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将軍沢

新編武蔵風土記稿 将軍沢村(現・嵐山町) ルビ・注

   将軍沢村(現・比企郡嵐山町大字将軍沢)
 将軍沢村(しょうぐんざわむら)ハ江戸ヨリ十六里、玉川郷ニテ領名ハ前村*1ニ同ジ。村内ニ利仁将軍(としひとしょうぐん)*2ノ霊(れい)ヲ祭リシ大宮権現(おおみやごんげん)ノ社(やしろ)*3アルヲモテ将軍沢ノ名アリト云フ。上野国(こうずけのくに)世良田長楽寺(ちょうらくじ)ニ蔵(ぞう)セル文書ニ、

  武蔵国比企郡南方将軍沢郷内為燈明途田三段任家時*4申置之者所奉寄進世良田御寺也若於違乱之輩者永可為不孝之仁仍寄進之状如件
   正安(しょうあん)元年(1299)八月二日   沙弥静真*5

 世良田長楽寺為修理用途奉永代寄進武蔵国比企郡南方将軍沢内二子塚入道跡在家壱宇併田三段毎年所当八貫文事
  右依為氏寺為末代修理永代奉寄進者也然者及子孫不可被違乱背此之旨輩者永可為不孝仁乃自筆之状如件
   元徳二年(げんとく)(1330)八月二日   源満義(みなもとみつよし)*6

 静真ハ世良田三河前司(みかわぜんし)*7ノ子次郎教氏*8ノ法名ナリ、満義ハ教氏ノ孫弥次郎満義ナリ、コレニ拠(よ)レバ古へ世良田氏ノ所領ニシテ長楽寺*9ニ寄附セシコト知ルベシ。文中南方将軍沢ト記セシハ、往古(おうこ)郡中ヲ南北二ツニ分チシ故ノコトニテ已ニ総説ノ条ニ弁ゼリ。民戸九十、東ハ神戸村(ごうどむら)、南ハ須江(すえ)・奥田(おくだ)ノ二村ニ隣リ、西ハ鎌形(かまかた)村ニテ、北ハ大蔵(おおくら)・根岸(ねぎし)ノ二村ナリ。東西五町余南北十町余、天水ノ地ニシテ旱損(かんそん)*10アリ。御入国*11ノ後ハ御料所*12ナリシニ元祿十一年(1698)(げんろく)村内ヲ割テ大島氏ニ賜リ、今モ子孫大和守(やまとかみ)知ル所ナリ。残レル御料ノ地ハ宝暦年(1751—1764)(ほうれき)中清水殿領知トナリ、後再ビ御料トナリ今御代官支配セリ。
   *1:大蔵村(おおくらむら)。
   *2:平安時代の武人藤原利仁のこと。上野介(こうずけのすけ)、上総介(かずさのすけ)、武蔵守(むさしかみ)などの東国の国司(こくし)を歴任し平安時代中期の延喜15年(えんぎ)(915)に鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)になり、蝦夷(えぞ)討伐にむかった。東松山市下野本に鎮守府将軍藤原利仁を祀る利仁神社がある。この神社が古墳の上にあるのでその古墳を将軍塚古墳と呼ぶようになったという。
   *3:将軍沢村の村社日吉神社の境内神社である将軍社の由緒には、坂上田村麻呂将軍を祀り大宮権現と称すると記されている。坂上田村麻呂は平安時代初期の武将で征夷大将軍であった。将軍沢の村名由来もこれによるであろうと記されている。
   *4:世良田家時。
   *5:世良田家時の父。
   *6:世良田家時の子。
   *7:新田義重(よししげ)の子で世良田を支配した世良田義季(よしすえ)の子世良田頼氏(よりうじ)のこと。
   *8:世良田教氏。
   *9:開基は世良田義季。
   *10:ひでりによる損害。
   *11:徳川家康が1590年(天正18)に江戸城に入ったことをさす。
   *12:幕府の直轄領。天領。

高札場*1 村ノ中程ニアリ。
   *1:掟(おきて)などを書いて、人目を引く所に掲(かか)げた立て札の場所。

小名 高代 鶴巻 三段田 ラウス塚 茶臼塚トモイヘリ。

山王社(さんのうしゃ) 村ノ鎮守ナリ。明光寺持。此辺二町許リノ松林アリ不添ノ森(そわずのもり)ト云フ。

大宮権現社 高サ三尺許リノ塚上ニアリ、利仁将軍ノ霊ヲ祭レリ。相伝フ昔藤原利仁此地ヲ経歴シテ此塚ニ腰掛テ息(いこ)ヒシコトアリシ故カク号スト云フ。明光寺ノ持。

神明社(しんめいしゃ)*1
   *1:天照大神を祀る。

愛宕社(あたごしゃ)*1
   *1:防火の神を祀る。

稲荷社(いなりしゃ)*1 何レモ明光寺持。
   *1:五穀豊穣の神。

明光寺 天台宗*1、下青鳥村(しもおおどりむら)浄光寺末、堅横山医庵院ト号ス。本尊薬師ヲ安ス。開山明海寂年(じゃくねん)*2ヲ伝ヘズ。
 ○愛宕社
    *1:平安時代に唐の天台山で天台宗を学んだ最澄が帰国して比叡山に延暦寺をつくり、新しく開いた仏教の宗派。空海の開いた真言宗とともに平安仏教の中心になった。
   *2:死亡の年。

武蔵国郡村誌 将軍沢村(現・嵐山町) ルビ・注

   ○将軍沢村(しょうぐんざわむら)【埼玉県比企郡嵐山町将軍沢】

本村古時玉川郷玉川領に属す。風(ふう)*1に村内に利仁将軍の靈を祭りし社あるをもて将軍沢の名ありと云とのす(載す)
  *1:「新編武蔵風土記稿」をさす。


彊域(きょういき)*1
東は神戸村山脈を接し、西は鎌形村、南は須江・奥田の両村と林巒(りんらん)*2或樵蹊(しょうけい)*3を限り、北は大蔵・根岸二村と道路或畦畔(けいはん)*4を界とす
  *1:土地の境。境界内の土地。
  *2:林と山。
  *3:きこりが通う細い道。
  *4:あぜ。くろ。


幅員(ふくいん)*1
東西十町四十間南北十八町四十間
  *1:ひろさ。はば。


管轄沿革
天正中(てんしょう)(1573−1592)徳川氏の有となり代官之を支配す。田*1に高七十三石七斗三升とのす。元禄十一年(げんろく)戊寅(つちのえとら)(1698)村高を割き旗下士(きかし)*2大島長門守の采地(さいち)*3となし、明和の頃(めいわ)(1764−1772)残高は清水家の領地となる。天保十三年(てんぽう)壬寅(みずのえとら)(1842)総高百六十四石一斗三合松平大和守の領地となり、明治二年(1869)前橋藩に隷し、四年辛未(かのとひつじ)(1871)前橋県と改り、尋(つい)て群馬県に隷し、又入間県に属し、六年癸酉(みずのととり)(1873)熊谷県の所轄となる
  *1:武蔵田園簿のこと。
  *2:将軍直属の武士。
  *3:領地。知行所。


里程(りてい)*1
熊谷県庁より未(ひつじ)の方*2四里
四隣大蔵村へ十町、根岸村へ十二町、神戸村へ二十五町、奥田村へ二十八町五間、須江村へ二十五町、菅谷村へ三十町
近傍宿町松山町へ二里五町。字三反田を元標(げんぴょう)*3とす
  *1:里数。道のり。
  *2:南西。
  *3:里程元標。里程をはかるもととなる所に立てる標識。


地勢
四囲山林運輸不便薪炭贏餘(えいよ)*1
  *1:あまり。


地味(ちみ)*1
色赤黒稲粱(とうりょう)*2に適さず、水旱(すいかん)*3に苦しむ
  *1:土地が肥えているか、いないかの状態。地質の良し悪し。
  *2:いねとあわ。穀物。
  *3:洪水と干魃(かんばつ)。


税地
田 八町九反四畝二十七歩
畑 三町五反二畝二歩
宅地 四反一歩
林 十八町四反二十四歩
総計 三十一町二反七畝二十四歩


貢租
地租 米四十三石六斗五升三合
    金二十五円一銭六厘


字地(あざち)
三反田(さんたんだ) 村の東北にあり東西十町四十五間南北五町
高台(たかだい) 三反田の西に連(つらな)る東西四町五十間南北九町三十間
鶴巻(つるまき) 高台の南に連る東西四町二十間南北五町五十間
沖の町(おきのまち)*1 鶴巻の東に連る東西五町三十間南北六町四十五間
  *1:仲ノ町のこと。


戸数
本籍 二十戸 平民
社 一戸 村社
寺 一戸 天台宗
総計 二十二戸


人口
男 五十七口
女 六十六口
総計 百二十三口


牛馬
牡(おす)馬 十一頭


山川
恵智川*1 深三尺巾一間、源(みなもと)を村の西南所々より発し合して一となり東方根岸村に入る、其間二十九町四十間
   *1:前川(まえかわ)のことか。


道路
八王子道 村の北方大蔵村より南方須江村界に至る、長二十五町巾二間
掲示場 村の東口より五町三間にあり


神社
日吉社(ひよししゃ) 村社。社地東西十五間、南北二十五間。面積二百三十坪。村の北方にあり大山祗命(おおやまづみのみこと)*1を祭る。祭日九月十九日
  *1:山の神。


仏寺
明光寺(みょうこうじ) 東西二十間、南北二十三間。面積四百七十坪。村の南方にあり天台宗下青鳥村(しもおおどりむら)淨光寺の末派(まっぱ)*1なり
  *1:末寺。


役場
事務所 村の中央戸長宅舎を使用す


物産
繭 四石
米 六十五石二斗
大麦 二十石
小麦 二十二石
大豆 二石八斗
桑 六十駄
薪(まき) 四百駄
炭 八百俵
木綿縞(もめんじま)*1 四十反
  *1:縞模様を織り出した綿布。


民業
男女農桑採薪*1を専とす
   *1:薪をとること。

神社明細帳 日吉神社 菅谷村(現・嵐山町)将軍沢 ルビ・注

埼玉縣武蔵國比企郡菅谷村大字将軍澤(しょうぐんざわ)字東方
 村社  日吉神社(ひよしじんじゃ)
         昭和二一、一〇、一五 法人登記済
一 祭神(さいじん)
  大山咋命(おおやまくいのみこと)*1
  天照大御神(あまてらすおおみかみ)*2
  軻遇突智命(かぐつちのみこと)*3
  *1:家内安全や農業などの産業振興のご利益をもつ。
  *2:国土平安、家内安全、商売繁盛、武運長久、学業成就などのご利益。
  *3:火の神・防火の神。

一 由緒(ゆいしょ)
  不詳(ふしょう)
   明治四十一年(1908)三月三日上地林(じょうちりん)五畝三歩境内編入許可
  明治四十二年十月二十五日境内神社神明社(しんめいしゃ)愛宕社(あたごしゃ)ノ二社ヲ本殿ニ合祀ス

一 社殿
  本殿 外宇(がいう)*1 拝殿
  *1:外の建物。

一 境内
  五百三十二坪   昭和廿三年(1948)四月廿七日   五二九坪
              決 昭和二十五年(1950)三月二十八日 五三三坪五合

一 氏子 貮拾戸

一 境内神社
  将軍社 祭神 坂上田村麿(さかのうえたむらまろ)
   由緒 當社古記録等傳フル無ク創立年紀詳(つまびらか)カナラス。唯古老ノ口碑ニ傳フルハ往古(おうこ)坂上田村麿将軍東夷*1征伐ノ際近傍岩殿山に毒龍アリテ害ヲ地方ニ加フ。将軍之ヲ退治シテ土人*2ヲ安カラシム。其時夏六月一日ナリシモ不時降雪寒気強カリシヨリ土人麦藁(むぎわら)ヲ将軍ニ焚(た)キテ暖(だん)ヲ與ヘリ。其后(そのご)土人将軍ノ功徳(くどく)ヲ賞シ之ヲ祭祀崇敬セリト云フ。現今年々六月一日土人麦藁ヲ焚キテ祭事ヲナスハ古ヨリ例ナリ。当社古来本村旧字大宮ト唱フル地ニ鎮座アリテ坂上田村麿将軍大宮権現ト稱セリ(本村々名及旧字大宮ノ地名蓋(おもうに)当社ニ因(よって)テ起リシナラン)御一新(ごいっしん)*3ニ至リ明治七年(1874)三月當所ニ奉遷(ほうせん)シ将軍社ト改称セリ*4

  *1:東の蝦夷(えぞ)。
  *2:土地の人。
  *3:明治維新。
  *4:「新編武蔵風土記稿」によれば、大宮権現社には藤原利仁(ふじわらとしひと)将軍が祀られている。伝えではその権現社は藤原利仁がこの地を通ったとき休んだ塚の上にあった。将軍沢の名はこれに由来すると記されている。藤原利仁は平安時代中期の武人で、鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)である。

   社殿 本殿

  稲荷社 祭神 倉稲魂命(うがのみためのみこと)*1
   由緒 不詳
   社殿 本殿
  *1:穀物・農業の神。

  神明社 祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと)*1
   由緒 不詳
   社殿 本殿
  *1:山の神。

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2003年5月14日 小川京一郎さん撮影
※日吉神社境内図(『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁、1992年)1431頁
日吉神社

稲村坦元先生菅谷村誌原稿 附記・笛吹峠考 ルビ・注

笛吹峠考
 将軍澤ノ南方数町ニ在リ、亀井村ノ大字須江・奥田ノ両區ニ境界セル稍々北寄ノ長頂巒脉(らんみゃく)*1ノ東西ニ蜿蜒(えんえん)*2シタル宛然(えんぜん)*3肥後(ひご)ノ田原坂ニ髣髴(ほうふつ)*4セシ中央ノ切處(せっしょ)*5一夫両手ヲ揮(ふる)ヘバ*6萬卒超ユルヲ得難キ真個(しんこ)*7天嶮(てんけん)*8ノ要扼(ようやく)*9タリ往古鎌倉ヨリ北武上毛等ニ通ズルノ國郡道路ナリシト云フ、而(しか)モ有事(ゆうじ)*10争衡(そうこう)*11ノ日ニ際シテハ、廣ク南北死命ヲ制スベキ兵書ノ所謂(いわゆる)争地ニシテ、其獲喪(かくそう)*12ハ事定マルト已(や)ムト人存スルト亡(ぼう)スルトノ第一着ヲ示ス大演舞臺タリ、故ニ笛ヲ鳴ラシテ屡々(しばしば)戒心シ策應(さくおう)*13スルニ資(よ)リテ斯(かく)名アリトゾ、古今幾許(いくばく)*14爰(ここ)ニ争戦アリシ中ニモ、彼著明ノ会戦ニシテ且(かつ)惜ムベカリシハ正平七年(しょうへい)(1352)三月廿八日ノ一戦ニ南朝司令ノ主将新田左兵衛督(かみ)*15義宗青年気鋭生兵(せいへい)*16ヲ以テ大軍ノ尊氏ヲ軽ンジ直チニ攻勢ヲ執(と)リ、要害ヲ離レテ敵ニ乗(じょう)ゼラレ一敗、信越(しんえつ)*17ニ退却(たいきゃく)シ時ヲ待ツノ止ムヲ得ザルニ至レルコト是ナリ、但(ただ)シ此役(えき)*18ヤ四五日前義宗ガ尊氏ヲ石濱ニ追迫(おいせ)マリテ、彼ヲシテ単身絶対割服(かっぷく)*19セントスルマデニ苦メタルニ似ズ、斯(かく)敗ヲ取リシハ兵書ニ復(ま)タ人ヲ侮(あなど)ル者ハ亡ブトイヘルニ近シ、嗚呼(ああ)天嶮ヨリモ恐ルベキハ油断ナリ、然レドモ小新田(にった)公ノ英名ハ斯(この)峠ノ真景(しんけい)*20ト相須(ま)チテ長(とこし)ヘニ*21昭々(しょうしょう)*22タリ、這(これ)ハ姑(しばら)ク措(お)キ世人何者ノ愚(ぐ)ゾ、此峠ノ此役(えき)ヲ上信ノ碓氷嶺(うすれい)ニ嫁(か)シ*23テ迷論ヲ吐(は)ク、林衡(はやしたいら)*24ノ博識ヲ以テ尚且(かつ)然(しか)リ、武州ヲ前ニ当テトアレバトテ徑(ただ)チニ三十里ノ碓氷嶺ヲ思フトハ、軍情ニ朦(くら)キモ程(ほど)コソアレ、一卒モ居合セズ腹切ラントマデニ敗レシ尊氏、三日計(ばかり)ニ十萬騎ヲ集メツヽ、十里程ノ当笛吹峠ニ寄ルサヘモ異数(いすう)*25ノ位ナリ、笛吹ヲウスイ(……)ト訓(くん)シ自ラ苦ム者何ノ見地(けんち)*26ゾヤ、マダシモ竿吹ヲ用ヘヨカシ
   *1:ぐるぐると巡っていっている山のつづき。
   *2:うねうねと長いさま。
   *3:そっくりそのままのさま。
   *4:よく似ているさま。
   *5:要害の地。
   *6:充分に発揮すれば。
   *7:まことに。
   *8:地勢険しいところ。
   *9:敵をまちぶせして食い止めこと。
   *10:非常の事態が起こること。
   *11:優劣を争うこと。
   *12:得るか失うか。
   *13:しめしあわすこと。
   *14:どんなに多く。
   *15:兵衛府・衛門府の長官。
   *16:新手の兵。
   *17:長野・新潟方面。
   *18:戦い。
   *19:腹をきって死ぬこと。
   *20:まことのようす。
   *21:永久に。
   *22:きわめてあきらかなさま。
   *23:誤って充てる。
   *24:林述斎(はやしじゅっさい)(1768-1841)。名は衡(たいら)。江戸後期の朱子学者。美濃(みの)岩村藩主松平乗薀(のりもり)の3男。『寛政重修諸家譜』、『新編武蔵風土記稿』『新編相模国風土記稿』などの編纂に関与した。
   *25:他に例のないこと。
   *26:判断する際の立場。

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2003年5月14日 小川京一郎さん撮影

空から見た嵐山町 303 将軍沢 2010年11月

将軍沢
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2010年11月29日、内田泰永さん撮影

A:高城橋(たかしろばし)(前川)(まえかわ)、B:明光寺(みょうこうじ)(天台宗)、C:日吉神社
D:嵐山カントリー倶楽部、E:嵐山町総合運動公園、F:嵐山町B&G海洋センター(嵐山町鎌形)
G:槻川橋(千手堂橋、槻川)
H:八幡橋、I:千騎沢橋、J:二瀬橋、K:学校橋(都幾川)
L:国立女性教育会館(嵐山町菅谷)

寺院明細帳 天台宗 明光寺 菅谷村(現・嵐山町)将軍沢 ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡将軍澤村字八反田
 同縣同国同郡下青鳥村(しもおおどりむら)浄光寺(じょうこうじ)末
  天台宗寺門派(じもんは)*1
   明光寺(みょうこうじ)
  *1:天台宗の一派で、大津市の園城寺(おんじょうじ)を総本山としている。

一 本尊   薬師如来(やくしにょらい)
一 由緒(ゆいしょ)   不詳
一 本堂   間口六間
       奥行五間
一 庫裡(くり)  間口五間三尺
         奥行弐間三尺
一 門    間口一間半
       奥行一間
一 境内   四百六拾貮坪   官有地第四種
                昭和廿三年(1948)四月三十日四九四坪四七五
一 境外所有地
田反別(たんべつ) 貮畝(にせ)廿三歩(ぶ) 同村字五反田
 地價(ちか) 金九円五拾四銭七厘(りん)
田反別 貮反貮畝拾貮歩 同村字同所
 地價 金八拾四円八拾二銭三厘
田反別 壱反四畝四歩     同村字稲荷林
 地價 金三拾八円九拾貮銭三厘
田反別 壱反廿七歩 同村字坂上
 地價 金三拾七円五拾四銭六厘
畑反別 壱反貮畝拾五歩 同村字八反田
 地價 金六円五拾九銭四厘
畑反別 貮反壱畝五歩 同村字同所
 地價 金拾壱円拾六銭九厘
畑反別 三畝廿八歩 同村字東方
 地價 金貮円五拾五銭五厘
畑反別 六畝拾七歩 同村字同所
 地價 金五円七拾八銭三厘
林反別 五畝廿四歩 同村字中山
 地價 金壱円拾六銭
林反別 三反八畝四歩 同村字上大谷
 地價 金七円六拾貮銭七厘
林反別 二畝二十六歩 同村字同所一三八ノ一
 地價 金八拾貮銭
林反別 六畝拾五歩 同村字同所
 地價 金壱円三拾銭
林反別 三反四畝歩 同村字同所
 地價 金六円八拾銭
林反別 壱反壱畝廿六歩 同村字同所
 地價 金貮円三拾七銭三厘
林反別 四反八畝拾貮歩 同村字同所
 地價 金九円六拾八銭
林反別 壱反六畝拾壱歩 同村字同所
 地價 金三円廿七銭三厘
林反別 七畝拾七歩 同村字同所
 地價 金壱円五拾壱銭三厘
林反別 六畝廿九歩 同村字同所
 地價 金壱円三拾九銭三厘
林反別 五畝廿八歩 同村字東方
 地價 金壱円拾八銭七厘
林反別 壱反七畝拾七歩 同村字同所
 地價 金三円五拾壱銭三厘
林反別 貮反三畝廿七歩 同村字仲町
 地價 金壱円拾九銭五厘
林反別 壱反八畝四歩 同村字坂上
 地價 金貮円七拾貮銭
林反別 三反四畝廿九歩 同村字鶴巻
 地價 金五円廿四銭五厘
林反別 三反八畝廿六歩 同村字高城
 地價 金壱円九拾四銭三厘
林反別 壱反五畝三歩 同村字同所
 地價 金壱円廿六銭五厘
林反別 貮畝壱歩 同村字下大谷
 地價 金四拾銭七厘
林反別 四反五歩 同村字八反田
 地價 金八円三銭貮厘

一 檀徒(だんと)   廿人

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾壱里
                     以上

 山林 四反五歩    地價金八円三銭   大字将軍沢字八反田
                           一八五番
 山林 壱反六畝拾壱歩  〃 参円貮拾七銭   〃  二八二番
 畑  四反拾八歩    〃 拾七円拾四銭   〃  一八五番
 畑  四反八畝拾弐歩  〃 弐拾壱円拾五銭  〃  二二〇番
 畑  壱反七拾歩    〃 九円拾六銭    〃  二八二番

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2003年5月14日 小川京一郎さん撮影

嵐山町の桜 日吉神社(将軍沢) 2 2010年4月7日撮影

日吉神社境内社の将軍社

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日吉神社 社殿

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字を書いた澤大器は大蔵の大澤晩斎(1831-1914)
参照:「偉大なる村夫子 大澤晩斎先生

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2010年4月7日撮影

嵐山町の桜 日吉神社(将軍沢) 1 2010年4月7日撮影

日吉神社(嵐山町将軍沢)

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2010年4月7日撮影

嵐山町の桜 明光寺(将軍沢) 2010年4月7日撮影

明光寺(天台宗)

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2010年4月7日撮影

嵐山町の桜 笛吹峠 2009年4月6日

笛吹峠(嵐山町将軍沢)

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2009年4月6日、井島宏さん撮影

嵐山町の桜 笛吹峠(将軍沢) 2010年4月8日

笛吹峠(将軍沢)

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2010年4月8日、井島宏さん撮影

嵐山町の桜 笛吹峠(将軍沢) 2010年4月9日

笛吹峠(将軍沢)
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2010年4月9日、井島宏さん撮影

空から見た嵐山町214 笛吹峠

古い写真 岩殿山で青年の野外研修会 1961年4月

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岩殿キャンプ場

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将軍沢の八反田あたりか?

   岩殿山で青年の野外研修会
 三十四年度に新設された移動キャンプ施設を利用して、青年の野外研修会が四月三■■日岩殿山で開かれる。
 実施計画は次の通り。
 午前八時役場に集合し八時三十分出発、笛吹峠(将軍沢地内)を経て岩殿山へ。
 十時三十分よりテント設営、次いで飯ごうすいさん。
 午後はレク、講義、座談会等が計画されており、午後五時三十分日程を終了、役場で解散の予定。
 指導者は青木村長、小林助役、市川紀元、関根茂章、関根昭二の各氏、研修青年三十名。
     『菅谷村報道』121号 1961年(昭和36)4月25日

古い写真 将軍沢・史蹟笛吹峠記念碑(1935) 1972年4月

史跡笛吹峠記念碑(1935)
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1972年4月16日 西山光燐さん撮影

空から見た嵐山町 271 将軍沢 2007年11月

将軍沢
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前川を用水に八反田、一町田に水田がある

2007年11月19日 内田泰永さん撮影

空から見た嵐山町 7

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