村誌
   比企郡古里村(ふるさとむら)戸長(こちょう)*1役場
     *1:村の行政事務をつかさどった者。江戸時代の名主が1872年4月改称。

武藏國比企郡古里村 【現・埼玉県比企郡嵐山町大字古里】
 本村古時ヨリ本郡*1水房庄*2、伊子郷*3、松山領*4ニ屬ス村名改称及ヒ分郷等ノ事ナシ。
  *1:比企郡。
  *2:『新編武蔵風土記稿』では、水房庄は「合村七」とある。『武蔵国郡村誌』では、「水房(みつふさ)庄は十五村(水房、中尾、太郎丸、広野、野田、岡郷、福田、伊古、羽尾、勝田、菅田、吉田、野田、山田、和泉、今村誌に拠る風土記には羽尾以下七村を載せず)。」とあり、古里村は挙げられていない。
  *3:『武蔵国郡村誌』には「渭後(ぬのしり)(沼乃之利(ぬまのしり))と註す今其地を伝えず恐らくは郡の東辺荒川水涯【水のほとり】の地をさすか)。」とあり、郷域には諸説がある。
  *4:『武蔵国郡村誌』には「松山領五十五(松山町、柏崎、市ノ川、長楽、岩殿、毛塚、葛袋、今宿、赤沼、熊井、早俣、石坂、正代、上押垂、下押垂、青鳥、古凍、今泉、上野本、下野本、石橋、羽尾、水房、伊古、中尾、奥田、須江、大橋、竹本、鎌形、千手堂、上唐子、下唐子、神戸、高見、能増、奈良梨、高谷、上横田、下横田、勝田、中爪、太郎丸、広野、越畑、吉田、平、野田、山田、岡郷、大谷、福田、和泉、土塩、泉井・按月ノ輪、菅田、古里の村誌に此名を記すれども風土記には載せず、是非判然せず、又長楽村方今川島領と称すと云、今風土記及村誌に拠る)。」とある。

疆域(きょういき)*1
 東ハ男衾郡(おぶすまぐん)*2塩村ヲ境トシ、北ハ同郡板井村本田村、西ハ同郡西古里村ニ接ス。南ハ亦比企郡吉田村ニ接ス。何レモ高低四隣ノ境界ヲナセリ。
  *1:境界。
  *2:1896年(明治29)大里郡に合併した。

幅員
 東西拾七町五拾間。南北拾五甼五拾間。

管轄沿革
 當村御繩入(なわいれ)*1ハ元和元年(げんな)(1615)ノ古帳面アリ。正保ノ頃(しょうほう)(1644-1648)ニハ高室喜三郎*2御代官所及ヒ酒井紀伊守*3有賀半左衛門*4市川太左衛門*5内藤權右衛門*6松崎權左衛門*7長井七郎右衛門*8カ知行*9トアリ。後、宝暦年中(ほうれき)(1751-1764)ニ至リ御料所(ごりょうしょ)*10ノ分ヲ清水殿*11ノ領知ニ賜リシニ、寛政年中(1789-1801)上リテ亦御料所トナレリ*12。松崎權左衛門ノ知行ハ子孫權左衛門忠延ノ時、延享二年(1745)七月二男松崎伊織幸喜(ゆきよし)*13ニ分テリ。酒井紀井守ノ知行ハ子孫兵部*14ノ時上リ、元禄十壱年(1698)林半太郎、横田源太郎、森本惣兵衛カ家ニ賜リ*15、猶此等ノ子孫、長井五左衛門、市川瀬兵衛、内藤熊太郎、有賀滋之丞、松崎藤十郎、仝弥兵衛、林半太郎、横田源太郎、森本惣兵衛ノ知行所ナリ。又御料所ハ清水殿領知トナリ、亦安政二卯年(1855)上リテ御料所トナリ、次ニ徳川氏政権奉還ノ後、明治元年辰(1868)十月御料、品川知縣事古賀一平支配トナル。又明治二年(1869)韮山縣管轄所ト換ル。仝四年(1871)入間縣管轄ト移リ、仝六年(1873)ニ至リテ熊谷縣權令楫取素彦支配ナリ。仝九年(1876)九月ニ至リシヨリ当令埼玉縣令白根夛助殿ト遷替タリ。
  *1:検地を行うこと。田畑を一筆ごとに間竿・縄などを用いて測量し、税別・品位・反高を定めること。
  *2:高室喜三郎昌成。『川本町史通史編』267頁参照。
  *3:酒井紀伊守忠吉。『川本町史通史編』279頁参照。
  *4:有賀半左衛門種親。『川本町史通史編』275頁参照。
  *5:市川太左衛門友昌。
  *6:内藤權右衛門種清。『川本町史通史編』274頁参照。
  *7:松崎權左衛門吉次。
  *8:長井七郎右衛門吉勝。『川本町史通史編』273頁参照。
  *9:領知。
  *10:幕府の直轄領。天領。
  *11:徳川将軍家の親族である御三卿の一つ。田安、一橋、・清水の三家。『川本町史通史編』278頁参照。
  *12:1795年(寛政7)7月。
  *13:松崎権三衛門忠延の弟。『滑川村史通史編』433頁では松崎忠富の弟としている
  *14:酒井兵部忠経。
  *15:林昭信と横田奉松も加える。

里程(りてい)*1
 熊谷縣廰(けんちょう)ヨリ西方二里廿甼。本郡吉田村元標ヘ[ 不明*2 ]。男衾郡西古里村元標ヘ拾六町。同郡本田村元標ヘ壹里。同郡板井村元標ヘ拾六町三拾間。仝郡塩村元標ヘ拾五町。本郡松山郡役所ヘ三里拾町。本郡小川村ヘ壱里廿町。榛澤郡寄居町ヘ三里五町。男衾郡今市分署*3ヘ卅町ナリ。
  *1:みちのり、里数。
  *2:「吉田村誌原稿」によれば吉田ー古里は15町。『武蔵国郡村誌』では10町。
  *3:1876年に設置された今市屯所(とんしょ)が翌年新築されて今市分署となる。1882年には松山警察署小川分署今市交番所、1876年には寄居警察署今市分署となる。

地勢
 東西山巒(さんらん)相連リ*1、地凸凹運輸便ナラズ。南北僅カニ水田ニ接ス。只薪炭(しんたん)贏餘(えいよ)*2アルノミ。
  *1:山がめぐりつならること。
  *2:余り。

地味(ちみ)*1
 其色赤黒土ニシテ真土(まつち)少ナシ。尤全村山林多クシテ、又北田ノ方水理不宜。時々旱損(かんそん)*3ノ患アリ。
  *1:地質の良否の状態。
  *2:耕作に適した良質の土地。
  *3:日照り、干害。

税地
 田 旧反別 三拾二甼(ちょう)七反七畝歩
   新反別 四十五甼三反十九歩
 畑 旧反別 三拾甼二反五畝廿七歩
   新反別 五拾甼六反二十歩
 宅地 旧反別 壱町九反壱畝貳拾八歩
    新反別 七町九反九畝歩
 山林 旧反別 九町壱反廿壱歩
    新反別 九十八町九反八畝三歩

飛地
 無之。

字地
 前田(まえだ)  明時(みょうとき)  下耕地(しもこうち)
 駒込(こまごめ)  岩根沢(いわねざわ)  尾根(おね)
 長峰澤(ながみねざわ)  向井(むかい)  薮谷(やぶやつ)
 内出(うちで)  中内出(なかうちで)  神傳田(じんでんだ)
 上耕地(かみこうち)  柏木(かしわぎ)  道三山(どうさんやま)
 神山(かみやま)  御領臺(ごりょうだい)  藤塚(ふじづか)
 馬内(もうち)  原後(はらご)  林合(はやしあい)
 中ノ下(なかのした)  新林(しんばやし)  蟹沢(がんざわ)
 二塚(ふたつか)  茨原(いばら)  保井(ぼい)
 元全町(がんぜんちょう)  清水(しみず)  善久(ぜんきゅう)
 上土橋(かみどばし)  下土橋(しもどばし)

溜池
 当村溜池十ヶ所アリ。
 字駒込沼(こまごめぬま) 東西十五間、南北四拾間。元標ヨリ寅ノ方*1ニアリ。
 字岩根沢沼(いわねざわぬま) 東西拾二間、南北四十間。元標ヨリ寅ノ方ニアリ。
 字尾根沼(おねぬま) 東西拾五間、南北拾間。仝寅ノ方ニアリ。
 字藪谷沼(やぶやつぬま) 東西廿五間、南北五拾間。元標ヨリ子ノ方*2ニアリ。
 仝所沼 東西拾二間、南北三十五間。仝子ノ方ニアリ。
 字神山沼(かみやまぬま) 東西三拾間、南北拾五間。元標ヨリ戌ノ方*3ニアリ。
 字馬内沼(もうちぬま) 東西三間、南北百五十間。元標ヨリ亥ノ方*4ニアリ。
 字原後沼(はらごぬま) 東西拾間、南北廿間。仝亥ノ方ニアリ。
 字林合沼(はやしあいぬま) 東西二拾五間、南北拾五間。元標ヨリ仝亥ノ方ニアリ。
 字蟹沢沼(がんざわぬま) 東西二拾五間、南北百二拾間。元標ヨリ子ノ方ニアリ。
 字茨原沼(いばらぬま) 東西拾貳間、南北廿五間。元標ヨリ子ノ方ニアリ。
 右溜池田方用水ナリ
  *1:東北東。
  *2:北。
  *3:西北西。
  *4:北北西。


貢租(こうそ)*1
 地租(ちそ)*2】 旧
         新
  *1:年貢。租税。
  *2:田・畑・宅地・山林等、土地に課した税。

戸數
 本籍 七拾九戸 平民

人數
 男 二百拾貳人 平民  女 貳百九人 平民
 総計 四百二十二人(ママ)


 牡馬(おすうま) 三拾壱疋(ひき)

舟車
 荷車 中三輌


 和田川(わだがわ)ハ鷹巣村(たかのすむら)、本田村(ほんだむら)ノ境ヨリ来リ、村ノ北境ヲ東流シテ板井村(いたいむら)ニ入ル。川幅八尺餘。

森林
 無之。

牧場
 無之。

礦山
 無之。

湖沼
 無之。

道路
 熊谷駅ヨリ小川村ヘノ通路アリ。東ノ方塩村境ヨリ来リ、西南ノ方西古里村地内ニ至ル。長拾壹町壹間壹尺、道幅二間。

堤塘(ていとう)*1
 無之。
  *1:つつみ。土手。


 無之。

温泉
 無之。

冷泉
 無之。

陵墓


【後に貼付られたもの】
   戰利兵□□  壱個
   奉納記    壱通   兵執神社
    明治四十三年(1910)五月拾参日、陸軍省ヨリ下附 印



 兵執神社(へとりじんじゃ)   本村鎮守。
  社地東西拾間、南北拾五間。本村中央字中内出ニアリ。勧請(かんじょう)*1年月未詳。武甕槌命(たけみかづちのみこと)ヲ祭ル。社内古木頗(すこぶ)ル繁茂セリ。
  祭日毎年九月十九日。
  *1:神仏の分身、分霊を迎えてまつること。

 稲荷神社   平社*2ナリ。
  社地東西拾壹間、南北廿壹間。本村元標ヨリ東北隅字清水ニアリ。勧請年月未詳。稲蒼魂命(うかのみたまのみこと)ヲ祭ル。社内老松等頗(すこぶ)ル繁茂セリ。毎年祭日二月初午。土俗ニ鎌倉稲荷ト称ス。然レドモ古紀書籍ハナケレドモ此辺旧小地名ヲ稲荷ト云ヒ、亦鎌倉稲荷ト云フ。然ルヲ中世誤テ社名ヲ脱シ小地名ヲ改メシカ、今ニ此辺元全町ノ小地名猶存セリ。此地徃古近隣ノ貢租(こうそ)取束ネ、國ノ主助ノ廰ヘ納ムル地ヲ以テ称セシ由、古老ノ口碑ニ傳フルナリ。
  *2:1871年(明治4)の太政官布告で、村社にもならなかった無格社のこと。

 愛宕(あたご)神社   平社ナリ。
  社地東西九間、南北六間。本村元標ヨリ東字尾根ニアリ。勧請年月未詳。火産靈命(ひぶせのかみ)ヲ祭ル。

 八幡神社   平社ナリ。
  社地東西四間、南北拾貳間。本村元標ヨリ西字馬内ニアリ。勧請年月未詳。保武夛別命(ほんだわけのみこと)ヲ祭ル。

 天満神社   平社ナリ。
  社地鎮守社内ニアリ菅原道真公ヲ祭ル。祭日貳月廿五日。

 日枝(ひえ)神社   平社ナリ。
  社地東西八間半、南北拾七間。本村元標ヨリ西字藤塚ニアリ。大山咋命(おおやまくいのみこと)ヲ祭ル。

 小女郎(こじょろう)神社  平社ナリ。
  社地東西九間、南北七間。本村元標ヨリ西字上耕地ニアリ。拷幡千々姫(たくはたちちひめのみこと)ヲ祭。

 山神社
  社地東西九間、南北拾貳間。本村元標ヨリ西北字蟹澤ニアリ。大山祗命(おおやまつみのかみ)ヲ祭。


 瀧泉寺(りゅうせんじ)
  天台宗。勧請年月未詳。江戸山王社別當観理院末金剛山金洲院ト云フ。開山ノ僧ハ貞治三年(1364)十月示寂(じじゃく)*1セシト云フノミ。其名詳ナラス。当寺元ハ光林寺ト号セシヲ、慶安三年(1650)真海ト云フ僧中興セシ時今ノ寺号ニ改メ、又安永六年(1777)光海ト云フ僧本堂再興ス。其後御一新ノ折柄右勧理院復飾(ふくしょく)*2ニ付東京浅草浅草寺末ニ相成。
  *1:高僧が死ぬこと。
  *2:僧が俗人にもどる事。還俗。

 重輪寺
  元ハ重林寺ト書セリ。曹洞宗上野國(こうづけのくに)群馬郡白川村瀧澤寺(りゅうたくじ)末舊里山(きゅうりざん)ト号ス。慶長二年酉年(1596)九月草創ニテ、開山理山銀察ハ寛永十年(1633)十一月廿五日寂ス。本尊地蔵ヲ安セリ。亦明和年中(1764-1772)七世愚友享賢中興ス。

學校
 公立小學一ヶ所。本村及ビ吉田、和泉、菅田、勝田五ヶ村聯合校ニシテ吉田學校ト称ス。本村元標ヨリ巳ノ方*1吉田村神沢安右衛門ノ宅ヲ假用ス。生徒男[ 不明 ]
  *1:南南東。

事務所
 本村中央字内出戸長(こちょう)安藤貞良ノ宅舎ヲ假用シテ事務ヲ扱フ。

病院
 無之。

郵便局
 無之。

器用物
 無之。

製糸場
 無之。

古跡
 無之。

名勝
 無之。

物産
 動物 繭五拾三石 鶏七拾羽 鶏卵二千百個
 植物 米質美百拾石 質悪三拾石
    大麥八拾五石 小麥四拾七石七斗
    大豆拾四石 小豆七石
    粟三石九斗 麥蕎拾石五斗
    實綿三石二拾八斤 製茶九拾七斤
    楮皮千二百斤

民業
 男農桑(のうそう)之暇間、薪炭(しんたん)ヲ業トスル者二十戸。
 女外稼之暇間、縫織(ほうしょく)ヲ業トスル者概畧(がいりゃく)*3
  *1:農耕と養蚕。
  *2:縫うことと機(はた)を織ること。
  *3:おおよそ。

                    比企郡古里村戸長安藤貞良
    明治十三年四月
  比企横見郡長鈴木庸行殿