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杉山

七郷村誌原稿 杉山村(社寺明細帳) ルビ・注

社寺明細帳
比企郡杉山村
埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字清明 村社    八宮神社
一祭神 建速須佐之男(たけはやすさのお)命
    大己貴(おおなむち)命
    稲田比賣(いなだひめ)命
一由緒 祭神建速須佐之男命大巳貴命稲田比賣命徃古勸請四十五代聖武帝ノ御宇【西暦七二四〜七四九年】ト申其後六十一代朱雀院ノ御宇【西暦九三〇〜九四六年】天慶二年【西暦九三九年】十二月平将門(たいらのまさかど)関東ニ在リテ謀反(むほん)ヲ起シ朝意ニ叛キ此時六孫王經基(つねもと)公當村ノ旧城ニ御出陣在テ藤原秀郷(ふじわらひでさと)平貞盛(たいらのさだもり)ヲシテ當国ノ精兵ヲ募リ将門ヲ討ス時陣中疫癘流行シ斃者不少依テ社頭ニ於テ朝敵征討得疫癘(えきれい)消除ノタメ御意願有之霊験著シク反賊怱チ伏誅シ疫疾頓(にわか)ニ癒(いゆ)依テ經基王再ヒ當社ヲ修繕シ四方四維ノ村落ニ祀テ八宮神社ト号シ法施トシテ仁王會六万部御修行有之今ニ六万塚六万坂ト申所アリ城跡僅ニ存ス此言審ナラスト雖モ傅テ有之今ニ春秋両度祭典ヲ成シ皇國安全ノ祝詞(のりと)ヲ奉ス依テ前記前摘記載ス
一社殿(しゃでん)間數 間口貮間壱尺五寸
      奥行三間壱尺
一境内(けいだい)坪數 百四坪 官有地第壱種
一氏子戸數 五拾二戸
一管轄廳迄距離里數 十二里二十五丁
以上

右之通取調候処相違無御座候也
右村         氏子総代      明治十五年十月三日       内田六平 ∪ 仝 初雁源作 ∪ 金子惣三郎∪ 祠掌        杉山儀順 ∪ 戸長        初雁良助 ∪

埼玉縣武蔵國比企郡杉山村字上城ヶ谷戸
積善寺由緒
抑當山者人皇第一百五代後柏原院御宇【西暦一五〇〇〜一五二六年】大永五年【西暦一五二五年】ノ草創ニシテ祐源阿闍梨ノ開基(かいき)ナリ本尊ハ則チ開祖自ラ調((彫))刻シ玉フ尊像アリ[ナリ?]其原由ヲ尋ルニ城跡ノ山腹ニ清泉アリ徃昔(おうせき)【むかし】根本大師(こんぽんたいし)福聚金剛(ふくじゅこんごう)【平安初期の天台宗の開祖最澄(767年〜822年)のこと。伝教大師】此處ニ於テ金光明経(こんこうみょうきょう)廣説(こうせつ)シ玉フ聖地也云々彼ノ至徳ニ慣(なじみ)テ[祐]源[阿]闍梨爰ニ一宇ノ精舎ヲ建立シ彌陀ノ尊躯ヲ奉安置國家安穏萬民豊樂ノ為ニ金寳山王ノ法會[?]ヲ修行シ玉フ霊地ナリ故ニ号ヲ福王山泉明院積善寺ト称ス

埼玉縣下武蔵国比企郡杉山村字上城ヶ谷戸    男衾郡塚田村       普光寺末    天台宗比叡山派 積善寺
一本尊阿彌陀如来
一由緒
一堂宇間數 間口七間三尺 奥行六間
一庫裏(くり)間數 間口貮間三尺 奥行三間三尺
一境内(けいだい)坪數貮百八拾七坪 官有地 第四種
一境外(けいがい)所有地
 田反別弐反八畝廿七歩  杉山村字岩花
  地價金百弐円四拾九銭五厘
 田反別弐畝廿八歩 同村字表猿ヶ谷戸
  地價金八円拾七銭
 畑反別四反七畝九歩 同村字玉ノ岡
  地價金四拾四円三厘
 林段別八畝拾六歩 同村字上城ヶ谷戸
  地價金壱円廿八銭
 林段別四畝四歩 同村字玉ノ岡
  地價金六拾弐銭
 林反別四反五畝壱歩 同村字下城ヶ谷戸
  地價金六円七拾五銭五厘
 荒地反別壱畝拾五歩 同村字岩花
  明治九年ヨリ仝十七年迄九ヶ年季
一檀徒人員三拾九人
一管轄廳迄ノ距離 拾貮里弐拾五丁
  以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村         檀徒総代      明治十五年十月三日 新井□次郎∪ 仝        伊藤和十郎∪ 仝        水島源次郎∪ 積善寺住職     萬山純衛 ∪ 戸長        初雁良助 ∪

埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字豊岡     仝郡大谷村      宗悟寺末   曹洞宗  蔵身庵
一本尊地蔵尊
一由緒不祥
一堂宇間數 間口六間三尺 奥行五間
一境内(けいだい)坪數貮百五拾壱坪持文[分]蔵身庵
一境外(けいがい)所有地
 田段別五畝拾四歩 杉山村字中窪
  地價金貮拾四円四拾六銭五厘
 田段別壱畝三歩 仝村字同
  地價金四円五拾四銭四厘
 畑段別七畝六歩 仝村字関口
  地價金七円拾六銭
 林段別貮反三畝三歩 仝村字豊岡
  地價金三円四拾六銭五厘
一信徒人員拾壱人
一管轄廰迄距離里數拾貮里貮拾五丁
   以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村         信徒総代      明治十五年十月三日      金子忠三郎∪ 仝        金子熊次郎∪ 仝        初雁亰之助∪ 本山比企郡大谷村宗悟寺住職      厚見玉峯   戸長        初雁良助 ∪


十三年五月十八日郡出張小川村ヘ出向再調ニ付取調出
埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字下城ヶ谷戸 男衾郡塚田村      普光寺末   積善寺
天台宗比叡山派
一本尊阿弥陀如来
一由緒不祥
一堂宇間數 間口七間三尺
      奥行六間
一庫裏(くり)間數 間口貮間三尺
      奥行三間三尺
一境内(けいだい)坪數貮百八拾七坪    官有地 第壱種
一境外(けいがい)所有地
 耕地反別貮反八畝貮拾七歩  杉山村字岩花
   地價金百貮円四拾九銭五厘
 耕地反別貮畝廿八歩     同村字表猿ヶ谷戸
   地價金八円拾七銭
 耕地反別四反七畝九歩    同村字玉ノ岡
   地價金四拾四円三厘
 山林反別八畝拾六歩     同村字上城ヶ谷戸
   地價金未定
 山林反別四畝四歩      同村字玉ノ岡
   同断
 山林反別四反五畝壱歩    同村字下城ヶ谷戸
   同断
 荒地反別壱畝拾五歩     同村字岩花
   同断
一檀徒人員三拾九人
一管轄廰迄ノ距離拾壱【貳】里廿五丁
以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村戸長代理     筆主     明治十二年九月           水島源次郎

埼玉縣下武蔵国比企郡杉山村字清明 村社    八宮神社
一祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
    大巳貴命(おおなむちのみこと)
    稲田姫命
一由緒 不祥
一社殿(しゃでん)間數 間口貮間壱尺五寸
      奥行三間壱尺
一境内(けいだい)坪數 百四坪  官有地 第壱種
一氏子戸數 五拾貮戸
一管轄廰迄距離里數拾壱里貮拾五丁
以上

埼玉縣下武蔵国比企郡杉山村字豊岡 宗悟寺末       曹洞宗 蔵身庵
一夲尊地蔵尊
一由緒不祥
一堂宇間數 奥行 五間
      間口 六間三尺
一境内(けいだい)坪數 貮百五拾壱坪 税地
一境外(けいがい)所有地
 耕地段別五畝拾四歩   杉山村字中窪
  地價金貮拾四円四拾六銭五厘
 耕地段別壱畝三歩    杉山村字同
  地價金四円五拾四銭四厘
 耕地段別七畝六歩    同村字関口
  地價金七円拾六銭
 山林段別貮反三畝三歩  同村字豊岡
  地價金未定
二信徒人員拾壱人
管轄廰迄距離里數 拾壱【貳】里貳拾五丁
以上

埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字豊岡 同郡大谷村      宗悟寺末   蔵身庵
一本尊地蔵尊
一由緒不詳
一堂宇間數 間口六間三尺
      奥行五間
一境内(けいだい)坪數 貮百五拾壱坪  税地
一境外(けいがい)所有地
 田反別五畝拾四歩    杉山村字中窪
  地價金貮拾四円四拾六銭五厘
 田反別壱畝三歩     同村字同上
  地價金四円五拾四銭四厘
 畑反別七畝六歩     同村字関口
  地價金七円拾六銭
 林反別貮反□畝三歩   同村字豊岡
  地價金三円四拾六銭五厘
一信徒人員拾壱人
一管轄廳迄距離里數拾貮里貮拾五丁
以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村      戸長     初雁良助∪


神官名簿 比企郡杉山村             村社祠掌           杉山儀順         文政八酉年十月十一日生
就職明治九年四月廿一日
教導職明治十三年九月十日拝命
   補權少講義
本籍埼玉縣武蔵國比企郡杉山村第拾番地

天台宗住職名簿 比企郡杉山村             天台宗積善寺住職       萬山純衛         天保十一子年七月廿四生
天台宗本寺 武蔵國男衾郡塚田村 
            普光寺末
住職明治九年十二月廿日 拝命    
教導職明治九年三月十九日
   試補
本籍埼玉縣平民武蔵國男衾郡赤濱村第百拾三番地

右は本郡第十七号御達ニヨリ神社寺院住職及教導職之者取調候処別紙之外更ニ無之依テ此段御届及候也
右村     戸長    明治十六年六年三日         初雁良助

 比企横見郡長鈴木庸行殿

七郷村誌原稿 杉山村(地籍帳) ルビ・注

  地籍帳
武蔵國比企郡   杉山村

官有地
 第一種
  一神地 村社反別三畝拾四歩

 第三種
  一林反別貮反三畝拾歩
 内
    用材林反別壹反八畝拾三歩
    薪炭(しんたん)材林反別四畝廿七歩
  一原野反別五町七反八畝廿貮歩
 内
    芝地反別四町八反八畝拾歩
    秣場(まぐさば)反別九反拾貮歩
  一籔地反別壹畝歩
  一河反別貮町五反四畝拾五歩
 内
    市ノ川反別貮町壹反四畝歩 但長三千二百拾間
巾平均二間  
    賀須川反別四反拾五歩 但長千二百十五間
                巾平均壱間
  一溝渠(こうきょ)反別四反四畝拾五歩
 内
    用惡水路反別三反貮畝拾五歩
    堀敷反別壹□貮畝歩
  一堤塘(ていとう)反別壹町貮反四畝拾八歩
 内
    市ノ川堤敷(つつみしき)反別壹町貮反歩
    賀須川堤敷(つつみしき)反別四畝拾八歩
  一道路反別三町八反貮畝六歩
   内
    村道反別七反廿歩
    耕作道反別三町壹反壹畝拾六歩

 第四種
  一寺院境内(けいだい)反別九畝拾七歩

民有地
 第一種
  一田反別貮拾四町九反廿四歩
 内
    反別貮畝拾歩 冷水堀
    反別八歩 湧水場(ゆうすいば)
    外反別壹町七反五畝廿九歩 畦畔敷
  一畑反別貮拾八町八反九畝拾七歩
 内
    反別廿貮歩 湧水場(ゆうすいば)
  一郡村宅地反別四町三反六畝廿四歩
  一田荒地反別貮畝廿五歩 明治九年ヨリ仝十七年迄九ヶ年季
  一林反別六拾五町九反廿歩
 内
    用材林反別四町三反貮畝歩
    薪炭(しんたん)材林反別六拾壹町五反八畝廿歩
  一藪地反別壹町五反四畝廿六歩
  一芝地反別壹反八畝廿三歩
  一小學校敷地反別貮反六畝七歩

 第二種
  一溜池反別壹町貮反四畝三歩
  一墓地反別貮反壱畝拾四歩
  一斃馬捨場反別七畝廿四歩

合反別百四拾三町六反壹畝廿三歩
 此譯
  官有地
此反別拾四町貮反壹畝廿三歩
  民有地
此反別百貮拾九町三反九畝廿六歩

右者地籍編纂之儀本年本県乙第六号ヲ以御達之趣ニ依リ私共立會取調候処書面之通相違無之候也
比企郡杉山村         小前惣代      明治十五年五月十八日       早川徳次郎∪ 仝 水島源次郎∪ 戸長        初雁良助∪
 埼玉縣令吉田清英殿



標籏建設地所近傍(きんぼう)図調製心得
一図面ハ標籏建設地ヲ実見シ地券図ニ照準シテ雛形ノ如ク標籏アル処ヲ中央トシ北ヲ上トシ南ヲトシ東西ヲ左右トシ美濃全紙充分丈ヶ地券図(六百分一)(即チ一分壱間)ニ写取可シ
一若シ美濃全紙之内一両三村相跨候時ハ各村申合調製スベシ
一此図面ハ通知之日ヨリ五日□内当出張所江差出スベシ
一佗日官吏派出之標籏建設地不分明之節ハ各役場江尋問致ベクニ付直ニ答ヘ得ル為メ此圖面之扣圖ヲ役場江貯有シ置ク可シ
一圖上ニ者縣郡村字堺地番号一田畑森林墓地池沼芝地秣場(まぐさば)岸堤川名及ヒ水流□□□向道路ハ國道県道里道ノ区別并ニ到達スヘシ地名所有主ノ姓名等分明ニ記載スヘシ
参謀本部測量課出張官

七郷村誌原稿 杉山村(村誌) ルビ・注

杉山村

武蔵國比企郡杉山村
 本村古時ヨリ比企郡松山領水房(みずふさ)ノ庄杉山村ト唱ヒ以降村名改正及ヒ分郷等ノ事ナシ
疆域
 東ハ同郡廣野村及ヒ太郎丸村ニ相對シ廣野村ハ耕地里道、或ハ用水路ヲ以テ界ス太郎丸村ハ加須川用水ノ下流市ノ川ニ入ル所ヲ以テ界ス西ハ本郡中爪(なかつめ)村ト市ノ川ノ中央ヲ以テ界ス南ハ本郡志賀村ト市ノ川ノ中央以テ界ス北ハ仝郡越畑村ト山林或ハ耕地ヲ以テ界ス
幅員
 東西 貮拾七町五拾間  南北 八町五拾間
【新編武蔵風土記稿では、「東西八町許り南北十八町」】
 面積 貮里拾三町四拾五間
管轄沿革
 古昔比企十郎重成領地タリ徳川氏至ッテ籏下森川金右ヱ門ノ采地トナリ明治元年【西暦一八六八年】八月維新ノ際品川縣ノ管轄トナリ同二巳年韮山縣ニ轉ス以後明治四年入間縣ニ轉シ仝六年熊谷縣ノ所轄トナル
里程(りてい)
 熊谷縣廳ヨリ南西隅ニシテ三里拾貮町三拾三間四隣本郡廣野村ヘ九町中爪(なかつめ)村ヘ貮拾壱町五間志賀村ヘ拾三町八間貮尺越畑村ヘ貮拾壱町近方宿町本郡松山町ヘ貮里貮拾町大里郡熊ヶ谷駅ヘ三里拾貮町本郡小川ヘ一里拾八町
地勢
 東ハ概子平坦ニシテ耕地ナリ西南ハ市ノ川ヲ帯(お)ブ勢緩慢沐沿岸曲折舟筏(しゅうばつ)ヲ通セズ唯車馬ノ便ヲ得ルノミ北方ヨリ村ノ中央東方ニ至ル山林連亘(れんこう)シ雜木繁茂(はんも)セリ概スレハ本村山林ニ富メルヲ以テ自ラ薪炭(しんたん)等ノ贏(えい)餘ナリ
地味(ちみ)
 其色概スレハ青色ニシテ間埴土ヲ交ヘ其質悪シク稲梁(とうりょう)ニ適セス(里俗ニヘナト唱ヒケシク亦赤色ヲ混ス)桑麥ハ應セリ殊ニ水旱(すいかん)ノ患多シ
税地
 田 旧拾五町九反八畝歩 畑 旧貮拾三町七反廿三歩
   改貮拾四町九反貮拾四歩 改貮拾八町七反六畝歩
 宅地 旧七反廿四歩  山林 旧拾町六反六畝拾八歩
   改四町三反八畝九歩  改六拾六町壱反三畝五歩
 籔地 旧ナシ       柴地 旧ナシ
    改壱町五反四畝廿六歩   改壱反八畝廿三歩
 總計 旧五拾町八反四畝五歩
    改百貮拾五町九反壱畝廿七歩
飛地
 畑 壱反五畝貮拾三歩  本村ノ南方志賀村字北町裏ノ内ニアリ
字地
 雁城(がんじょう) 村ノ中央ニアリ東西三町二拾間南北壱町四拾五間
 打越(うちこし) 村中央掲示場ノ位置ヨリ北方ニシテ東西三町五十間南北壱町四十間
 杢ノ入(もくのいり) 打越ノ南ニ連亘(れんこう)シ東西二町十間南北三町二十間
 關口(せきぐち) 村ノ中央ヨリ西隅ニシテ東西壱町四十八間南北四町二十五間
 岩花(いわはな) 杢ノ入ノ南ニ方リ東西壱町三十五間南北三町廿五間
 稲笠(いながさ) 関口ノ東ニ連リ東西三町五十五間南北壱町四十間
 川袋(かわぶくろ) 中央ヨリ東南隅ニ方リ東西二町南北二町拾間
貢地
 地租(ちそ) 米四拾四石七斗 金貮拾五円
 賦金(ふきん) 國税金五円 縣税金三円
 総計 米四拾四石七斗 金貮拾五円
戸數  
 本籍 五拾貮戸平民 社一村社 寺一天台宗
 総計 五拾四戸
人數
 男 百七拾三人平民 女 百四拾七人平民
 総計 三百廿二人
 他出寄留(きりゅう) 男三人女四人 入寄留(きりゅう)ナシ
牛馬
 牡馬三拾頭
舟車 
 之レナシ

 之レナシ

 市ノ川 深キ処四尺浅キ処壱尺廣キ処六間狭キ処四間ニ過キス緩流ニシテ水色澄清舟筏(しゅうばつ)通セス堤塘(ていとう)アリ村ノ西方越畑村界ヨリ来リ東方太郎丸村界ニ至ル長サ壱里廿二町五十間下流松山町ノ北東ヲ經テ荒川ニ入ル
 加須川用水 深キ処四尺浅キ処二尺村ノ北方越畑村界ヨリ来リ東南隅ニ至リ市ノ川ト合シテ東流ス長サ拾四町二十間巾三間アリ田貮町九反八畝歩ノ用水ヲ洪((供))ス
 万歳橋 熊谷徃還ニ属ス村ノ東方市ノ川ノ下流ニ架シ木造ニシテ長サ三08/04/26間巾五尺【現在の川袋橋】
 萬代橋 熊谷徃還ニ属ス村ノ東方廣野村ニ界スル加須川用水ノ下流ニ架シ土造ニシテ長サ二間巾五尺

 之レナシ

 之レナシ
原野
 十三墳(じゅうさんづか) 官有ニ属ス村ノ東南ニアリ南北四町東西壱町五十間東西北ハ民有地ニ接シ南ハ市ノ川ヲ隔テヽ志賀村ニ相對シ眺望佳タリ反別三町七反九畝廿五歩アリト雖モ樹木ナク唯柴草ノミ
 尼ヶ墳 官有ニ属ス村ノ西北ニアリ東西壱町五十間アリ南北五十間越畑村ニ連接シ南西ハ本村ノ民有地ニ連亘(れんこう)ス段別九反拾貮歩ニシテ樹木ナク唯草ヲ生スルノミ
牧場
 ナシ
礦山
 ナシ
湖沼
 打越(うちこし)池  村ノ北方ニアリ東西三十間南北十六間周□(回)壱町二十三間田四町七反七畝十歩用水ニ洪((給))ス
 杢ノ入(もくのいり)池 打越池ノ南ニ方リ東西四十五間南北十四間周回壱町三十八間田貮町壱反八畝廿壱歩ノ用水ニ洪((給))ス
道路
 熊ヶ谷道 村ノ西方中爪(なかつめ)村界ヨリ入ル廣野村界ニ至ル道敷二間本村或ハ西方ノ村落ヨリ熊ヶ谷駅ニ至ルノ經路タリ
掲示場 村ノ中央戸長(こちょう)初雁亰之助ノ所有地ニアリ
堤塘(ていとう)
 囲堤(いてい) 市ノ川ノ北端ニ沿ヒ村西方越畑村界ヨリ連續シテ東方太郎丸村界ニ至ル長サ貮拾町馬蹈壱間堤敷(つつみしき)二間ヨリ三間水量定□及ヒ根堅ノ樹木ナシ修繕ノ如キ大破ハ官ヲ仰キ小破ハ民ニ属ス

 之レナシ
温泉
 之レナシ
冷泉
 之レナシ
陵墓
 之レナシ

 八宮神社 村社東西五間三尺南北四拾貮間面積百十四坪村ノ中央ニアリ素戔鳴(すさのお)尊ヲ祭勧請年暦不祥祭日十月十五日

 積善寺 東西二十間南北十三間面積貮百八十七坪天台宗武蔵国男衾郡赤濱村普光寺ノ末流ナリ村ノ中央南方ニアリ創立年暦不詳
 藥師堂  東西十七間南北十八間面積貮百七十三坪村ノ東端ニアリ藥師十二神ヲ安置ス徃時行基菩薩之レヲ作スト云フ創立年暦不詳
 観音堂  東西五間三尺南北四間面積貮拾四坪村ノ東南隅ニアリ十一面観音ヲ安置ス創立年暦祥ナラス
 蔵身庵(ぞうしんあん)  東西壱町南北壱町十間面積貮百五十一坪アリ曹洞宗比企郡大谷村宗悟寺ノ末流ナリ寛文年間【西暦一六六一〜一六七三年】創立スト云フ其後衰微セシヲ以テ天明二壬寅年【一七八二年】ノ春庵主梅光中興ス村ノ西方ニアリ
學校
 公立小學校一ヶ所 椙山(すぎやま)學校ト称ス夲村ノ中央小丘上ニアリ東西十九間南北十二間越畑村廣野村太郎丸村杉山村ノ四ヶ村聯合校トス生徒男四拾九人女拾三人ナリ教場ノ都合生徒ノ出入大略其便ヲ得タリ校内開濶(かいかつ)ニシテ□日赫鑠タル大暑ニ群集ノ生徒書ニ倦ミ字ニ醉ヒルト雖モ南薫颯々トシテ満場洗カ如ク忽(たちま)チ新鮮タル大氣ノ呼吸ヲ得心地復蘇息ノ思ヲナス冬ニ至ルヤ後ノ小丘ニ老杉古松アリ之レカ北風ヲ遮リ日光充分舎内ヲ輝キ故サラニ寒氣ヲ知ラス抑造物主ノ本□ニ好適スルヤ否ヤ
事務取扱所 村ノ中央ニアリ戸長(こちょう)初雁亰之助ノ宅舎ヲ仮用ス
病院 ナシ
郵便局 之レナシ
製糸場 之レナシ
古跡
 城墟 村ノ中央民有地ニアリ東西三町四十間南北四町二十間ナリ凸アリ凹アリ濠形今尚存ス宝亀十一年【西暦七八〇年】陸奥ノ賊某反ヲ謀リ獨リ其意ヲ逞スト故ニ征東ノ令出サレシ処比企十郎重成武蔵ノ入西ニ住居ス征東大使ヘ従軍シ賊地ニ赴キ戰功數回賊尤モ拒キ抜ク能ハスシテ歳ヲ起スルモ終ニ明年平定ヲ秦スト比企氏其功少ナシトセス爲ニ天應年間【西暦七八一〜七八二年】其賞ヲ賜リ爰ニ新城ヲ築キ累世六代ニシテ下総(しもうさ)ノ国ニ相馬將軍叛逆ヲ起自ラ平親王ト称ス關東諸國ヲ陥レ朝議是レヲ誅セント當時參議藤原忠文宣旨ヲ蒙リ征東大將軍ト爲リ兵ヲ率ヒテ東下ス時ニ讒者(ざん(そしる)しゃ)アリ報シテ曰ク比企某將門ニ反ヲ助クト故ニ後チ亡ブト雖モ舊記傅ハレサレハ明祥スルニ由ナシ唯言傅ヲ以テ記スノミ
名勝 之レナシ
物産 
 動物 鶏百五十羽 鶏【卵】五百
 繭  質悪 三十五石
 植物 米 質悪五十五石    大麥 質悪四十八石
    小麥 質中十八石    大豆 質悪貮十石
    小豆 質悪貮石
    桑 質中三百駄     楮 質中五百〆目
 製造物 生絹(きぎぬ) 百五十匹本郡小川村ヘ輸送
     白木綿 二百五十反仝上
     薪 六百駄大里郡熊ヶ谷ヘ輸送
民業
 男農ヲ専ラニスル者四十五戸 工ヲ業トスル者七戸
 女農ヲ専ニスル者五十五人 紡織ヲ専ニスル者十人

新編武蔵風土記稿 杉山村 ルビ・注

新編武蔵風土記稿は徳川幕府編纂の武蔵国(現在の東京都・埼玉県と神奈川県の一部)の地誌。ここでは、『昭和改修版』を底本とした。

   杉山村(すぎやまむら)(現・埼玉県比企郡嵐山町大字杉山)
 
 杉山村ハ郷庄領(ごうしょうりょう)ノ唱(とな)ヘヲ伝(つた)ヘズ。江戸ヨリノ行程(こうてい)前村(ぜんそん)ニ同ジ*1。「家数五十余(あまり)。東ハ広野(ひろの)・太郎丸(たろうまる)ノ二村ニ隣(とな)リ、南ハ志賀村(しかむら)ニテ、西ハ中爪村(なかつめむら)、北ハ越畑村(おっぱたむら)ニ界(さか)ヘリ。東西八町(はっちょう)*2許(ばか)リ南北十八町、水損(すいそん)*3ノ地ナレド用水(ようすい)*4便(べん)アシケレバ天水(てんすい)ヲモ仰(あお)ゲリ。御打入(おんうちいり)*5ノ後ハ森川金右衛門氏俊(もりかわきんえもんうじとし)ニ賜(たまわ)リ、今モ子孫(しそん)美濃守(みののかみ)知行(ちぎょう)*6セリ。検地*7ハ慶長二年(けいちょう)(1597)、時の地頭(じとう)*8森川金右衛門糺(ただ)セシト云フ。
   *1:中爪村と同じく、「江戸ヨリ拾六里」。
   *2:1町は約109メートル。
   *3:水害。
   *4:農業用水。
   *5:1590年(天正18)、徳川家康が江戸城に入城したこと。関東御入国。
   *6:領地を支配する。
   *7:土地の面積やその土地からの収穫量、生産高などを調査すること。
   *8:領主。

 高札場(こうさつば)*1 村ノ中程(なかほど)ニアリ。
   *1:禁令や法令を板書し、庶民に周知するよう掲示した場所。

 小名(こな) 堰口(せきくち) 川袋(かわぶくろ)

 市ノ川(いちのかわ) 村ノ南ヲ流ル、川幅(かわはば)三間(さんげん)*1
   *1:1間は約1.8メートル。

 八宮社(やみやしゃ) 村ノ鎮守(ちんじゅ)ナリ。相伝(あいつた)フ古(いにしえ)ハ八王子権現(はちおうじごんげん)*1ヲ勧請(かんじょう)*2セシ社(やしろ)ナリシガ、何(いずれ)ノ頃(ころ)ニヤ八宮明神(やみやみょうじん)ニ改号(かいごう)アリシト云フ。
   *1:近江国牛尾山(八王子山の山岳信仰と天台宗・山王神道が融合した神仏習合の神。日吉山王権現もしくは牛頭天王(ごずてんのう)の眷属(けんぞく)ある8人の王子を祀った。
   *2:神仏の分身・分霊(ぶんれい)を他の地に移して祭ること

 天神社(てんじんじゃ)*1
   *1:菅原道真(すがわらみちざね)の霊(れい)を祀った神社。

 稲荷社(いなりしゃ)*1 以上三社共ニ大蔵院持
   *1:五穀豊穣の神を祀る。

 積善寺(しゃくぜんじ) 天台宗*1、男衾郡(おぶすまぐん)塚田村普光寺(ふこうじ)ノ末(まつ)、福王山泉明院(せんみょういん)ト号(ごう)ス。開山(かいさん)祐源(ゆうげん)、天正元年(1573)二月十六日示寂ス(じじゃく)*2。本尊(ほんぞん)弥陀(みだ)*3ヲ安(あん)*4セリ。  
 鐘楼(しょうろう) 延享三年(えんきょう)(1746)十二月鋳造(ちゅうぞう)ノ鐘(かね)ヲカク。
   *1:平安時代に中国で学んだ最澄(さいちょう)が、帰国して比叡山に延暦寺をつくり、新しく開いた仏教の宗派。空海の開いた真言宗とともに平安仏教の中心になった。
   *2:高僧が死ぬこと。
   *3:阿弥陀如来。
   *4:安置する。

大蔵院(だいぞういん) 本山修験(ほんざんしゅげん)*1男衾郡(おぶすまぐん)板井村(いたいむら)長命寺(ちょうめいじ)配下(はいか)、開山ヲ光勝(こうしょう)ト云ヒ、寂年(じゃくねん)*2ハ失(しつ)セリ。中興開山(ちゅうこうかいざん)*3清尊(せいそん)、慶長二年(けいちょう)(1597)十一月五日示寂(じじゃく)ス。不動(ふどう)*4ヲ安(あん)ス。
   *1:京都の聖護院(しょうごいん)を本山とする本山派修験道のこと。修験道は日本固有の山岳信仰に根ざし、密教(みっきょう)の影響(えいきょう)を受けて形成された宗教の一派。
   *2:死亡した年。
   *3:寺を再興した僧侶。
   *4:不動明王。

薬師堂(やくしどう)*1 村持(むらもち)。
   *1:病気を治す薬師如来を祭る。

塁蹟(るいせき)*1 村ノ中程ニテ小高キ丘ノ上千五百坪(つぼ)許リノ地ヲ云フ。一説ニ往昔(おうせき)*2金子十郎家忠(かねこじゅうろういえただ)ノ居住ナリシトイヘドモ詳(つまびらか)ナラズ。又ノ伝ヘニ中古(ちゅうこ)上田氏ノ臣ニテ庄主水(しょうもんど)(或ハ杉山主水トモ)ト云フ者住(じゅう)セシ所トモ云(い)エリ。按(あん)ニ*3隣村越畑村(おっぱたむら)ニモ庄主水ガ居住ノ地アリ。是(これ)当国(とうこく)七党(しちとう)*4ノ内、児玉党(こだまとう)ノ庄権頭広高(しょうごんのかしらひろたか)・庄太郎家長(しょうたろういえなが)等が子孫ナドニヤ、又北条*5家人ニモ庄式部少輔(しょうしきぶしょうすけ)・庄新四郎(しょうしんしろう)ノ名見エタリ。若(もし)クハ是等(これら)ノ一族(いちぞく)ナラン。
   *1:砦(とりで)の跡。
   *2:昔。
   *3:考えるに。
   *4:平安時代末期から鎌倉・室町時代にかけて存在した武蔵国の同族的武士団の武蔵七党のこと。
   *5:小田原の後北条氏。

■八宮神社の棟札など■
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空から見た嵐山町 395 杉山 2011年11月

嵐山町杉山
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2011年11月26日、内田泰永さん撮影

A:大正橋、B:竹ノ花橋(粕川)
C:薬師堂、D:杉山公民館、E:溝掘沼、F:嵐山町立玉ノ岡中学校、G:ゲートボール場、H:寺台沼、I:積善寺(天台宗)、J:杉山城趾、K:城沼、L:六万坂、M:八宮神社、N:セイメイファーム、O:関越自動車道嵐山小川インターチェンジ料金徴収所、P:杢ノ入沼、Q:打越沼(嵐山町杉山)
R:愛宕橋、S:立山橋(関越自動車道)
T:市野川橋、U:下横田橋、V:横田橋(野郎子橋)、W:関口堰、X:関口橋、Y:六万橋、Z:杉山橋、a:相生橋(市野川)
b:奈良梨上横田地区クリーン施設(小川町奈良梨)
c:新川地区水循環センター(小川町下横田)

武蔵国郡村誌 杉山村 ルビ・注

   杉山村(すぎやまむら)【埼玉県比企郡嵐山町杉山】

本村古時郷庄領不詳

疆域(きょういき)*1
東は広野太郎丸の二村と加須川及ひ小逕(しょうけい)*2を割り、西は中爪村南は志賀村と市の川を隔てて相対し、北は越畑村と林巒(りんらん)*3或は畦畔(けいはん)*4を界とす。
   *1:境界内の土地。
   *2:小みち。
   *3:ぐるぐるめぐっている山つづき。
   *4:あぜ。

幅員(ふくいん)*1
東西二十七町五十間南北八町五十間
   *1:ひろさ。はば。

管轄沿革
天正中【1573〜1591】徳川氏の有となり、旗下士*1森川金右衛門の采地(さいち)*2となり、田に高百九十四石一斗森川庄九郎知行とのす世襲す。明治元年戊辰(つちのえたつ)【1868】武蔵知県事の管轄となり、二年己巳(つちのとみ)【1869】品川県に隷し尋(つい)て韮山県に転し、四年辛未(かのとひつじ)【1871】入間県に属し、六年癸(みずのと)酉(とり)【1873】熊谷県の所轄となる。
   *1:将軍直属の武士。
   *2:知行所。

里程(りてい)*1
熊谷県庁より西南三里十二町三十三間
四隣広野村へ九町中爪村へ二十一町五間
志賀村へ十三町八間二尺越畑村へ二十一町
近傍(きんぼう)*2宿町松山町へ二里二十町字雁城を元標とす
   *1:道のり。
   *2:近辺。

地勢(ちせい)*1
東北は林丘連亘(れんこう)*2雑樹繁茂し西南に市の川を帯(お)ふ運輸便を得す 薪炭(しんたん)*3贏余(えいよ)*4
   *1:土地のありさま。
   *2:つらなりわたること。
   *3:たきぎとすみ。
   *4:あまり。

地味(ちみ)*1
色赤黒質悪稲梁(とうりょう)*2適せす麦桑(ばくそう)*3に応す。水利不便、時々旱(かん)*4に苦しむ。
   *1:地質の良し悪し。
   *2:いねとあわ。
   *3:むぎとくわ。
   *4:ひでり。

税地
田  十五町九反八畝歩
畑  二十三町七反二十三歩
宅地 七反二十四歩
山林 十町六反六畝十八歩
総計 五十町八反四畝五歩

飛地(とびち)*1
村の南方志賀村の内畑一反五畝二十三歩
*1:同じ行政区にぞくするが、他に飛び離れて存在する土地。

字地
雁城(がんじょう) 村の中央にあり東西三町二十間南北一町四十五間
打越(おっこし) 村の北方にあり東西三町五十間南北一町四十間
杢の入(もくのいり) 打越の南に連なる東西二町十間南北三町二十間
岩花(いわはな) 杢の入の南に連る東西一町三十五間南北三町二十五間
関口(せきぐち) 村の西隅にあり東西一町四十八間南北四町二十五間
笠稲(かさいな) 関口の東に連る東西三町五十五間南北一町四十間
川袋(かわぶくろ) 村の東隅にあり東西二町南北二町十間

貢租(こうそ)*
1地租 米四十四石七斗 金二十五円
賦金(ふきん)*2 金八円
総計 米四十四石七斗 金三十三円
   *1:田地に課せられた租税。
   *2:わりあてられた金銭。  

戸数
本籍 五十二戸平民 
社  一戸村社 
寺  四戸天台宗一宇堂二宇庵一宇
総計 五十七戸

人口
男 百七十三口 
女 百四十七口 
総計 三百二十口 
他出寄留(きりゅう)*1男三人女四人
   *1:他郷または他家に一時的に身を寄せて住むこと。

牛馬
牡馬三十頭

山川
市の川 深処四尺浅処一尺広処六間狹処四間 緩流澄清堤防あり。村の西方越畑より来り東方太郎丸村に入る。其間一里二十三町
万歳橋 熊谷道に属す、村の東方市の川の下流に架(か)す。長三間巾五尺木製
加須川用水 深処四尺浅処二尺巾三間 村の北方越畑村より来り東南隅に至り市の川に入る。其間十四町二十間田二町九反八畝歩の用水に供す。
万代橋 熊谷道に属す、村の東方加須川用水の下流に架す。長二間巾八尺土造。

道路
熊谷道 村の西方中爪村界より東方広野村界に至る。長九町五十八間三尺巾九尺道敷(みちしき)*1二間
   *1:道路に使用する敷地。

掲示場
村の中央にあり

堤塘(ていとう)*1囲堤 市の川に沿ひ西方越畑村界より東方太郎丸界に至る。長二十町馬踏(ばふみ)*2一間堤敷(つつみしき)*3三間。修繕費用大破は官に小破は民に属す。
   *1:つつみ。
   *2:堤防の頂上。
   *3:堤防の占める土地。

神社
八宮神社 村社々地東西五間三尺南北四十二間面積百十四坪 村の中央にあり素盞鳴尊を祭る祭日十月十五日

仏寺
積善寺(しゃくぜんじ)  東西二十間南北十三間面積二百八十七坪天台宗男衾郡赤浜村普光寺の末派なり。開基創建不詳

薬師堂 東西十七間南北十八間面積二百七十三坪 村の東方にあり

観音堂 東西五間三尺南北四間面積二十四坪 村の東南にあり

蔵身庵(ぞうしんあん) 東西一町南北一町十間面積二千五百十坪曹洞宗大谷村宗悟寺の末派なり村の西方にあり。寛文年中【1661〜1672】創建すと云。後衰微せしを以て天明二年【1782】僧梅光中興す

学校
公立小学校 東西十九間南北十二間村の中央にあり。生徒男四十九人 女十三人

役場
事務所 村の中央戸長宅舎を仮用す

古跡
城墟 村の中央にあり。東西三町四十間南北四町二十間遺濠今尚存す古昔(こせき)*1比企十郎重成之に居ると云。風土記に往昔(おうせき)*2金子家忠の居住なりしといへど詳ならず。又伝へに中古上田氏の臣庄主水と云もの住せし所とも云へり云々とあり。何れか是(ぜ)*3なるを知らず。
   *1:いにしえ。
   *2:過ぎ去ったむかし。
   *3:正しいこと。

物産
繭  三十五石 
大麦 四十八石
小麦 十六石 
大豆 二十石 
小豆 二石
桑  三百駄 
楮(こうぞ)*1五百貫目
生絹(すずし)*2百五十疋  
白木綿 二百五十反 
薪  六百駄
   *1:樹皮を和紙の原料とする。
   *2:精練されていない絹織物。

民業
男女農桑採薪を業とす

神社明細帳 八宮神社 七郷村(現・嵐山町)杉山 ルビ・注

埼玉縣武蔵國比企郡七郷村大字杉山字清明
 村社(そんしゃ) 八宮神社(やみやじんじゃ)

一祭神(さいしん)
    建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)*1
    大己貴命(おおなむちのみこと)*2
    稲田比賣命(いなだひめのみこと)*3
   *1:建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)・須佐乃袁尊。日本神話の神。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子。天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟。
   *2:大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)・大汝神(おほなむぢのかみ)・大穴持命(おほあなもちのみこと)。大国主命(おおくにぬしのみこと)のこと。
   *3:奇稲田姫(くしいなだひめ)・櫛名田比売(くしなだひめ)。八岐大蛇(やまたのおろち)退治神話にみえる神。八岐大蛇にのみこまれようとするところを、素戔嗚尊(すさのおのみこと)にたすけられて結婚する。6世の孫に大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主神)がある。

一 由緒(ゆいしょ)
 往古(おうこ)*1勧請(かんじょう)*2四十五代聖武帝(しょうむてい)ノ御宇(おんう)*3(724-749)ト申(もうす)。其后(そのご)六十一代朱雀院(すざくいん)ノ御宇天慶(てんぎょう)二年(939)二月平将門(たいらのまさかど)関東ニ在(あり)リテ謀反(むほん)ヲ起シ朝意ニ叛キ*4、此時六孫王経基公(ろくそんのうつねもとこう)*5当村ノ旧城ニ御出陣在(あり)テ、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)・平貞盛(たいらのさだもり)ヲシテ當國ノ精兵(せいへい)ヲ募(つの)リ将門(まさかど)ヲ討ス。時陣中疫癘(えきれい)*6流行シ斃者(へいしゃ)不少(くくなからず)、依(よって)テ社頭(しゃとう)ニ於テ朝敵征討(ちょうてきせいとう)疫癘消除(えきれいしょうじょ)ノタメ御意、頗(すこぶる)ル有之(これあり)靈驗(れいけん)著(いちじるしく)ク、反賊(はんぞく)忽(たちま)チ伏誅(ふくちゅう)*8シ、疫(えき)頓(とみ)ニ愈(いえる)。依テ経基王再ニ當社(とうしゃ)ヲ修繕(しゅうぜん)シ四方四種ノ村落ニ祀テ八宮神社ト号シ、法施トシテ仁王會六万部御修行有、之今ニ六万塚・六万坂ト申所アリ、城跡モ僅(わずか)ニ存ス。此言詳(つまびらか)ナラスト雖(いえども)モ傳(つたえ)テ有之今ニ春秋両度祭典ヲ成シ、皇國安全ノ祠祝ヲ奉ス。依テ前摘(てき)*9ヲ記載(きさい)ス。
 明治四十一年(1908)三月三日上地林(あげちりん)四畝(せ)十三歩(ぶ)境内(けいだい)編入(へんにゅう)許可
   *1:おおむかし。
   *2:神仏の分身、分霊を他の地に移してまつること。
   *3:時代。
   *4:平安時代、勢力をました武士団の一つ平将門が939年、反乱を起し、常陸(現・茨城県)・下野(現・栃木県)・上野(現・群馬県)の国府を攻め落とし自ら新皇と称したが、翌年平貞盛、藤原秀郷らに討たれた平将門の乱。
   *5:源経基(みなもとのつねもと)(?-961)。平安時代中期の武将。父が清和天皇の第六皇子貞純親王であったので六孫王と号す。
   *6:悪性の流行病。疫病。
   *7:病死者。
   *8:罪人などが処罰にしたがうこと。
   *9:要点。

一 社殿 本殿
一 境内 二百三十七坪
一 氏子 五拾貮戸

                           『昭和三八年度文書 学事課 比企郡神社明細帳』

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2005年10月16日撮影

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2005年10月16日撮影

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2005年10月16日撮影
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鳥居の社額「八宮大明神」

2010年4月10日撮影の写真→「嵐山町の桜 八宮神社(杉山)

※八宮神社境内図(『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁、1992年)1441頁

八宮神社(杉山)

空から見た嵐山町 373 杉山 2011年10月

嵐山町杉山
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2011年10月4日、内田泰永さん撮影

A:普光寺(天台宗)、B:八宮神社(小川町中爪)(なかつめ)
C:小川カントリークラブ、D:ダイアパレス小川(小川町小川)
E:小川町立欅台中学校(小川町角山)(かくやま)
F:小川町立みどりが丘小学校(小川町みどりが丘4)
G:小川町立八和田小学校(小川町上横田)(かみよこた)
H:六万橋、I:関口橋・東関口橋、J:横田橋、K:下横田橋、L:市野川橋(市野川)
M:埼玉県道296号菅谷寄居線
N:新川
O:埼玉県道11号熊谷小川秩父線
P:八宮神社、Q:セイメイファーム、R:関越自動車道嵐山小川インターチェンジ料金徴収所、S:打越沼(嵐山町杉山)
T:愛宕橋(あたごばし)、U:立山橋(たてやまばし)(関越自動車道)
V:大木入沼、W:愛宕神社、X:越畑城址、Y:嵐山消防団第2分団第1部、Z:金泉寺(曹洞宗)、a:越畑第一公民館、b:関越自動車道嵐山パーキングエリア(下り線)(嵐山町越畑)(おっぱた)
c:大正橋(粕川)

空から見た嵐山町 369 杉山 2011年10月

嵐山町杉山
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2011年10月4日、内田泰永さん撮影

A:相生橋、B:杉山橋、C:六万橋、D:関口橋・東関口橋(市野川)
E:竹ノ花橋、F:大正橋、G:高倉橋、H:庚申橋、I:川端橋、J:越畑橋(おっぱたばし)、K:観音寺橋、L:土橋(どばし)、M:榎橋(粕川)(かすがわ)
N:嵐山中部第3貯水池、O:嵐山中部第2貯水池、P:嵐山中部第1貯水池
Q:新田沼、R:寺台沼
S:積善寺(天台宗)、T:嵐山町立玉ノ岡中学校、U:杉山公民館、V:杉山城趾、W:八宮神社、X:セイメイファーム、Y:嵐山小川インターチェンジ料金徴収所(嵐山町杉山)
Z:花見台工業団地(嵐山町花見台)

空から見た嵐山町 367 杉山 2011年10月

嵐山町杉山
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2011年10月4日、内田泰永さん撮影

A:相生橋、B:杉山橋、C:六万橋、D:関口橋・東関口橋(市野川)
E:宝城寺(曹洞宗)、F:武藏メモリアルパーク(嵐山町杉山)
G:積善寺(天台宗)、H:嵐山町立玉ノ岡中学校、I:杉山城趾、J:セイメイファーム、K:嵐山小川インターチェンジ(関越自動車道)(嵐山町杉山)
L:小川パークヒル団地(東小川角栄団地)(小川町東小川)

空から見た嵐山町 328 玉ノ岡中学校 2011年5月

杉山城跡
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嵐山町立玉ノ岡中学校

2011年5月18日、内田泰永さん撮影

A:杉山城跡
   →「杉山城址の碑が建てられる 1953年
   →「陳情書 埼玉県史蹟杉山城址を比企の行楽地に 1953年
   →「地元町民の手で杉山城整備 1981年
B:嵐山町立玉ノ岡中学校
C:積善寺(天台宗)
D:祖師堂、E:題目塔
   →「杉山・大野良如翁墓誌 1931年
   →「大野良如翁略伝
F:寺台沼
G:ゲートボール場
H:杉山橋(市野川)

空から見た嵐山町 325 杉山・広野・太郎丸 2011年5月

嵐山町広野・太郎丸
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杉山

2011年5月18日、内田泰永さん撮影

A:川袋橋、B:精進橋(市野川)
C:荒井橋、D:新粕川橋、E:入会橋、F:粕川橋(粕川)
G:嵐山若草保育園(広野)
H:武藏嵐山病院(太郎丸)
I:埼玉県道69号深谷嵐山線

空から見た嵐山町 324 杉山 2011年5月

嵐山町杉山
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2011年5月18日、内田泰永さん撮影

A:六万橋、B:杉山橋(市野川)
C:杉山城跡
D:積善寺(しゃくぜんじ)(天台宗)(積善寺HP)
   →「寺院明細帳 天台宗 積善寺 七郷村(現・嵐山町)杉山 ルビ・注
E:嵐山町立玉ノ岡中学校
F:農業組合法人セイメイファーム
G:関越自動車道嵐山小川インターチェンジ料金徴収所
H:寺台沼

堂庵明細帳 蔵身庵 七郷村(現・嵐山町)杉山 ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡杉山村(すぎやまむら)字豊岡(とよおか)
 同縣同国同郡大谷村宗悟寺(そうごじ)*1持
  曹洞宗(そうとうしゅう)*2通幻派*3
   蔵身庵(ぞうしんあん)
   *1:現・東松山市大谷にある扇谷山宗悟寺。1592年(天正20)大谷村の領主となった旗本森川金右衛門氏俊が、大谷村比丘尼山にあった寿昌寺を現在地に移して再興し、寺名を改めて同氏菩提所とした。
   *2:鎌倉時代に道元によって開かれた仏教の宗派。福井県の永平寺と横浜市鶴見の総持寺が大本山。
   *3:南北朝時代曹洞宗の名僧通幻寂霊を慕った門弟が全国にその教えを広めたので、その法系を通幻派という。

一 本尊(ほんぞん) 地蔵尊(じぞうそん)

一 由緒(ゆいしょ) 不詳(ふしょう)
   昭和十七年(1942)一月十四日比企郡大岡村大谷曹洞宗宗悟寺(そうごじ)ヘ所属ノ件認可ス

一 本堂(ほんどう) 間口(まぐち)六間三尺 奥行(おくゆき)五間

一 境内(けいだい) 貮百五拾壱坪(にひゃくごじゅういちつぼ) 民有地第一種
   蔵身庵名受(なうけ)

一 境外(けいがい)所有地
田反別(たたんべつ) 五畝拾四歩(ごせじゅうよんぶ) 杉山村字中窪(なかくぼ)
 地價(ちか) 金貮拾四円四拾六銭五厘(りん)
田反別 壱畝三歩 杉山村字同所
 地價 金四円五拾四銭四厘
畑反別(はたけたんべつ) 七畝六歩 同村字関口
 地價 金七円拾六銭
林反別(はやしたんべつ) 貮反三畝三歩 同村字豊岡
 地價 金三円四拾六銭五厘

一 信徒(しんと) 拾壱人(じゅういちにん)

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾貮里(じゅうにり)廿五町(にじゅうごちょう)

寺院明細帳 天台宗 積善寺 七郷村(現・嵐山町)杉山 ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡杉山村字上城ヶ谷戸
 同縣同國男衾郡(おぶすまぐん)赤浜村*1普光寺(ふこうじ)*2末
  天台宗(てんだいしゅう)*3 比叡山派(ひえいざんは)
   積善寺(しゃくぜんじ)
   *1:男衾郡赤浜村は現・寄居町赤浜。
   *2:大悲山瑠璃光院。本尊は薬師如来。開山については不明。江戸の寛永寺末で、末寺14を持った。寛文年間(1661〜1673)に、住持伝海が比企郡中爪村普光寺(現小川町中爪)へ隠居しないままに移住。赤浜の普光寺を無住兼帯として留守居を置いた。伝海は中爪に葬られている。
   *3:唐で学んだ最澄(さいちょう)が帰国後開いた仏教の宗派。

一 本尊(ほんぞん) 阿彌陀如来(あみだにょらい)

一 由緒(ゆいしょ) 抑(そもそも)当山者(は)人皇(にんのう)*1第一百五代後柏原院(ごかしわらいん)*2御宇(おんう)*3大永(たいえい)五年(たいえい)(1525)ノ草創(そうそう)ニシテ祐源阿闍利(ゆうげんあじゃり)の開基(かいき)ナリ。本尊ハ則チ開祖(かいそ)自ラ彫刻(ちょうこく)し玉(たま)フ尊像(そんぞう)ナリ。其原由ヲ尋(たずね)ルニ城跡(しろあと)ノ山腹清泉(せいせん)アリ、往昔(おうせき)根本大師*4福聚金剛(ふくじゅうこんごう)*5此処(ここ)ニ於テ金光明経(こんこうみょうきょう)廣説(こうせつ)し玉(たま)フ聖地(せいち)ナリ云々(うんぬん)。彼ノ至徳(しとく)ニ慣(なじみ)テ祐源阿闍利爰(ここ)ニ一宇(う)ノ精舎(しょうじゃ)ヲ建立(こんりゅう)、彌陀(みだ)*6ノ尊軀(そんく)ヲ奉(あんち)安置(たてまつり)、國家安穏(こっかあんのん)萬民豊楽(ばんみんほうらく)ノタメニ金宝山玉ノ法會(ほうえ)ヲ修行し玉フ靈場(れいじょう)ナリ。依之(これにより)、号ヲ福王山(ふくおうざん)泉明院(せんみょういん)積善寺ト称(しょう)ス。
   *1:天皇。
   *2:後柏原天皇。第104代天皇。在位1500年〜1526年。
   *3:時代。
   *4:最澄(767年〜822年)のこと。
   *5:福聚金剛は最澄の金剛名(こんごうめい)。福寿金剛は寳幢如来(ほうどうにょらい)をさす。
   *6:阿弥陀如来。

一 本堂 間口(まぐち)七間(けん)三尺(じゃく) 奥行(おくゆき)六間

一 庫裏(くり) 間口二間三尺 奥行三間三尺

一 境内(けいだい) 貮(に)百八拾(じゅう)七坪(つぼ) 官有地第四種

一 境内所有地
田反別(たたんべつ)貮(に)畝(せ)廿(にじゅう)八歩(はちぶ) 杉山村字表猿ヶ谷戸(おもてさるがいと)
 地價(ちか)金八円拾七銭(せん)
田反別四畝拾歩 同村字岩花
 地價金拾七円九拾銭壱厘(いちりん)
田反別壱反四畝三歩 同村同字
 地價金四拾八円五拾六銭貮厘(にりん)
田反別壱反拾四歩 同村同字
 地價金三拾六円三銭貮厘
畑反別(はたけたんべつ)九畝七歩 同村字玉ノ岡
 地價金八円三拾貮銭三厘
畑反別壱反八畝六歩 同村同字
 地價金拾六円四拾銭貮厘
畑反別五畝貮歩 同村同字
 地價金四円五拾五銭九厘
畑反別壱反四畝廿四歩 同村同字
 地價金拾四円七拾壱銭九厘
林反別(はやしたんべつ)八畝拾六歩 同村字上城ヶ谷戸(かみじょうがいと)
 地價金壱円貮拾八銭
林反別四反五畝壱歩 同村字下城ヶ谷戸(しもじょうがいと)
 地價金六円七拾五銭五厘
林反別貮畝四歩 同村字玉ノ岡
 地價金三拾貮銭
林反別貮畝歩 同村同字
 地價金三拾銭
荒地(あれち)反別壱畝拾五歩 同村字岩花
 明治九年ヨリ仝十七年迄九ヶ年季(ねんき)

一 檀徒(だんと) 三拾九人

一 管轄庁(かんかつちょう)迄(まで) 拾貮里(じゅうにり)貮拾五町(にじゅうごちょう)
                     以上

外ニ
山林(さんりん)壱反六畝拾八歩 杉山村字上城ヶ谷戸
 地價金貮円四拾九銭
原野(げんや)貮反歩 地價金四拾銭 〃字裏猿ヶ谷戸(うらさるがいと)九四九番ノ七
山林壱反五畝歩 地價金弐円五拾弐銭 〃字上城ヶ谷戸六〇一番ノ一

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