越畑村(おっぱたむら)【現・埼玉県比企郡嵐山町越畑】
 
本村古時松山領に属す

疆域(きょういき)*1
東は吉田勝田の村と林木或は耕地を接し西は市の川を隔てゝ奈良梨 上横田の二村と相対し、南は中爪村と市の川及ひ畦畔(けいはん)*2を劃(かぎ)り、杉山広野の二村と限るに林岡(りんこう)*3及畦畔を以てし、北は男衾郡西古里村と山巒(さんらん)*4を界(さかい)とす
   *1:境界内の土地。
   *2:あぜ。
   *3:林の丘
   *4:ぐるぐると巡っている山つづき。 

幅員(ふくいん)*1
東西十五町南北十七町十間
   *1:ひろさ。はば。

管轄(かんかつ)沿革(えんかく)
天正十八年(1590)徳川氏の有に帰し、旗下士高木築後守(ちくごのかみ)の采地(さいち)*1となる。 田に高四百六十八石一斗九升五合高木甚右衛門知行とのす 元祿元年戊辰(つちのえたつ)(1688)上地となり村高を割(さ)き二百三十四石九斗七升五合は代官に属し、二百三十四石九升七合五勺は酒井但馬守(たじまのかみ)に与(あた)ふ。十一年戊寅(つちのえとら)代官属地の内高七十八石三升を割(さ)き山高十右衛門に享保十二年丁未(ひのとひつじ)(1727)七十八石三升を羽太清右衛門の采地(さいち)となし、七十八石三升三合五勺を黒田豊前守(ぶぜんのかみ)の領地となす。明治元年戊辰(つちのえたつ)(1868)酒井羽太高山氏の采地は武蔵知県事に隷(れい)し、二年己巳(つちのとみ)(1869)品川県となり尋(つい)て韮山県に転(てん)し、黒田氏の領地は是(この)歳(とし)久留里(くるり)藩*2となり、四年辛未(かのとひつじ)(1871)七月久留県と改り、十月群馬県に転し、十一月韮山県と共に入間県に隷し、六年癸酉(みずのととり)(1873)熊谷県に属す
   *1:知行地。   
   *2:千葉県君津市久留里。

里程(りてい)*1
熊谷県庁より西南三里
四隣吉田村へ十五町奈良梨村へ十五町 杉山村へ二十一町男衾郡西古里村へ十町  
近傍(きんぼう)*2宿町中山道熊谷駅へ三里 字柳原を元標(げんぴょう*3とす
   *1:道のり。
   *2:付近。
   *3:測量のもととなる目標。

地勢
山脈南北に亙(わた)り市の川西南を流る東西に稍(やや)平地あり運輸便ならす薪炭贏余(えいよ)*1
   *1:あまり。

地味(ちみ)*1
色赤黒稲粱(とうりょう)*2に宜しく菽(しゅく)*3桑楮(ちょ)*4に適せす時々水旱(かん)に苦しむ
   *1:地質の良し悪し。  
   *2:稲(いね)と粟(あわ)。転じて穀物の総称。
   *3:まめ類の総称。
   *4:こうぞ。

税地
田 四十三町二反四畝四歩五厘
畑 四十三町九反八畝二十八歩
宅地 一町六反六畝六歩
山林 三十八町七反七畝二歩
総計 百二十七町六反六畝十歩五厘

字地
柳原(やなぎはら) 村の北方にあり東西一町五十三間南北四町
前大月(まえおおつき) 柳原の西南に連る東西二町五十四間南北一町二十五間
島(しま) 前太月の南方東西三町三十間南北一町三十四間
後谷(うしろやつ) 島の西東西三町三十四間南北一町三十間
大木(おおぎ) 後谷の東南東西三町四十間南北一町二十九間
小栗(おぐり) 大木の南東西二町五十五間南北二町三十二間
中櫛引(なかくしひき) 小東の西北東西一町三間南北三町二十六間
下櫛引(しもくしひき) 中櫛引の南東東西一町十七間南北三町四十三間

貢租(こうそ)
地租 米百三十一石六斗五升 金七十一円二十九銭八厘
賦金(ふきん)*1 金四十二円
総計 米百三十一石六斗五升 金百十三円二十九銭八厘
   *1:割り当てられた金銭。

戸数
本籍 八十八戸平民
社 三戸 村社一座 平社二座
寺 三戸 曹洞宗二宇 堂一宇
総計 九十四戸

人口
男 二百二十六口
女 二百二十二口
総計 四百四十八口

牛馬
牡馬三十頭

舟車
荷車一輛小車

山川
浅間山 高二十丈周回不詳。村の西にあり。樹木繁茂。山脈男衾郡鷹巣村に連る。字富士山より上る二町

市の川 深処五尺、浅処二尺。広処三間、狹処一間三尺 。緩流、清水、堤防あり。村の西方奈良梨より来り南方中爪、杉山二村の界に入る。其間十六町二十六間。田二町四反五畝歩の用水に供す

野郎子橋 熊谷道に属す。村の西南市の川の上流に架す。長四間、巾一間。土造。

賀須川 深処四尺、浅処二尺、巾二間。 源を村の西方より発し東南を環流して杉山村に入る。其間六町拾六間。田二町九反三畝九歩の用水に供す

庚申橋 熊谷道に属す。村の東南賀須川の上流に架す。長四間巾一間。石造

原野
大谷原(おおやつはら) 民有に属す村の北にあり。東は吉田村、西は奈良梨村、北は西古里村。樹木生ぜず唯(ただ)茅葦(ぼうい)*1を生ず
   *1:かやとあし。

湖沼
川後岩沼 東西四十間南北二十六間周回五町五十六間村の北にあり
十三間沼 東西二十六間南北九十間周回三町四十二間村の西隅にあり
三田堂沼 東西百八十一間南北二十三間周回七町村の西北にあり
相模沼 東西百一間南北三十三間周回四町村の南にあり以上の各沼村の用水に流す

道路
熊谷道 村の北方西古里村界より西方奈良梨村界に至る。長四町三十四間三尺、巾九尺

掲示場
村の東方にあり

森林
林 民有に属し村の南北に亘る。反別三十八町七反七畝二歩
堤塘(ていとう)*1
   *1:つつみ。土手。堤防。

囲堤(いてい) 市の川に沿ひ村の西方奈良梨村界より南方杉山村界に至る。長四町三十七間馬踏(ばふみ)*1一間堤敷(つつみしき)*2二間三尺。修繕費用大破は官に、小破は民に属す
   *1:ばぶ。堤防や土塁の上の人馬の通行する道路。
   *2:堤防の敷地。


神社
八宮社 村社々地東西二十間南北二十九間面積四百三十一坪 村の東にあり素盞嗚尊(すさのおのみこと)*1を祭る。祭日三月十日
   *1:天照大神の弟、病難除去、五穀豊穣の神。

浅間社 平社々地東西二十間南北三十間面積六百八十二坪村の西にあり木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)*1を祭る。祭日六月十五日
   *1:大山祇神の娘。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妃、富士山の神とみなされる。

社宮司社 東西十四間南北十七間三尺面積二百一坪村の西隅にあり倉稲魂命(うかみたまのみこと)*1を祭る。祭日三月十五日
   *1:五穀をつかさどる神。

仏寺
宝薬寺 東西二十三間南北二十八間面積三百八十三坪村の中央にあり。曹洞宗広野村広正寺の末派なり。元和中(1615-1623)僧南叟玄寿開基創建す

金泉寺 東西二十七間南北二十二間三尺村の中央にあり。本寺及び開基創建宝薬寺に同じ

薬師堂 東西九間南北十六間面積百三十七坪村の中央にあり

役場
事務所 村の北隅戸長宅舎を仮用す

古跡
城山城墟(あと) 東西五町南北三町村の西にあり風土記に土人(どじん)*1その所を城山(じょうやま)と呼ぶ。今は陸田(りくでん)*2となれり何の頃何人の住せしと云こと詳(つまびらか)ならず。或は庄主水(しょうもんど)と云し人の居蹟といへど、其年代も定かならず按(あん)。ずるに当国七党の内児玉の党に庄の権頭(ごんのかみ)弘高などあれば、是等の後裔(こうえい)*3なるにや云々(うんぬん)
   *1:その地に生れた人民、土地の人。
   *2:はたけ。
   *3:子孫。

物産
繭 十五石
米 百七十六石五斗
大麦 三十四石四斗
大豆 五十五石五斗
楮(こうぞ) 三百斤
竈石(かまどいし) 五十個
生絹(すずし)*1 百疋
瓦 五百駄
薪 八百八十駄
   *1:生糸の織物。

民業
男女農桑採薪を専らとす

■写真■
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日清日露戦役記念碑(八宮神社)

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新道(十三間道路)記念碑(八宮神社)

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越畑の獅子舞(八宮神社)