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2011年03月

古い写真 菅谷村役場事務分掌で課制を実施 1962年4月

菅谷村役場総務課戸籍係窓口
117-1547

   役場事務機構 四課一室を設けて新発足
 役場では、新年度から、課制を採用して、事務の能率化を計ることとし、三月三十一日その機構を発表し、所属職員の新配置を行った。
▽総務課 課長・中島立男
  庶務係長・中島立男 兼
  調査企画係長・田畑俊夫
  戸籍係長・山下清治
  係員・森下隆夫、大門栄子、小林峯久。奥平静枝、小沢百合子、中島運竝、斉藤圭子、大久保六男、富岡成恭
▽税務課 課長・新井一平
  賦課係長・新井一平 兼
  徴税係長・名畑目栄
  係員・浅見覚堂、高崎行允、大野浩、馬場治子、福島孝子、簾藤昭子、五十旗頭由子
▽厚生課 課長・井上文雄
  福祉係長・井上文雄 兼
  保健衛生係長・加藤重太郎
  国保係長・藤野博
  国民年金係長・田島秀雄
▽産業建設課 課長・内田房男
  産業係長・小輪瀬恒男
  建設係長・内田房男 兼
  農委係長・大野優弘 兼
▽出納室 課長・権田徳寿
  係員・小林郁子、小沢勝
▽教育委員会 教育長・金子慶助
  庶務係長・長島義正
▽議会 事務局長・中島立男 兼
▽農業委員会 事務局長・大野優弘 兼
▽選挙管理委員会 事務局長・中島立男 兼
▽監査委員会 事務局長・中島立男 兼
▽公平委員会 事務局長・助役 兼
尚、従来の住民係は、総務課へ統合され、産業土木係は、産業建設課と改称された。
 本年度の新採用は六名で、中島運竝(菅谷)、簾藤昭子(鎌形)、富岡秀(大蔵)、小沢百合子(吉田)、五十旗頭由子(菅谷)、斉藤圭子(鎌形)、富岡成恭(大蔵)の諸君である。
     『菅谷村報道』132号 1962年(昭和37)4月15日

古い写真 盆踊り 1965年8月

盆踊り

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1965年(昭和40)8月撮影

古い写真 旧・菅谷村役場 1971年1月

旧・菅谷村役場

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1971年(昭和46)1月撮影

古い写真 地産団地建築現場 1971年6月

九月入居を目指し突貫工事の地産団地

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1971年(昭和46)6月撮影

古い写真 菅谷村役場新庁舎起工式 2 1960年8月

菅谷村役場新庁舎起工式

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菅谷村役場(現・嵐山郵便局の場所)から新庁舎建設地を撮影

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1960年(昭和35)8月8日撮影

古い写真 菅谷村役場新庁舎起工式 1 1960年8月

菅谷村役場庁舎起工式

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1960年(昭和35)8月8日撮影

   新庁舎起工式 8月8日
 八月二日の入札後、新庁舎の建築は急ピッチで動き出し、五日には地所の整地がはじまり、八日には起工式が行われるに至った。
 起工式は午後四時から、高坂神官により厳かに執行、村長の鍬入式、建築委員長その他の玉串奉奠(ほうてん)で式を終り、五時から菅中講堂で、祝賀会が開かれた。参会者は建築委員、地主、設計者、請負者等約五十名。尚、地主代表の関根昭二氏は、「吾々の土地が庁舎の敷地に選定されたことを吾々地主は決して喜んではいない。然し一旦決定して売渡しの約束をした以上、誠意をもって、庁舎建築の完成に協力する。村長、建設委員長等関係者は、この建築が必ず工期内に、設計通り完成するよう努力して貰いたい。万一工期が延び、設計が変るようなことがあれば充分その責を負わなければならない」と激励した。
     『菅谷村報道』113号 1960年(昭和35)8月15日

古い写真 嵐山町全町水道完成 1974年4月

嵐山町上水道竣工式
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1974年(昭和49)4月26日撮影

   全町水道完成
     給水人口二万人までOK
 四十六年度より三ヶ年継続事業として、二億七八〇五万五千円の巨額を投じて進められてきた、全町をネットする上水道工事が竣工しました。
 町民、議会、行政一体となって推進してきた上水道の完成は、待望久しかっただけに尚一層の喜びがあります。
 四月二十六日竣工式が行われましたが、ここに施設の一部を紹介してみたいと思います。
 給水区域 嵐山町全域
 計画目標年度の五十六年度には、
  給水人口 二万人
  一日平均給水量 四千立方メートル
  一日最大給水量 六千立方メートル
  配水管総延長 約三万六千メートルとなる計画です。
     『嵐山町報道』239号 1974年(昭和49)6月10日

古い写真 嵐山町成人式 1970年1月

嵐山町成人式

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1970年(昭和45)1月15日、菅谷中学校体育館で撮影

   成人式にハプニング
        対話集会を行う
 昭和四十五年の成人式を祝う式は一月十五日、菅中体育館に百八十二名の成人者を迎えて行われた。杉田助役の開会のことば、簾藤教育委員長の式辞、関根町長、中島議長の祝辞があって、成人者を代表して開発光治君が成人者となった感想と考えを述べた。
 このあと、成人者の発案により、男四人女三人を一組とするグループに分れ、その中に来賓も参加して対話集会を行った。特別なテーマはなく成人式にあたって各グループごとにさまざまな問題が論議された。これは今年はじめての試みであったが、ただ話し合っただけで、どのような問題が話し合はれたかのしめくくりがなかった。
 なお今年も亦晴着姿の女性が圧倒的に多かった。男性の和服もちらほらと見られた。
     『嵐山町報道』201号 1970年(昭和45)1月25日

古い写真 笠原梨園 1961年9月

笠原梨園

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   長十郎みのる
 菅谷の笠原庸治さんが、その庭畑二段歩に梨を植付けたのは、今より七年前。まだ、果樹や畜産が、現在のように、農業の成長部門として騒ぎ出されなかった頃、いいもの好き位にしか、注意をひかれなかった。それから数年、不なれな管理で時には失敗もあったが、苦心は実って、本年は見事な長十郎が、一株当り四百から五百の鈴なり。反当り十万円の収入は軽いという。時代の寵児(ちょうじ)果樹園芸の中、長十郎は当村の地味に適して最も前途有望。昨年は五町歩の新植があり、本年は更に倍加するという。「やっとこれまでになりました。やれば必ず儲かる仕事です。観光や住宅の発展に伴って村の特産物にもしたい。栽培組合を作って協業方式で経営の合理化をはかりたい。」と日に焼けた顔から白い歯を見せて、満足さうに梨畑の中に立って語った。
     『菅谷村報道』125号 1961年(昭和36)8月15日

古い写真 地産団地造成現場 1971年1月

地産団地造成現場

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現・嵐山町志賀二区

チサン団地の建設が始まった。48年(1973)までに873戸の家を建築分譲する。これが完成すると人口は3000人ぐらい増加し、新しい変化が嵐山町にも起るだろう。
     『嵐山町報道』210号 1971年(昭和46)1月25日

古い写真 旧・嵐山町役場屋上からの風景 1969年2月

旧・嵐山町役場屋上からの風景

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写真中央:嵐山亭、小川信用金庫

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左:ささや、中央:家庭用品センター = 樫の木センター、右:農協倉庫

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写真奥の山(左から堂平、剣ヶ峰 = 笹山、笠山)

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中央奥の山:遠ノ平

1969年(昭和44)2月撮影

 

古い写真 菅谷大通り夜景 1969年2月

菅谷大通り夜景
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左:森田理髪店、右:島本薬局、魚ふみストア

越畑・十三間道路が竣工 1 1969年2月

越畑十三間道路工事竣工・引渡式

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1969年(昭和44)2月17日撮影

   十三間道路(越畑)着工 自衛隊が作業
 大字越畑地内十三間道路改良工事は、地元関係各位の強力を得、かねてよりその設計に当って来たが、既に準備も完了し、自衛隊施設隊との連絡も順調に進んで、いよいよ着工の運びとなった。
 去る一月十一日、自衛隊各機関並びに施設中隊全員、地主各位、地元関係者、町内来賓等多数の列席を得て、現地東側入口を式場として盛大に起工式が執行された。
 本工事の大要は次のとおり。
  改良延長 一六六二メートル
  巾員 総巾 五・五メートル
  敷砂利巾 五・五メートル
  同 厚さ 一〇センチ
  水抜工 七七ヶ所 五三五・八二メートル
  着工 一月十日
  竣工予定 二月下旬
 本工事の設計工事額は一〇八〇万、土地代二九二万、補償料一〇五万、合計約一四八〇万を必要とする工事である。
 これを自衛隊の部外作業に委託することにより、半額の約七五〇万程度で工事を完了する予定である。
     『嵐山町報道』191号 1969年(昭和44)1月25日

越畑・十三間道路が竣工 2 1969年2月

越畑十三間道路工事竣工・引渡式

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1969年(昭和44)2月17日撮影

古い写真 台風26号で大被害を受ける 1966年9月25日

台風26号で大被害を受ける(1966年9月25日)
記事(写真)LINK


       

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   九月議会関根菅谷村長報告
 九月二十六日の定例村会において関根村長は26号台風などに関して大要次のような報告を行った。【中略】
一、台風26号の時は、二十四日十時に対策本部をつくり、二十五日午前三時から活動を開始した。十時頃までには大体状況がつかめた。現在までに判明した被害状況は次の通りである。
 住宅全壊13戸、半壊8戸、一部破壊10戸、小破損約一千戸、物置など全壊15棟、半壊10棟、大破損10棟、小破損約一千棟、死亡者一名、橋梁流失三ヶ所(大蔵、杉山)、道路破損数ヶ所、水稲倒伏約十町前後、一時冠水約六割

     『菅谷村報道』170号 1966年(昭和41)12月15日

   台風26号本村を直撃
        災害救助法適用さる
 去る九月二十五日未明の台風第二十六号被害は予想外に大きく、本村を始めとして比企郡一帯にわたる損害は実に莫大なものであった。本村においては、二十五日早朝より村内被害状況【調査】に当り、これをまとめて災害救助法の発令について県に要請した。
 九月二十七日に至り、県より災害救助法の適用について次のような通知を受領した。
 今夏の台風第二十六号により被災した貴村の区域に対し昭和四十一年九月二十七日十七時〇分災害救助法を適用し、り災者の救助を行なうことになったので、救助の実施に遺憾のないよう万全を期せられたい。
 村はその後、り災家庭に対して援助物資、仝見舞金を贈る等、厚生課を中心としてその衝(しょう)に当った。
   台風被害状況
一、人的被害
 死亡一 軽傷二
二、家屋被害
 1.住居
  全壊一三戸 半壊五八戸 浸水(床下)一戸
 2.非住居
  全壊一五戸 半壊一〇戸
三、公共土木被害
 橋の流出二

     『菅谷村報道』170号 1966年(昭和41)12月15日

※昭和41年台風第24号・26号(ウィキペディアより):昭和41年台風第24・26号は、1966年(昭和41年)9月25日に相次いで日本に上陸した台風。台風第24号の国際名はHelen(ヘレン)。台風第26号の国際名はIda(アイダ)。この2個の台風は互いに影響しあい、西側にあった台風第24号は速度が遅く、東側を通った台風第26号は非常に早い速度で北上した。特に台風第26号による土砂災害が顕著であった。【中略】1966年9月22日にサイパン島の北東の海上で発生。発生当初から時速50km前後の高速で北上、典型的な放物線状の経路を取って台風第24号より先に9月25日午前0時頃に静岡県御前崎の西方に上陸、御前崎で最大風速33.0m/s、最大瞬間風速50.5m/sを記録。富士山山頂では最大瞬間風速91.0m/sという記録的な数値を得ている。また雨も強く、静岡県の北部から山梨県にかけての山間部で1時間に60〜120mmの豪雨となり、期間降水量も200〜400mmの大雨となった。その後台風は、時速70km以上の速度で当日中に三陸沖に抜けて温帯低気圧に変わった。【中略】台風第26号は、東日本一帯に豪雨をもたらし、静岡県と山梨県で土砂災害による大きな被害を発生させた。【中略】両台風による被害は、台風第26号を主として死者238名、行方不明者79名、負傷者824名、住家全壊2,422棟、半壊8,431棟、床上浸水8,834棟、床下浸水42,792棟である(消防白書)。
  →『北本 朝展 @ 国立情報学研究所(NII)』(http://agora.ex.nii.ac.jp/~kitamoto/)さんの「デジタル台風:台風196626号(IDA)-災害情報
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