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千手堂

新編武蔵風土記稿(千手堂村)ルビ・注

 千手堂村(現・埼玉県比企郡嵐山町大字千手堂)

 千手堂村(せんじゅどうむら)
千手堂村ハ江戸ヨリ行程(こうてい)拾六里、郷(ごう)名前村*1ニ同ジ。領(りょう)ハ松山ニ属(ぞく)セリ。村名ハ千手観音(せんじゅかんのん)ノ堂アリシヨリ起リシト云フ。此堂今ハ一院トナリ、民戸四十余。東ハ菅谷村(すがやむら)ニ続キ、南ハ槻川(つきかわ)ヲ限リテ鎌形村(かまかたむら)ニ隣リ、西ハ遠山村(とおやまむら)ニテ、北ハ平沢村(ひらさわむら)ニ境ヘリ。東西五町(ちょう)*2南北四丁(ちょう)*3許(ばか)リ。当所ハ古ヘヨリ御料所(ごりょうしょ)*4ナリシガイツノ頃ニヤ大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)*5ニ賜(たまわ)リ、宝暦元年(ほうれき)(1751)所替(ところがえ)アリテ御料所ニ属シ、同十三年(1763)清水殿ノ領知(りょうち)トナリ、寛政九年(かんせい)(1797)上リテ御料所ニ復セリ。検地(けんち)*6ハ寛文八年(かんぶん)(1668)坪井次右衛門(つぼいじえもん)糺(ただせ)セシ後、延宝八年(えんぽう)(1680)新開(しんかい)ノ地*7アリテ中川八郎左衛門(なかがわはちろうざえもん)改(あらため)シト云フ。
   *1:平沢村と同じ玉川郷に属する。
   *2:1町は約109メートル。
   *3:丁は町と同じ。
   *4:幕府の直轄領。天領。
   *5:江戸時代中期の幕臣大岡忠相(おおおかただすけ)。先祖は徳川氏三河以来の家臣で旗本。町奉行に昇進して越前守となる。さらに寺社奉行、奏者番(そうしゃばん)になり、加増されて一万石の大名になる。八代将軍徳川吉宗の信任が厚かった。
   *6:支配地の田畑(たはた)の面積(めんせき)や生産高を調査(ちょうさ)すること。
   *7:新しく開墾した土地。

高札場(こうさつば)*1 村ノ中程ニアリ。
   *1:掟(おきて)などを書いてかかげた立て札の場所。

小名(こな) 中島 原 谷 上

槻川(つきかわ) 南ノ方鎌形村(かまかたむら)堺(さかい)ニアリ、川幅(かわはば)十八間*1(けん)。
   *1:1間(けん)は約1.8メートル。

春日神社 村ノ鎮守(ちんじゅ)ナリ、村持。

番神社*1 同持。
   *1:三十番神。天台宗・日蓮宗で、法華経を守護する神。本地垂迹(ほんじすいじゃく)説に基づく。1か月の30日間、1日一体ずつ祭る。


千手院(せんじゅいん) 曹洞宗*1、遠山村(とおやまむら)遠山寺(えんざんじ)末、普門山(ふもんざん)ト号ス。本尊千手観音ヲ安セリ。当院古ヘワツカノ堂ナリシヲ幻室伊芳(げんしついほう)ト云フ僧一院(いちいん)トナセリ。依テ彼僧ヲ開山トス。示寂(じじゃく)ハ天文十五年(てんぶん)(1546)二月朔日(ついたち)ト云フ。入間郡黒須村蓮華院(れんげいん)ノ観音堂(かんのんどう)ニカケタル鰐口(わにぐち)ノ銘ニ、奉施人武州比企郡千手堂鰐口(わにくち)大工(だいく)越松本、寛正二年辛巳*2(かんしょう)(しんし)(1461)十月十七日願主(がんしゅ)釜形四郎五郎(かまがたしろうごろう)トアリ、越松本*3ノ三字ハ解シ難ケレド、是(これ)当院ノモノナルベケレバ寛正ノ頃*4ハイマダ堂タリシコト知ルベシ。
   *1:1227年、道元が中国から伝えた禅宗の一派。臨済宗と並ぶ禅宗の二大宗派。
   *2:昭和改修版(1957年1月発行)には、「寛政二年辛巳」となっているが、文意と干支からして、「寛正」が正しい。雄山閣版も「寛正二年」としている。
   *3:『入間市史通史編』329頁によると、「大工越松本」とあるのは鳩山町小用の鋳物師(いもじ)の製作を意味する(清水与四次『小用村上小用村鋳物師の研究』)という。
   *4:「寛政」を*2により、「寛正」と改める。


光照寺(こうしょうじ) 日蓮宗(にちれんしゅう)*1下総国(しもうさのこく)葛飾郡(かつしかぐん)真間弘法寺末、法蓮山ト号ス。本尊三宝(さんぼう)*2ヲ安ズ。
  *1:鎌倉時代の日蓮を開祖とする仏教の宗派。
  *2:三宝尊。向かって右に多宝如来、中央に「南無妙法蓮華経」の題目、左に釈迦牟尼仏を配したもの。

武蔵国郡村誌 千手堂村 ルビ・注

   ○千手堂村(せんじゅどうむら)【埼玉県比企郡嵐山町千手堂】

本村古時玉川郷松山領に属す


彊域(きょういき)*1
東は菅谷村と耕地或は山林を接し、西は遠山村と山巒(さんらん)*2を界し、南は鎌形村と槻川を限り、北は平沢村と畦畔(けいはん)*3及び山巒を界とす。

   *1:境界内の土地。
   *2:ぐるぐるとめぐっている山つづき。
   *3:あぜ。

幅員(ふくいん)*1
東西十二町二十間 南北十一町二十間

   *1:ひろさ。はば。

管轄(かんかつ)沿革(えんかく)
天正十八年庚寅(かのえとら)(1590)徳川氏の有となり代官之れを支配す。田*1に高九十二石四斗三升五合とのす。享保八年癸卯(みずのとう)(1723)大岡越前守の領地となる。宝暦元年辛未(かのとひつじ)(1751)代官に復し、十三年癸未(みずのとひつじ)(1763)清水家の領地となり、寛政九年丁巳(ひのとみ)(1797)代官支配に属し、文政七年甲申(きのえさる)(1824)復清水家の領地となり、天保十三年壬寅(みずのえとら)(1842)松平大和守の領地に替(かわ)る。明治二年己巳(つちのとみ)(1869)前橋藩とな、四年辛未(かのとひつじ)(1871)七月前橋県と改り、十月群馬県に転じ、十一月入間県に隷(れい)し、六年癸酉(みずのととり)(1873)熊谷県に属す。

   *1:武蔵田園簿(正保期-1644〜1648-の武蔵国郷帳の控、各郡村高及び寄せ高、道のり等が書かれている。

里程(りてい)*1
熊谷県庁より西南の方四里四十四間。
四隣菅谷村へ十四町一間三尺、遠山村へ二十二町五十四間五尺、鎌形村へ十五町二十八間、平沢村へ十五町二十間四尺。
近傍*2宿町松山町へ二里十二町四十間四尺字上台を元標とす。
   *1:道のり。
   *2:近所。

地勢
林巒起伏し高低多く南方に槻川を帯ぶ、運輸不便薪炭贏餘(えいよ)*1。

   *1:あまり

地味(ちみ)*1
色赤白相混じ稲粱(とうりょう)*2に可なり。麦桑(ばくそう)*3に適せず、水利不便時々旱(かん)*4に苦しむ。

   *1:地質の良し悪し。
   *2:いねとあわ。
   *3:むぎとくわ。
   *4:ひでり。

税地
田  五町五反四畝七歩
畑  二十二町六反九畝十五歩
宅地 七反七畝六歩
山林 二町一反八畝二十二歩
総計 三十一町一反九畝十六歩


字地
上の台(うえのだい) 村の中央にあり。東西三町四十間南北二町三十間。
原(はら) 上の台の東に連る。東西三町二十間南北一町五十間。
山王(さんのう) 原の南方。東西二町南北三町三十間。
川坂 上の台の南。東西三町五十間南北一町五十間。
谷(やつ) 上の台の北。東西二町二十間南北二町五十間三尺。


貢租
地租  米二十九石六斗六升八合
     金十六円四十九銭三厘
賦金(ふきん)*1 金二円五銭
総計  米二十九石六斗六升八合
      金十八円五十四銭三厘

   *1:割り当ての金銭。

戸数
本籍 三十六戸平民
社  一戸村社
寺  二戸曹洞宗一宇 日蓮宗一宇
総計 三十九戸


人口
男 九十五口
女 百八口
総計 二百三口


牛馬
牡(をす)馬十頭


山川
雷電山 高五十丈周回(しゅうかい)*1不詳村の西にあり、樹木欝葱(うつそう)*2。山脈遠山村太平山に連(つらな)る。西方より上る二町。
   *1:まわり。
   *2:草木の青々と盛んに茂るさま。

槻川(つきがわ) 深処五尺浅処一尺。広処四十間狹処三十間。澄清急流。村の西方鎌形村より来り、東方菅谷村に入る。其間六町三十間。

槻川橋 熊谷道に属し村の南方槻川の下流に架(か)す。長十五間巾三尺。木製。


森林
林 民有に属し所々に散在す。反別二町一反八畝二十二歩。雑樹茂生す。


道路
熊谷道 村の南方鎌形村界より東方菅谷村界に至る。長九町三十二間三尺巾二間。


掲示場
村の東口より六町二十二間三尺にあり。


神社
春日社 村社々地東西十間三尺南北十七間三尺。面積百八十二坪。村の北方にあり。天津児屋根命(あめのこやねのみこと)*1を祭る。応和二年(おうわ)(962)観請(かんじょう)*2す。祭日四月十五日。

   *1:言霊の神、出世開運の神。
   *2:神仏の分霊を請じ迎えて祭ること。

仏寺
千手院 東西二十一間南北十一間。面積八百四十三坪。村の北にあり。曹洞宗遠山村遠山寺の末派なり。天文(てんぶん)中(1532-1555)僧伊芳開基(かいき)*1す。

光照寺 東西十七間三尺南北二十六間。面積四百五十三坪なり。日蓮宗下総国葛飾郡真間村弘法寺の末派。村の東方にあり。元和二年(げんな)(1616)僧日栄中興す。

   *1:寺院または宗派を創立した僧。

役場
事務所 村の西南戸長宅舎を仮用す。


物産
繭 四石二斗
米 四十八石
大麦 七十三石
小麦 五十石
桑 百駄
楮皮(ちょひ)*1 五百斤
生絹(すずし)*2 百疋
太織(ふとおり)*3 三十疋
木綿 三百反
薪 三百駄
炭 百駄
   *1:楮の皮、和紙の原料。
   *2:生糸のおりもの。
   *3:太糸を使って平織にした薄地の絹織物。

民業
男女農桑を専とす。

神社明細帳 春日神社 菅谷村(現・嵐山町)千手堂 ルビ・注

埼玉縣武蔵國比企郡菅谷村(すがやむら)大字千手堂(せんじゅどう)字明神前(みょうじんまえ)
 村社 春日神社(かすがじんじゃ)

一 祭神(さいじん) 天津児屋根命(あまつこやねのみこと)*1
   *1:瓊瓊杵命(ににぎのみこと)とともに、葦原の中津国に天降った五柱の神の一。藤原氏の祖。

一 由緒(ゆいしょ) 宝暦三年(ほうれき)(1753)三月本社再建 其他創立年度不詳(ふしょう)

一 社殿 本殿 拝殿

一 境内 参百四拾坪 昭和廿三年(1948)四月廿六日 三四○坪
   決 昭和二十四年(1949)十月十八日 三四○坪

一 氏子 参拾七戸

一 境内神社
 八坂神社
  祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
  由緒 不詳
  社殿 本殿

由緒追記
 大正十年(1921)五月二日隣接山林五畝歩、境内編入許可
 大正十四年(1925)一月八日本殿新築、旧本殿ヲ拝殿ニ引直し、出願許可同年四月十五日竣工

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2003年5月22日 小川京一郎さん撮影
※春日神社境内図(『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁、1992年)1411頁)
春日神社

空から見た嵐山町 318 千手堂・平沢 2011年5月

嵐山町千手堂・平沢
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2011年5月18日、内田泰永さん撮影

A:春日神社、B:蓮沼(大字千手堂字明神前)
C:千手院(曹洞宗)、D:天磐戸宮(谷)
E:嵐山町上水道配水場(比丘尼山)
F:コワセウッディ&BOX事業部(大字遠山字坂下)
G:白山神社、H:平沢寺(天台宗)、I:不動尊(大字平沢字入)
J:太陽インキ製造嵐山北山事業所、K:大沼(北山)
L:カインズモール嵐山(遠道)
M:国道254号
N:東武東上線

菅谷村の沿革 千手堂村(現・嵐山町)

武蔵国比企郡千手堂村

沿革
1.名稱 往昔千手観音堂アルヲ以テ村名ニ号ストナリ
1.所属 枩山領玉川郷ト称ス。庄ハ未詳ナリ。明治五申年(1872)二月大小區名ヲ置キ六大區四小區ト云フ。同十二年(1879)四月比企横見郡役所管理ニ属シ、同十七年(1884)七月本村外八ヶ村ヲ以テ菅谷村聯合戸長役場ヲ置ク。
1.分合 ナシ
1.管轄 天正十八年(1590)徳川氏関東總領シテ代官伊奈備守【?】支配セリ。同十九年(1591)籏下渡辺半蔵守綱ノ采地トナル。元禄十一年寅(1698)三月代官江口次右ヱ門支配ニ転ス。享保八年(1723)大岡越前守ノ領知トナル。宝暦十三未年(1763)清水殿領知トナル。寛政九巳年(1797)上知シテ代官野田文蔵之ニ代ル。享和酉年【享和元年】(1801)浅岡彦四郎ニ轉シ、文化九申年(1812)山田常右ヱ門ニ代ル。文政七申年(1824)清水殿ノ再知トナル。天保十四年卯(1843)二月川越領主松平大和守領知トナリ、明治四辛未年(1871)十一月旧領ヲ更メテ前橋縣ニ轉ス。明治五壬申年(1872)入間縣ニ移ル明治六癸酉年(1873)六月更ニ熊谷縣ノ所轄トナル。同九年(1876)九月埼玉縣ノ管轄トナリ、同十二年(1879)四月比企横見郡役所ノ管理ニ属シ、同十七年(1884)七月ヨリ本村外八ヶ村ヲシテ菅谷村聯合戸長役場ヲ置ク。

位置彊域
1.位置 比企郡西ノ方
1.東 菅谷村耕地
1.西 遠山村峯小道
1.南 鎌形村槻川
1.北 平沢村耕地及ヒ山嶺ノ里道
幅員
1.東西 拾壱町十五間
1.南北 九町三十間
1.周回 壱里拾丁貳間五尺
1.面積 三拾壱万五百三拾坪
地味
1.色 赤白五分黒五分
1.質 ●土(くろつち)交リ
1.適種 早稲、小麦ニ宣シ楮茶ニ適応ス
地勢
1.山脈 南ハ大平山ヨリ西北ヘ掛ケ雷電山沿ヒ最モ嶮ナリ。枩雑木繁生ス
1.水脈 南東ハ槻川ヲ帯ヒ、東流シテ菅谷村堺ニ至リ、都幾川ト会ス。舟通セス。筏ニ便ナリ。
1.東部 平林
1.西部 嶮山
1.南部 耕地
1.北部 耕地
1.全地形勢 西南ハ山岳巍々(ぎぎ)タリ。北方山林アリ。谷間ニ田地アリ。山ノ梺ニ民家アリ。東ハ一般平林耕地●(など)ナリ。菅谷村ヨリ発シ越生往還ノ里道アリ。田地三分ノ二ハ溜池ノ用水ヲ以テ養フ。其他ハ天水ヲ俟ッテ作付ス。且旱害ニ苦シム。

地種
1.官有地 第一段別【村社】 六畝拾歩 筆数 一筆
1.官有地 第三段別【秣場・芝地・溜池・用悪水路・道路】 拾町壱反拾九歩 筆数 廿五筆
1.官有地 第四段別【寺院境内】 四反四畝六歩 筆数 二筆
1.官有地 小計段別 拾町六反壱畝五歩 筆数 廿八筆
1.民有地 第一段別 八拾八町四畝拾八歩 筆数 八百七拾壱筆
1.民有地 第二段別 四反四畝拾貳歩 筆数 廿四筆
1.民有地 小計段別 九拾貳町九反歩 筆数 八百九拾五筆
1.總計 段別 百三町五反壱畝五歩 筆数 九百廿三筆

里程
1.元標所在 本村中央字上ノ臺
1.本縣庁ヘ 十一里六丁三十七間二尺
1.本郡役所ヘ 二里十四丁四十九間二尺
1.近驛 東 松山町ヘ二里拾貳丁
 西 小川村ヘ壱里廿六丁
 南 越生村ヘ二里三十二丁
 北 熊谷驛ヘ四里十八丁
1.東京、著名市邑 日本橋ヘ十七里廿丁

耕宅地及塩田
官有地
 ナシ
民有地
1.田 段別 八町四反九畝拾四歩
 筆数 百三拾筆
 地価 三千四百廿円八拾四銭三厘
1.畑 段別 廿五町五反五畝拾壱歩
 筆数 二百九拾壱筆
 地価 三千百三拾五円六拾七銭壱厘
1.宅地 段別 三町四反五畝壱歩
 筆数 四十筆
 地価 七百三拾七円五十壱銭九厘
1.總計 段別 三拾七町四反九畝廿三歩
 筆数 四百六拾壱筆
 地価 七千貳百九拾四円三銭三厘
民有荒地
1.畑 貳反九畝拾貳歩

字地
1.川枝(かわえだ) 舊字 川枝 川屋田
 段別 五町七反貳畝十歩
 筆数 七拾六筆
1.原(はら) 舊字 原
 段別 八町六反九畝廿四歩
 筆数 六拾八筆
1.中原(なかはら) 舊字 中原
 段別 五町四反貳畝廿八歩
 筆数 七拾三筆
1.山王(さんのう) 舊字 山王
 段別 六町貳反五畝拾七歩
 筆数 六拾二筆
1.石堂(いしどう) 舊字 石堂 坂下 阿弥陀ノ又
 段別 四町三反五畝廿五歩
 筆数 七拾三筆
1.川坂(かわざか) 舊字 門光【ママ。嵐山町誌441頁では門先。門先カ?】 墓ノ前 川坂
 段別 六町七反四畝拾歩
 筆数 五拾八筆
1.中島(なかじま) 舊字 中島
 段別 四町六反九畝五歩
 筆数 八十二筆
1.上ノ臺(うえのだい)【コード表の上台は誤記】 舊字 上ノ臺坂 樫ノ木 後谷
 段別 七町三反貳畝廿五歩
 筆数 七拾七筆
1.明神前(みょうじんまえ) 舊字 明神前 田端 後坂下
 段別 四町八反壱畝壱歩
 筆数 五拾貳筆
1.小千代山(こちよやま)【地元ではコジョウヤマと発音】 舊字 小千代山
 段別 四町三反五畝六歩
 筆数 六拾二筆
1.沼下(ぬました) 舊字 沼下 コシマキ 親ヶ谷戸
 段別 四町五段五畝十九歩
 筆数 五拾三筆
1.谷(やつ)【コード表のタニは誤読】 舊字 寺谷 鳥打 日向山 高座 高田
 段別 六町九段六畝廿三歩
 筆数 八十二筆
1.比丘尼山(びくにやま) 舊字 五郎谷
 段別 拾壱町六反六畝廿壱歩
 筆数 五十六筆
1.上ノ山(うえのやま) 舊字 西ノ沢 トイノ入【トイは樋カ? 地元ではテイノイリと発音】
 段別 九町拾歩
 筆数 三拾七筆

戸数
1.平民 本籍 三拾六戸
 内現住 三拾六戸
  出寄留、入寄留 〇
 小計 三拾六戸
1.合計 本籍 三拾六戸
 内現住 三拾六戸
  出寄留、入寄留 ナシ 
 總計 三拾六戸

人口
1.平民 本籍 戸主 《男三十五人 女一人》 計三拾六人
 家族 《男七十二人 女百十二人》 計百八拾四人
  合 貳百廿人
 内現住 貳百貳拾人 入寄留 ナシ
1.總計 本籍 戸主 《男三十五人 女一人》  計三十六人
 家族 《男七十二人 女百十二人》 計百八十四人
  計 貳百廿人
   内現住 貳百貳拾人 入寄留 ナシ
1.合計 《男百七人 女百十三人》 計貳百貳拾人
 以上差引

本籍年令
五年未満 《男十三人 女九人》 合貳拾二人
五年以上 《男十三人 女十六人》 合二十九人
十年以上 《男十三人 女十二人》 合二十五人
十五年以上 《男十四人 女八人》 合二十二人
廿年以上 《男九人 女六人》 合十五人
廿五年以上 《男七人 女七人》 合十四人
三十年以上 《男六人 女七人》 合十三人
三十五年以上 《男四人 女六人》 合十人
四十年以上 《男拾人 女九人》 合十九人
四十五年以上 《男四人 女一人》 合五人
五十年以上 《男五人 女三人》 合八人
五十五年以上 《男五人 女六人》 合十一人
六十年以上 《男三人 女四人》 合七人
六十五年以上 《男三人 女六人》 合九人
七十年以上 《男二人 女三人》 合五人
七十五年以上 《男二人 女五人》 合七人
1.總計 《男百七人 女百拾三人》 合貳百貳拾人

生死及就籍【法律上、本籍をもたない者が戸籍につくことをいう。戸籍を取得すること】除籍
1.出生 《男一人 女三人》 合四人
1.就籍 《男〇 女一人》 合壱人
1.計 《男一人 女四人》 合五人
1.死亡 《男一人 女三人》 合四人
1.除籍 《男〇 女二人》 合二人
1.計 《男一人 女五人》 合六人

牛馬
1.馬 内種 《牡(おす)十三頭 牝(めす)〇》 小計十三頭
    外種 〇
 小計 《牡十三頭 牝〇》 合計拾三頭
1.總計 拾三頭

戸長役場
 本村外八ケ村聯合戸長役場
1.所在 同郡菅谷村中央字西側
1.所轄町村 菅谷村 志賀村 平澤村 遠山村 千手堂村 鎌形村 大蔵村 根岸村 将軍沢村

城山小学校
1.所在 村ノ中央字上ノ臺
1.地坪 貳百七十八坪
1.建坪 六拾坪五合
1.種類 公立本村及菅谷村、志賀村、平沢村、遠山村、鎌形村、大蔵村、根岸村、将軍沢村、九ケ村ノ共立
1.生徒 《男百廿人 女十五人》 計百三拾五人
1.教員 三人

神社
 春日神社
1.所在 村ノ西方
1.坪数 百八拾貳坪
1.祭神 天ノ旧屋根【天津児屋根命(あまつこやねのみこと)。藤原氏の氏神】
1.社格 村社
1.創建年月 末詳
1.祭日 四月十五日
1.氏子 三拾六人
1.末社 天満宮 白山社 白枝神社【日枝神社の誤記カ?】
1.現任宮司若クハ祠官ノ名 斉藤周養
1.雑 元四柱神社(よはしらじんじゃ)ト号シ【ス?】摂社(せっしゃ)【神社の社格の一つ。本社に付属し、その祭神と縁故の深い神をまつった神社。本社と末社の間に位し、本社の境内にあるものを境内摂社、境外にあるものを境外摂社という。日本国語大辞典より】アリ。御一新ノ際春日社ト改号シ則ラ【チ?】末社ノ三社ヲ合セテ四柱ノ名アリケリ。

寺院
 普門山千手院 《寺坊 院庵》
1.所在 村ノ西方字谷
1.坪数 八百四十三坪
1.宗派 曹洞宗
1.寺格 同郡遠山村遠山寺末派
1.開基人名 僧幻室伊芳
1.開基年月 天文年中(1532〜1555)
1.現住ノ姓名 澤田俊明
1.雑 寺中千手観音ヲ安置ス。往昔人皇六十三代村上天皇天暦三年(949)【てんりゃく】千手観音堂ヲ御造立。武蔵国比企郡ニ於テ地一区ヲ賜フ。故ニ千手堂村ト名ツケ寺ヲ千手院ト号ス。堂宇創立一年三月ニシテ功成ストアリ而メ后文治建久ノ頃(1185〜1199)兵火ニ掛リ諸堂焼失ス。復(また)数代ヲ経テ天文年中(1532〜1555)幻室伊芳ニ至リ再ヒ造営スト。豈圖ランヤ(あにはからんや)享保元年(1716)又焼失スト雖モ御龍牌観音ノ像ニ恙(つつが)ナシト云ヘリ。俚伝ニ菅谷村ニ秩父ノ重忠在城ノ頃、其ノ家来居住セシト。地形塚三個アリ。今ニ鎧塚(よろいづか)ト称ス
 
 法華山光照寺 《寺坊 院庵》
1.所在 村ノ西方
1.坪数 四百五十三坪
1.宗派 日蓮宗
1.寺格 下總国葛飾郡真間弘法寺【真間山弘法寺。ままさんぐぼうじ。現市川市真間4-9-1】末派
1.開基人名 僧日栄
1.開基年月 元和二庚申年(1616)八月
1.現住ノ姓名 無住
1.雑 該寺本開基ハ末詳。日栄ハ中興開基ナルヘシ。本尊三宝ヲ安置ス

道路
1.等級 里道
1.長 南方鎌形村界ヨリ東方菅谷村境ニ至ル。村内長延九丁三十二間
1.幅 貳間
1.形状 南方鎌形村ヨリ凡貳丁余嶮坂ニシテ、其余平地ナリ
1.雑項 菅谷村ヨリ発スル、南ハ越生北ハ熊谷往還ノ里道ニシテ、従来道路橋修繕等ハ本村ノ負擔(ふたん)ニ付ス。

地所 明治九年(1876)十二月調査ノ分
 [官有地]
1.村社 段別 六畝拾歩
1.秣場 段別 三町九反九畝八歩
1.芝地 段別 六反六畝歩
1.溜池 段別 六反貳畝廿八歩
1.用悪水路 段別 六反貳畝二歩
1.道路 段別 三町六反三畝拾貳歩
1.寺院境内 段別 四反二畝六歩
1.合計段別 拾町六反壱畝六歩
 民有地
1.田 段別 八町四反九畝拾壱歩
1.畑 段別 廿五町五反五畝拾壱歩
1.郡村宅地 段別 三町四反五畝拾歩
1.鍬下地 段別 壱町壱反四畝九歩
1.畑荒地 段別 貳反九畝拾二歩
1.山林 段別 二十町六反五畝歩
1.林 段別 三十一町五反四畝拾壱歩
1.芝地 段別 三反六畝拾八歩
1.萱生地 段別 九畝三歩
1.畦畔 段別 八反七畝貳歩
1.墓地 段別 三反八畝拾四歩
1.斃馬捨場 段別 五畝廿八歩
1.合計 段別 九十二町九反歩
1.総計段別 百三町五反壱畝五歩
外調査末済ニテ段別詳ナラス

山嶽
 雷電山
1.所在 村ノ西方ニアリ
1.形状 本村字上ノ山ニ連亘シ、東梺ニ民家アリ。西ハ遠山村大平山ニ接ス山嶽ヨリ三分シ、西ハ遠山村ニ境シ、南ハ鎌形村入会秣場ニ属シ、北ハ山脈平沢村ニ接ス。
1.高 五十丈
1.周回 末詳
1.登路 一条ニシテ本村字比丘尼山ヨリ上ル七丁余至ッテ嶮ナリ。
1.樹木 枩ノ小樹アリ、雑木鬱生ス。
1.景致 東南二方槻川ヲ帯ヒ、西方遠山村大平山及ヒ物見山ニ連接シ、北ハ平沢村深山ニ続ク。東ヨリ西ニ互リ遠山村ニ通スル里道嶺上ニ隧道アリ。東北ハ平衍(へいえん)ノ耕地ナリ。頂上ニ雷電神社アリ。旱魃(かんばつ)ノ年ハ雨請(あまごい)ヲ祈ル場所ナリ。社内ハ平坦ニシテ孤枩ノ大樹アリ。

林籔(りんそう)
1.字川枝 段別 三町貳反七畝四歩 主用 薪炭材
1.字原 段別 貳町壱反三畝廿五歩 主用 用材
1.字原 段別 三町壱畝三歩 主用 薪炭材
1.字中原 段別 三町七反六畝廿貳歩 主用 薪炭材
1.字山王 段別 三町四反四畝廿壱歩 主用 薪炭材
1.字石堂 段別 壱町壱反貳畝廿九歩 主用 薪炭材
1.字川坂 段別 三反貳畝十三歩 主用 用材
1.字川坂 段別 壱町七反八畝九歩 主用 薪炭材
1.字中島 段別 九反七畝貳歩 主用 薪炭材
1.字上ノ臺 段別 貳町貳反壱畝壱歩 主用 薪炭材
1.字明神前 段別 壱町壱反壱畝廿歩 主用 用材
1.字明神前 段別 壱町四反五畝六歩 主用 薪炭材
1.字小千代山 段別 八反三畝廿七歩 主用 薪炭材
1.字小千代山 段別 貳町九反七畝十九歩 主用 薪炭材
1.字谷 段別 五反六畝廿八歩 主用 用材
1.字谷 段別 貳町五反三畝廿二歩 主用 薪炭材
1.字比丘尼山 段別 壱町貳反四畝廿二歩 主用 用材
1.字比丘尼山 段別 拾町三反九畝廿八歩 主用 薪炭材
1.字上ノ山 段別 壱反九歩 主用 用材
1.字上ノ山 段別 八町九反壱歩 主用 薪炭材
1.合計段別 五拾貳町壱反九畝拾壱歩

原野
 小千代ノ原
1.所在 村ノ北隅
1.所属 官有ニ属
1.段別 四町貳畝八歩
1.形状 中央ニ耕作道アリ。該道ヨリ南ハ平坦ナリ。北ハ西北ニ傾斜シ二条ノ小谷アリテ民有ノ小田アリ。
1.生産 柴草生ス。村民ノ秣野トス。

河渠
 槻川
1.発源 西方秩父郡笠山ノ梺ヨリ発ス。
1.流状 南東ヘ直流シテ水勢急流ナリ。
1.所属ノ長 六丁三十間
1.廣 最廣四十間 最狭十三間
1.深 最深九尺 最浅貳尺
1.水質 澄清ナリ
1.潅漑 岸高ク用水ノ便ナシ
1.運輸 筏ニ通便ナリ
1.物産 鮎魚生ス
1.雑項 秩父郡笠山ノ梺白石村ヨリ出、北流シテ坂本村ニ至リテ南ニ折レ、下流小川村ニ至リ、竹沢川ノ小流ト会シテ、下里遠山ノ二村ヲ経テ、南方鎌形村界ヨリ北流シテ、本村ニ来リ、菅谷村界ニテ都幾川ト会ス。

橋梁
1.所在 村ノ南方里道字川坂槻川ニ架設ス。
1.長 十六間
1.幅 六尺
1.構造 木製
1.架設年月 明治十六年(1883)三月
1.雑項 ナシ

湖沼
 明神前溜池
1.所在 村ノ西方ニアリ、東ハ山林ニ属シ、西北ハ耕地ニ属ス。
1.径 縦 南北五十貳間 横 東西廿五間
1.面積 千三百三十七坪
1.水利 田三町三反七畝歩ノ用水ニ供ス。
 小千代山溜池
1.所在 村ノ北方ニアリ。東南ハ小千代原ニ属ス。
1.径 縦 南北十六間 横 東西七間三尺
1.面積 七十七坪
1.水利 田貳反五畝ト用水ニ供ス

租税
 国税
1.地税金 百九拾九円四拾六銭貳厘
1.合計金 百九拾九円四拾六銭貳厘
 地方税
1.地租割金 三拾五円五拾四銭八厘
1.戸数割金 貳拾三円九拾七銭八厘
1.営業税金 七円
1.雑種税金 壱円
1.合計金 六拾七円五拾貳銭六厘
 舊租
1.田高 米 廿九石六斗六升八合 石盛十九七五 免
1.畑高 永 拾五貫六百三拾九文四分四厘 石盛 六四三一 免
1.屋敷高 永 八百五拾三文六厘 石盛 十 免
1.合計地租 米 廿九石六斗六升八合 永 拾六貫四百九拾貳文五分
 舊雑税
1.綿 売出シ 永貳百貳拾文
1.合計 永 貳百貳拾文

舊検地帳表書合計
 寛文八年(1668) 案内 太兵衛 仁兵衛 五郎兵衛
1.表書 田畑屋敷 御検地帳
 申ノ八月廿一日 三冊ノ内 千手堂村
1.合計 上田 貳町五反六畝廿六歩 【石盛10】
 中田 壱町三反八畝廿四歩 【石盛9】
 下田 壱町貳反貳畝六歩 【石盛7】
 下々田 三反四畝拾九歩 【石盛5】
 上畑 貳町八反七畝貳拾歩 【石盛6】
 中畑 三町六反三歩 【石盛4】
 下畑 四町四反八畝六歩 【石盛3】
 下々畑 拾壱町貳反九畝拾壱歩 【石盛1】
 屋敷 七反四畝歩 【石盛10】

舊検地帳表書合計
1.表書 延宝八年申(1680)ノ閏八月
 切添畑改検地帳 中川八郎右衛門
          代 志村茂左衛門
1.合計 中畑 八畝九歩
 下畑 九畝拾壱歩
 下々畑 貳反八畝拾壱歩
 屋敷 三畝六歩

舊検地帳所載の字
 寛文八年申八月廿一日 《壱番 貳番 三番》 検地役人 坪井次右衛門
 坂下 川坂 門先 墓ノ前 樫ノ木 上ノ臺坂  明神前 田端 寺谷 後坂 小千代山 川枝 川屋田 阿陀ノ又 親ヶ谷戸 沼下 高座 高田 鳥打 五郎谷 西ノ沢 トイノ入 後坂下 日向山 コシマキ 石堂 中島 原
 以上二十八字

物産
1.米 生産高 六十九石四斗八升 輸出地 比企郡小川村
1.糯(もち)米 生産高 十六石壱斗
1.大麦 生産高 八十八石九斗三升七合
1.小麦 生産高 六十六石四斗
1.粟 生産高 十石八斗
1.大豆 生産高 四十七石二斗五升
1.蕎麦 生産高 十五石
1.實綿 生産高 百廿五メ目
1.繭 生産高 廿貳石
1.製茶 生産高 六メ目
1.甘薯 生産高 六百メ目
1.楮皮 生産高 二百メ目

民業
1.農業 三十七戸
1.農商兼業 五戸
1.農工兼業 六戸
1.雑項 農事ヲ主トスルモノ十中八九偶々農隙ニ職工ヲ帯用ス婦女子ハ農間ニ紡織ヲ重モニ業トス

空から見た嵐山町 317 千手堂 2011年5月

嵐山町千手堂
P1210614webword
2011年5月18日、内田泰永さん撮影

A:千手堂構造改善センター、B:光照寺(日蓮宗)(原)
C:春日神社、D:蓮沼(明神前)
E:千手院(曹洞宗)(谷)

空から見た嵐山町 316 菅谷・千手堂 2011年5月

菅谷・千手堂
P1210683webword
2011年5月18日、内田泰永さん撮影

A:独立行政法人国立女性教育会館、B:埼玉県立嵐山史跡の博物館、C:大妻嵐山 中学校 高等学校(菅谷)
D:嵐山ゴルフ練習場(千手堂)
E:国道254号嵐山バイパス


嵐山町の奉額 千手観世音由緒 1764年

千手院本尊千手観音由緒
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千手観世音由緒1

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千手観世音由緒2

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千手観世音由緒3

1764年(明和元)、大年撮道書写

→「寺院明細帳 曹洞宗 千手院 菅谷村(現・嵐山町)千手堂 ルビ・注
→「空から見た嵐山町 268 千手院 2007年11月

嵐山町の奉額 千手院の俳額 1893年

千手院の俳額 1893年(明治26)
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俳額1

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俳額2

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俳額3

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俳額4

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俳額5

→「寺院明細帳 曹洞宗 千手院 菅谷村(現・嵐山町)千手堂 ルビ・注

※評者の一人は可布庵(かふあん)二世の茂翠(もすい)と思われます。茂翠の本名は正木金作、明覚村番匠(現・ときがわ町)の人です。大講義、明倫講社熊谷支社長。晩年は郷里の明覚村番匠(ばんじょう)(現・ときがわ町)で水車業を営みました。没年は1902年(明治35)。内野勝裕編著『埼玉俳諧人名辞典』(さいたま出版会、2003年)による。

嵐山町の奉額 比企西国札所27番千手院御詠歌 1931年

比企西国札所27番千手院御詠歌
27番御詠歌
願主:瀬山鉄五郎 1931年(昭和6)

※「雲かすみたなびく峰の千手堂 心は法(のり)の花の一筋」
比企西国札所めぐりの御詠歌集では、千手院「雲かすみ輝く峰の千手堂 心は法(のり)の花の一筋」とあり、「たなびく」ではなく「輝く」が正しい。
→「比企西国札所27番千手院

※瀬山鉄五郎:1862(文久2)-1933(昭和8)。千手堂村(現・嵐山町千手堂)に生まれ、千手院住職沢田俊明に入門、甲源一刀流を修業する。後年、甲源一刀流8世逸見太四郎に師事し、1928年中目録の印可を得る。鎌形八幡神社に高原一刀流の奉納額がある。
→「鎌形八幡神社の甲源一刀流奉納額 1 1912年

千手院

千手院鐘楼
※千手院(曹洞宗)(嵐山町千手堂) 1997年撮影
→「寺院明細帳 曹洞宗 千手院 菅谷村(現・嵐山町)千手堂 ルビ・注

嵐山町の奉額 春日神社の鳥居再建紀念俳額 1909年

春日神社(千手堂)の鳥居再建紀念俳額 1909年
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鳥居再建1

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鳥居再建2

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鳥居再建3

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鳥居再建4

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鳥居再建5

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鳥居再建6

嵐山町の奉額 征露偉勲十大将軍の肖像

征露偉勲十大将軍之肖像
将軍肖像
高橋金次郎春日神社(千手堂)へ奉納

嵐山町の奉額 征露紀念 1906年

征露紀念 1906年(明治39)
征露紀念
武州川越・要塞砲兵相原芳太郎が春日神社(千手堂)へ奉納
菅谷村(現・嵐山町)千手堂出身

嵐山町の奉額 春日神社奥宮建築寄付連名 1925年

皇太子殿下御成婚記念
春日神社奥宮建築寄附連名 1925年(大正14)
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奥宮建築1

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奥宮建築2

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奥宮建築3
「神社明細帳 春日神社 菅谷村(現・嵐山町)千手堂 ルビ・注」

嵐山町の奉額 春日神社の俳額 1855年

春日神社(千手堂)の俳額 1855年(安政2)
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俳額1

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俳額2

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俳額3

「神社明細帳 春日神社 菅谷村(現・嵐山町)千手堂 ルビ・注」

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