将軍沢村(現・比企郡嵐山町大字将軍沢)
 将軍沢村(しょうぐんざわむら)ハ江戸ヨリ十六里、玉川郷ニテ領名ハ前村*1ニ同ジ。村内ニ利仁将軍(としひとしょうぐん)*2ノ霊(れい)ヲ祭リシ大宮権現(おおみやごんげん)ノ社(やしろ)*3アルヲモテ将軍沢ノ名アリト云フ。上野国(こうずけのくに)世良田長楽寺(ちょうらくじ)ニ蔵(ぞう)セル文書ニ、

  武蔵国比企郡南方将軍沢郷内為燈明途田三段任家時*4申置之者所奉寄進世良田御寺也若於違乱之輩者永可為不孝之仁仍寄進之状如件
   正安(しょうあん)元年(1299)八月二日   沙弥静真*5

 世良田長楽寺為修理用途奉永代寄進武蔵国比企郡南方将軍沢内二子塚入道跡在家壱宇併田三段毎年所当八貫文事
  右依為氏寺為末代修理永代奉寄進者也然者及子孫不可被違乱背此之旨輩者永可為不孝仁乃自筆之状如件
   元徳二年(げんとく)(1330)八月二日   源満義(みなもとみつよし)*6

 静真ハ世良田三河前司(みかわぜんし)*7ノ子次郎教氏*8ノ法名ナリ、満義ハ教氏ノ孫弥次郎満義ナリ、コレニ拠(よ)レバ古へ世良田氏ノ所領ニシテ長楽寺*9ニ寄附セシコト知ルベシ。文中南方将軍沢ト記セシハ、往古(おうこ)郡中ヲ南北二ツニ分チシ故ノコトニテ已ニ総説ノ条ニ弁ゼリ。民戸九十、東ハ神戸村(ごうどむら)、南ハ須江(すえ)・奥田(おくだ)ノ二村ニ隣リ、西ハ鎌形(かまかた)村ニテ、北ハ大蔵(おおくら)・根岸(ねぎし)ノ二村ナリ。東西五町余南北十町余、天水ノ地ニシテ旱損(かんそん)*10アリ。御入国*11ノ後ハ御料所*12ナリシニ元祿十一年(1698)(げんろく)村内ヲ割テ大島氏ニ賜リ、今モ子孫大和守(やまとかみ)知ル所ナリ。残レル御料ノ地ハ宝暦年(1751—1764)(ほうれき)中清水殿領知トナリ、後再ビ御料トナリ今御代官支配セリ。
   *1:大蔵村(おおくらむら)。
   *2:平安時代の武人藤原利仁のこと。上野介(こうずけのすけ)、上総介(かずさのすけ)、武蔵守(むさしかみ)などの東国の国司(こくし)を歴任し平安時代中期の延喜15年(えんぎ)(915)に鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)になり、蝦夷(えぞ)討伐にむかった。東松山市下野本に鎮守府将軍藤原利仁を祀る利仁神社がある。この神社が古墳の上にあるのでその古墳を将軍塚古墳と呼ぶようになったという。
   *3:将軍沢村の村社日吉神社の境内神社である将軍社の由緒には、坂上田村麻呂将軍を祀り大宮権現と称すると記されている。坂上田村麻呂は平安時代初期の武将で征夷大将軍であった。将軍沢の村名由来もこれによるであろうと記されている。
   *4:世良田家時。
   *5:世良田家時の父。
   *6:世良田家時の子。
   *7:新田義重(よししげ)の子で世良田を支配した世良田義季(よしすえ)の子世良田頼氏(よりうじ)のこと。
   *8:世良田教氏。
   *9:開基は世良田義季。
   *10:ひでりによる損害。
   *11:徳川家康が1590年(天正18)に江戸城に入ったことをさす。
   *12:幕府の直轄領。天領。

高札場*1 村ノ中程ニアリ。
   *1:掟(おきて)などを書いて、人目を引く所に掲(かか)げた立て札の場所。

小名 高代 鶴巻 三段田 ラウス塚 茶臼塚トモイヘリ。

山王社(さんのうしゃ) 村ノ鎮守ナリ。明光寺持。此辺二町許リノ松林アリ不添ノ森(そわずのもり)ト云フ。

大宮権現社 高サ三尺許リノ塚上ニアリ、利仁将軍ノ霊ヲ祭レリ。相伝フ昔藤原利仁此地ヲ経歴シテ此塚ニ腰掛テ息(いこ)ヒシコトアリシ故カク号スト云フ。明光寺ノ持。

神明社(しんめいしゃ)*1
   *1:天照大神を祀る。

愛宕社(あたごしゃ)*1
   *1:防火の神を祀る。

稲荷社(いなりしゃ)*1 何レモ明光寺持。
   *1:五穀豊穣の神。

明光寺 天台宗*1、下青鳥村(しもおおどりむら)浄光寺末、堅横山医庵院ト号ス。本尊薬師ヲ安ス。開山明海寂年(じゃくねん)*2ヲ伝ヘズ。
 ○愛宕社
    *1:平安時代に唐の天台山で天台宗を学んだ最澄が帰国して比叡山に延暦寺をつくり、新しく開いた仏教の宗派。空海の開いた真言宗とともに平安仏教の中心になった。
   *2:死亡の年。