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根岸

新編武蔵風土記稿 根岸村(現・嵐山町) ルビ・注

  根岸村(ねぎしむら)(現・埼玉県比企郡嵐山町大字根岸)

根岸村ハ江戸ヨリ行程(こうてい)十六里、庄名(しょうめい)前村*1ニ同ジ、領ハ玉川ニ属セリ。村名ハ正保(しょうほう)頃(1644−1648)ノモノニハ禰宜子ト書タレド、コハタマタマ借假(しゃくか)シテ*2書シモノニテ昔ヨリ根岸ノ字ヲ用イタルト見エタリ。或書ニ熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)*3ガ末孫佐渡守実勝六代ノ孫、佐渡俊尚ト云フ人武蔵国比企郡根岸村ニ住シ、同国松山ノ城主安独斎*4(家譜(かふ)*5ニハ暗礫斎ニ作ル)ニ属シ根岸村及ビ和泉村(いずみむら)ヲ知行ストアリ、家数十六、東ハ神戸村、南ハ将軍沢村、西ハ大蔵村ニテ、北ノ一方都幾川(ときがわ)ヲ限リテ上唐子村(かみからこむら)ニ堺(さか)へリ。東西ヘ一町半南北ニ二町許(ばか)リ、村内ノ溜井(ためい)ニ天水ヲ湛(たた)ヘテ用水トスレド、旱損(かんそん)*6ノ年多シト云フ。御入国*7ノ後ハ御料所*8ニシテ寛文八年(1668)時ノ御代官深谷喜右衛門検地セリ。其後イツノ頃ニヤ島田某ニ賜リ今モ子孫島田藤十郎知ル所*9ナリ。
  *1:神戸村(ごうどむら)。
  *2:かりに。
  *3:熊谷郷出の武蔵武士。平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍。源頼朝挙兵のときは平氏側であったが、間もなく頼朝に帰順(きじゅん)し、勇猛無双の武蔵武士として名を残した。源義経に従って一の谷の合戦で活躍、平家の若武者平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取る。平家物語や歌舞伎(かぶき)にも描かれた。後出家して法然上人(ほうねんしょうにん)に帰依(きえ)した。
  *4:上田安独斎(うえだあんどくさい)。松山城主上田能登守朝直(ともなお)。
  *5:寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)。江戸幕府が寛政年間に編集した家系譜集。
  *6:ひでりによる田畑の損害。
  *7:徳川家康が1590年(天正18)に江戸城に入ったことをさす。
  *8:幕府の直轄領。天領。
  *9:知行所。

高札場(こうさつば)* 村ノ中程ニアリ。
  *1:掟(おきて)などを書いて、人目を引く所に掲(かか)げた立て札の場所。

小名 我妻山 シトメ山 日向 坂ノ上 傾城谷(けいせいやつ)

都幾川 村ノ北ニアリ。河原幅二百間*1、此川ヨリ南ノ方岡ノ裾通(すそとう)リニ一条ノ小流アリ。其間、皿淵・女淵・袈裟王淵(けさおうぶち)ナド唱フル所アリ。コレ古ノ都幾川ニテ今ノ流ハ後来川瀬ノ替(かわ)リタルナリト云フ。
   *1:1間は約1.8メートル。

神明社 村ノ鎮守ナリ。大蔵村安養寺持。

三宝荒神社 同寺ノ持。

観音堂 如意輪観音(にょいりんかんのん)ヲ安ス。同寺ノ持。

武蔵国郡村誌 根岸村(現・嵐山町) ルビ・注

  ○根岸村(ねぎしむら)【埼玉県比企郡嵐山町根岸】

本村古時亀井庄玉川領に属す。風*1に正保頃のものには禰宜子(ねぎし)と書たれどこはたまたま仮借として書しものにて、昔より根岸の字を用ひたりと見へたりとのす*2
   *1:新編武蔵風土記稿のこと。
   *2:載す。


彊域(きょういき)*1
東は神戸(ごうど)村と山巒(さんらん)*2を接し西は大蔵村と道路或は畦畔(けいはん)*3を限り、南は将軍沢村と樵溪(しょうけい)*4を界し、北は上唐子(かみがらこ)村と畦畔或は都幾川を界とす
   *1:土地の境。境界内の土地。領域。
   *2:ぐるぐるとめぐっている山つづき。
   *3:あぜ。くろ。
   *4:きこりの通る細い道。


幅員(ふくいん)*1
東西四町南北七町
   *1:ひろさ。はば。


管轄沿革
天正(てんしょう)中(1573−1592)徳川氏の有となり代官之れを支配す。田*1に高四十石七斗一升とのす。後年代詳ならず。旗下士(きかし)*2島田錦十郎の采地(さいち)*3となり、天保(てんぽう)十三年壬寅(みずのえとら)(1842)松平大和守の領地となる。干時(ときに)村高七十二石一升一合あり。明治二年己巳(つちのとみ)(1869)前橋藩となり四年辛未(かのとひつじ)(1871)前橋県と改り、尋(つい)て群馬県に転じ、又入間県に隷(れい)し*4六年癸酉(みずのととり)(1873)熊谷県に属す
  *1:武蔵田園簿のこと。
  *2:旗本。将軍直属の武士。
  *3:領地。知行所。
  *4:属する。


里程(りてい)*1
熊谷県庁より未(ひつじ)の方*2四里
四隣 神戸(ごうど)村へ十七町五十二間三尺、将軍沢村へ十二町、大蔵村へ三町三十四間三尺、上唐子(かみがらこ)村へ十一町五間三尺
近隣宿町 松山町へ一里三十五間、越生(おごせ)村へ二里十五間。字坂上を元標(げんぴょう)*3とす
  *1:里数。道のり。
  *2:南西。
  *3:里程をはかるもととなる所に立てる標識、起点。里程元標(りていげんぴょう)、里程標のこと。1920年(大正9)の道路法により道路元標となる。


地勢
南方は林巒(りんらん)*1起伏し、都幾川西東を貫流し、北方は漸々(ぜんぜん)*2平坦なり。運輸不便、薪炭贏餘(えいよ)*3
  *1:林と山。ぐるぐる巡っている山つづき。
  *2:だんだんに。
  *3:使い残り。余分があること。

 
地味(ちみ)*1
色黒砂礫(されき)を混ず。稲粱(とうりょう)*2に適せず、麦桑(ばくそう)*3に適す。時々水旱(すいかん)*4に苦しむ
  *1:土地が肥えているか、いないかの状態。地質の良し悪し。
  *2:いねとあわ。
  *3:むぎとくわ。
  *4:洪水と干ばつ。


税地
田 八反九畝二十八歩
畑 七町七畝歩
宅地 二反一畝一歩
総計 八町一反七畝二十九歩


飛地(とびち)*1
本村の戌(いぬ)の方*2、大蔵・唐上子二村の間。畑一反二十三歩
  *1:同じ行政区に属するが他に飛び離れて存在する土地。
  *2:北西。


字地(あざち)
坂上(さかうへ) 村の西方にあり。東西三町五十四間、南北一町八間
沼田(ぬまた) 坂上の東に連る。東西一町十間、南北一町五間
下河原(しもがわら) 坂上の東方に連る。東西一町、南北三町四十五間
道上(みちうえ) 坂上の北方に連る。東西二町、南北二町二十間
前山(まえやま) 村の南方にあり東西二町三十五間、南北五町


貢租
地租 米四百五斗七升七合
    金十一円三銭六厘


戸数
本籍 十四戸 平民
社 二戸 村社一座 平社一座
総計 十六戸


人数
男 四十口
女 五十七口
総計 九十七口


牛馬
牡(おす)馬六頭


山川
都幾川 深処五尺、浅三尺。広所二十五間、狹処十五間。村の北方大蔵村より来り東方神戸村に入る。其間六町五十五間

悪水堀(あくすいほり)*1 深処六尺、浅処一尺、巾一間。村の西南将軍沢村より来り、東方神戸・上唐子二村の界に至り、都幾川に入る、其間五町十六間
  *1:排水路。


道路
秩父道 村の北方上唐子村界より西方大蔵村界に至る。長二町十五間巾二間
掲示場 村の中央にあり


神社
吾妻社 村社。社地東西十間、南北十間、面積百坪。村の巽(たつみ)の方*1にあり。橘姫命(たちばなひめのみこと)*2を祭る。祭日九月十九日
  *1:南東。
  *2:弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)。日本武尊命(やまとたけるのみこと)の妻。東国遠征の途中、海が荒れたとき入水して海神の怒りを静めた。夫婦愛、縁結びの神。

 
神明社(しんめいしゃ) 平社。社地東西十五間、南北二間三尺、面積三十七坪。村の乾(いぬい)の方*1にあり。大日尊(おおひるめのみこと)*2を祭る。祭日九月十九日
  *1:北西。
  *2:天照大神(あまてらすおおみかみ)のこと。


役場
事務所 村の北方戸長宅舎を仮用す


物産
米 六石三斗六升
大麦 四十八石一升二合
小麦 二十石三斗
大豆 八石七斗五升
小豆 一石九斗五升
粟 四石一斗
蜀黍(もろこし)*1 五石五斗
蕎麦(そば) 九斗七升
実綿 三百五十駄
生絹(すずし)*2 三十疋
  *1:もろこし。イネ科の穀類。実を食用・飼料とする。コーリャン。
  *2:生糸(きいと)の織物。絹織物。


民業
男女農を専とす

神社明細帳 吾妻神社 根岸村(現・嵐山町) ルビ・注

埼玉縣武蔵國比企郡菅谷村大字根岸字前山
  村社  吾妻神社(あづまじんじゃ)
         昭和二一、一○、一五 法人登記済
一 祭神(さいじん) 日本武尊(やまとたけるのみこと) 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
一 由緒(ゆいしょ) 創立年月不詳但明治四年中村社届濟
  明治四十年(1907)四月十七日同大字字道上無格社神明社及当社境内社神明社ノ二社ヲ本社ニ合祀ス
  明治四十年十二月二日壱畝貮拾六歩上地林ヲ境内ニ編入許可
一 社殿 本殿
一 境内 百五十一坪  昭和廿三年四月二十七日 一五一坪五八
           決昭和二十四年四月三十日 一五一坪五合八勺
一 氏子 十七戸
一 境内神社
   三峰社 祭神 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
          伊弉冉命(いざなみのみこと)
       由緒 不詳
       社殿 本殿

※春の祭典 2008年4月4日撮影
1 前山の吾妻神社での祭典
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2 根岸集会所で
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※吾妻神社境内図(『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁、1992年)1401頁)
吾妻神社

鞍掛山 2011年6月

鞍掛山(くらかけやま)(東松山市神戸)
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左:東松山市上唐子 右:嵐山町根岸

同地点で都幾川上流
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左:嵐山町根岸 右:東松山市上唐子
遠くに国立女性教育会館宿泊棟A棟が見える

2011年6月19日撮影

空から見た嵐山町 311 根岸・大蔵 2011年6月

根岸・大蔵
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2011年6月22日、内田泰永さん撮影

A:吾妻神社、B:根岸観音(嵐山町根岸)
C:安養寺(天台宗)、D:大蔵神社、E:向徳寺(時宗)(嵐山町大蔵)
F:学校橋、G:月田橋(都幾川)
H:鞍掛山(東松山市神戸)

堂庵明細帳 観音堂 根岸村(現・嵐山町) ルビ・注

埼玉縣管下武蔵國比企郡根岸村字道上
 同縣同國同郡大蔵村安養寺持
  天台宗比叡山派(ひえいざんは)
  ○観音堂(かんのんどう)
一 本尊   正如意輪観世音(しょうにょいりんかんぜおん)
一 由緒   不詳
一 本堂   間口弐間三尺
       奥行三間三尺
一 境内   百弐拾坪   民有地第一種安養寺名受
一 信徒   四拾人
一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾壱里
                   以上
昭和十七年三月三十一日比企郡菅谷村大字大蔵天台宗安養寺ヘ所属ノ件認可。

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2003年5月14日 小川京一郎さん撮影

嵐山町の桜 坂上(根岸) 2008年4月4日

嵐山町大字根岸字坂上
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2008年4月4日撮影

嵐山町の桜 吾妻神社(根岸) 2010年4月7日

吾妻神社(嵐山町大字根岸字前山)

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2010年4月7日撮影

前川(根岸) 2010年4月7日

前川(嵐山町大字根岸字前山)
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2010年4月7日撮影

嵐山町の桜 下河原・沼田(根岸) 2010年4月7日

下河原・沼田(嵐山町大字根岸)
鞍掛山(東松山市神戸)

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2010年4月7日撮影

嵐山町の桜 根岸ゲートボール場 2010年4月7日

根岸ゲートボール場(嵐山町大字根岸字道上)

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2010年4月7日撮影

嵐山町の桜 根岸観音 2010年4月7日

根岸観音(嵐山町大字根岸字道上)

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2010年4月7日撮影

嵐山町の桜 根岸集会所 2010年4月7日

根岸集会所(嵐山町大字根岸字道上)
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2010年4月7日撮影

都幾川 根岸護岸工事完成 1952年

   根岸護岸工事完成
 大字根岸都幾川堤防は昭和二十四年(1949)の夏決潰以来、毎年夏季出水期にその跡を拡大し、約八十米に及んでいたが、此の程災害復旧工事として、国費約二八〇万を以て、護岸工事が完成した。

     『菅谷村報道』24号 1952年(昭和27)8月1日

古い写真 根岸観音縁日 1970年10月20日

根岸観音縁日(嵐山町根岸) 1970年10月20日
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