新編武蔵風土記稿は徳川幕府編纂の武蔵国(現在の東京都・埼玉県と神奈川県の一部)の地誌。ここでは、『昭和改修版』を底本とした。

  水房村(みずふさむら)枝郷(えだごう) 
   太郎丸村(たろうまるむら)
(現・埼玉県比企郡嵐山町大字太郎丸)

 太郎丸村ハ水房村ノ西ニ続キテ江戸ヨリノ行程(こうてい)ハ本村ニ同ジ*1、水房庄(みずふさしょう)松山領(まつやまりょう)ト唱(とな)フ。古ハ水房村*2ノ内ナリシガ、寛文五年(かんぶん)(1665)検地(けんち)*3アリシヨリ別レテ枝郷(えだごう)*4トナレリ。此(この)検地ノ時村民太郎丸トイヘルモノ案内セシヨシ『水帳(みずちょう)』*5ニシルシタレバ、当村ハ此太郎丸ガ開墾(かいこん)セシ地ニテ村名トハナレルニヤ。家数二十余、東ハ中尾(なかお)*6・水房ノ二村ニ続キ、南ハ市ノ川(いちのかわ)ヲ界(くぎり)テ広野村ノ飛地(とびち)ニ隣(とな)リ、西ハ志賀村(しかむら)及ビ杉山村ニ接(せつせ)リ、北ハ広野・伊子(いこ)*7ノ二村ニ及ベリ。東西二町許(ばか)リ南北五町(ごちょう)余り、水利不便ナレバ天水(てんすい)ヲ仰(あお)イデ耕(こう)ヲナセド、又水溢(すいいつ)ノ患(わずらい)*8アリ。爰(ここ)モ本村*9ト同ク古ハ岡部氏ノ知ルトコロ*10ナリシガ、安永元年(あんえい)(1772)収公(しゅうこう)*11セラレ、同ク九年猪子左太夫(いのこさだゆう)ニ賜(たまわ)リ、今子孫(しそん)栄太郎ガ知ル所ナリ。
   *1:水房村は江戸より16里。1里は約3.927キロメートル。
   *2:現在は滑川町大字水房。
   *3:支配地の田畑(たはた)の面積(めんせき)や生産高を調査(ちょうさ)すること。
   *4:開発によって新しい村が作られたり、村高を分割して新村をつくったりしたとき枝郷とか枝村といった。
   *5:検地帳(けんちちょう)。
   *6:現在は滑川町大字中尾。
   *7:1868年(明治元年)に伊古村と変更(へんこう)した。
   *8:水害など。
   *9:水房村。
   *10:知行所。
   *11:幕府に回収。

 高札場(こうさつば)*1 村ノ西ニアリ。
   *1:禁令や法令を板書し、庶民に周知するよう掲示した場所。

 市ノ川 村ノ南堺(みなみさかい)ヲ流ル、川幅(かわはば)三間(さんげん)*1
   *1:1間は約1.8メートル。

 淡洲明神社(あわすみょうじんじゃ) 村ノ産神(うぶすなかみ)*1ナリ、村持(むらもち)。
   *1:守り神、鎮守の神。


 観音堂(かんのんどう)*1 村持。
   *1:観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の像を祀(まつ)っているお堂。