武藏國比企郡吉田村誌 仝 【埼玉県比企郡嵐山町吉田】

凡例
一熊谷縣廰(けんちょう)ヲ載セテ埼玉縣廰(けんちょう)ヲ載セサル者ハ當時該縣ノ所轄ナレハナリ
一全村ノ面積未タ實測ヲ経サレヲ以テ暫ク之□□□如キモ□□實測ヲ経サレハ少差ナキ□□□□□村□記載ニ随フ
一原野牧場等該村ニナキ者ハ総テ科目ヲ掲ケス
一田畑其他反別ハ明治九年改正以前ノモノヲ記ス各村録申ニ據ル
一戸數人口學校生徒及舟車牛馬等ハ総テ明治九年(1876)一月一日ノ調査ニ據ル 仝上
一森林社□□□係ル者ハ該村元標 元標ナキ
 □□□家輻湊□□□リス[   ]リ之ヲ定ム
一管轄□□等新編武藏風土記大成武鑑藩翰譜武藏田園簿(むさしでんえんぼ)【正保期(1644〜1648)の武蔵国郷帳の控。各郡村高及び寄せ高、道のり等が書かれている】等ニ據リ校正シ猶疑ハシキ時ハ風土記或風田園簿或田ノ字ヲ冠シテ嵌(かん)注シ異同ヲ示ス
一字地ハ新編武藏風土記ニ載スル小名ノ如キ古称ヲ採ルト雖モ其古称ヲ失セシモノハ地租(ちそ)正後ノ称ヲ以テ之ヲ補フ

比企郡吉田村
 本村古時伊古郷水房庄松山領ニ属ス

彊域(きょういき)
 東ハ滑川【『新編武蔵風土記稿』比企郡総説に「水源は吉田・古里の二村の悪水流れ、古里村にて一条となり。三里ばかり流れて、松山町の北にて市ノ川に入。すべて砂利川なり」とある】ヲ隔テヽ和泉廣野両村ト相對シ西ハ越畑村南ハ勝田村ト山巒(らん)或ハ樵径(しょうけい)【小径】ヲ限リ北ハ土塩村【塩村の誤り】古里村男衾郡西古里村ト小径及ヒ耕地ヲ接ス

幅員
 東西拾九町廿間南北ニ拾三町廿間

管轄沿革
 天正十八年庚寅(かのえとら)(1590)徳川氏ノ有ニ帰シ後村高ヲ割(さ)キ旗下士折井市左衛門【寛永十年〜折井市左衛門次忠】山本四兵衛【寛永十年〜山本四兵衛正吉】曽我又左衛門【寛永十年〜蘇我又左衛門古祐】松下清九郎【寛永十年〜松下清九郎重氏】ノ采地(さいち)【領地・知行所】トス
 風土記○【?】高三百六十三石五斗八升折井左京二百石山本四郎兵衛十九石曽我又左衛門八十石六斗六升九合松下清九郎知行トノス
 曽我氏ノ采地ハ其後菅沼氏ニ替リ四氏世襲ス明治元年戊辰(つちのえたつ)(1868)折井氏四百石山本氏二百石松下氏八十石六斗六升九合菅沼氏十九石八升二合明治元年戊辰(つちのえたつ)武藏知県事ノ管轄トナリ二年己巳(つちのとみ)(1869)二月品川縣ニ隷(れい)シ【属し】八月韮山(にらやま)縣ニ轉シ四年辛未(かのとひつじ)(1871)十一月入間縣ニ属シ六年癸酉(みずのととり)(1873)熊谷縣ノ所轄トナル

里程(りてい)
 熊谷縣廰(けんちょう)ヨリ西方三里八町字前谷(まえやつ)ヲ元標トス
 四隣和泉(いずみ)村ヘ弐拾町勝田村ヘ十六町越畑村ヘ十五町古里村ヘ十五町土塩村【塩村の誤り】ヘ十五町小江川村(おえがわむら)ヘ三十町
 近傍(きんぼう)宿町松山町ヘ三里中山道熊谷驛ヘ三里八町

地勢
 山巒山巒(さんらん)連亘(れんこう)【長くつながり続くこと】起伏シ東ニ市ノ川【滑川の誤り】ヲ帯(お)ビ東北ニ少シク平地アルノミ運輸不便薪ハ餘アレトモ炭ハ乏シ

地味(ちみ)
 色赤或黄埴ヲ交ユ稲梁(とうりょう)ニ適シ麦桑ニ應ゼズ水利不便時々旱(ひでり)ニ若シム

税地
 田 四拾五町四反弐十四歩
 畑 四拾町四反九畝六歩
 宅地 壱町六反弐畝弐十九歩
 大縄場(おおなわば)【新たに開墾した土地の四囲を測量・検地し、およその面積を求めたもの】 弐十四町九反六畝四歩
 総計 百十弐町四反九畝三歩

字地
 長竹(ながたけ) 村ノ西隅ニアリ東西七町南北八町三十間
 沼下(ぬました) 長竹ノ東ニ連ル東西五町弐十間南北九町弐十間
 前谷(まえやつ) 沼下ノ東南ニ連ル東西九町三十間南北十六町弐十間
 下(しも)  前谷ノ東ニ連ル東西三町四十間南北十町三十間
 上(かみ)  下ノ西北ニ連ル東西八町五十五間南北六町三十間

貢租(こうそ)
 地租(ちそ) 金千三十七円八十一銭三厘
 賦金(ふきん)【わりあての金銭。県税】 金拾円四拾九銭六厘
 総計 金千四十八円三十銭九厘

戸數
 本籍 八拾四戸平民 社四戸 寺一戸曹洞宗
    総計八十九戸

人數
 男弐百六拾四口 女弐百三拾九口 総計五百三口

牛馬
 牡(おす)馬四拾貳頭

船車
 荷車一輛小車

山川
 滑川 深処一丈浅処三尺廣処五間狭処二間緩流濁水村ノ北方土塩村【塩村の誤り】ヨリ来リ東南端勝田村ニ入ル其間十一町五十間

湖沼
 三反田沼(さんたんだぬま) 東西五十間南北百弐拾間周回百七十間村ノ西方ニアリ
 五反田沼(ごたんだぬま) 東西百八十間南北三十間周回弐百十間村ノ西方【南方か?】ニアリ
 新沼(しんぬま)   東西百弐十間南北四拾貳間周回百六十貳間村ノ南方【西方か?】ニアリ

道路
 寄居道 村ノ東北【?】勝田村界ヨリ西方古里村界ニ至ル長三拾四町三間幅八尺
 □道  村ノ東方和泉(いずみ)村界ヨリ西方越畑村界ニ至ル長十三町廿五間巾三尺


 峰(みね)社  村社々地東西拾三間五尺南北拾三間五尺面積百弐拾五坪村ノ北方ニアリ祭神不詳祭日陰暦十月十五日
 六所(ろくしょ)社 村社々地東西十三間五尺南北十三間五尺面積百二十九坪村ノ南方ニアリ大山祇命ヲ祭ル祭日十月十五日
 手白(てじろ)社 村社々地東西十弐間三尺南北十六間一尺面積百五十弐坪村ノ中央ニアリ手白香姫命ヲ祭ル祭日十月十五日
 五龍(ごりゅう)社 村社々地東西九間南北十間面積七十四坪村ノ乾ノ方ニ在リ高□命ヲ祭ル祭日十月十五日


 宗心(そうしん)寺 東西三十一間南北五十一間面積千六百六十五坪村ノ中央民有地ニアリ曹洞宗中尾村慶徳(けいとく)寺ノ末派ナリ文禄三年(1594)元地頭折井市左衛門次忠開基(かいき)僧雲哲ヲ開山(かいさん)トス

事務所
 村ノ北方戸長(こちょう)宅舎ヲ假用ス

物産
 繭 拾石  楮 三百四十貫目  生絹(きぎぬ) 百六十疋(ひき)【布帛二反が一疋】
 薪 五百駄

民業
 男ハ農業ヲ専トシ女ハ農桑(のうそう)紡織ヲ専トス

  明治十五年(1882)七月編輯
           埼玉縣八等屬 三輪 正

右ハ当村由緒明治十五年(1882)ニ至リ密細捜索之上我等盡力編製之上縣令エ進達ノ後御下附候也
        比企郡吉田村
          筆生(ひつせい)【書記】
               藤野佐十郎∪
          仝
               藤野光五郎
          仝
               藤野喜一郎∪
               島田藤右衛門
          戸長
                鞠子萬右衛