○将軍沢村(しょうぐんざわむら)【埼玉県比企郡嵐山町将軍沢】

本村古時玉川郷玉川領に属す。風(ふう)*1に村内に利仁将軍の靈を祭りし社あるをもて将軍沢の名ありと云とのす(載す)
  *1:「新編武蔵風土記稿」をさす。


彊域(きょういき)*1
東は神戸村山脈を接し、西は鎌形村、南は須江・奥田の両村と林巒(りんらん)*2或樵蹊(しょうけい)*3を限り、北は大蔵・根岸二村と道路或畦畔(けいはん)*4を界とす
  *1:土地の境。境界内の土地。
  *2:林と山。
  *3:きこりが通う細い道。
  *4:あぜ。くろ。


幅員(ふくいん)*1
東西十町四十間南北十八町四十間
  *1:ひろさ。はば。


管轄沿革
天正中(てんしょう)(1573−1592)徳川氏の有となり代官之を支配す。田*1に高七十三石七斗三升とのす。元禄十一年(げんろく)戊寅(つちのえとら)(1698)村高を割き旗下士(きかし)*2大島長門守の采地(さいち)*3となし、明和の頃(めいわ)(1764−1772)残高は清水家の領地となる。天保十三年(てんぽう)壬寅(みずのえとら)(1842)総高百六十四石一斗三合松平大和守の領地となり、明治二年(1869)前橋藩に隷し、四年辛未(かのとひつじ)(1871)前橋県と改り、尋(つい)て群馬県に隷し、又入間県に属し、六年癸酉(みずのととり)(1873)熊谷県の所轄となる
  *1:武蔵田園簿のこと。
  *2:将軍直属の武士。
  *3:領地。知行所。


里程(りてい)*1
熊谷県庁より未(ひつじ)の方*2四里
四隣大蔵村へ十町、根岸村へ十二町、神戸村へ二十五町、奥田村へ二十八町五間、須江村へ二十五町、菅谷村へ三十町
近傍宿町松山町へ二里五町。字三反田を元標(げんぴょう)*3とす
  *1:里数。道のり。
  *2:南西。
  *3:里程元標。里程をはかるもととなる所に立てる標識。


地勢
四囲山林運輸不便薪炭贏餘(えいよ)*1
  *1:あまり。


地味(ちみ)*1
色赤黒稲粱(とうりょう)*2に適さず、水旱(すいかん)*3に苦しむ
  *1:土地が肥えているか、いないかの状態。地質の良し悪し。
  *2:いねとあわ。穀物。
  *3:洪水と干魃(かんばつ)。


税地
田 八町九反四畝二十七歩
畑 三町五反二畝二歩
宅地 四反一歩
林 十八町四反二十四歩
総計 三十一町二反七畝二十四歩


貢租
地租 米四十三石六斗五升三合
    金二十五円一銭六厘


字地(あざち)
三反田(さんたんだ) 村の東北にあり東西十町四十五間南北五町
高台(たかだい) 三反田の西に連(つらな)る東西四町五十間南北九町三十間
鶴巻(つるまき) 高台の南に連る東西四町二十間南北五町五十間
沖の町(おきのまち)*1 鶴巻の東に連る東西五町三十間南北六町四十五間
  *1:仲ノ町のこと。


戸数
本籍 二十戸 平民
社 一戸 村社
寺 一戸 天台宗
総計 二十二戸


人口
男 五十七口
女 六十六口
総計 百二十三口


牛馬
牡(おす)馬 十一頭


山川
恵智川*1 深三尺巾一間、源(みなもと)を村の西南所々より発し合して一となり東方根岸村に入る、其間二十九町四十間
   *1:前川(まえかわ)のことか。


道路
八王子道 村の北方大蔵村より南方須江村界に至る、長二十五町巾二間
掲示場 村の東口より五町三間にあり


神社
日吉社(ひよししゃ) 村社。社地東西十五間、南北二十五間。面積二百三十坪。村の北方にあり大山祗命(おおやまづみのみこと)*1を祭る。祭日九月十九日
  *1:山の神。


仏寺
明光寺(みょうこうじ) 東西二十間、南北二十三間。面積四百七十坪。村の南方にあり天台宗下青鳥村(しもおおどりむら)淨光寺の末派(まっぱ)*1なり
  *1:末寺。


役場
事務所 村の中央戸長宅舎を使用す


物産
繭 四石
米 六十五石二斗
大麦 二十石
小麦 二十二石
大豆 二石八斗
桑 六十駄
薪(まき) 四百駄
炭 八百俵
木綿縞(もめんじま)*1 四十反
  *1:縞模様を織り出した綿布。


民業
男女農桑採薪*1を専とす
   *1:薪をとること。