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勝田

新編武蔵風土記稿 勝田村 ルビ・注

新編武蔵風土記稿は徳川幕府編纂の武蔵国(現在の東京都・埼玉県と神奈川県の一部)の地誌。ここでは、『昭和改修版』を底本とした。

  勝田村(かちだむら)(現・埼玉県比企郡嵐山町大字勝田)
 
 勝田村ハ松山領ニ属(ぞく)シ江戸ヨリ行程(こうてい)前村*1ニ異(こと)ナラズ*2。按(あんず)ルニ『東鑑(あずまかがみ)』*3建久四年(1193)二月十日ノ条(じょう)ニ、毛呂太郎季綱(もろたろうすえつな)*4勧賞(かんしょう)*5トシテ武蔵国泉・勝田ノ地ヲ賜フヨシ見エタリ。コノ勝田ト云フハ即チ当村ノコトニテ、泉ハ隣村和泉村(いずみ)ナルベシ。サレバ古クヨリ開ケシ村ナルコト知ラル。東ハ伊子村ニ隣リ、南ハ広野村ニテ、西ハ吉田村ニ錯(まじわ)リ、北ハ和泉村に境(さかい)セリ。東西十八丁南北二十五丁許(ばか)リ、民戸四十六。コノ村正保(しょうほう)ノ頃(1644−1648)ノモノ*6ニハ岡部外記(おかべげき)*7ガ知行(ちぎょう)タリシコト見エタリ。ソノ後モ子孫続キテ知行セシガ、安永元年(あんえい)(1772)岡部徳五郎罪(つみ)アリテ没収*8セラレ御料所(ごりょうしょ)トナリ、同キ九年猪子左大夫(いのこさだゆう)ニ賜(たまわ)リテ今モ其子孫栄太郎ノ知ル所*9ナリ。
   *1:伊子村(いこむら)。現・滑川町大字伊古。
   *2:江戸より16里。
   *3:吾妻鏡(あずまかがみ)。鎌倉幕府編纂(へんさん)の歴史書。1180年(治承4)源頼政(みなもとのよりまさ)の挙兵(きょへい)から,第六代将軍宗尊親王(むねたかしんのう)が解任(かいにん)されて1266年(文永3)に京都に帰るまでを記述(きじゅつ)。
   *4:季綱の父毛呂太郎季光(すえみつ)は入間郡毛呂郷(もろごう)の在地領主で、源頼朝に仕えて人柄と力量で信頼され、源氏一門に準(じゅん)じる待遇を受けて豊後守(ぶんごのかみ)に任じられ、毛呂郷の地頭職を安堵(あんど)されたという。季光の子季綱も頼朝に仕えていた。
   *5:ほうび。
   *6:正保田園簿。
   *7:今川義元(よしもと)の家臣川村善右衛門(かわむらぜんえもん)の妻は、善右衛門の死後に江戸幕府の後の二代将軍秀忠の誕生(たんじょう)で、その乳母(うば)として召しだされ、大姥(おおうば)と呼ばれて奉公した。大姥の息子の主水(もんど)は家康に仕え、家康の指示で大姥の旧姓を継(つ)いで岡部(おかべ)主水(もんど)を名乗ることになった。岡部外記は主水の孫で岡部家の三代目、将軍家光の時代に小姓組(こしょうぐみ)に組み入れられている。
   *8:岡部家は廃絶(はいぜつ)、岡部家八代目徳五郎は遠山(とおやま)の遠山寺(えんざんじ)に入門、27歳で死亡。
   *9:知行所。

 高札場(こうさつば)*1 村ノ西ニアリ
   *1:掟などを書いて、人目を引く所に掲げた立て札の場所。

 小名(こな) 高倉 新井 天神山

 淡洲明神社(あわすみょうじんじゃ) 村ノ鎮守(ちんじゅ)ナリ。

 天神社(てんじんじゃ)*1
   *1:菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る。学業成就、学問の神として崇拝されている。

 鹿島社(かしましゃ)*1
   *1:武勇の神、国家鎮護(こっかちんご)の神として武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀る。

 稲荷社(いなりしゃ)*1
   *1:五穀豊穣(ごこくほうじょう)、商売繁盛(しょうばいはんじょう)の神として信仰された。

  以上ノ四宇(よんう)*1ハ百姓持(ひゃくしょうもち)
   *1:4社。


 正福寺(しょうふくじ) 新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)*1、男衾郡(おぶすまぐん)富田村不動寺(ふどうじ)末、宝蔵山(ほうぞうさん)ト号(ごう)ス。開山(かいさん)祐尊(ゆうそん)、万治(まんじ)元年(1658)九月十六日示寂(じじゃく)ス*2。本尊(ほんぞん)弥陀(みだ)*3ヲ安(あん)ス*4。
   *1:空海によって開かれた真言宗の一派。
   *2:死去。
   *3:阿弥陀の略。
   *4:安置。

武蔵国郡村誌 勝田村 ルビ・注

   勝田村(かちだむら)【埼玉県比企郡嵐山町勝田】

本村古時水房庄松山領に属す 元(も)と菅田村と一村たりしが安永五年丙申(ひのえさる)村高二百五十四石七升八合内六十石四斗五升七合を割(さ)き菅田村を置く

疆域(きょういき)*1
東は伊古村と山巒(さんらん)*2及溪水(けいすい)*3を限り、西は吉田村と林木或道路を界(さかい)とし、南は越畑広野の二村と山巒(さんらん)及畦畔(けいはん)*4を境(さかい)し、北は広野村飛地(とびち)*5と耕地を接し、滑川を隔(へだ)てて和泉村に対す。
   *1:境界内の土地。
   *2:ぐるぐると巡っている山つづき。
   *3:谷川。
   *4:あぜ。
   *5:同じ行政区に属するが他にとび離れて存在する土地。

幅員(ふくいん)*1
東西十三町三十間南北十五町
   *1:ひろさ。はば。

管轄(かんかつ)沿革(えんかく)
天正中【1573〜1591】徳川氏の有に属し、後岡部外記(げき)の采地(さいち)*1となる。 風土記高二百五十四石七升八合とす【田園簿】 安永元年壬辰(みずのえたつ)【1772】上地(じょうち)*2となり九年庚子(かのえね)【1780】猪子左太夫に与(あた)ふ。其高百九十三石六斗二升一合あり。明治元年戊辰(つちのえたつ)【1868】武蔵知県事に隷(れい)し、二年己巳(つちのとみ)二月【1869】品川県となり,八月韮山県に転(てん)し、四年辛未(かのとひつじ)【1871】入間県に隷(れい)し、六年癸酉(みずのととり)【1873】熊谷県に属す。
   *1:領地。知行地。
   *2:お上に土地を返上すること。

里程(りてい)*1
熊谷県庁より南方三里
四隣吉田村へ二十町和泉村へ十四町広野村へ二十五町伊古村へ三十町
近傍(きんぼう)*2宿町松山町へ二里三十町字高倉を元標(げんぴょう)*3とす
*1:道のり。
*2:付近。
*3:測量のもととなる目標。

地勢(ちせい)*1
東西南は山巒(さんらん)*2連亘(れんこう)*3雑樹(ぞうき)欝葱(うつそう)*4し、北方僅(わず)かに平地あるのみにて、運輸不便薪炭贏余(えいよ)5   *1:土地のありさま。
   *2:ぐるぐると廻っている山つづき。
   *3:長くつらなり続くこと。   
   *4:樹木がしげってあおあおとしている様。
   *5:あまり

地味(ちみ)*1
色赤黒黄相混し砂礫(されき)*2を交(まじ)ゆ。稲麦桑に応す。水利不便、時々旱(かん)*3に苦しむ
   *1:地質の良し悪し。
   *2:こまかい石。
   *3:ひでり。

税地
田 十五町二反四畝六歩 
畑 二十四町一反二畝二十四歩 
宅地 六反七畝十三歩 山林 十八町八反六畝十二歩 
総計五十八町九反二十五歩

飛地(とびち)*1
本村の東方広野村の内田二反十九歩 菅田村の内畑二十六歩
*1:同じ行政区に属するが、他に飛び離れて存在する土地。

字(あざ)地
高倉 村の中央より西に亘る(わたる)東西三町南北三町四十五間

貢租(こうそ)*1
地租 米六十四石六斗二升 金三十六円六十五銭一厘
賦金(ふきん)*2 金九円 
総計 米六十四石六斗二升 金四十五円六十五銭一厘
   *1:田地に課せられる租税。
   *2:わりあてられた金銭。

戸数
本籍 三十三戸平民 
社  三戸村社 
寺  一戸新義真言宗 
総計 三十七戸

人口
男 八十八口 
女 八十口 
総計 百六十八口

牛馬
牡馬二十一頭

山川[原本記載を缺く]

森林
林 民有に属し村の東西に亘る(わたる)反別(たんべつ)十八町八反六畝十二歩雑樹茂生(もせい)す

湖沼(こしょう)
長沼  東西二十六間南北二町二間周回五町十三間 村の南方にあり
洞分(ほらわけ)沼 東西二十五間南北二十七間周回二町四十八間村の南方にあり
尺尻沼 東西一町六間南北十四間周回二町四十二間 村の南方にあり以上沼水にて村の用水に供す

道路
小川道 村の北方和泉村界より南方広野村界に至る。長十五町四十五間巾一丈
寄居道 村の東方伊古村界より西方吉田村界に至る。長四町五間巾九尺

掲示場
村の東方にあり

神社
淡洲(あわす)社 村社々地東西十五間南北十一間三尺面積百五十一坪村の中央にあり息長足姫命(おきながたらひめのみこと)*1を祭る。祭日九月十九日
     *1:神功皇后のこと。


天神社 平社々地東西六間南北七間三尺面積七十一坪村の中央にあり、菅原道真を祭る。祭日二月二十五日

鹿島社 平社々地東西九間三尺南北五間面積四十七坪村の東方にあり武甕槌姫命(たけみかづちのひめのみこと)を祭る。祭日三月十五日
 
仏寺
勝福寺 東西三十三間南北十五間三尺面積五百十八坪村の北方にあり。新義真言宗男衾郡富田村不動寺の末派なり。万治の頃【1658〜1660】僧祐尊開基(かいき)す

役場
事務所 村の北方戸長宅舎を仮用す

物産
繭  四石 
米  百十五石 
大麦 五十石 
小麦 二十五石 
大豆 十五石 
小豆(あずき) 三石三斗 
桑  百六十五駄
楮(こうぞ)*1千貫目   
生絹(すずし)*2百五十疋  
薪(まき)五百駄  
   *1:樹皮は和紙の原料。
   *2:生糸の織物。

民業
男女農業採薪(さいしん)*1を専とす
   *1:薪をとること。  

神社明細帳 淡洲神社 七郷村(現・嵐山町)勝田 ルビ・注

埼玉縣武蔵國比企郡七郷村(ななさとむら)大字勝田(かちだ)字前
 村社(そんしゃ) 淡洲神社(あわすじんじゃ)

一 祭神(さいじん)
    保武田別尊(ほんだわけのみこと)*1
    息長足日賣命(おきながたらしひめのみこと)*2
    武内宿称命(たけのうちのすくねのみこと)*3
    菅原道真公(すがわらのみちざねこう)*4
    武甕槌命(たけみかづちのみこと)*5
   *1:誉田別命・品陀和気命。応神天皇(おうじんてんのう)。応神天皇のこと。仲哀天皇の第四皇子。母は神功皇后。
   *2:息長足媛命・息長帯比売命・気長足姫尊。神功皇后(じんぐうこうごう)。『古事記』『日本書紀』にみえる仲哀天皇の皇后。
   *3:武内宿禰。『古事記』『日本書紀』にみえる、葛城・平群・巨勢・蘇我の四氏をはじめ二十八氏の祖先とされる伝承的人物。
   *4:平安前期の公卿・学者・文人(845-903)。学問・書・詩文にすぐれ、菅公と称され、後世、天満天神として祭られる。
   *5:日本神話で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神。鹿島神宮の祭神。

一 由緒(ゆいしょ) 勧請(かんじょう)*1年月不詳(ふしょう)、宝永(ほうえい)年中(1704-1711)中宮(ちゅうぐう)建立、文化年中(1804-1818)上□建立、嘉永(かえい)年中(1848-1854)鳥居建立。
 元淡洲明神ト唱来(となえきたり)シ処(ところ)御維新(いしん)*2ノ際(さい)當号(とうごう)ニ改稱(かいしょう)ス。
 明治四十年(1907)四月十七日同大字勝田字菅原臺無格社(むかくしゃ)天神社(てんじんじゃ)、生前無格社鹿島神社(かしまじんじゃ)ヲ本社ニ合祀(ごうし)ス。
 明治四十一年(1908)三月三日上地林参畝(せ)八歩(ぶ)境内編入許可。
   *1:神仏の分身、分霊を他の地に移してまつること。
   *2:明治維新。

一 社殿 本殿
一 境内 参百九拾九坪
一 氏子 四拾貮戸

※淡洲神社境内図(『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁、1992年)1403頁)
淡洲神社(勝田)

空から見た嵐山町 375 勝田・広野・花見台 2011年10月

嵐山町花見台
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勝田・広野

2011年10月4日、内田泰永さん撮影

A:後沼、B:谷沼
C:JA嵐山ライスセンター(嵐山町広野)(ひろの
D:高倉集会所(嵐山町勝田)(かちだ)
E:嵐山花見台工業団地管理センター(嵐山町花見台)(はなみだい)
F:埼玉県道69号深谷嵐山線

寺院明細帳 新義真言宗 勝福寺 七郷村(現・嵐山町)勝田 ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡勝田(かちだ)村字菅原臺
 同縣同国男衾郡(おぶすまぐん)富田村(とみだむら)不動寺(ふどうじ)末
  新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)智山派(ちざんは)
   勝福寺(しょうふくじ)*1
   *1:江戸時代の『新編武蔵風土記稿』には寺院名が正福寺、宗派は新義真言宗と記されている。真言宗は平安時代に空海によって開かれた宗派で、新義真言宗はその一派である。1900年(明治33)に新義真言宗智山派と称することにした。
     参考までに、本寺の寄居町富田の不動寺は真言宗智山派である。現在は「新義」をつけないで真言宗智山派と称している。

一 本尊(ほんぞん) 阿彌陀如来(あみだにょらい)

一 由緒(ゆいしょ) 開山(かいざん)祐尊(ゆうそん)万治元年(まんじ)(1658)九月建立。宝蔵山(ほうぞうさん)ト号(ごう)ス
   *1:『新編武蔵風土記稿』には、「万治元年九月建立」ではなく、「開山祐尊万治元年九月十六日示寂」と記されている。

一 本堂 間口(まぐち) 五間(けん)三尺(じゃく)
     奥行(おくゆき) 四間三尺

一 庫裡(くり)*1 間口六間三尺 奥行二間三尺
   *1:住職やその家族の住む所

一 境内(けいだい) 四百四拾貮坪(つぼ) 官有地第四種

一 境外所有地
田反別(たたんべつ) 壱畝(せ)六歩(ぶ) 勝田村字西新井
 地價(ちか) 金七円四拾三銭(せん)六厘(りん)
田反別 壱畝八歩 同村字同所
 地價 金五円六拾九銭貮厘
田反別 壱畝歩 同村字同所
 地價 金五円拾八銭七厘
田反別 四畝八歩 同村字菅原臺
 地價 金拾四円六拾八銭八厘
田反別 六畝五歩 同村字同所
 地價 金貮拾壱五銭貮厘
畑(はたけ)反別(はたけたんべつ) 三畝拾七歩 同村字西新井
 地價 金五円拾八銭七厘
畑反別 貮畝歩 同村字同所
 地價 金八拾八銭七厘
畑反別 四畝九歩 同村字菅原臺
 地價 金六円貮拾五銭八厘
畑反別 三畝八歩 同村字同所
 地價 金五円四拾九銭三厘
畑反別 六畝廿七歩 同村字同所
 地價 金三円六銭
畑反別 五畝拾四歩 同村字同所
 地價 金貮円四拾三銭三厘
畑反別 六畝拾八歩 同村字同所
 地價 金貮円九拾貮銭貮厘
林反別 七畝拾九歩 同村字菅原臺
 地價 金七拾六銭三厘
林反別 壱畝拾歩 同村字同所
 地價 金貮拾六銭七厘
林反別 六畝九歩 同村字同所
 地價 金六拾三銭
宅地反別 貮畝廿壱歩 同村字前
 地價 金六円七拾九銭三厘

一 檀徒(だんと) 三十四人
一 管轄廳(かんかつちょう)迄(まで)  拾三里
                    以上

嵐山町の桜 西新井〜大野田(勝田) 3 2008年4月15日

池ノ頭〜大野田(嵐山町大字勝田)
6647〜6657パノラマ3
2008年4月15日撮影

嵐山町の桜 西新井〜大野田(勝田) 2 2008年4月15日

菅原台・淡洲神社(嵐山町大字勝田)
6647〜6657パノラマ2
2008年4月15日撮影

嵐山町の桜 西新井〜大野田(勝田) 1 2008年4月15日

西新井〜菅原台(嵐山町大字勝田)
6647〜6657パノラマ1
2008年4月15日撮影

嵐山町の桜 池ノ頭(勝田) 2008年4月15日

嵐山町大字勝田字池ノ頭

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淡洲神社

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字前耕地

2008年4月15日撮影

嵐山町の桜 菅原台(勝田) 2008年4月15日

嵐山町大字勝田字菅原台

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字前耕地

2008年4月15日撮影

嵐山町の桜 勝田農村センター 2010年4月6日

勝田農村センター(嵐山町勝田)

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2010年4月6日撮影

嵐山町の桜 鹿島(勝田) 2010年4月6日

旧ゲートボール場(嵐山町大字勝田字鹿島)

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2010年4月6日撮影

嵐山町の桜 淡洲神社(勝田) 2010年4月6日

淡洲神社(嵐山町勝田)
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2010年4月6日撮影

古い写真 道路清掃 3 勝田 1957年

道路清掃(勝田)
アルバムA064

空から見た嵐山町 291 高倉前・花見台 2010年12月

高倉前・花見台
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2010年12月11日 内田泰永さん撮影

A:農事組合法人らんざん営農、B:JA埼玉中央嵐山給油所、C:JA埼玉中央農機修理センター、D:JA埼玉中央農業倉庫、E:JA嵐山ライスセンター(大字広野字高倉前)
F:花見山薬師堂、G:高倉集会所、H:後沼(勝田字花見台)
I:フリーパネル(花見台)
J:埼玉県道69号嵐山深谷線
K:庚申橋、L:高倉橋(粕川)
 →「空から見た嵐山町20 粕川にかかる橋1

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