新編武蔵風土記稿は徳川幕府編纂の武蔵国(現在の東京都・埼玉県と神奈川県の一部)の地誌。ここでは、『昭和改修版』を底本とした。

  越畑村(おっぱたむら)(現・埼玉県比企郡村嵐山町大字越畑)

 越畑村ハ領名(りょうめい)及ビ江戸ヨリノ行程(こうてい)前村ニ同ジ*1:。東ハ吉田・勝田(かちだ)ノ二村ニ隣リ、南ハ杉山・中爪(なかつめ)ノ村々ニテ、西ハ下上横田村(しもよこたむら、かみよこたむら)ニ交(まじわ)リ、北ハ古里村ナリ。東西七町南北二十町余。家数九十軒。御打入(おんうちいり)*2ノ後、高木筑後守広正(たかぎちくごのかみひろまさ)ガ采邑(さいゆう)*3ニシテ其子甚左衛門ガ時慶安(けいあん)元年(1648)検地(けんち)*4セリ。ソノ後元祿元年(げんろく)(1688)替(かわ)リテ御料所(ごりょうしょ)*5及ビ酒井但馬守(たじまのかみ)ガ知行(ちぎょう)*6トナリシニ、同キ十一年(1698)御料所ノ内ヲ割テ山高十右衛門ニ賜リ、又享保十二年(きょうほう)(1727)残リシ御料所ノ分ヲ黒田豊前守(ぶぜんのかみ)・羽太清左衛門ノ二人ニ賜リテ、今モ高木・山高・黒田・羽太等ノ子孫四人ノ知ル所*7ナリ。
   *1:吉田村と同じで、江戸よりの行程16里。
   *2:徳川家康が天正18年(1590)に江戸城に入ったことをさす】
   *3:領地。
   *4:農民の田畑を測量して等級をつけ、生産力を米の生産高で表わした。そして土地の耕作者を年貢や労役の負担者に定めた。
   *5:幕府の直轄地(ちょっかつち)。
   *6:領地。
   *7:領地。

 高札場(こうさつば)* 四ヶ所ニアリ。
   *1:掟などを書いて、人目を引く所に掲げた立て札の場所。

 小名*1 櫛挽(くしびき) 大槻(おおつき) 深谷 島 大木
   *1:小字。

 市ノ川 西ノ方、上下横田村ノ堺ヲ流ル、川幅三間。

 八宮社(やみやしゃ) 村ノ鎮守(ちんじゅ)ナリ。
  ○別当(べっとう)*1 観音寺 天台宗、中爪村普光寺ノ門徒ナリ、八宮山多門院ト云フ。本尊正観音(しょうかんのん)*2ハ慈覚大師(じかくだいし)*3ノ作ナリ、長二尺許(ばか)リ、開山(かいさん)*4憲舜(けんしゅん)延宝六年(えんぽう)(1678)十月七日寂(じゃく)*5ス。
   *1:神社の管理に当たった寺。
   *2:聖観音とも書く。聖観世音(しょうかんぜおん)の略。
   *3:平安時代初期の僧円仁(えんにん)のこと。延暦寺(えんりゃくじ)第三世座主(ざす)。天台宗山門派の祖。死後,慈覚大師の名を贈られた。
   *4:寺院の創始者。
   *5:死去。

 浅間社(せんげんしゃ)*1
   *1:富士山を信仰し、木花開耶姫(このはなのさくやしめ)を祭神とした。

 客人社(きゃくじんしゃ)*1
   *1:八大社の誤り。櫛入玉神を祀る。

 大天社 以上三社観音寺持。

 雷電社(らいでんしゃ)*1 金泉寺持。
   *1:落雷を避けるために雷電様を祀った。

 宝薬寺(ほうやくじ) 曹洞宗(そうとうしゅう)*1、広野村広正寺(こうしょうじ)ノ末、薬王山(やくおうざん)ト号ス。元和年中(げんな)(1615−1623)ノ僧南叟(なんそう)壽玄*2ノ草創(そうそう)ト云フ。寿玄ハ本寺二世ノ住僧ニテ寛永十九年(1642)二月三日寂ス。本尊釈迦(しゃか)ヲ安置セリ。
   *1:1227年、道元が中国から伝えた禅宗の一派。臨済宗と並ぶ禅宗の二大宗派。
   *2:この『新編武蔵風土記稿』と『嵐山町史』に「壽玄」と記されているのは間違い。「玄壽」が正しい。広野の廣正寺にある位牌には「前永平當寺二世 南叟玄壽大和尚 禅師 寛永十三年丙子五月三日 示寂」と記されている。死亡年月日もこちらをとるべきだろう。

 薬師堂(やくしどう) 薬師ハ行基(ぎょうき)*1ノ作ナリ。安永四年(あんえい)(1775)ニ書キタル縁起(えんぎ)*2【お堂の由来(ゆらい)を書いたもの】ニ、此堂ハ神亀元年(じんき)(724)ノ起立ナリト云フト、信ズルニ足ラザル説多ケレバ爰(ここ)には採(と)ラズ。
   *1:奈良時代の僧。布教しながら諸国を回り、道、橋、用水施設を建設した。

 金泉寺(きんせんじ) 前ト同寺ノ末ナリ、大龍山ト号ス。本尊釈迦(しゃか)ヲ安ス*1。当寺モ開山ハ南叟壽玄*2ニテ元和年中(げんな)(1615−1624)ノ起立ト云フ。
   *1:安置。
   *2:上に述べた如く玄壽が正しい。

 塁蹟(るいせき)*1 村ノ西ニアリ土人*2其所ヲ城山トヨブ、今ハ陸田トナレリ。何ノ頃何人ノ住セシト云フコト詳(つまびらか)ナラズ、或ハ庄主水(しょうもんど)ト云ヒシ人ノ居蹟(きょせき)*3トイヘド其年代モ定カナラズ。按(あんず)ルニ当国七党*4ノ内、児玉党ニ庄権頭弘高(しょうごんのかみひろたか)ナドアレバ是等(これら)ノ後裔(こうえい)*5ナルニヤ、『小田原役帳』*6ニ庄氏ノ人*7見エタリ、又杉山村ニモ此人ノ居蹟アリ照(てら)シ見ルベシ。
   *1:砦(とりで)の跡。
   *2:土地の人。
   *3:住居跡。
   *4:鎌倉時代に武蔵七党といわれた七つの武士団のこと。児玉党(こだまとう)はその一つ。
   *5:子孫。
   *6:「小田原衆所領役帳」のこと。北条氏康が各家臣の知行高と知行地を記録し、それに応じた軍役などの諸役賦課の基準とするために作成した。
   *7:庄式部少輔、庄新四郎の二人。

 旧家者五兵衛 酒井但馬守ガ知行ノ名主ナリ、氏ヲ船戸ト云ヒ其祖先ハ左兵衛督成氏ヨリ出タリ。成氏ノ子重氏ソノ子氏経ハ船戸左近ト称ス。是(これ)ヨリ世々船戸ヲモテ氏(うじ)トセリ、氏経ノ子孫太郎倶氏、ソノ子大学行氏、ソノ子玄藩浄氏ト云フ。コノ浄氏ハ北条安房守氏邦(ほうじょうあわのかみうじくに)*1ニ仕へ、天正十八年(1590)鉢形落城セシ後当村ニ来リテ農民トナリ、慶長九年(けいちょう)(1604)二月晦日(みそか)死セシ由、家ニ蔵(ぞう)スル過去帳(かこちょう)ニ見エタリ、浄氏ヨリ今ノ五兵衛マデ九代ニ及ベリト云フ。按ルニ重氏・氏経等将軍ノ譜(ふ)*2ニ所見(しょけん)ナケレバ最疑(うたが)フベシ。船戸ノコトハ足立郡鳩ケ谷町ノ民、喜市ナルモノノ先祖ヲ船戸大学助ト云ヒ卒年(そつねん)*3【没年】ハ伝ヘザレド其家ニ蔵スル天正七年(1579)小田原北条家ヨリ与ヘシ文書ニ、鳩ケ谷百姓船戸大学助トアレバ天正ノ頃世ニアリシ人ナリ、前ニイフ大学行氏ハ元亀元年(げんき)(1570)ニ卒(そつ)セシヨシ伝フレバ、大学助トハ別人ニテ其一族ナドニテアルベシ。
   *1:戦国時代末期に活躍した鉢形城主北条氏邦。
   *2:寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)。 江戸幕府が編集した国主、領主をはじめお目見え以上の士についての系譜の書。
   *3:没年。