GO! GO! 嵐山 3

嵐山ふるさと塾・チーム嵐山

2011年02月

地産団地の造成 3 1971年

地産団地の造成

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1971年(昭和46)1月24日撮影

地産団地の造成 2 1971年

地産団地の造成

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1971年(昭和46)1月24日撮影

地産団地の造成 1 1971年

地産団地の造成

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1971年(昭和46)1月24日撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 7 1963年

越畑・八宮神社の獅子舞
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1963年7月25日に撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 6 1963年

八宮神社に到着
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1963年7月25日八宮神社石段で撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 5 1963年

街道下り
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1963年7月25日 宝薬寺〜八宮神社で撮影

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1963年7月25日 八宮神社から撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 4 1963年

街道下り
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1963年7月25日 宝薬寺〜八宮神社で撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 3 1963年

街道下り
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1963年7月25日 宝薬寺〜八宮神社で撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 2 1963年

越畑・八宮神社の獅子舞
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1963年7月25日 宝薬寺薬師堂前で撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 1 1963年

越畑・八宮神社の獅子舞
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1963年7月25日 宝薬寺薬師堂前で撮影

   村の文化財 越畑八宮神社の獅子舞 小林峰久
 七月二十五日、猛暑の昼下がり、越畑の八宮神社鎮守の森からは横笛の優雅な音色が流れ出る。
 昭和三十三年(1958)三月、埼玉県無形文化財の指定を受けた獅子舞いの奉納である。伝えによればおよそ数百年前、当地方に旱天が続き農作物は枯死、収穫は全く無く、数年におよぶ大飢饉が続いた。
 それに加えて疫病ははやり、住民の苦しみは一方ならぬものがあった。この時、村人相はかり、神仏の加護によらんと獅子頭を作り、伊勢の国山田の里(現三重県伊勢市)に行なはれる獅子舞を移して鎮守に奉納し、天災、疫病を払ったのがその始まりである。

 内容説明に氏子総代からの解説書をそのまま掲載すると、
○氏士は大頭(だいがしら)(白髪にして黒色)、雄獅子(栗毛髪にして茶褐色)、雌獅子(黒髪にして赤色)の三頭にて笛鼓に合せて舞う。舞楽荘重にして典雅。年々鎮守の例祭に神前に奉納し、天災、悪疫の防除を祈念し、鎮守の信仰と氏子共栄の中心となし来たり。然(しか)して獅子舞は門外不出、一社相伝にして、代々氏子中の長男を以って当り、祭日一ヶ月前より斎戒、之に奉仕す。
 例祭当日は獅子舞関係者、氏子総代一同寺に集いて、法螺貝を合図に大行列にて社頭に練り込みて、奉納終れば再び集りて、恙(つつが)なく行事目出度終了せしことを氏子一同祝福するを通例とす。(冨士浅間神社祭神木花咲弥姫(このはなさくやひめ)

○歌(古風なる歌調にして獅子独特なもの)長唄。
  初庭の歌詞
 まへり来て、これのお庭を眺むれば、黄金こ草が足に絡(からまる)。
  二庭歌詞
 この宮は飛騨のたくみのたてたげな楔一つで四方かためる

○獅子舞の解説
(初庭の情景)
イ、牡丹、芍薬、桜草百花爛漫、競い咲きたる花園、何処からともなく流れ来る天然の音楽、その楽の音に乗り、踊ったり、跳ねたり、起きつまろびつ三巴(みつどもえ)になり遊びたわむれている雌雄(しゆう)の獅子、いつかは沸立(わきた)つ愛情。雌獅子のあで姿に心引かれた雄獅子。いつかは雌獅子を恋いしたった。
(二庭の月情景、雌獅子隠し)
ロ、折あらばと機をうかがった雄獅子は霧の深みに乗じ、知謀たくみに大頭獅子を煙(けむ)にまいた。思意のままに行った雄獅子。色男ぶりを存分に発揮した。こちらは大頭獅子。雌獅子を見失なったので百花咲満ちた花園の中を、西に東に必死となって駈け巡りて探し求めた。今は心身共につかれ果て已(すで)に倒れん計(ばか)り。岩根にもたれ思わず吐息をもらす折、ちらりと岩陰に見出したもつれ合う二つの姿! その瞬間、今までのつかれる姿は何処へやら、憤怒に燃えた大頭獅子は砂煙を立てておそいかかった。されど恋の勝利者雄獅子は大頭を嘲笑と共に真向よりおどしつけた。残念さのはがみと共にしばし黙して考え込んだが、突如猛然と二つの間に割って入り、心ゆくまで散々と雄獅子をおどしつけた。おどされた雄獅子は情熱の怒りに一度は口こたえたが、自分の行跡(ぎょうせき)を悟り黙々と考えた。しかる後、自分の行跡をひたすらに詫びた。ここに和合なりて凄惨(せいさん)を極めた恋の嵐は何処へやら、三巴になりて跳ねたり踊ったり、こけつまろびついともなごやかな平和が訪れたのである。

 以上、解説書によったが、この舞は、通称「ささら」とも云われるとおり、ささらっ子の果す役目も大きい。これにつき若干説明すると、かすりの着物にわらじ履きで頭に花笠をつけ、手に十二本に割ったささらを持ちすり合せるが、その意味は百花咲きほこる花園の中に十二ヶ月の鳥の鳴き声を表わすと云われる。この音色と横笛が融和する中に、獅子舞は絶頂に達するのである。
 後継者の都合により、明治末期から大正初期にかけて一時の中断はあったが、各地で祭事も略化されて行く今、旧態を護り益々盛んなこの行事は、まさに指定文化財の名に相応(ふさわ)しい存在である。
     『菅谷村報道』33号 1963年(昭和38)7月25日

槻川をきれいにする会が発足する 1971年5月

   槻川をきれいにする会発足
 槻川をきれいにして昔のような清流にもどし鮎の住めるような川にしようという願いをこめて、槻川に関係する東秩父村、小川町、嵐山町の三町村で「槻川をきれいにする会」を設立した。五月二十六日、小川町の中央公民館でこの設立総会が開かれた。この会は活動目標として、水質の汚濁防止、水域の環境保全に力をいれ、河川、工場の共同視察をするほか、防止協議会を開催したり、汚濁防止のための資料を整備する。
 この会議で会長に小川町長、副会長に嵐山町長、東秩父村長が決まり、常任委員は小川十名、嵐山、東秩父それぞれ五名づつとなった。
 嵐山町関係の委員は次の通り、議長(観光協会長)山岸宗朋、民生文教委員長吉場雅美、議員瀬山芳治、岩沢茂雄、新藤武治、商工会長島本圭三、区長根岸卯平、青木高、関根昭二、中島宣顕、根岸善三郎、田幡安平、中島源蔵、荒井清作、吉野松蔵、杉田正治、小林友次、金井佐中、小沢多造。

     『嵐山町報道』214号 1971年(昭和46)6月30日

古い写真 町立嵐山幼稚園が開園する 1971年

開園して二ヵ月を経た幼稚園で、遊んでいる園児たち
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1971年(昭和46)6月撮影

   町立の幼稚園が開園
 嵐山町立幼稚園が四月一日より開園する。
 当町は60K首都圏にあり、また全町水道にもなり、人口の急増も予想され、町には私立の幼稚園が一ヶ所あるだけです。
 町立の幼稚園開園は、町民の長年の待望であり、また、人口の増加及び英才児教育が益々普及していくことが予想されます。
 本園は、菅谷の東昌会館を改築して幼稚園として開園する。
 本年は幼児四十名募集いたしましたら二十八名の園児の入園が決まりました。
 修業年限は一年保育(五才児)で、入園できる幼児は、嵐山町に住居を有する家庭の園児です。
     『嵐山町報道』211号 1971年(昭和46)3月10日
   嵐山幼稚園開園
 町立嵐山幼稚園の開園式は四月十五日、東昌寺境内にある園舎で行はれた。県教育局学務課長代理、議員、教育委員、小・中学校長などが出席して園児と共に開園を祝った。
     『嵐山町報道』212号 1971年(昭和46)4月25日

古い写真 地産団地 1974年6月

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古い写真 恒例のさつき展が開かれる 1974年6月

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ウーン なかなかいいな
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さつき展
いつもながら見事な作品
今年も恒例のさつき展が、六月一日〜三日中央公民館の大会議室で開かれました。
丹精をこめた作品に、訪ずれる人は、じっとながめ入っていました。
また、公民館前では即売会が行われました。
『嵐山町報道』240号 1974年(昭和49)7月31日

 

古い写真 台風26号で大被害を受ける 6 1966年9月25日

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