所開設
     県が建設、町観光協会が委託運営
 農家の人たちが、新鮮な季節の野菜を直接消費者に提供する「農産物直売所」が、嵐山町鎌形の嵐山渓谷わき河川敷にオープンした。
 この直売所は、県が、県民休養地事業の一環として観光客でにぎわう嵐山渓谷わきに建設、同町観光協会に運営を委託したもので、近くの千手堂地区の農家が、畑から直送したダイコン、カブ、ホウレンソウのほかタマゴなどを市価より二、三割安で直売する。毎週土、日曜日に開店、夏休み期間の七月下旬から八月いっぱいは毎日開いている。
 山小屋風の木造平屋建てで、面積は約五十平方メートル。店内には、野菜陳列台のほか、町の観光パンフレット、特産品などの陳列棚が設けられている。また、乗用車百十台、バス四台を収容できる駐車場、トイレと整っている。
 直売所は、関越自動車道松山インターを降りて国道二五四号線を西に向かい、国立婦人教育会館から二つ目の信号を左折、槻川橋を渡ってすぐ右側。問い合わせは、同直売所【電話番号略】へ。
 また、県が指定したもう一つの県民休養地、飯能市でも、県と地元との話し合いがつけば、同じような直売所を建設する予定。
     『読売新聞』1984年(昭和59)6月26日。
               農産物直売所

嵐山渓谷バーベキュー場内の直売所です。嵐山渓谷バーベキュー場については、埼玉県嵐山町公式観光情報サイトGoGoBBQ【ゴーゴーバーベキュー】(http://www.55bbq.com/main.html)の番組表<<Ch.1>>の動画等でたしかめてください。

町民文化大学開始 1981年

   安らぎの里づくり推進 まず町民文化大学
     講演や歴史、焼き物講座 嵐山町
 心豊かな安らぎのある“里づくり”を目指している比企郡嵐山町は、その第一弾として「町民文化大学」を開講する。市町村が独自でこうした構想を進めているのは県内でも初めて。同町では、この新企画を足場に、自然、歴史、公共施設の三本柱による“すばらしいオラが里”を実現させたいと張り切っている。

 同町では、さる五十四年(1979)九月、住民、文化団体、学識経験者らメンバー二十人で「嵐山町文化行政懇談会」を結成、里づくりについて協議した結果、「美しい自然」「ゆかしい歴史」「近代的な公共施設」という嵐山町の独自性を生かした里づくりを推進することにした。
 美しい自然と環境では‥坿川、槻川をきれいにしホタルの里をつくる∋海△い亮消和咾縫轡腑Ε屬鮨△┐凸晶蠅鬚弔るなど。
 ゆかしい歴史ではヽ倉街道を整備し、笛吹峠から将軍沢の窯跡群へ通じる“歴史の道”を造る菅谷館跡、杉山城跡を整備して城跡公園にするなど。
 公共施設では,佞襪気畔眛察関東遊歩道を結んだ拠点に文化活動の宿泊施設をつくる古い民家の移築保存などそれぞれ具体的な構想を打ち出した。

  来月、松本清張氏を招く
 この構想に基づく里づくり推進の第一弾が「町民文化大学」の開講。来月、作家松本清張さんを招いて「古代史と私」と題した講演会を開くのを皮切りに来年二月まで必修コースとして「里づくり教養講座」、さらに選択コースとして「歴史講座」「焼きもの講座」「女性講座」「健康講座」を毎週土、日曜日に開くことにした。町民が一体になって里づくりのボランティア精神を養い、学習の場を通じて嵐山町を愛する心を養っていこうというねらい。魅力ある里づくりを町ぐるみで進めていくとしている。
     『読売新聞』1981年(昭和56)5月21日

嵐山町長選 関根茂章氏が無投票五選 1980年

1964年(昭和39)菅谷村長当選。1967年(昭和42)町制施行され、1984年9月まで、連続五期嵐山町長【一期:1964年(昭和39)9月9日〜1968年(昭和43)9月8日。二期:1968年(昭和43)9月9日〜1972年(昭和47)9月8日。三期:1972年(昭和47)9月9日〜1976年(昭和51)9月8日。四期:1976年(昭和51)9月9日〜1980年(昭和55)9月8日。五期:1980年(昭和55)9月9日〜1984年(昭和59)9月8日】。http://satoyamanokai.blog.ocn.ne.jp/rekisibukai/2008/12/post_cd15.html

   嵐山町長選 関根氏が無投票五選
 任期満了に伴う比企郡嵐山町長選は一日午後五時で立候補届け出を締め切り、関根茂章町長(五四)=保守系無所属=の無投票当選(五選目)が決まった。同町長は三十九年(1964)初当選のあと四十三年(1968)から四期連続で無投票当選しており、同一首長の連続無投票は羽生市の須藤忠司市長を抜いて県内の新記録となった。
 関根町長は「三十九年ころから田園都市構想を立て、市街地と農村の調和が取れた発展をねらってきた。今任期はさらにそれを進めるため、歴史的風土の中での住みよい町づくりを目ざす。県から県民休養村の指定を受けたのを機会に健康で文化的な暮らしが出来るようにしたい」と抱負を語った。
 関根氏略歴 村長四期、県町村会理事、町教育委員長、九州大学卒。
     『毎日新聞』1980年(昭和55)9月2日

東武東上線東松山−寄居間複線化期成同盟会の結成 1969年

 1968年(昭和43)東松山駅までの複線化完了に伴い、翌年2月、東松山市・滑川町・嵐山町・小川町・都幾川村・玉川村・東秩父村・寄居町・花園町の9市町村で東上線東松山−寄居間複線化促進期成同盟会が結成された。その後、1971年(昭和46)森林公園駅開業、1976年(昭和51)森林公園駅までの複線化完了、更に2002年(平成14)には「つきのわ駅」の開設と「武蔵嵐山駅」までの複線化が図られ、2005年(平成17)年3月には嵐山信号場までが複線化されたが、嵐山信号場〜寄居駅までは未だ単線のままである。加盟自治体は市町村合併(花園町が深谷市に、都幾川村・玉川村が、ときがわ町に)に伴い、2006年(平成18)7月、総会において10市町村から9市町村となった。東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会(http://www.town.ogawa.saitama.jp/pr/tojosen/index.html)

   森林公園−寄居間 話題にもならぬ複線化
     いらだつ同盟会 「利用者切り捨て」の声も  東上線沿線でいま 7
 三月のある日、比企郡小川町の田口勘造町長は、東京・池袋駅西口前ビルのうす暗い廊下を歩いていた。「このビルに来たのは、これで何回目かなあ」。田口町長は、一緒に歩いている十数人の人たちのだれにいうとなくつぶやいた。「四十四年からだから十回を超えました」と同町長に随行していた島野泰一・同町規格課長が答えた。「長いねえ」と二人は顔を見合わせて苦笑した。他の人たちの思いも同じだった。
 一行は田口町長を会長とする「東武東上線東松山−寄居間複線化期成同盟会」の人たちだった。同会には、小川町のほか東松山市、比企郡嵐山町、滑川、都幾川。玉川、鳩山村、秩父郡東秩父村、大里郡寄居町、花園村の十市町村が加盟している。その日、一行が訪れたのは、そのビルの四階にある東武鉄道東上業務部だった。いつものように「東松山−寄居間の複線化の早期実現を」と書かれた陳情書を東武鉄道幹部に渡して、ビルをあとにした田口町長らの表情は今度もさえなかった。
 東上線は五十二年(1977)十月、東松山−森林公園駅間の複線化が完成、池袋−森林公園駅間五二・六キロが複線になった。營業キロ数七五キロの七五%の複線化が完成したわけだ。だが、残る森林公園−寄居間の複線化計画は話題にすらのぼっていない。「われわれのところも最近は、開発の波が押し寄せて、都内通勤者の数が増えている。それに国立婦人教育会館、県立コロニー・嵐山郷、県立歴史資料館など公共施設も建設され、沿線利用者は増えているんです。それなのに……」と島野課長はクチビルをかむ。
 都内から嵐山町に移住したばかりというサラリーマンのAさん(三四)は「東上線は森林公園以北の利用者に冷たいんですよ。本数だって少ないし……」。(近くに住む)公務員のBさん(四〇)も「黙ってても利用者の増える川越以南には、すぐに駅をつくるのに、私たちの住んでいる地域には複線化の話さえない。新駅がたくさん出来れば出来るほど、私たちの通勤時間が長くなる。東武は森林公園以北の利用者を切り捨ててるんだ」と不満を隠さない。
 AさんやBさんの不満は、数字の上からも明らかだ。森林公園駅に停車する電車の数は、同駅始発を含めて一日七十八本。だが二人が乗車する隣の武蔵嵐山駅では、半分以下の三十六本だけ。「午前七時になると寄居発の電車はもう座れない。遠い分だけ楽に通勤できるわけでもなし、いいところないよ」と二人は口をそろえた。
 「ご不満はわかりますが、森林公園以遠の利用者は極端に少ない。日中なんて空気を運んでいるようなもの。営業面からみると、現状がギリギリの線です」と、東武鉄道東上業務部の高篠重司課長補佐はニベもない。胴部の資料をみても武蔵嵐山駅以北の六駅の一日平均乗車人員は合わせて一万四千人たらず(五十三年度調査)川越市駅ひと駅分にすぎない。
 「小田急や西武などは、まず鉄道をひいて、そこに自ら宅地を造成して人を呼び寄せる。だが、東武は勝手に人が集まってくるまで待つ方式だ。この経営方針の違いは大きい」(県交通対策課)という指摘もある。東上線沿線市町村は、銀行筋や不動産業界の観測では、ここ数年でさらに急激な人口増が見込まれている。市街地の無秩序な拡大とともに、沿線住民は“動脈”東上線の将来に不安を抱いている。
     『毎日新聞』埼玉西版1980年(昭和55)7月16日

 関越自動車道 東松山−前橋間開通 1980年7月

   関越自動車道 東松山−前橋間52・7キロ完成
          17日から一般に開放
 関越自動車道の東松山−前橋(群馬)間五二・七キロが完成し、十七日午前十時から埼玉県側は本庄市の本庄児玉IC(インタチェンジ)で、群馬県は高崎ICで、それぞれ開通式を行い、同日午後四時から一般に有料道路として開放される。
 同道路は東京−新潟間二九九・一キロを結ぶハイウェーとして、日本道路公団が四十五年(1970)六月から総工費千七百六十九億円を投じて建設していた。一メートル当たりの工事費は三百五十五万円・すでに東京・練馬−東松山間三九・四キロと新潟県長岡−新潟間五四・五キロが開通しているので、今回の開通によって全線はほぼ半分が完成したことになる。
 完成した東松山−前橋間は中央分離帯をはさんで、片側二車線。追い越し車線は幅三・七五メートル、走行車線は三・五メートル。中央分離帯は現在十メートルとなっているが、将来は三メートルと縮めて、その分、上下各一車線を拡幅する。
 工事を通じて、東松山−花園IC間は比企丘陵を切り開いた区域。その先の本庄児玉IC−高崎IC間は盛り土の工事が多く、盛り土の量は三百九十万立方メートルで、霞ヶ関ビル七・五個分。
 インタチェンジは県内が花園と本庄児玉の二カ所、群馬県内が藤岡、高崎、前橋の三カ所。それぞれ、国道や県道と直結する。これにより練馬−前橋間の所要時間はこれまでより約二時間短縮され約一時間となり、陸送業者や一般にとって、文字通り“陸の動脈”となる。
 同公団では、開通時の通行量は一日二万台前後、五年後には二万五千台に達するものと推定している。東松山−前橋間の通行料金は普通車で千円(大型千五百円)。練馬−前橋間は普通千八百円(大型二千六百円)。
     『毎日新聞』1980年(昭和55)7月14日

鳩山ニュータウンの農産物直売所

1970年代、比企地方には「ニュータウン」が次々と誕生しました。新興住宅地の新住民に近隣農家の野菜と加工品を市場を通さず、直接に販売する農産物直売所も各地に開設されます。嵐山町では、嵐山渓谷入口に直売所新設に当たり、鳩山ニュータウンの直売所を視察しています。鳩山ニュータウンの直売所はどんなものだったのでしょうか。当時の新聞記事です。

   連帯はぐくむ青空市 鳩山ニュータウン
     新住民も農家も喜ぶ もぎたてを安く
 比企郡鳩山町の新興住宅地、鳩山ニュータウンで、野菜の青空市場が週二回開かれ、毎回大繁盛だ。鳩山村農協が、農家の生産物を委託販売する産地直売。「新鮮で安い」のが評判で、この市場、いまではすっかり住民の中に定着、日ごろ付き合いの少ない住民の交流の場にもなっている。
 毎週月、木曜日の午後二時からニュータウン中央の広場で開かれる。
 農家が収穫したばかりの新鮮な野菜、果物をボール箱などに詰めておくと、農協の車が集めてまわり、広場に並べて店開きとなる。箱の数は毎回ざっと四十個。
 買い物に集まる主婦たちは毎回約二百人。開店三十分前に列ができ、あっという間に品物の八割は売れてしまう。一人平均五百〜六百円の買い物だが、売り上げは一回で十万円にもなるという。十四日の商品はブドウ、タマゴ、ナシ、ジャガイモ、シイタケなど約二十種類。キュウリは五本で百円、ショウガは五個で五十円など、市販の二、三割安だった。
 「何より新鮮なのがいいわ。タマゴなどはいつも二、三パック買っています」「トマトなんかもぎたての完熟したものです。スーパーなどの品より、とってもおいしい」と主婦たちは大喜びだ。
 一方、同農協の方も「青果市場向けと違って、青空市場は規格にこだわらなくてもよいので、農家にとってはありがたい存在。一回で三万円も売る農家もある。青空市場は住民同士の交流の場にも育っています」といっている。
 同ニュータウンは村東端の丘陵にある分譲住宅地で、村人口の四〇%にのぼる約三千三百人が住む。が、村の中心部まで五キロ、東武東上線坂戸駅まで約四キロ。ニュータウン内の商店といえばスーパー、肉屋、電気屋などわずか七店しかなく、買い物にはきわめて不便なところ。四十九年(1974)五月、近くの農家五戸がニュータウン内に野菜を並べて始まった青空市場が、農家と新住民との共存共栄の場として定着したのは、こうした地理的条件もあったからだ。
     『朝日新聞』1978年(昭和53)9月17日

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