GO! GO! 嵐山 3

嵐山ふるさと塾・チーム嵐山

2009年12月

菅谷中学校生徒会報道部『青嵐』13号 1962年

編集兼発行人
比企郡菅谷村(現・嵐山町)立菅谷中学校生徒会報道部
発行日 昭和37年3月発行

ブログ『GO! GO! 嵐山 4』掲載作品
たなばた祭り 一年D組 長島洋子
おかあさん 二年B組 吉野ひろ子
計画表 三年A組 柴田みき
ヂーゼルの一日の思い出 二年B組 内田良枝
たっぺの道 三年A組 奥平定男
関西旅行 三年A組 根岸重雄
思い出 三年A組 大野満寿代
随想 関根次郎
ふろ 一年D組 中島操
日曜日 一年C組 関口幸子
私の日曜 一年D組 権田その子
まゆかき 一年D組 中島きよ子
母がいない時 一年B組 根岸洋子
アルバイト 二年B組 深沢明子
最後の夏休み 三年C組 滝沢日出子
幼い時の思い出 三年C組 大野峯子
あせ 一年D組 中島けい子
夕立ち 二年C組 野村八重子
山 二年C組 内田清司
夜道 二年C組 小林朝光
母 一年B組 内田岩夫
水たまり 一年A組 滝沢幸子
いちょうの木 一年B組 忍田みよ
きり 一年D組 斎藤逸夫
暗い夜 一年D組 杉田広吉
かあちゃん 二年C組 杉田千恵子
朝 二年A組 斎藤寿夫
朝のおつかい 二年A組 瀬山千恵子
けんか 二年A組 新井君代
七夕祭 二年A組 初雁寿義子
希望 二年C組 小林ツル子
朝 二年C組 小沢秀
夕方の川 二年A組 小沢愛彦
滝 二年C組 開発紀美子
風雨 二年C組 小林朝光
夏の夜 二年B組 内田仲次
一本の木 一年B組 関口宏
人形 一年D組 鯨井洋
登校 三年A組 武井潔
テレビ 一年D組 吉田幸子
手つだい 一年D組 小林秀雄
短歌
生徒会各部報告 野球部
生徒会各部報告 書道部 部長・西沢久子
生徒会各部報告 購買部
生徒会各部報告 陸上部 部長
生徒会各部報告 柔道部 三年・奥平朝己
生徒会各部報告 庭球部
生徒会各部報告 卓球部
生徒会各部報告 郷土部 三年C組 奥野正雄
生徒会各部報告 篭球部 山下篤美
生徒会各部報告 排球部
生徒会各部報告 音楽部
生徒会各部報告 英語部
生徒会各部報告 科学部

空から見た嵐山町 97 師走の武蔵嵐山 2009年12月

嵐山渓谷
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2009年12月16日 内田泰永さん撮影

菅谷中学校生徒会報道部『青嵐』12号 1961年

編集兼発行人 
 比企郡菅谷村(現・嵐山町)立菅谷中学校生徒会報道部
発行日 昭和36年4月発行

ブログ『GO! GO! 嵐山 4』掲載作品
 努力ということ 生徒会長・内田方巳
 この一年を語る「青嵐」 校長・安藤専一
 模擬テスト 三年B組 斉藤博
 蝶の採集 三年A組 杉田正之
 稲刈り 二年B組 小林富美子
 家のポンプ 一年D組 大久保春代
 お母さん 一年B組 中島かづえ
 私の家 二年C組 関根菊枝
 私の部屋 二年C組 関根菊枝
 麦 三年A組 成沢静江
 よわい桑の葉 二年A組 能見勇
 試験が終えて 二年A組 滝沢和江
 氷 二年B組 内田丈子
 物置の中 二年B組 根岸浩子
 さつま掘 一年B組 小沢清二
 木の葉はき 二年A組 滝沢日出子
 母の死 三年B組 杉田富三
 姉は生きている 一年D組 高橋篤子
 二年生になったら 一年C組 鯨井正美
 日曜日の一日 一年C組 杉田隆夫
 卒業を間近に 三年B組 吉田文子
 卒業を間近に 三年B組 金井紀子
 天神講 三年B組 長島睦子
 九年の学校生活をかえり見て 三年B組 小輪瀬京子
 学校帰り 二年B組 八木八代江
 私のアルバイト 二年C組 根岸信江
 今年の冬休み 一年D組 長島正美
 手伝い 一年D組 富岡節子
 私に対する母 一年D組 簾藤正代
 ある日の試験日 三年B組 松浦久子
 社会に出る心構え 三年B組 大沢久子
 母 三年B組 長島喜代
 卒業間近 三年B組 内田康永
 農業について 三年B組 吉野敦
 登下校 一年A組 小林信子
 せっかく買った蛍光灯 一年A組 栗原みよ
 稲刈り 二年B組 内田丈子
 文通 二年B組 小林ちい子
 潮干狩り 二年A組 須沢隆
 東京テレビ見学記 三年B組 小林良二
 修学旅行の思い出 一年A組 小林京子
 二年生の潮干狩 二年A組 中島みよ子
 日の出号 三年A組 根立千代恵
 蔵王登山 一年B組 中島かづえ
 宝登山 二年A組 内田慶子
 宝登山 一年C組 関根利次
 大師様 二年B組 多田ヤス子
 潮干狩 二年A組 小林貞代
 生徒会各部報告 庭球部
 生徒会各部報告 郷土部
 生徒会各部報告 野球部 T・S
 生徒会各部報告 音楽部
 生徒会各部報告 篭球部
 柔道部成果報告 U・M
 JR大会 三年B組 Y・N
 生徒会各部報告 排球部 三年A組・根立千代恵
 生徒会各部報告 科学部
 生徒会各部報告 英語部
 生徒会各部報告 ソフト部
 生徒会各部報告 調理部 部長・新藤昭子
 生徒会各部報告 庭球部
 生徒会各部報告 陸上部 三年A組・遠藤勇吉
 生徒会各部報告 手芸部 荒井淳子
 生徒会各部報告 購買部 A・J
 生徒会各部報告 卓球部 長島睦子

菅谷中学校生徒会報道部『青嵐』11号 1960年

編集兼発行人 
 比企郡菅谷村(現・嵐山町)立菅谷中学校生徒会報道部
発行日 昭和35年3月25日発行

ブログ『GO! GO! 嵐山 4』掲載作品
 僕の一日 一年A組 根岸重雄
 「黒い地獄」 一年A組 根岸浩子
 新しい世界 三年B組 内田明子
 母 一年A組 忍田喜代子
 音の中から 一年A組 中島みよ子
 ほこり 一年B組 須磨和美
 もちつき 一年B組 権田はつ子
 水くみ 一年B組 金井幹雄
 山仕事 二年A組 多田敏明
 馬 二年A組 高橋勝子
 大晦日 二年B組 松浦久子
 天気予報と魚つり 一年A組 須沢隆
 乳牛 一年B組 滝沢日出子
 学校帰り 一年B組 山下逸郎
 農繁休みの一日 一年B組 杉田宗男
 どきょうだめし 一年B組 浅見一弘
 お正月 二年B組 内田泰永
 朝の詩 二年B組 高橋先
 田植え 一年A組 関根ユキ子
 新聞配達 一年A組 浜野一重
 あらし 二年B組 山田康雄
 麦刈り 一年A組 滝沢和江
 農繁期 一年A組 中島みよ子
 僕の昆虫採集 二年A組 杉田正三
 小麦刈り 一年A組 権田睦子
 牛乳くばり 二年B組 山下昌三
 初雪 二年B組 根岸サキ子
 大晦日の夜 一年A組 長島芙紗子
 通信票 一年A組 山下篤美
 俳句 一年A・B・C組
 俳句 二年A・B組
 俳句 三年A・B・C組

空から見た川島町 11 師走の川島町 2009年12月

デジブック:師走の川島町


越辺川下流(道場橋〜釘無橋)
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2009年12月20日 内田泰永さん撮影

A:カインズホーム、B:金乗院(真言宗豊山派)(上伊草)
C:伊草小学校、D:県立川島ひばりヶ丘特別支援学校(伊草)
E:川越工業団地、F:城西大学付属川越高等学校・城西川越中学校
G:道場橋(どうじょうばし)、H:大谷樋門、I:旧小畔川、J:小畦川、K:入間川、L:落合橋、M:釘無橋
 道場橋の下流1キロメートルで大谷川(おおやがわ)が越辺川に合流し、落合橋から500メートル下流で小畦川が越辺川に合流、釘無橋下流400メートルで越辺川は入間川に合流する。
 『きまぐれ旅写真館』さんの「越辺川 - 道場橋から落合橋」「小畔川」「入間川

空から見た嵐山町 96 市街地 2009年12月

デジブック:師走の嵐山町市街地

2009年12月16日 内田泰永さん撮影

内田さん撮影の嵐山町市街地
空から見た嵐山町 912131622242831336465666869707782838485868795 空から見た東松山市 8 空から見た滑川町 12

村人の楽しみ 3

  手島精一と幻灯
 幻灯機は、ランプとレンズを使ってガラスなどに描かれた画像を離れた所の幕に投影するもので、19世紀のヨーロッパで盛んになっていた。日本へは江戸時代の末期にオランダからもたらされたといわれている。
 日本人による幻灯のはじめといえば、文部省の手島精一が1876年(明治9)に渡米して、「幻灯機械と天文自然現象、人身解剖、動物などの種板(たねいた)を購入して帰国、これを国産で作らせた」(小泉和子『道具が語る生活』朝日選書)ことである。種板というのは写真の原板のことで、乾板ともいう。
 手島精一は幕末の1850年1月11日(嘉永2年11月28日)に、沼津藩の藩士田辺四友の次男として生まれた。やがて福沢諭吉が1866年(慶応2)に著した『西洋事情』(政治、税制、紙幣、会社、外交、軍事、科学技術、学校、博物館、蒸気機関、電信機、ガス燈などを紹介している)を繰り返し読み、海外遊学の夢を持ったという。彼はアメリカ留学から帰ると、東京開成学校(後の東京大学の前身)の監事になり、やがて文部省に移って教育博物館長補に就任した。パリで開かれた世界博覧会を見に行った彼は産業振興の必要性を痛感し、帰国後を工業教育の必要性を訴えて活躍。彼は日本における工業教育の父といわれている。

  各地で行なわれた幻灯会
 嵐山関係の史料で、幻灯が実用的なもので出現するのは、養蚕の教育用の道具としてである。埼玉県の『県報』117号によれば、1887年(明治20)玉成舎が9月に行なった品評会では、幻灯器、顕微鏡、蚕体解剖具等が並べられた。菅谷で結成された无邪志同盟(むさしどうめい)主催の会で、1895年(明治28)3月31日に鎌形の班渓寺で幻灯会が行なわれた。内容は教育、実業、日清戦争などのものであった。参加者は600名。ここで使われた幻灯器械は、熊谷伝習所精業舎長の福島儀平から10日間借りたものである。幻灯会は続いて、4月4、5日は福田小学校(比企郡滑川町)で、4月10日は菅谷村城山小学校(无邪志同盟会頭井上久五郎が校長)で開かれ、参加者は400人。夜12時散会。日清戦争の内容は「豚尾軍を半島以外に駆けり」というものだった。翌11日には宮前村の競辰小学校(大野角次郎校長)で日清戦争祝捷(しゅくしょう)運動会の後に幻灯会が行なわれた。无邪志同盟会頭井上久五郎は、幻灯会を含む无邪志同盟の活動は「教育の上進、実業の発達、及敵愾心(てきがいしん)を発揚し忠国愛国の衷情を涵養するの会として十分に効果を奏したるを感ぜり」と記している。
 MAGIC LANTERNの訳語「幻灯」は大勢の村の大人、子どもをひきつけたであろうことは、大勢の参加数からもうかがわれる。

  高価だった幻灯 ブームの時代もあった
 幻灯器は黒いエナメルを塗った板金の箱で、前にレンズがつき、横の口からガラス板(種板)をスライドさせて挿入するようになっていた。光源は石油ランプだった(前掲『道具が語る生活史』)。幻灯器は高いもので一般に入手できるものではなかった。1895年(明治28)5月発行の『埼玉県教育雑誌』雑報によれば、「幻灯器械80余円有志の寄付」とある。1892年(明治25)頃の広告によれば、幻灯器の第1号から3号までがそれぞれ30円、27円、25円(岩本憲児『幻灯の世紀』森話社2002年)となっているから、2、3台購入したのであろうか。村の教師の月給が10〜11円の頃である。
 幻灯器と映画の広告が残っている。それには熊谷の玩具商小林彦次郎の印がある。「日露戦争」の種板もあることから、日露戦争以降の1905年(明治38)、1906年(明治39)頃のものであろう。
 幻灯の画面の内容は、幾何学模様が動く美術火輪車、桃太郎、忠臣蔵、昔話に加えて陸軍観兵式、内外軍艦等の戦争関係が多く、また修身教育も多い。幻灯会は明治20年代に人々の娯楽として静かなブームになった。その内容は養蚕技術を伝える教育的な役割を担うとともに、大衆の娯楽としても多くの人を引き付けたが、日清・日露の戦争の勝利を人々に宣伝する役割も担っていた。上映会場に学校が使われていることも目される。
 こうした幻灯の時代は、明治20年代から30年代がピークで、明治の末から大正の時代、つまり20世紀になると大衆の娯楽は映画に移って行った。しかし幻灯は特定の分野で今も使われている。

 参考資料
   少学年用 二十世紀幻燈器映画目録表
 ○ 器械写リ丸ノ部 (略す)
 ○ 教育映画之部
  二少年栄枯   鳥類画     昔話桃太郎  日本諸国名所
  新家庭教育   東京名所    昔話カチカチ山 日本人風俗
  修身圖解    伊蘇普物語   昔話舌切雀   陸軍観兵式
  女子教育    東京博覧会   修身教育    修身話し     
  子供教育    二之宮翁詳傳  善悪図解    社会教育
  通俗衛生    軍事教育    本朝歴史    菅公一代記
  塩原太助詳傳  鬼桃太郎    貴顕肖像    教育孝子傳
  動物画     忠臣蔵     内外軍艦    日本美人
    以上  全部各拾弐枚
  中、小、長引運転画       教育、衛生、戦争、ポンチ画  
  美術花輪車各種         日露戦争(壱回ヨリ拾八回迄)
    (以上時々新画出来仕候)
     二十世紀幻燈映画製造元  三上商会
              武州熊谷町本一 玩物商 小林彦次郎

 村人の楽しみ 1」、「村人の楽しみ 2

参照:明治大正ネット』の「明治の知的エンターテイメント『幻灯』
青山貴子「明治大正期の映像メディアに於ける娯楽と教育 −写し絵・幻灯・活動写真−」『生涯学習・社会教育学研究』第33号(2008年)

七郷小学校「監察官視察簿」にみる教育指導

 七郷小学校に残されている「監察官視察簿」には、戦前の郡視学・県視学の学校視察時の指導事項が簡潔に記されている。そこには戦前の教育に対する時代の影響が色濃く現れている。どのような指導がなされていたのか見てみたい。
 本論に入る前に明治政府によって始められた明治時代の教育制度について簡単に見てみよう。

   明治時代の教育制度

 「学制」 明治政府によって1872年(明治5)に文部省が設置され、翌1873年に「学制」が発布された。「学制」は、日本における近代の学校制度を定めた最初の法令であった。欧米の近代教育観に基づいて、「邑(むら)ニ不学ノ戸ナク、家ニ不学ノ人無カラシメン事ヲ期ス」とのべて、全国民に学校教育を授けようとする公教育思想と個人主義的な教育思想を持っていた。

 教育令 しかし、実施にあたっては画一的で、権力的に啓蒙するやり方で当時の日本の社会の実情に合わない面も出てきたため、1879年(明治12)に「学制」に代わってかわって教育令が公布され、地域の教育要求に見合った公教育制度をめざすものになった。しかし教育の基本は国の方針で貫かれていった。

 教科書 教科書は、1886年(明治19)に出された第一次小学校令によって、文部省検定の教科書になり、さらに1904年(明治37)から国定教科書になった。

 大日本帝国憲法制定と教育勅語・御真影 他方、明治初期の自由民権運動の高まりによる民主主義思想の普及に対抗して、政府は1889年(明治22)に大日本帝国憲法を制定して新しい天皇制国家を築いた。そしてこの天皇制国家を思想面から支えるために、1890年(明治23)には教育勅語が発令された。これによって勅語という形で学校教育の根本理念と国民道徳の基本が打ち出され、戦前の教育の基本となっていった。
 この年から教育勅語の謄本が全国の学校に下付され、各学校では式日などに生徒を集め奉読式を行なうことが指示された。それとともに御真影(天皇・皇后の公式肖像写真)も下付された。翌年文部省は「小学校祝日大祭日儀式規定」を制定した。これにより、学校儀式の基本型が定められ、御真影礼拝、天皇皇后の万歳奉祝、勅語奉読、校長訓話、式歌斉唱の形になった。
 こうして帝国憲法に基づく天皇制国家と教育勅語、御真影、そして教科書の国定化などによって日本の教育は完全に国の支配下に置かれることになった。

 視学制度 各学校を視察し指導するために郡視学・県視学が置かれた。その最も重要な職務は学校視察を通じての教育実践の指導監督であった。郡視学、県視学が埼玉では明治30年代から置かれ、学校現場に強い力を持っていった。

 第三次小学校令 1900年(明治33)8月
 1 尋常小学校 修業年限4年に統一  この課程は義務教育に
   高等小学校の年限  2年、3年、又は4年
   保護者 「学齢児童ヲ就学セシムルノ義務」をおった。
   * 後に義務教育制度の改正  小学校が6年制へ
 2 教科内容の整理統合
   それまでの読書・作文・習字 → 国語に
   尋常小学校 修身、国語、算術、体操の4教科に
    土地の状況によって図画,唱歌、手工、裁縫など。
   高等小学校 修身、国語、算術、日本歴史、地理、理科、図画、唱歌、体操、裁縫
   就学率の向上 埼玉 1900年(明治33) 男女とも 90%を超える
             1907年(明治40) 男女平均で98%
   * 1907年(明治40)3月 修業年数を4年ら6年に延長

   七郷小学校視学視察の指導事項

 大正時代
 「視察簿」によると1914年(大正3)7月28日吉川郡視学が訪問、「御真影奉置庫ノ修理ヲナスベシ」と指導されて、翌年は「御真影室の設備至急着手せられたり」、さらにその翌年も「奉置室ノ整理室ヲ怠ルベカラズ」、さらにその翌年には「御真影奉置函ノ位置ヲ一層高ムル様壇ヲ設クルコト」と、さらに権威付けするような指導が御真影室に関してなされている。
 すでに述べたように1890年(明治23)に教育勅語が発布され、やがて教育勅語の謄本が各学校に下付された。各学校では式日などに奉読式を行なうように指導され、それに続いて御真影が各学校に下付されたので、それを奉置する部屋を用意するように厳しく指導されていることが分かる。この間、教育内容にかかわる指導は1916年(大正5)のときに「高学年ノ教室ニハ世界地図ヲ掲グルコト」と記されているだけである。
 1918年(大正7)には吉川郡視学が訪問、「教授者ハ常ニ標準語ノ使用ニツトメ正シキ国語ノ普及指導ノコトニ任ズルノ覚悟アルヲ要ス」、「歴史科教授ニアリテ余リニ史実ヲ重視シ国民的感情陶冶ニ触ルルモノアリ教授上ノ改善ヲ要ス」という教育内容に対する指導の記録が記されている。
 当時明治の終わりから大正の時代にかけて、欧米の新教育思想が日本の教育界に影響を与え、大正デモクラシーの新教育運動が生まれ、明治以来の国家主義教育を批判する動きが起っていた。こうした状況のなかで、教授者に標準語の使用と正しい国語の普及を求め、歴史の授業では「史実の重視」よりも「国民的感情の陶冶」を重視すべしという指導は、当時の大正デモクラシーの新しい動きに対抗する国家主義の立場からの指導であったといえよう。
 1919年(大正8)の視察では同じ郡視学が、「御真影奉置ハ一層尊厳ナル設備ヲ要ス」という指導とともに、「児童ノ課外読物ニ注意シ思想ノ善導ニ遺漏ナキヲ要ス」と指導している。御真影と一体化された国家主義的な指導として注目される。

 昭和時代
 1927年(昭和2)11月22日の視察では、「特ニ教授方針トシテ実用的陶冶ノ方面ヲ没却セザルハ我ガ国刻下ノ事態ヨリ見ルモ適当ナルモノナリト信ズ」と記されている。1927年(昭和2)の日本は金融恐慌が起り、経済が悪化し、中小企業や農業が深刻な打撃を受けるようになっていた。おそらくそのような状況のなかで、実用的な授業方針を評価する指導がなされたものといえよう。
 1937年(昭和12)12月9日の今成県視学の視察では、「本校教育是たる徳教の振興勤労尊重体位の向上等実績見るべき点多し」と記されている。1927年(昭和2)の金融恐慌から始まった昭和の時代は深刻な経済危機のなかで、日本は1931年(昭和6)の満州事変、1937年(昭和12)の日中戦争と戦争時代に突入して行った。こうした状況を反映して、学校教育の力点が道徳、勤労、体位向上などに力を入れていることが見えてくる。
 1941年(昭和16)年2月20日の今成県視学の視察では「興亜青少年修練道場の設置よろし」、同年10月28日の小山県視学の視察では「体育ノ振興ハ第二国民養成上肝要ナル点ナリ、養護施設ト相俟ッテ力ヲ致サレタシ」と記されている。これは次代を担う子どもたちの体育振興の重要性を指摘したものといえよう。
 アジア太平洋戦争の最中の1943年(昭和18)10月27日の大塚県視学の視察では、「全職協力一致時局下教育の重要性に鑑みより努力精進せらるるは素晴らしい」「決戦体制下に於ける教育運営として食糧増産・体力練成の努力実施と共に科学教育部面の高揚をもはかられ度し」と記されている。まさに国家総動員体制下の学校への要請が記されている。
 以上、視学の指導記録を見てきたが、明治の時代に制定された大日本帝国憲法によって定められた天皇制国家の体制が、教育勅語・御真影の下付をとおして教育現場に徹底され、やがて満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争のもとで戦時教育の色彩を強めて行ったことを見ることが出来る。

空から見た東松山市 38 滑川 2009年12月

デジブック:滑川(滑川町役場〜東平)


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2009年12月10日 内田泰永さん撮影

A:リコー東松山研修センター、B:みどりの郷あすか、C:網張戸団地、D:末田沼(大谷)
E:北中学校(松山)、F:平野市民活動センター、G:北地区体育館、H:松山第二小学校(東平)
I:マミーマート(沢口町)、J:向台住宅、K:東松山陸上競技場、L:東京農業大学第三高等学校、M:木屋製作所埼玉工場、N:東松山市中原野球場、O:東松山市立市民病院、P:総合福祉エリア(松山)
Q:市の川小学校(市ノ川)
a:簗瀬橋、b:市松橋、c:市野川橋(市野川)
d:八幡橋、e:向台橋、f:東松平橋、g:松平橋、h:前川橋(滑川)
i:東橋、j:下出橋、k:龍元橋(角川)

空から見た東松山市 37 松山地区 2009年12月

デジブック:市野川(滑川町〜東松山市)


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2009年12月10日 内田泰永さん撮影


A:上橋(滑川)
B:東武台団地、C:埼玉県立東松山特別支援学校(養護学校)(野田)
D:星城団地、E:サンコーポラス1号棟・2号棟、F:市の川小学校(市ノ川)
G:総合福祉エリア(松山)、H:県立松山高等学校(松山町1)
I:東松山市役所、J:松山第一小学校(松葉町1)、K:松山中学校(松葉町2)、
L:城恩寺(松山町3)、M:東松山斎場(松山町2)、N:東松山市民体育館、O:東松山ショッピングスクェア シルピア(松葉町4)、ボッシュ東松山第一工場(箭弓町3)
a:簗瀬橋、b:市松橋、c:市野川橋、d:弁天橋、e:境橋、f:羽下橋(市野川)

空から見た熊谷市 25 久下橋 2009年12月

荒川下流より久下橋
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2009年12月17日 内田泰永さん撮影

空から見た熊谷市 24 荒川大橋 2009年12月

荒川大橋下流(右岸)
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2009年12月17日 内田泰永さん撮影

A:大里工業(手島)
B:リバーサイドゴルフ場、C:ダイアパレス リバーコート熊谷(村岡)
D:武州製氷(万吉)(まげち)

空から見た東松山市 36 大岡・松山地区 2009年12月

デジブック:熊谷市冑山〜東松山市大谷〜野田


東松山ぼたん園、西明寺
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2009年12月10日 内田泰永さん撮影

 A:リコー東松山研修センター(大谷)
B:東松山ぼたん園、C:西明寺(曹洞宗)(野田)

空から見た嵐山町 95 市街地 2009年12月

千手堂二区、平沢区画整理地
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2009年12月16日 内田泰永さん撮影

比較:空から見た嵐山町(2003年11月) 68 82 83

空から見たときがわ町 12 玉川地区 2009年12月

玉川、番匠(ばんじょう)
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2009年12月16日 内田泰永さん撮影

 A:ソーシン玉川工場(五明)、B:玉川カントリークラブ、C:JR八高線、D:雀川、E:慈眼寺(真言宗智山派)
F:春日神社 『しのぎ刀剣美術館』さんの「春日神社
G:龍福寺(曹洞宗)、H:玉川小学校、I:玉川保育園、J:玉川橋、K:都幾川、L:玉川中学校、M:玉川トレーニングセンター、N:アスピア玉川(図書館)、O:ときがわ町役場、P:玉川公民館、T:龍蔵寺(曹洞宗)、U:薬師堂(玉川)
Q:小川消防署ときがわ分署、R:とうふ工房わたなべ、S:岩渕神社、V:県営都幾川明覚団地(番匠)
W:愛宕山、X:越生ゴルフクラブ

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