三十三、宮澤彦太郎翁は大河村【現・小川町】疊の人で、昭和十二年(1937)二月に年七十餘、前記杉田久右衛門家の分家杉田槌氏の向いに住み、足袋屋あして居る。竹沢村勝呂の吉田源兵衛に算法を学び、源兵衛から授けられた書類をも蔵する。翁の談に拠れば、源兵衛は教えに来たもので、寝泊りして教えたのである。源兵衛から伝えられた書類には

   算法序曰……      吉田勝品謹白
   ……
   九章……
   明治十三年辰第八月廿七日
             關孝知先生九傳
           武陽男衾郡勝呂村
             吉田源兵衞平勝品
             七秩有三才頓首敬白
   右和歌二首
   右諸術勉強中八算見一等迄に 吉田勝品識之
     凡三百四十二術
   明治十三年辰九月大吉日、
      八算見一相除諸術合三百五十五術
   算法指南實誌大尾。   宮澤彦太良。
  算法秘術諸約翦管術五十問。
  ……
  明治十四年巳十二月三日終、……
  右秘傳不殘致傳授候也。
   秘術不レ可レ致二他見一候事。
       比企郡疊村 宮澤彦太郎

 此伝授書は吉田氏の遺品中のものと略々同じである。源兵衛が諸門人へ授けた事も、此れから知られる。
     『埼玉史談』12巻3号(1941年1月)23頁 目次