GO! GO! 嵐山 3

嵐山ふるさと塾・チーム嵐山

2011年08月

空から見た鴻巣市 1 田間宮・箕田 2011年5月

田間宮・箕田
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2011年5月17日、内田泰永さん撮影

A:糠田新田自治会館
B:新道橋、C:旧道橋、D:三枚橋、E:中橋、F:二枚橋(武藏水路)
G:遠之橋、H:第六号橋、I:第五号橋、J:本田橋、K:第四号橋、L:第三号橋、M:第二号橋、N:第一号橋(足立北部排水路)
O:箕田幼稚園、P:鴻巣霊園、Q:関東工業自動車大学校、R:みやの団地(糠田)
S:鴻巣市立登戸保育所、T:勝願寺(真言宗豊山派)、U:鴻巣市立コミュニティふれあいセンター、V:鴻巣市営登戸団地、W:県営住宅鴻巣登戸団地(登戸)
X:鴻巣病院、Y:関東パッケージ鴻巣工場、Z:ニトリ、a:ケーズデンキ(八幡田)
b:アサヒ紙工埼玉工場、c:箕田団地、d:東京ペイント鴻巣工場、e:MEGAドンキホーテ、f:龍昌寺(曹洞宗)、g:鴻巣市立箕田小学校、h:鴻巣市箕田浄水場、i:ビバホーム、j:埼玉県央広域消防本部(箕田)
k:鴻巣市立赤見台中学校、l:鴻巣市立赤見台第一小学校(赤見台4)
m:箕田公民館(稲荷町)
n:鴻巣フラワーセンター(市ノ縄)
o:JR高崎線、p:国道17号、q:国道17号熊谷バイパス、r:埼玉県道76号鴻巣川島線、s:上越新幹線
t:元荒川橋(元荒川)

空から見た小川町 55 下里 2011年8月

下里
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2011年8月10日、内田泰永さん撮影

A:和紙会館(下里)
B:元・小川町立上野台中学校、C:小川町立東小川小学校(東小川2)
D:下沼
E:国道254号
F:東武東上線

空から見た小川町 54 下里 2011年8月

下里
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2011年8月10日、内田泰永さん撮影

A:柳町橋(槻川)
B:市野川流域下水道小川中継ポンプ場、C:下里四区区民センター(下里)
D:埼玉伝統工芸館(HP)、E:道の駅おがわまち、F:工芸の里物産館、G:麺工房かたくり(小川)

空から見た小川町 53 下里 2011年8月

下里
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2011年8月10日、内田泰永さん撮影

A:下里堰、B:柳町橋(槻川)
C:元・小川小学校下里分校、D:八宮神社
E:下里三区区民センター
F:国道254号

空から見た小川町 52 下里 2011年8月

下里三区
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2011年8月10日、内田泰永さん撮影

A:大聖寺(天台宗)、B:下里三区区民センター
C:国道254号

稲村坦元先生菅谷村誌原稿 鎌形志(現・嵐山町) ルビ・注

    鎌形志
鎌形ハ宿南槻川ヲ超(こ)エ都幾川ニ跨(またが)リテ大蔵ノ西ニ隣リ、其坤(こん)位*1玉川村大字田黒ニ近接セリ、俗説ニ傳(つた)ハレル清水冠者(かんじゃ)冐名(ぼうめい)*2ノ清水ナルモノ地續ニアリ、新記云清水ハ鎌形ノ南方ニアリテ竹薮(やぶ)ノ間ヨリ湧出(ゆうしゅつ)*3セル小流ナリ、「木曽殿清水」トモ呼ベリ、旱魃(かんばつ)*4ニモ水涸(かる)ルヽコト無シ、八幡社ハ村ノ鎮守ニシテ天正十九年(てんしょう)(1591)社殿ニ二十石ノ御朱印(ごしゅいん)*5ヲ賜(たま)ハル、又當所ノ鐘ハ往時軍旅(ぐんりょ)*6ニ奪ハレ、今秩父郡御堂村(現今大河原村ノ大字)浄蓮寺ノ寶器(ほうき)トナリ、銘ニ「上州(じょうしゅう)*7緑野郡(みとのぐん)板倉郷円光寺鐘正慶二年(しょうけい)(1333)三月」云云(うんぬん)「武蔵比企郡釜形郷八幡宮鐘大檀那矢野安藝守(あきのかみ)文明(ぶんめい)十一年己亥(つちのとい)(1479)八月九日」ト彫(ほ)リタレバ、コレハ上野(こうずけ)*8ニアリシヲ當所ヘ持来リ秩父郡ヘ轉(てん)ゼシナラム、サハアレ古社ノ證トハ為(なす)スベシ、又銅華鬘(けまん)*9二ツヲ神寶トス、一ハ円径五寸五分弥陀(みだ)*10ノ座像ヲ鋳出ス、傍(かたわら)ニ「安元二丙申(あんげん)(ひのえさる)(1176)天八月之吉清水冠者源義高(よしたか)」トアリ、一ハ円径四寸八分薬師(やくし)*11ノ座像ヲ鋳出ス、左傍ニ「貞和四年(じょうわ)戊子(つちのえね)年(1348)七月日大工兼泰」トアリ(義高ハ木曽殿ノ子ニシテ大蔵帯刀先生(たちわきせんじょう)義賢ノ孫ニ當レリ)正記編ニ八幡廟ハ坂上将軍*12宇佐(うさ)*13ヨリ遷齋(せんさい)シ、後代随時ノ大将軍等例ヲ追ヒ尊崇(そんすう)セラレシコト見エタリ、中ニモ八幡公*14ハ相州(そうしゅう)*15鎌倉ヘ同前ノ遷齋ヲセラレ、亦當鎌形モ称謂(しょうい)*16相似(あいに)テ既(すで)ニ斯(かく)尊神ノ盛盛威顕然(けんぜん)タルヨリ特ニ改メ奉賽(ほうさい)シ、武相(ぶそう)*16ヲ聯(つら)ネテ源宗殊勝(しゅしょう)ノ畏敬(いけい)頂禮(ちょらい)*18ヲ執(と)ラレシトゾ、由来(ゆらい)其間ノ消息(しょうそく)ヲ傳(つた)エタル一律アリ
  詮似鎌倉遷鶴岡、武宗廟祀八幡皇、
  暮天懸月齋場景、朝日将軍産水光、
  懐昔勿来関北績、唯今凾嶺寨東香、
  神前横都幾川潔、香合潨流沢墨陽、
當鎌形ハ松山小川越生三方ヨリ縣道ノ通叉貼(つうさてん)ニシテ玉川ト菅谷トヲ縫ヒシ中間、戸数百五十七ノ大区ナリ

   *1:西南の方角。
   *2:名をいつわること。
   *3:わきでること。
   *4:ひでり。
   *5:朱印をおした印判状。
   *6:いくさ。
   *7:群馬県。
   *8:群馬県。
   *9:仏前を荘厳にするために仏堂の内陣の欄間などにかける装飾。
   *10:阿弥陀如来の略。
   *11:薬師如来の略。
   *12:平安初期の武人、征夷大将軍となり「蝦夷(えぞ)征伐」に大功をたてた。
   *13:宇佐八幡のこと。大分県宇佐にあり応仁天皇を祭る、八幡宮の総本山。
   *14:源頼義のこと。1063年石清水八幡宮(京都)の分霊を鎌倉鶴岡に勧請した。
   *15:神奈川県。
   *16:名称。
   *17:武蔵と相模。
   *18:インド古代の最敬礼。

稲村坦元先生菅谷村誌原稿 附記・笛吹峠考 ルビ・注

笛吹峠考
 将軍澤ノ南方数町ニ在リ、亀井村ノ大字須江・奥田ノ両區ニ境界セル稍々北寄ノ長頂巒脉(らんみゃく)*1ノ東西ニ蜿蜒(えんえん)*2シタル宛然(えんぜん)*3肥後(ひご)ノ田原坂ニ髣髴(ほうふつ)*4セシ中央ノ切處(せっしょ)*5一夫両手ヲ揮(ふる)ヘバ*6萬卒超ユルヲ得難キ真個(しんこ)*7天嶮(てんけん)*8ノ要扼(ようやく)*9タリ往古鎌倉ヨリ北武上毛等ニ通ズルノ國郡道路ナリシト云フ、而(しか)モ有事(ゆうじ)*10争衡(そうこう)*11ノ日ニ際シテハ、廣ク南北死命ヲ制スベキ兵書ノ所謂(いわゆる)争地ニシテ、其獲喪(かくそう)*12ハ事定マルト已(や)ムト人存スルト亡(ぼう)スルトノ第一着ヲ示ス大演舞臺タリ、故ニ笛ヲ鳴ラシテ屡々(しばしば)戒心シ策應(さくおう)*13スルニ資(よ)リテ斯(かく)名アリトゾ、古今幾許(いくばく)*14爰(ここ)ニ争戦アリシ中ニモ、彼著明ノ会戦ニシテ且(かつ)惜ムベカリシハ正平七年(しょうへい)(1352)三月廿八日ノ一戦ニ南朝司令ノ主将新田左兵衛督(かみ)*15義宗青年気鋭生兵(せいへい)*16ヲ以テ大軍ノ尊氏ヲ軽ンジ直チニ攻勢ヲ執(と)リ、要害ヲ離レテ敵ニ乗(じょう)ゼラレ一敗、信越(しんえつ)*17ニ退却(たいきゃく)シ時ヲ待ツノ止ムヲ得ザルニ至レルコト是ナリ、但(ただ)シ此役(えき)*18ヤ四五日前義宗ガ尊氏ヲ石濱ニ追迫(おいせ)マリテ、彼ヲシテ単身絶対割服(かっぷく)*19セントスルマデニ苦メタルニ似ズ、斯(かく)敗ヲ取リシハ兵書ニ復(ま)タ人ヲ侮(あなど)ル者ハ亡ブトイヘルニ近シ、嗚呼(ああ)天嶮ヨリモ恐ルベキハ油断ナリ、然レドモ小新田(にった)公ノ英名ハ斯(この)峠ノ真景(しんけい)*20ト相須(ま)チテ長(とこし)ヘニ*21昭々(しょうしょう)*22タリ、這(これ)ハ姑(しばら)ク措(お)キ世人何者ノ愚(ぐ)ゾ、此峠ノ此役(えき)ヲ上信ノ碓氷嶺(うすれい)ニ嫁(か)シ*23テ迷論ヲ吐(は)ク、林衡(はやしたいら)*24ノ博識ヲ以テ尚且(かつ)然(しか)リ、武州ヲ前ニ当テトアレバトテ徑(ただ)チニ三十里ノ碓氷嶺ヲ思フトハ、軍情ニ朦(くら)キモ程(ほど)コソアレ、一卒モ居合セズ腹切ラントマデニ敗レシ尊氏、三日計(ばかり)ニ十萬騎ヲ集メツヽ、十里程ノ当笛吹峠ニ寄ルサヘモ異数(いすう)*25ノ位ナリ、笛吹ヲウスイ(……)ト訓(くん)シ自ラ苦ム者何ノ見地(けんち)*26ゾヤ、マダシモ竿吹ヲ用ヘヨカシ
   *1:ぐるぐると巡っていっている山のつづき。
   *2:うねうねと長いさま。
   *3:そっくりそのままのさま。
   *4:よく似ているさま。
   *5:要害の地。
   *6:充分に発揮すれば。
   *7:まことに。
   *8:地勢険しいところ。
   *9:敵をまちぶせして食い止めこと。
   *10:非常の事態が起こること。
   *11:優劣を争うこと。
   *12:得るか失うか。
   *13:しめしあわすこと。
   *14:どんなに多く。
   *15:兵衛府・衛門府の長官。
   *16:新手の兵。
   *17:長野・新潟方面。
   *18:戦い。
   *19:腹をきって死ぬこと。
   *20:まことのようす。
   *21:永久に。
   *22:きわめてあきらかなさま。
   *23:誤って充てる。
   *24:林述斎(はやしじゅっさい)(1768-1841)。名は衡(たいら)。江戸後期の朱子学者。美濃(みの)岩村藩主松平乗薀(のりもり)の3男。『寛政重修諸家譜』、『新編武蔵風土記稿』『新編相模国風土記稿』などの編纂に関与した。
   *25:他に例のないこと。
   *26:判断する際の立場。

00157
2003年5月14日 小川京一郎さん撮影

稲村坦元先生菅谷村誌原稿 畠山重忠事蹟之記 ルビ・注

   畠山重忠事蹟之記
菅谷村大字菅谷字城ニ菅谷城趾在リ、秩父荘司次郎畠山重忠ノ鎌倉創業ニ策應(さくおう)*1シ相地築城居守シタルノ古墟タリ、現形(げんけい)*2菅谷宿通(東西)迤南(いなん)*3数丁ニ位シタル凡(およそ)三丁四方許(ばかり)ノ丘陵ナリ、南邊ハ東流セル都幾川ニ臨ミ、處々(ところどころ)絶壁ヲナシ大率(たいしゅつ)*4五六丈(じょう)ノ高嶂(こうしょう)*5連綴(れんてつ)*6シ、北邊ハ宿南小名(こな)*7元宿(もとじゅく)ト称セル境上ヨリ、平地ニ高キコト二三丈ヲ以テ里道ニ沿フテ蜿蜒(えんえん)*8シ東西復(ま)タ澗田(かんでん)*9谿窪(けいあ)*10ヲ以テ限リ、尚北面左右翼隅(よくぐう)*11ニ追手門(おうてもん)*12搦手(からめて)門*13等ノ遺型在リ、四縁ヨリ乳内ニ亘(わた)リ起伏ノ裡(うち)*14自然ノ要扼(ようやく)*15ヲ存シ、如今(じょこん)*16ハ陸田(りくでん)*17ニ變シテ多ク桑楮(そうちょ)*18其他農植ノ間彼此ニ松栢(しょうはく)*19ノ疎林(そりん)*20或ハ茅薄(ぼうはく)*21葛蘿(かつら)*22ノ参差(さんさ)*23タルヲ認ムルノミナルモ、少ナクトモ昔時天嶮(てんけん)*24ノ一壮郭墟タリシヲ偲(しの)バルヽナリ、殊ニ諸種ノ傳説ヲ輳合(そうごう)*25スレバ其東西北陸續ノ三郊(こう)*26ハ仍(すなわち)幾数十丁ニ渉(わた)レルノ要塞地タリシヲ覺(おぼ)ユ、宜(うべ)ナリ*27古史、皆(みな)本城ノ重忠ニ重カリシヲ載(の)セテ大同(だいどう)*28タルコト、其後世、岩松遠江守又ハ太田源六其他ノ在営セシ等ハ姑(しばら)ク措(お)クモ、必ズヤ先ヅ當初ノ主将重忠ヲ以テ該城ノ歴史ヲバ装飾スベシ、抑(そもそ)モ本城址ニ直接ノ関係ヲ有セル重忠ハ青史(せいし)*29既(すで)ニ已(すで)ニ定論アリ、由来世人ニモ知レタル中ニ就キ略序(りゃくじょ)*30センニ、其家ハ素(もと)関東ノ名豪、特ニ武州秩父ニ於テ奕葉(えきよう)*31ヲ累ネ来リ、祖父重綱父重能*32ニ至リ庄司(しょうじ)*33ヲ以テ擢(ぬき)ンデテ源平ノ間ニ著シ、重忠箕裘(ききう)*34ヲ承(うけつ)グニ及ンデ仁忠才勇父祖ニ超乗*35シ信義徳望ノ歸スル所鎌倉右大将源頼朝ノ親任ニ會(あ)フテ連(しき)リニ*36大官(だいかん)*37ヲ司直(しちょく)*38スルヨリ施政ノ偏倚(へんき)*39ヲ避(さ)クルタメ、北武(ほくぶ)*40男衾(おぶすま)ノ畠山ニ城(きづ)キ終(つい)ニ更(さら)ニ當菅谷ニ城キ幾(ほと)ント北武全體ヲ管轄スルニ逮(およ)ビ、敢テ求メズシテ威名赫々(かっかく)*41彼レガ如クアリシナリ、重忠ノ人ト為(な)リ誠(まこと)明月ノ如クニシテ、而(し)カモ盈(み)チテ虧(か)ケズ善ク圓ヲ持テルモノ徳望ノ然(しか)ラシムル所、和田義盛ト倶(とも)ニ覇府(はふ)*42第一ノ左右(さう)*43タリ、旦仁忠奇禍(きか)*44ヲ避ケズ、頼朝没後、頼家*45・實朝*46ヲ輔安(ほあん)*47スルヲ自任トセルニ反シ、君家外戚ノ大奸(かん)*48黨與(とうよ)*49ヲ擧(あげ)テ構陷(こうかん)*50是(これ)務(つと)ムルニ抗(こう)シ、成(な)ラザルニ迫(せま)リテ*51寃厄(えんやく)*52ニ斃(たお)レタルモ勇ニシテ義ナリ、其往日(おうじつ)*53頼朝ノ蔭子(かげこ)*54三郎忠久ヲ冥護(みょうご)*55擁封(ようふう)*56セル如キ真ニ才ナリ信ナリ、是ニ於テカ八百年来ノ嶋津公爵家ノ今日在リ一(いつ)*57ニ重忠ノ賜(たまもの)タリ、此他曽我兄弟ニ、又ハ或方面ニ其徳行ヲ致セルコト鮮少(せんしょう)*58ニアラザリシ、此菅谷地方幸ニ斯(かか)ル偉人最終ノ治本領内タリ、学校モ因(よっ)テ其城山ヲ冠字トシタリキ、亦将(は)タ斯クノ如キ正大ノ氣象ノ其孰(いず)レニカ調謬(ちょうびゅう)*59センコトヲ相思セラル、世説ニ云ヘル菅公*60重盛*61ニ重忠ヲ併(あわ)セテ本朝ノ三聖者トハ、蓋(けだ)シ輿臺子(よだいし)*62輩ノ衆庶ニマデ其人格ヲ首肯(しゅこう)*63セシムルノ近キヲ知ルニ足(た)ル、本文ニ由緒アル碑文ヲ掲(かか)クル左ノ如シ
  武蔵國比企郡菅谷村者(は)畠山重忠之墟(きょ)*64也、方(まさに)其盛城備置佛寺曰(いう)長慶、至中世遷於此云、寛永(かんえい)中岡部某公受邑(ゆう)*65、是地有故癈寺、寶永(ほうえい)三年丙戌(ひのえいぬ)(1706)遂以其址賜先太夫多田重勝、命永為塋域(えいいき)*66乃(すなわち)安千手大士名多田堂、没則(ぼっすればすなわち)葬焉(ここに)、子英貞嗣(つぎ)月以其没日會衆(しゅうかい)*67誦(ずす)普門品已(すでに)十三萬餘巻、先是岡部氏滅而(て)英貞土着、不徒(ただならず)今茲(ここ)建石勒(きざむ)概銘曰
  維春維秋維石維悠
   寛政(かんせい)九年歳在丁巳(ひのとみ)(1797)夏四月十九日
              多田英貞一角甫(ほ)*68誌(しるす)

   *1:しめしあわせること。
   *2:現在の形。
   *3:斜め南につらなる。
   *4:おおむね。
   *5:高くけわしい山。
   *6:連なること。
   *7:小字。
   *8:うねうねと長いさま。
   *9:「澗」は谷川の意。谷水の田。
   *10:谷のくぼんだところ。
   *11:つばさのはて。
   *12:大手門、城の正面の門。
   *13:城の裏門
   *14:裏の俗字。
   *15:敵を待ち伏せして食い止めること。
   *16:今の世。
   *17:はたけ。
   *18:桑とこうぞ。
   *19:松と柏。
   *20:木のまばらな林。
   *21:かやとすすき。
   *22:くずとかづら。
   *23:不揃いな樣。
   *24:自然の要害。
   *25:あつめあわせる。
   *26:郊外。
   *27:もっともである。
   *28:大体同様である。
   *29:歴史。
   *30:あらましを述べる。
   *31:代々。
   *32:畠山重忠の曽祖父が重綱、祖父が重弘、父が重能となる。
   *33:荘園領主の命を受けその荘園を管理した職。
   *34:父祖の業をつぐこと。
   *35:追い越すこと。
   *36:つづけざまに。
   *37:大官、高官。
   *38:公明正直に司る。
   *39:かたよりもたれる。
   *40:北武蔵。
   *41:あらわれて盛んなさま。
   *42:幕府。
   *43:かたわら。
   *44:思いがけない災難。
   *45:頼朝の長子、二代将軍、比企能員と結んで北条氏を除こうとして伊豆修善寺に幽閉され暗殺された。
   *46:頼朝の次子、三代将軍、鶴岡八幡宮の境内で兄の頼家の子公暁に殺された。
   *47:助力し安んずること。
   *48:非常な悪者。
   *49:なかま。
   *50:無実の罪を作って人をおとしいれる。
   *51:きわまる。
   *52:無実のわざわい。
   *53:過ぎ去った日。
   *54:人知れずかくまった子。
   *55:神仏が知らず知らずのうちに守ってくれること。
   *56:まもりふうずる。
   *57:第一
   *58:わずか。
   *59:あやまりをしらべる。
   *60:菅原道真。
   *61:平重盛。
   *62:召使。
   *63:うなずくこと。
   *64:古跡。
   *65:封土。
   *66:墓所。
   *67:会に寄り集まる。
   *68:あざな。

00321
2003年5月22日 小川京一郎さん撮影

稲村坦元先生菅谷村誌原稿 附記・鬼鎮神社 ルビ・注

鬼鎮神社
大字志賀第一川嶋區ニ在リ、元七郷村大字廣野ノ飛地(とびち)*1タリシ當地ノ民有祠*2ナルガ、明治二十二年(1889)本村ニ属シ村社トシテ遠ク都鄙(とひ)*3ニ鳴レルモノ名社タリ、由来(ゆらい)鬼神又ハ近林ニ雉子(きじ)ノ群棲セルヲ以テ雉子之宮ト称號セルヲ、革命*4ノ際爰(ここ)ニ奉仕シタル社掌(しゃしょう)*5並ニ敬神有力ノ人士等相議(はか)リ相賛(たす)ケ、遂ニ官准(かんじゅん)*6ヲ仰ギテ現称尊號ヲ奉上シタリシモノ、主齋(さい)御柱ハ則チ賽神(さいしん)*7ニシテ、神苑(しんえん)*8ノ風光粛清(しゅくせい)*9ナルニ加ヘテ巨松、喬椙(きょうしょう)*10美櫻、好楓(こうふう)*11ノ景物ニ富ミ、社頭森厳(しんげん)*12ニシテ宏壮ナリ、春秋ノ大祭毎月ノ恒祭ハ勿論平日モ遠近ヨリ群参(ぐんさん)絶間(たえま)無シ、世傳(せいでん)*13ニ當社ハ「畠山重忠菅谷城鬼門鎮護ノ神ト崇(あが)メテ奉齋(ほうさい)*14シタルモ、重忠亡(ほろ)ビ後世力ヲ盡シテ主宰(しゅさい)*15スルモノナキヨリ、永ク衰微シテ在(お)ハセシ」ト云ヘリシガ、今ヤ重忠時代ニヲサヲサ復セントシツヽアリ
   *1:同じ行政区に属するが他に飛び離れて存在する土地。
   *2:人民の所有する社。
   *3:都会と田舎。
   *4:明治維新のこと。
   *5:社司の下に属した神職。
   *6:国の機関に準ずること。
   *7:塞神(さいのかみ)。道祖神(どうそじん、さえのかみ)。
   *8:神社の境内にある庭。
   *9:静かでしーんとしていること。
   *10:高い杉の木。
   *11:このましいもみじ。
   *12:きわめて厳粛なさま。
   *13:世々に相伝えること。
   *14:奉斎。神仏などを慎んでまつること。
   *15:主に切り盛りすること。中心となって運営すること。

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2003年5月22日 小川京一郎さん撮影

空から見た小川町 51 下里 2011年8月

下里
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2011年8月10日、内田泰永さん撮影

A:島根橋、B:下里堰、C:柳町橋、D:大寺橋(槻川)
E:光兆産業下里青鉄平石採掘場、F:元・小川小学校下里分校、G:八宮神社(下里)
H:小川町立東中学校、I:小川赤十字病院、J:小川カントリークラブ

空から見た小川町 50 下里 2011年8月

下里二区
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2011年8月10日、内田泰永さん撮影

A:島根橋、B:下里堰、C:柳町橋(槻川)
D:在宅施設福祉サービス彩香らんど田舎の家、E:下里二区集落農業センター、F:元・小川小学校下里分校、G:八宮神社(下里)

空から見た小川町 49 下里 2011年8月

下里(しもざと)
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2011年8月10日、内田泰永さん撮影

A:坂田橋、B:割谷橋(わりやばし)(槻川)
C:仙元山、D:青山城址
E:愛宕山、F:徳寿山
G:小川町農村センター(小川町下里)

空から見た小川町 48 下里 2011年8月

下里(しもざと)
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2011年8月10日、内田泰永さん撮影

A:坂田橋、B:割谷橋(槻川)
C:仙元山、D:物見山
E:小川町農村センター、F:北向不動(小川町下里)

空から見た嵐山町 333 遠山 2011年8月

遠山
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2011年8月10日、内田泰永さん撮影

A:遠山集会所、B:遠山寺(曹洞宗)、C:八幡神社(嵐山町遠山)

空から見た嵐山町 332 嵐山渓谷・大平山 2011年8月

嵐山渓谷・大平山
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2011年8月10日、内田泰永さん撮影

A:塩沢冠水橋、B:谷川橋(槻川)
C:トラスト3号地四阿(あづまや)(鎌形)
D:大福寺(天台宗)(ときがわ町田黒)
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