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嵐山ふるさと塾・チーム嵐山

千手堂

嵐山町の奉額 光照寺の永代奉額耕余雑吟

永代奉額耕余雑吟
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永代奉額耕余雑吟1

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永代奉額耕余雑吟2

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永代奉額耕余雑吟3

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永代奉額耕余雑吟4

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永代奉額耕余雑吟5

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永代奉額耕余雑吟6

※1910年(明治43)、菅谷村(現・嵐山町)千手堂の瀬山友吉、関根茂十郎が、梅原寛重詠「永代奉額耕余雑吟」を奉額した。梅原寛重(うめはらかんじゅう)は、1843年伊豆国田方郡神島村(現・静岡県伊豆の国市神島)生まれ。伊豆地方の農業振興の租とされ、農産物の開発・農地改善に尽力しながら古今の農書を研究し、『草木撰種新説』、『椎茸養成独案内』、『農家暦』など生涯40冊の本を出版しました。1911年没。

寺院明細帳 曹洞宗 千手院 菅谷村(現・嵐山町)千手堂 ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡千手堂村字谷
 同縣同国同郡遠山村遠山寺末
  曹洞宗 徹通派(てっつうは)
   千手院(せんじゅいん)
   *1:曹洞宗大本山永平寺三世・大乗寺開山徹通義介(てっつうぎかい)(1219ー1309)の教えを受け継ぎ広めた人たち。徹通義介の法を継いだ瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)(1268-1325)が、能登に永光寺や総持寺などを開創して弟子を育て、その弟子達により曹洞宗の教勢は全国的に拡張された。

一 本尊 千手観世音(せんじゅかんぜおん)

一 由緒(ゆいしょ) 千手観音人皇六拾三代村上天皇天暦三年(てんりゃく)(949)千手観音堂御造立アラセラレ應和二年(おうわ)(962)武蔵国比企郡ニ於テ地一区ヲ併賜フ。故ニ村ヲ千手堂ト名ケ寺ヲ千手院ト号シ山ヲ普門ト号ス。堂宇創立一年三月ニシテ再成ス。而後(じご)文治(1185—1190年)建久(1190—1199年)ノ頃兵火ニ係リ諸堂焼失ス。後数代ヲ経テ天文(1532―1555年)中幻室和尚ニ至リ再ヒ造営ス。豈図(あにはから)ンヤ享保元年(きょうほう)(1716)又焼亡ス。然(しかる)ト雖(いえ)トモ御龍牌観音像而巳(のみ)現在セリ。
 維新後(いしんご)除地上知。又明治九年(1876)三月諸堂焼失(しょうしつ)ス。檀徒合力(ごうりょく)シテ當時再建ス。
   昭和十七年  月  日 規則ヲ認可ス

一 本堂 間口七間 奥行六間

一 境内坪数 八百拾三坪 官有地第四種

一 境内佛堂 壱宇(いちう) 昭和廿三年四月廿一日
        八八七坪六四
 観音堂 
  本堂 千手観世音 ○決昭和二十四年十月十八日
   八八七坪六合四勺
  由緒 不詳
  建物 間口二間 奥行三間

一 境外所有地
田反別(たたんべつ) 六畝拾四歩 千手堂村字明神前
 地價(ちか) 金貮拾貮円貮拾六銭貮厘
田反別 六畝拾九歩 同村字同所
 地價 金貮拾円五拾六銭三厘
田反別 五畝貮拾五歩 同村字沼下
 地價 金貮拾六円拾壱銭七厘
田反別 壱反四畝七歩 同村字谷
 地價 金五拾円三円八拾八銭七厘
田反別 壱反六畝拾八歩 同村字同所
 地價 金拾貮円六拾九銭九厘
林反別 壱反五畝七歩 千手堂村字原
 地價 金壱円五拾貮銭三厘
林反別 貮畝廿八歩 同村字中原
 地價 金五拾八銭七厘
林反別 三反六畝九歩 同村字明神前
 地價 金五円四拾四銭五厘
林反別 壱反四畝四歩 同村字小千代山
 地價 金壱円四拾壱銭三厘
林反別 四畝壱歩 同村字谷
 地價 金八拾銭七厘
林反別 壱反七畝拾四歩 同村字同所
 地價 金貮円六拾貮銭
林反別 四畝拾五歩 同村字同所
 地價 金九拾銭
林反別 貮反七畝廿二歩 同村字同所
 地價 金四円拾六銭
山林反別 九畝九歩 同村字比丘尼山
 地價 金九拾三銭

一 檀徒(だんと) 百拾人

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾壱里廿五町
               以上

山林 壱反壱畝拾歩 菅谷村大字千手堂字明神前
 地價 金壱円拾参銭
山林 壱町壱反四畝九歩 同村同大字字谷
 地價 金拾壱円四拾参銭

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2003年5月22日 小川京一郎さん撮影

寺院明細帳 日蓮宗 光照寺 菅谷村(現・嵐山町)千手堂 ルビ・注

埼玉県管下武蔵国比企郡(ひきぐん)千手堂村(せんじゅどうむら)字原(はら)
 下総国葛飾郡真間村(ままむら)弘法寺(ぐほうじ)*1末
  日蓮宗(にちれんしゅう)*2一致派(いっちは)*3
   光照寺(こうしょうじ)
   *1:現・千葉県市川市真間4-9-1にある真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)。
   *2:鎌倉時代の日蓮(にちれん)を開祖とする仏教の宗派。現在総本山は山梨県身延山(みのぶさん)にある久遠寺(くおんじ)、宗務院は東京の池上本門寺(いけがみほんもんじ)。
   *3:日蓮宗の一派。法華経二十八品の後半十四品を本門と、前半十四品の迹門(しゃくもん)に説かれる理は一致したものであって、勝劣はないのだと説く。現在の日蓮宗はこれに該当する。
 これに対して、法華経後半の本門がすぐれ、前半の迹門が劣ると説くのが勝劣派で、法華宗本門流・法華宗陣門流・顕本法華宗・本門法華宗・法華宗真門流・日蓮正宗などがある。
 歴史的には、明治政府が仏教の各宗派に一宗派一管長制による統一教団の結成を要求したことにより、1872年(明治5)に日蓮系の諸派は日蓮宗を形成。しかし1874年(明治7)教義の違いから日蓮宗一致派と日蓮宗勝劣派に分かれた。1876年(明治9)に日蓮宗一致派は日蓮宗と改称した。1941年(昭和16)、宗教団体法にもとづいて、日蓮宗・顕本法華宗・本門法華宗の三派がそれぞれの組織を解消して対等合併(「三派合同」)し、あらたに日蓮宗を発足させた。

一 本尊 三宝(さんぼう)*1
   *1:準備中→ウィキペディア「三宝尊」

一 由緒(ゆいしょ) 元和二年(げんな)(1616)中興開山日栄
          延享(えんきょう)年中(1744―1748)焼失再建ス

一 本堂 間口四間 奥行四間二尺

一 境内 四百五拾三坪 官有地第四種

一 境内佛堂一宇(いちう)
 番神堂
  本尊 三十番神
  由緒 番神免(ばんしんめん)トシテ境内山林御除地(じょち)維新(いしん)後上知(じょうち)*1
  堂 間口二間 奥行三間
   昭和十七年  月  日  規則ヲ認可ス
   *1:境内の山林が番神堂の免税地になっていたが、明治維新後返納された。

一 境外所有地
田反別(たたんべつ) 五畝(せ)九歩 千手堂村字石堂
 地價 金拾六円四拾三銭二厘
田反別 貮拾歩 同村字中島
 地價 金五拾銭五厘
田反別 五畝廿三歩 同村字沼下
 地價 金貮拾五円七拾九銭六厘
畑反別 四畝廿歩 同村字川枝
 地價 金三円貮銭九厘
畑反別 壱反貮畝壱歩 同村字同所
 地價 金拾壱円九拾六銭五厘
畑反別 壱反四畝拾壱歩 同村字同所
 地價 金拾五円九拾四銭三厘
畑反別 九畝三歩 同村字石堂
 地價 金拾円九銭八厘
畑反別 六畝壱歩 同村字中島
 地價 金八円七銭八厘
畑反別 三畝拾弐歩 同村同所
 地價 金貮円六拾銭壱厘
畑反別 壱畝拾七歩 同村同所
 地價 金壱円拾九銭三厘
林反別 貮畝廿壱歩 同村字川枝
 地價 金四拾銭五厘
林反別 壱反三畝廿六歩 同村字同所
 地價 金壱円三拾八銭七厘
林反別 壱反貮畝拾九歩 同村字同所
 地價 金壱円貮拾六銭三厘
林反別 貮畝廿四歩 同村字中原
 地價 金五拾六銭
林反別 壱畝廿六歩 同村字石堂
 地價 金弐拾八銭
林反別 四畝廿八歩 同村字中島
 地價 金七拾四銭
林反別 貮畝廿六銭歩 同村字千代山
 地價 金貮拾八銭七厘
山林反別 六畝三歩 同村字比丘尼山
 地價 金六拾壱銭
山林反別 貮拾九歩 同村字同所
 地價 金九銭七厘
山林反別 壱反壱畝拾歩 同村字同所
 地價 金壱円拾三銭三厘
山林反別 六畝廿八歩 同村字上ノ山
 地價 金三拾四銭七厘

一 檀徒(だんと) 六拾五人

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾壱里拾五町
                      以上

山林 六畝弐拾参歩 千手堂字上ノ山八九六番
 地價 金六拾八銭
田 弐畝拾四歩 千手堂字中原一九一番
 地價 金四円四拾八銭
畑 五畝壱歩 千手堂字中島四五〇番
 地價 金参円拾九銭
畑 五畝四歩 千手堂字中原一九二番
 地價 金参円弐拾六銭
原野 壱畝拾八歩 千手堂字石堂二九三番ノ三
 地價 金五銭
原野 弐畝弐拾参歩 千手堂字中原一八九番
 地價 金八銭
田 五畝拾五歩 千手堂字七百十八番
 地價 金拾八円五拾四銭
山林 壱反八畝歩 千手堂字比丘尼山八二三番
 地價 金壱円八拾銭

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2003年5月22日 小川京一郎さん撮影

大平山からの展望 2009年11月

大平山(嵐山町大字千手堂)からの展望
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2009年11月3日大平山(標高178.9m)から撮影

A:嵐山病院(嵐山町大字太郎丸)
B:パシオス嵐山バイパス店(嵐山町大字平沢)
C:ヤオコー嵐山バイパス店(嵐山町大字平沢)
D:滑川町配水場(滑川町大字羽尾)
E:関越自動車道(東松山IC-前橋IC開通は1980年7月)
F:明星食品嵐山工場(嵐山町大字川島)
G:筑波山(茨城県つくば市、標高877m)

嵐山町の桜 旧・嵐山幼稚園 2010年4月8日

旧・嵐山幼稚園
(嵐山町大字千手堂字中原)

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2010年4月8日撮影

嵐山町の桜 嵐山町上水道第二水源(千手堂) 2010年4月8日

嵐山町上水道第二水源(嵐山町大字千手堂)
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2010年4月8日撮影

嵐山町の桜 千手院(千手堂) 2010年4月4日

千手院(嵐山町千手堂)

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千手院から平沢区画整理地方面
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2010年4月4日撮影

嵐山町の桜 嵐山幼稚園(千手堂) 2009年4月5日

嵐山幼稚園(現・嵐山町シルバー事業団)

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2009年4月5日、井島宏さん撮影

嵐山町の桜 大平山(千手堂) 2010年4月10日

大平山(嵐山町千手堂)

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2010年4月10日、井島宏さん撮影

嵐山町の桜 蓮沼(千手堂) 2010年4月4日

蓮沼(嵐山町千手堂)
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2010年4月4日、井島宏さん撮影

古い写真 菅谷養鶏振興会育雛所が落成する 1966年5月

育雛所建設用地(現・嵐山町大字千手堂)
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1965年(昭和40)12月撮影

※菅谷養鶏振興会育雛所の場所は現・嵐山町千手堂の平成楼(へいせいろう)あたりであった。

   育雛所建設
 菅谷養鶏振興会(会長杉田庄治郎氏)の協業による育雛所(いくすうしょ)建設事業は去る十二月三十日着工となった。
 その構造は育雛舎三棟七八五・五平方米(メートル)、外附属建物三棟一四四平方米である。
 千手堂橋北上の山林を開拓して造成するもので、高台で絶景のか所である。

     『菅谷村報道』164号 1966年(昭和41)1月20日
     (同じ記事を『菅谷村報道』165号 1966年(昭和41)3月20日にも掲載)

   育雛所落成
 千手堂橋北上の台地を占める菅谷養鶏振興会の協業による育雛所は四月中旬完成を見、去る五月二日を卜して、その落成披露が盛大に挙行された。
 本事業は農業構造改善補助事業として実施されたもので、敷地約三三〇〇平方米、建物は育雛舎二棟七八六平方米、附属建物三棟一四四平方米の近代的な構造で、内部施設もまた最新の機具を導入したりっぱなものである。
 事業費は約九六〇万である。

     『菅谷村報道』169号 1966年(昭和41)9月15日

古い写真 彼岸を過ぎて大雪 3 1958年

大平山
アルバムA100
1958年(昭和33)3月29日撮影

空から見た嵐山町 99(更新) 千手堂 2010年11月

千手堂
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鎌形
2010年11月24日 内田泰永さん撮影

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2009年12月16日 内田泰永さん撮影

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2010年11月24日 内田泰永さん撮影

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2009年12月16日 内田泰永さん撮影

A:千手院(曹洞宗)、B:光照寺(日蓮宗)、C:千手堂構造改善センター、D:平成楼、E:槻川橋、F:嵐山町上水道浄水場、G:前沼、H:嵐山バイパスゴルフセンター、I:小千代山、J:JA埼玉中央嵐山農産物直売所、K:味菜工房、L:千手堂二区集会場、S:春日神社、T:蓮沼(千手堂)
M:オオムラサキの森活動センター
  『四季の彩』さんの「オオムラサキの森
N:大妻嵐山中学校 高等学校、O:ベイシア電器、P:ファミリーブック嵐山店(菅谷)
Q:嵐山変電所、R:ヤオコー嵐山バイパス店(平沢)

古い写真 光照寺 1970年代前半

光照寺(日蓮宗)
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1970年代前半 西山光燐さん撮影

古い写真 千手堂・千手院入口 1968年12月

千手堂・千手院入口
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1968年12月 西山光燐さん撮影

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