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七郷村誌原稿

七郷村誌原稿目次

  古里村(社寺明細帳)

  古里村(地籍帳)

  古里村(村誌)

  吉田村(社寺明細帳)

  吉田村(地籍帳)

  吉田村(村誌)

  越畑村(地籍)

  越畑村(村誌)

  越畑村(神社明細帳)

  勝田村(地誌)

  勝田村(社寺明細帳)

  広野村(村誌)

  広野村(地籍帳)

  広野村(社寺明細帳) 

  広野村(社寺明細帳・鬼鎮神社)

  杉山村(村誌)

  杉山村(地籍帳)

  杉山村(社寺明細帳)

  太郎丸村(村誌)

  太郎丸村(地籍帳)

  太郎丸村(神社明細帳)

七郷村誌原稿 太郎丸村(神社明細帳) ルビ・注



埼玉縣下武蔵國比企郡太郎丸村字午     村社    淡洲(あわす)神社
一祭神 豊玉姫命
一由緒 抑々本社由緒書ハ慶應二寅年秩父地方ヨリ亂民蜂起シ来リ民家ヲ佗壊【破壊】シ或ハ放火スル際遺憾ナル哉由緒書類モ悉(ことごと)ク絡亂燃焼セラレ故ニ其詳細ヲ知ルニ由ナシ只口々ニ傳フルハ大化年中本社再建スル所ナルト自来年月久キヲ經ルヲ以テ之レガ修繕ヲ施スト雖モ元禄ノ頃。社宇大ニ披損ス是レヲ以テ猶再建スト云棟札(むなふだ)【由緒、建築年月、建設者などを書いて棟木に打ち付ける札】ニ元禄八子年((西暦一六九五年))九月吉辰ト記載アリ今現ニ存立スル社宇ハ則之也
一社殿(しゃでん) 間口 貳間貳尺
    奥行 貳間七寸
一境内(けいだい) 貳百四拾五坪  官有地第壱種
一境内(けいだい)神社三社 
 菅原神社
  祭神 學大神
  由緒 末社菅公ハ本社ヨリ後ニ建立シタル由シ只口ニ傳フ本社右側ニ存ス
  社殿(しゃでん) 間口壱尺壱寸五歩
     奥行二尺八寸
  祭神 稲荷大神
  由緒 末社稲荷大神ハ本社ヨリ後ニ建立シタル由シ只口ニ傳フ本社ノ右側ニ存ス
  社殿(しゃでん) 間口壱尺壱寸五歩
     奥行二尺八寸
 嚴島神社
  祭神 市杵姫命
  由緒 嚴島神社ハ石造宮ニシテ寛政戊午年((寛政十年 西暦一七九八年))十一月吉日本村婦女子等ノ建立スル所ナリ
  社殿(しゃでん) 間口六寸五歩
     奥行六寸
  鳥居(とりい) 高サ壱丈壱尺二寸
     巾壱丈
  旗掉置場 間口三尺二寸
       奥行八間壱尺
一氏子 戸數廿三戸
一管轄廰迄距離 拾貳里廿五町
以上
右者明治十二年本縣第廿三号御達之基キ取調候所相違無御座候也
氏子惣代      大澤常十郎∪ 明治十七年五月六日       中村嘉十郎∪ 田幡慶三郎∪ 淡洲(あわす)神社祠掌兼務       権訓道寸      宮本廣野 ∪ 戸長代理筆生(ひつせい)      田幡載太郎∪
 比企横見郡長鈴木庸行殿
武藏國比企郡    太郎丸村
淡之洲神社境内(けいだい)上地(あげち)【収公された土地】官林字鎮守
従前反別三畝七歩 明治丗六年四月廿五日付境内(けいだい)ニ編入ヒ写届∪
一改正反別 四畝五歩
  東耕地  南現境内(けいだい)  平地
  西道   北用水堀  赤交
 木種
  杉木目通(めどおり)【目の高さで測った木の太さ】壱尺四以上弐尺八寸迄 四本 長壱間
  同   三尺四以上五尺七寸迄 拾本 長弐間
  松木目通(めどおり)六尺四□八尺五寸迄  五本 長三間
 下草料無御座候 里程(りてい) 都幾川通菅谷村迄陸路三十丁右川岸ヨリ東京迄四拾七里廿丁
右之通リ御座候也
右村      旧戸長    明治十二年七月七日         田幡宗順
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

村社淡洲(あわす)神社     第六大區五小區       比企郡太郎丸村 字午三百七十三番       立会人       除税地反別八畝五歩        大澤作右衛門∪ 官林反別四畝五歩        副戸長      田幡載太郎 ∪ 戸長       田幡宗順  ∪
   明治十年四月十四日

丈量詰村扣  明治十年四月廿四日四人泊リ奥田氏其外三人御派出ニ相成該地御検査済ニ相成御取調候以上扣
除地(じょち)【朱印地以外で租税を免除された土地】淡ノ(ママ)洲神社    第六大區五小區      
比企郡太郎丸村 境内(けいだい)反別八畝五歩       立會人       大澤作右衛門∪ 副戸長       田幡載太郎 ∪ 戸長       田幡宗順  ∪
   明治十年丑四月廿四日

七郷村誌原稿 太郎丸村(村誌) ルビ・注

別紙之通村誌編製草稿仕候条御査點之上御指揮被成下度此段上申候也
比企郡         太郎丸村      明治十三年十二月         戸長     田幡宗順∪
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

武藏國比企郡太郎丸村
 本村昔時ヨリ壱部ニシテ口碑本郡松山領ニ属シ村名改称分郷等ノ事ナシ
疆域
 東ハ中尾水房(みずふさ)ノ二村ト山林丘陵ヲ以界トシ正南ハ廣野村字川嶋ト市ノ川ヲ以境トス南ヨリ西ハ志賀村杉山二村ニ接ス正北ハ廣野村ト田畝ヲ以畫(くぎ)リ北ヨリ東ハ伊古(いこ)村ト田畝ヲ以相對ス
幅員
 東西拾壱町五拾五間南北六町五拾三間
管轄ノ沿革
 慶應二寅年六月((六月十七日))無頼之徒蜂起シ世直ト称シ民家ニ亂入シ財貨ヲ掠奪シ或ハ放火シ或ハ破毀シ頗(すこ)ブル惨状ヲ極ム噫乎遺憾ナルカナ本村古書稿[?]ヲ蒙リ蕩然(とうぜん)烏有(うゆう)【皆無】ニ属ス故ニ沿革ノ詳(つまびらか)ナルヲ知ルニ由ナシ只タ此ニ記スル所ハ口碑ニ流傳スルヲ述ルニ過ス天正ノ頃松山領トナリ宝暦年間ハ御代官岡部料((領))ニ属ス其後宝永年間頃ヨリ猪子左太夫ノ知行所トナル明治元辰年 王政復古之際シ同年八月品川縣ノ管轄スル処トナリ仝二年九月韮山縣ニ轉ス以後明治四年十一月ニ至リ而入間縣ニ轉ス同六年熊谷縣ノ所轄スル処トナル
里程(りてい)
 熊谷縣廰(けんちょう)ヨリ南方三里
 四隣同郡廣野村壱町二拾間
本村及ヒ各村元標ナキヲ以テ皆掲示場ヨリ掲示場マテ
 水房(みずふさ)村十二丁杉山村十六町
 近傍(きんぼう)宿町本郡松山町二里小川村ヘ壱里廿五町
地勢
 東ハ岡巒起伏シ雑樹欝生(うっせい)シ西南地勢平衍(へいえん)シテ賀須川ハ杉山廣野二村ノ間ヨリ来リ南部ヲ流レテ市ノ川ニ入ル市ノ川ハ西ヨリ来リ賀須川ノ水ヲ合セテ南境ヲ環流ス其側ニ賀須川市ノ川ニ入ル本村ノ南舟筏(しゅうばつ)ノ理アラス夏時驟雨ノ過スルアレハ忽チ汎濫シテ堤外ニ溢レ田圃ヲ害ス土人(どじん)之レヲ憂フ但薪炭(しんたん)ノ窮ヲ告ル者稀也
地味(ちみ)
 其色赤黒壚(ろ)土粘土相混シ過半壚(ろ)土ヲ交エ稍ニ稲梁(とうりょう)ニ回シ桑茶楮ニ適セス
 水利便ナラス時ニ水旱(かん)【おおみずとひでり】苦シム
税地
 田  旧反別  八町貳反九畝二歩
    改正反別 九町弐反七畝廿九歩
 畑  旧反別  拾四町八畝七歩
    改正反別 拾壱町五反五畝十歩
 宅地 旧反別  四反八畝十七歩   
    改正反別 貳町三反五畝拾八歩
 山林 旧反別  拾六町九畝拾八歩
    改正反別 二十町二反二畝拾五歩
 芝地 旧反別  
    改正反別 四反拾五歩
飛地
 本村ノ東ノ方水房(みずふさ)村ノ部分ニアリ
字地
 午地  村ノ中央ニ当リ東西二百三十間南北百二十間
 子地  午ノ地ノ西方ニアリ東西二百間南北百二十間
 卯地  午ノ地ノ南端ニ接ス東西百二十七間南北百八十七間
 巳ノ地 午ノ地ノ東方アリ東西百八十五間南北百二十五間
 酉地  午ノ地ノ東北ニアリ東西百五十間南北七十間
貢租(こうそ)
 地租(ちそ) 米三拾四石八斗五升七合
    金貳百拾六円六拾五銭弐厘
 賦金(ふきん) 国税金百七拾八円九十六銭二厘
    縣税金拾壱円拾七銭五厘
明治八年ノ租ニ依ル
 總計 米三十四石八斗五升七合
    金貳百四十五円弐銭三厘

戸數    寄留(きりゅう)壱戸平民
 本籍廿三戸平民 社壱戸
人數
 男六十八人口平民女七十九人口平民 総計百四拾七口
牛馬
 牡馬拾四頭
舟車
 荷車二輌
山 ナシ

 市ノ川深キ處五尺浅キ処五寸廣キ処ハ五間狭キ処ハ二間緩流水色澄清舟筏(しゅうばつ)通セス堤防アリ村ノ西ヨリ南四拾五町五拾間水流長拾町水房(みずふさ)村ニ至ル用水不便賀須川深キ処三尺浅キ処五寸廣キ処四間狭キ処二間本村ノ西方廣野村ヨリ来ル市ノ川ト合水流長四町拾二間用水不便時ニ大水患有リ
 大橋 川嶌道ニ屬ス村ノ南方ニ当リ二町八間三尺
    市ノ川中流ニ架ス長三間五尺巾壱間土造
森林
 淡洲(あわす)林 官有ニ屬ス東西四間南北四間反別
     村東二丁十二間ニアリ大樹繁茂(はんも)シ杉多シ
原野 ナシ
牧馬 ナシ
礦山 ナシ
湖沼
 表谷(おもてやつ)溜池【小字辰にある馬喰(ばく)沼】 東西二十一間南北三十一間周回百六十八間五尺本村東ノ方ニアリ田[以下記入なし]
 小谷溜池 【小字辰にある小谷沼】 東西二十六間南北八間三尺周回六十七間二尺村ノ東南ノ方ニアリ田[以下記入なし]
 下溜池【小字申の三ツ沼下沼】 東西二十二間南北三十間周回百四十三間三尺村ノ東ノ方ニアリ田[以下記入なし]
 中溜池【小字申の三ツ沼中沼】 東西六十三間南北十五間周回百五十二間村ノ東ノ方ニアリ田[以下記入なし]
 上溜池【小字申の三ツ沼上沼】 東西五十壱間南北三十四間周回百五十九間五尺村ノ東方ニアリ田[以下記入なし]
 小申山溜池【小字酉にあるゴッチザル沼(ゴキ沼)】 東西十六間三尺南北十一間四尺周回五十六間五尺村ノ北東ノ方ナリ田[以下記入なし]
 申山溜池【小字甲の与左衛門沼カ】 東西三十一間南北二十一間四尺周回百三間二尺村北東ノ方ナリ田[以下記入なし]
 五十谷(ごじゅうやつ)溜池【小字戌の五(後)重谷沼】 東西十五間三尺南北七間周回四十七間三尺村ノ東北ナリ田[以下記入なし]
道路
 熊谷道 村西ノ方比企郡杉山村界ヨリ入東ノ方本郡中尾村ニ至ル長九町四十一間巾壱間半道敷□ナリ本郡小川村ヨリ大里郡熊谷駅エ達スルノ経路ナリ
堤塘(ていとう)
 囲堤(いてい) 市ノ川賀須川ニ沿ヒ西ノ方字酉ノ前ヨリ連續シ東方本村ノ南方ニ至リ長四町五十五間馬踏(ばふみ)壱間敷二間四尺修繕費用ハ民ニ屬ス
瀧 ナシ
温泉 ナシ
冷泉 ナシ
陵墓 ナシ

 淡洲(あわす)神社村社々地東西十七間南北十八間三尺面積村東ニアリ豊玉姫命ヲ祭ル勧請年月不詳祭日九月十九日老杉拾数本
寺 ナシ
學校
 村ノ北西ノ方同郡杉山村椙山(すぎやま)小学校ヘ通学生生徒男十五人 女二人
事務所
 村ノ中央田幡宗順ノ宅舎ヲ仮用ス村ノ事務ヲ取扱ス
病院 ナシ
郵便局 ナシ
製綿場 ナシ
古跡 ナシ
名勝 ナシ
物産
 動物 繭 質美悪相混ス 七石   鶏 百五十羽
    鶏卯 九百六十
 植物 米質美百二十石 大麦質四十五石 小麦質悪二十石 大豆質美八石 小豆質悪五石五斗 粟質悪八斗六升 蕎麦(そば)質悪三石
製造物
 生絹(きぎぬ)質美百三十疋(ひき)本郡小川村ヘ輸ス 薪(まき)五百駄
 生酒百何石
器用物 ナシ
民業
 男 農桑(のうそう)ヲ業トスルモノ二十戸工ヲ業トスルモノ三戸
 女 農業紡織ヲ業トスルモノ五十人

七郷村誌原稿 太郎丸村(地籍帳) ルビ・注

●太郎丸村
第廿五号              五月一日 持参
郡長江差出シ村扣也  地籍帳
            武藏國比企郡
明治十五年五月一日        太郎丸村
官有地
   第壱種
一神地 
  村社

   第三種
一林反別四畝五歩
    内
   用材林反別壱畝歩
   薪炭(しんたん)材林反別三畝五歩
一河反別八反八畝弐拾弐歩
    内
   市の川反別七反三畝拾五歩 但長七百三拾五間
                 巾平均三間
   賀須川反別壱反五畝七歩 但長弐百弐拾八間五歩
                 巾平均弐間
一溜池反別壱町六反八畝弐拾三歩
一溝渠(こうきょ)反別五反八畝廿四歩
    内
  小谷用水路反別弐畝拾五歩 但長七拾五間
                巾平均壱間
  表谷用水路反別壱反壱畝廿四歩 但長弐反三拾五間
  巾平均壱間五歩
  内谷用水路反別三反拾九歩 但長九反拾九間
                巾平均壱間
  五十谷用水路反別四畝拾弐歩 但長百三拾弐間
                 巾平均壱間
  小申山用水路反別弐畝廿四歩 但長八拾四間
                 巾平均壱間
  大申山用水路反別六畝廿弐歩 但長百三拾五間
                 巾平均壱間五歩
一市ノ川堤敷(つつみしき)反別六反七畝弐歩 但長五百三間
                巾平均四間
一道路反別弐町壱反拾弐歩
    内
   村道反別三反七畝拾三歩
   耕作道反別壱町七反弐畝廿九歩
民有地
   第壱種
一田反別九町弐反七畝弐拾九歩
   壱反九歩       冷水堀
   拾四歩        溜井
   外反別六畝弐拾七歩  畔敷
一畑反別拾壱町五反五畝拾歩
    外反別三畝四歩    掻上地((カキ上地))
       租第百三拾号達取調差出シ候地籍帳之内御尋議有之ニ付五月八日郡役所よりオカキアケチトカイ名ス
一郡村宅地反別弐町三反五畝拾八歩
一開墾鍬下(くわした)畑【新たに開墾した土地で、検地を受けず高入になっていない畑】反別三反壱畝拾九歩
      明治八年ヨリ廿七年迄弐拾ヶ年季
一茅生地反別壱畝弐拾弐歩
一芝地反別四反拾五歩
一林反別弐拾町弐反弐畝拾五歩
    内
   用材林反別弐町三反六畝廿八歩
   薪炭(しんたん)材林反別拾七町八反五畝拾七歩

   第弐種
一墓地反別弐反七畝壱歩
一斃馬捨場反別弐畝壱歩

合反別五拾町六反拾四歩
内譯
   官有地
    此反別六町六畝三歩
   民有地
    此反別四拾四町五反四畝拾壱歩

右者地籍編纂之儀本縣乙第六號ヲ以テ御達之趣ニ依リ私共立會取調候所書面之通リ相違無之候也
比企郡太郎丸村        小前惣代      田幡慶三郎∪ 明治十五年四月一日      〃 田幡載太郎∪ 戸長       田幡宗順∪
 埼玉縣令吉田清英殿

七郷村誌原稿 杉山村(社寺明細帳) ルビ・注

社寺明細帳
比企郡杉山村
埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字清明 村社    八宮神社
一祭神 建速須佐之男(たけはやすさのお)命
    大己貴(おおなむち)命
    稲田比賣(いなだひめ)命
一由緒 祭神建速須佐之男命大巳貴命稲田比賣命徃古勸請四十五代聖武帝ノ御宇【西暦七二四〜七四九年】ト申其後六十一代朱雀院ノ御宇【西暦九三〇〜九四六年】天慶二年【西暦九三九年】十二月平将門(たいらのまさかど)関東ニ在リテ謀反(むほん)ヲ起シ朝意ニ叛キ此時六孫王經基(つねもと)公當村ノ旧城ニ御出陣在テ藤原秀郷(ふじわらひでさと)平貞盛(たいらのさだもり)ヲシテ當国ノ精兵ヲ募リ将門ヲ討ス時陣中疫癘流行シ斃者不少依テ社頭ニ於テ朝敵征討得疫癘(えきれい)消除ノタメ御意願有之霊験著シク反賊怱チ伏誅シ疫疾頓(にわか)ニ癒(いゆ)依テ經基王再ヒ當社ヲ修繕シ四方四維ノ村落ニ祀テ八宮神社ト号シ法施トシテ仁王會六万部御修行有之今ニ六万塚六万坂ト申所アリ城跡僅ニ存ス此言審ナラスト雖モ傅テ有之今ニ春秋両度祭典ヲ成シ皇國安全ノ祝詞(のりと)ヲ奉ス依テ前記前摘記載ス
一社殿(しゃでん)間數 間口貮間壱尺五寸
      奥行三間壱尺
一境内(けいだい)坪數 百四坪 官有地第壱種
一氏子戸數 五拾二戸
一管轄廳迄距離里數 十二里二十五丁
以上

右之通取調候処相違無御座候也
右村         氏子総代      明治十五年十月三日       内田六平 ∪ 仝 初雁源作 ∪ 金子惣三郎∪ 祠掌        杉山儀順 ∪ 戸長        初雁良助 ∪

埼玉縣武蔵國比企郡杉山村字上城ヶ谷戸
積善寺由緒
抑當山者人皇第一百五代後柏原院御宇【西暦一五〇〇〜一五二六年】大永五年【西暦一五二五年】ノ草創ニシテ祐源阿闍梨ノ開基(かいき)ナリ本尊ハ則チ開祖自ラ調((彫))刻シ玉フ尊像アリ[ナリ?]其原由ヲ尋ルニ城跡ノ山腹ニ清泉アリ徃昔(おうせき)【むかし】根本大師(こんぽんたいし)福聚金剛(ふくじゅこんごう)【平安初期の天台宗の開祖最澄(767年〜822年)のこと。伝教大師】此處ニ於テ金光明経(こんこうみょうきょう)廣説(こうせつ)シ玉フ聖地也云々彼ノ至徳ニ慣(なじみ)テ[祐]源[阿]闍梨爰ニ一宇ノ精舎ヲ建立シ彌陀ノ尊躯ヲ奉安置國家安穏萬民豊樂ノ為ニ金寳山王ノ法會[?]ヲ修行シ玉フ霊地ナリ故ニ号ヲ福王山泉明院積善寺ト称ス

埼玉縣下武蔵国比企郡杉山村字上城ヶ谷戸    男衾郡塚田村       普光寺末    天台宗比叡山派 積善寺
一本尊阿彌陀如来
一由緒
一堂宇間數 間口七間三尺 奥行六間
一庫裏(くり)間數 間口貮間三尺 奥行三間三尺
一境内(けいだい)坪數貮百八拾七坪 官有地 第四種
一境外(けいがい)所有地
 田反別弐反八畝廿七歩  杉山村字岩花
  地價金百弐円四拾九銭五厘
 田反別弐畝廿八歩 同村字表猿ヶ谷戸
  地價金八円拾七銭
 畑反別四反七畝九歩 同村字玉ノ岡
  地價金四拾四円三厘
 林段別八畝拾六歩 同村字上城ヶ谷戸
  地價金壱円廿八銭
 林段別四畝四歩 同村字玉ノ岡
  地價金六拾弐銭
 林反別四反五畝壱歩 同村字下城ヶ谷戸
  地價金六円七拾五銭五厘
 荒地反別壱畝拾五歩 同村字岩花
  明治九年ヨリ仝十七年迄九ヶ年季
一檀徒人員三拾九人
一管轄廳迄ノ距離 拾貮里弐拾五丁
  以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村         檀徒総代      明治十五年十月三日 新井□次郎∪ 仝        伊藤和十郎∪ 仝        水島源次郎∪ 積善寺住職     萬山純衛 ∪ 戸長        初雁良助 ∪

埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字豊岡     仝郡大谷村      宗悟寺末   曹洞宗  蔵身庵
一本尊地蔵尊
一由緒不祥
一堂宇間數 間口六間三尺 奥行五間
一境内(けいだい)坪數貮百五拾壱坪持文[分]蔵身庵
一境外(けいがい)所有地
 田段別五畝拾四歩 杉山村字中窪
  地價金貮拾四円四拾六銭五厘
 田段別壱畝三歩 仝村字同
  地價金四円五拾四銭四厘
 畑段別七畝六歩 仝村字関口
  地價金七円拾六銭
 林段別貮反三畝三歩 仝村字豊岡
  地價金三円四拾六銭五厘
一信徒人員拾壱人
一管轄廰迄距離里數拾貮里貮拾五丁
   以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村         信徒総代      明治十五年十月三日      金子忠三郎∪ 仝        金子熊次郎∪ 仝        初雁亰之助∪ 本山比企郡大谷村宗悟寺住職      厚見玉峯   戸長        初雁良助 ∪


十三年五月十八日郡出張小川村ヘ出向再調ニ付取調出
埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字下城ヶ谷戸 男衾郡塚田村      普光寺末   積善寺
天台宗比叡山派
一本尊阿弥陀如来
一由緒不祥
一堂宇間數 間口七間三尺
      奥行六間
一庫裏(くり)間數 間口貮間三尺
      奥行三間三尺
一境内(けいだい)坪數貮百八拾七坪    官有地 第壱種
一境外(けいがい)所有地
 耕地反別貮反八畝貮拾七歩  杉山村字岩花
   地價金百貮円四拾九銭五厘
 耕地反別貮畝廿八歩     同村字表猿ヶ谷戸
   地價金八円拾七銭
 耕地反別四反七畝九歩    同村字玉ノ岡
   地價金四拾四円三厘
 山林反別八畝拾六歩     同村字上城ヶ谷戸
   地價金未定
 山林反別四畝四歩      同村字玉ノ岡
   同断
 山林反別四反五畝壱歩    同村字下城ヶ谷戸
   同断
 荒地反別壱畝拾五歩     同村字岩花
   同断
一檀徒人員三拾九人
一管轄廰迄ノ距離拾壱【貳】里廿五丁
以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村戸長代理     筆主     明治十二年九月           水島源次郎

埼玉縣下武蔵国比企郡杉山村字清明 村社    八宮神社
一祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
    大巳貴命(おおなむちのみこと)
    稲田姫命
一由緒 不祥
一社殿(しゃでん)間數 間口貮間壱尺五寸
      奥行三間壱尺
一境内(けいだい)坪數 百四坪  官有地 第壱種
一氏子戸數 五拾貮戸
一管轄廰迄距離里數拾壱里貮拾五丁
以上

埼玉縣下武蔵国比企郡杉山村字豊岡 宗悟寺末       曹洞宗 蔵身庵
一夲尊地蔵尊
一由緒不祥
一堂宇間數 奥行 五間
      間口 六間三尺
一境内(けいだい)坪數 貮百五拾壱坪 税地
一境外(けいがい)所有地
 耕地段別五畝拾四歩   杉山村字中窪
  地價金貮拾四円四拾六銭五厘
 耕地段別壱畝三歩    杉山村字同
  地價金四円五拾四銭四厘
 耕地段別七畝六歩    同村字関口
  地價金七円拾六銭
 山林段別貮反三畝三歩  同村字豊岡
  地價金未定
二信徒人員拾壱人
管轄廰迄距離里數 拾壱【貳】里貳拾五丁
以上

埼玉縣下武蔵國比企郡杉山村字豊岡 同郡大谷村      宗悟寺末   蔵身庵
一本尊地蔵尊
一由緒不詳
一堂宇間數 間口六間三尺
      奥行五間
一境内(けいだい)坪數 貮百五拾壱坪  税地
一境外(けいがい)所有地
 田反別五畝拾四歩    杉山村字中窪
  地價金貮拾四円四拾六銭五厘
 田反別壱畝三歩     同村字同上
  地價金四円五拾四銭四厘
 畑反別七畝六歩     同村字関口
  地價金七円拾六銭
 林反別貮反□畝三歩   同村字豊岡
  地價金三円四拾六銭五厘
一信徒人員拾壱人
一管轄廳迄距離里數拾貮里貮拾五丁
以上
右之通取調候処相違無御座候也
右村      戸長     初雁良助∪


神官名簿 比企郡杉山村             村社祠掌           杉山儀順         文政八酉年十月十一日生
就職明治九年四月廿一日
教導職明治十三年九月十日拝命
   補權少講義
本籍埼玉縣武蔵國比企郡杉山村第拾番地

天台宗住職名簿 比企郡杉山村             天台宗積善寺住職       萬山純衛         天保十一子年七月廿四生
天台宗本寺 武蔵國男衾郡塚田村 
            普光寺末
住職明治九年十二月廿日 拝命    
教導職明治九年三月十九日
   試補
本籍埼玉縣平民武蔵國男衾郡赤濱村第百拾三番地

右は本郡第十七号御達ニヨリ神社寺院住職及教導職之者取調候処別紙之外更ニ無之依テ此段御届及候也
右村     戸長    明治十六年六年三日         初雁良助

 比企横見郡長鈴木庸行殿

七郷村誌原稿 杉山村(地籍帳) ルビ・注

  地籍帳
武蔵國比企郡   杉山村

官有地
 第一種
  一神地 村社反別三畝拾四歩

 第三種
  一林反別貮反三畝拾歩
 内
    用材林反別壹反八畝拾三歩
    薪炭(しんたん)材林反別四畝廿七歩
  一原野反別五町七反八畝廿貮歩
 内
    芝地反別四町八反八畝拾歩
    秣場(まぐさば)反別九反拾貮歩
  一籔地反別壹畝歩
  一河反別貮町五反四畝拾五歩
 内
    市ノ川反別貮町壹反四畝歩 但長三千二百拾間
巾平均二間  
    賀須川反別四反拾五歩 但長千二百十五間
                巾平均壱間
  一溝渠(こうきょ)反別四反四畝拾五歩
 内
    用惡水路反別三反貮畝拾五歩
    堀敷反別壹□貮畝歩
  一堤塘(ていとう)反別壹町貮反四畝拾八歩
 内
    市ノ川堤敷(つつみしき)反別壹町貮反歩
    賀須川堤敷(つつみしき)反別四畝拾八歩
  一道路反別三町八反貮畝六歩
   内
    村道反別七反廿歩
    耕作道反別三町壹反壹畝拾六歩

 第四種
  一寺院境内(けいだい)反別九畝拾七歩

民有地
 第一種
  一田反別貮拾四町九反廿四歩
 内
    反別貮畝拾歩 冷水堀
    反別八歩 湧水場(ゆうすいば)
    外反別壹町七反五畝廿九歩 畦畔敷
  一畑反別貮拾八町八反九畝拾七歩
 内
    反別廿貮歩 湧水場(ゆうすいば)
  一郡村宅地反別四町三反六畝廿四歩
  一田荒地反別貮畝廿五歩 明治九年ヨリ仝十七年迄九ヶ年季
  一林反別六拾五町九反廿歩
 内
    用材林反別四町三反貮畝歩
    薪炭(しんたん)材林反別六拾壹町五反八畝廿歩
  一藪地反別壹町五反四畝廿六歩
  一芝地反別壹反八畝廿三歩
  一小學校敷地反別貮反六畝七歩

 第二種
  一溜池反別壹町貮反四畝三歩
  一墓地反別貮反壱畝拾四歩
  一斃馬捨場反別七畝廿四歩

合反別百四拾三町六反壹畝廿三歩
 此譯
  官有地
此反別拾四町貮反壹畝廿三歩
  民有地
此反別百貮拾九町三反九畝廿六歩

右者地籍編纂之儀本年本県乙第六号ヲ以御達之趣ニ依リ私共立會取調候処書面之通相違無之候也
比企郡杉山村         小前惣代      明治十五年五月十八日       早川徳次郎∪ 仝 水島源次郎∪ 戸長        初雁良助∪
 埼玉縣令吉田清英殿



標籏建設地所近傍(きんぼう)図調製心得
一図面ハ標籏建設地ヲ実見シ地券図ニ照準シテ雛形ノ如ク標籏アル処ヲ中央トシ北ヲ上トシ南ヲトシ東西ヲ左右トシ美濃全紙充分丈ヶ地券図(六百分一)(即チ一分壱間)ニ写取可シ
一若シ美濃全紙之内一両三村相跨候時ハ各村申合調製スベシ
一此図面ハ通知之日ヨリ五日□内当出張所江差出スベシ
一佗日官吏派出之標籏建設地不分明之節ハ各役場江尋問致ベクニ付直ニ答ヘ得ル為メ此圖面之扣圖ヲ役場江貯有シ置ク可シ
一圖上ニ者縣郡村字堺地番号一田畑森林墓地池沼芝地秣場(まぐさば)岸堤川名及ヒ水流□□□向道路ハ國道県道里道ノ区別并ニ到達スヘシ地名所有主ノ姓名等分明ニ記載スヘシ
参謀本部測量課出張官

七郷村誌原稿 杉山村(村誌) ルビ・注

杉山村

武蔵國比企郡杉山村
 本村古時ヨリ比企郡松山領水房(みずふさ)ノ庄杉山村ト唱ヒ以降村名改正及ヒ分郷等ノ事ナシ
疆域
 東ハ同郡廣野村及ヒ太郎丸村ニ相對シ廣野村ハ耕地里道、或ハ用水路ヲ以テ界ス太郎丸村ハ加須川用水ノ下流市ノ川ニ入ル所ヲ以テ界ス西ハ本郡中爪(なかつめ)村ト市ノ川ノ中央ヲ以テ界ス南ハ本郡志賀村ト市ノ川ノ中央以テ界ス北ハ仝郡越畑村ト山林或ハ耕地ヲ以テ界ス
幅員
 東西 貮拾七町五拾間  南北 八町五拾間
【新編武蔵風土記稿では、「東西八町許り南北十八町」】
 面積 貮里拾三町四拾五間
管轄沿革
 古昔比企十郎重成領地タリ徳川氏至ッテ籏下森川金右ヱ門ノ采地トナリ明治元年【西暦一八六八年】八月維新ノ際品川縣ノ管轄トナリ同二巳年韮山縣ニ轉ス以後明治四年入間縣ニ轉シ仝六年熊谷縣ノ所轄トナル
里程(りてい)
 熊谷縣廳ヨリ南西隅ニシテ三里拾貮町三拾三間四隣本郡廣野村ヘ九町中爪(なかつめ)村ヘ貮拾壱町五間志賀村ヘ拾三町八間貮尺越畑村ヘ貮拾壱町近方宿町本郡松山町ヘ貮里貮拾町大里郡熊ヶ谷駅ヘ三里拾貮町本郡小川ヘ一里拾八町
地勢
 東ハ概子平坦ニシテ耕地ナリ西南ハ市ノ川ヲ帯(お)ブ勢緩慢沐沿岸曲折舟筏(しゅうばつ)ヲ通セズ唯車馬ノ便ヲ得ルノミ北方ヨリ村ノ中央東方ニ至ル山林連亘(れんこう)シ雜木繁茂(はんも)セリ概スレハ本村山林ニ富メルヲ以テ自ラ薪炭(しんたん)等ノ贏(えい)餘ナリ
地味(ちみ)
 其色概スレハ青色ニシテ間埴土ヲ交ヘ其質悪シク稲梁(とうりょう)ニ適セス(里俗ニヘナト唱ヒケシク亦赤色ヲ混ス)桑麥ハ應セリ殊ニ水旱(すいかん)ノ患多シ
税地
 田 旧拾五町九反八畝歩 畑 旧貮拾三町七反廿三歩
   改貮拾四町九反貮拾四歩 改貮拾八町七反六畝歩
 宅地 旧七反廿四歩  山林 旧拾町六反六畝拾八歩
   改四町三反八畝九歩  改六拾六町壱反三畝五歩
 籔地 旧ナシ       柴地 旧ナシ
    改壱町五反四畝廿六歩   改壱反八畝廿三歩
 總計 旧五拾町八反四畝五歩
    改百貮拾五町九反壱畝廿七歩
飛地
 畑 壱反五畝貮拾三歩  本村ノ南方志賀村字北町裏ノ内ニアリ
字地
 雁城(がんじょう) 村ノ中央ニアリ東西三町二拾間南北壱町四拾五間
 打越(うちこし) 村中央掲示場ノ位置ヨリ北方ニシテ東西三町五十間南北壱町四十間
 杢ノ入(もくのいり) 打越ノ南ニ連亘(れんこう)シ東西二町十間南北三町二十間
 關口(せきぐち) 村ノ中央ヨリ西隅ニシテ東西壱町四十八間南北四町二十五間
 岩花(いわはな) 杢ノ入ノ南ニ方リ東西壱町三十五間南北三町廿五間
 稲笠(いながさ) 関口ノ東ニ連リ東西三町五十五間南北壱町四十間
 川袋(かわぶくろ) 中央ヨリ東南隅ニ方リ東西二町南北二町拾間
貢地
 地租(ちそ) 米四拾四石七斗 金貮拾五円
 賦金(ふきん) 國税金五円 縣税金三円
 総計 米四拾四石七斗 金貮拾五円
戸數  
 本籍 五拾貮戸平民 社一村社 寺一天台宗
 総計 五拾四戸
人數
 男 百七拾三人平民 女 百四拾七人平民
 総計 三百廿二人
 他出寄留(きりゅう) 男三人女四人 入寄留(きりゅう)ナシ
牛馬
 牡馬三拾頭
舟車 
 之レナシ

 之レナシ

 市ノ川 深キ処四尺浅キ処壱尺廣キ処六間狭キ処四間ニ過キス緩流ニシテ水色澄清舟筏(しゅうばつ)通セス堤塘(ていとう)アリ村ノ西方越畑村界ヨリ来リ東方太郎丸村界ニ至ル長サ壱里廿二町五十間下流松山町ノ北東ヲ經テ荒川ニ入ル
 加須川用水 深キ処四尺浅キ処二尺村ノ北方越畑村界ヨリ来リ東南隅ニ至リ市ノ川ト合シテ東流ス長サ拾四町二十間巾三間アリ田貮町九反八畝歩ノ用水ヲ洪((供))ス
 万歳橋 熊谷徃還ニ属ス村ノ東方市ノ川ノ下流ニ架シ木造ニシテ長サ三08/04/26間巾五尺【現在の川袋橋】
 萬代橋 熊谷徃還ニ属ス村ノ東方廣野村ニ界スル加須川用水ノ下流ニ架シ土造ニシテ長サ二間巾五尺

 之レナシ

 之レナシ
原野
 十三墳(じゅうさんづか) 官有ニ属ス村ノ東南ニアリ南北四町東西壱町五十間東西北ハ民有地ニ接シ南ハ市ノ川ヲ隔テヽ志賀村ニ相對シ眺望佳タリ反別三町七反九畝廿五歩アリト雖モ樹木ナク唯柴草ノミ
 尼ヶ墳 官有ニ属ス村ノ西北ニアリ東西壱町五十間アリ南北五十間越畑村ニ連接シ南西ハ本村ノ民有地ニ連亘(れんこう)ス段別九反拾貮歩ニシテ樹木ナク唯草ヲ生スルノミ
牧場
 ナシ
礦山
 ナシ
湖沼
 打越(うちこし)池  村ノ北方ニアリ東西三十間南北十六間周□(回)壱町二十三間田四町七反七畝十歩用水ニ洪((給))ス
 杢ノ入(もくのいり)池 打越池ノ南ニ方リ東西四十五間南北十四間周回壱町三十八間田貮町壱反八畝廿壱歩ノ用水ニ洪((給))ス
道路
 熊ヶ谷道 村ノ西方中爪(なかつめ)村界ヨリ入ル廣野村界ニ至ル道敷二間本村或ハ西方ノ村落ヨリ熊ヶ谷駅ニ至ルノ經路タリ
掲示場 村ノ中央戸長(こちょう)初雁亰之助ノ所有地ニアリ
堤塘(ていとう)
 囲堤(いてい) 市ノ川ノ北端ニ沿ヒ村西方越畑村界ヨリ連續シテ東方太郎丸村界ニ至ル長サ貮拾町馬蹈壱間堤敷(つつみしき)二間ヨリ三間水量定□及ヒ根堅ノ樹木ナシ修繕ノ如キ大破ハ官ヲ仰キ小破ハ民ニ属ス

 之レナシ
温泉
 之レナシ
冷泉
 之レナシ
陵墓
 之レナシ

 八宮神社 村社東西五間三尺南北四拾貮間面積百十四坪村ノ中央ニアリ素戔鳴(すさのお)尊ヲ祭勧請年暦不祥祭日十月十五日

 積善寺 東西二十間南北十三間面積貮百八十七坪天台宗武蔵国男衾郡赤濱村普光寺ノ末流ナリ村ノ中央南方ニアリ創立年暦不詳
 藥師堂  東西十七間南北十八間面積貮百七十三坪村ノ東端ニアリ藥師十二神ヲ安置ス徃時行基菩薩之レヲ作スト云フ創立年暦不詳
 観音堂  東西五間三尺南北四間面積貮拾四坪村ノ東南隅ニアリ十一面観音ヲ安置ス創立年暦祥ナラス
 蔵身庵(ぞうしんあん)  東西壱町南北壱町十間面積貮百五十一坪アリ曹洞宗比企郡大谷村宗悟寺ノ末流ナリ寛文年間【西暦一六六一〜一六七三年】創立スト云フ其後衰微セシヲ以テ天明二壬寅年【一七八二年】ノ春庵主梅光中興ス村ノ西方ニアリ
學校
 公立小學校一ヶ所 椙山(すぎやま)學校ト称ス夲村ノ中央小丘上ニアリ東西十九間南北十二間越畑村廣野村太郎丸村杉山村ノ四ヶ村聯合校トス生徒男四拾九人女拾三人ナリ教場ノ都合生徒ノ出入大略其便ヲ得タリ校内開濶(かいかつ)ニシテ□日赫鑠タル大暑ニ群集ノ生徒書ニ倦ミ字ニ醉ヒルト雖モ南薫颯々トシテ満場洗カ如ク忽(たちま)チ新鮮タル大氣ノ呼吸ヲ得心地復蘇息ノ思ヲナス冬ニ至ルヤ後ノ小丘ニ老杉古松アリ之レカ北風ヲ遮リ日光充分舎内ヲ輝キ故サラニ寒氣ヲ知ラス抑造物主ノ本□ニ好適スルヤ否ヤ
事務取扱所 村ノ中央ニアリ戸長(こちょう)初雁亰之助ノ宅舎ヲ仮用ス
病院 ナシ
郵便局 之レナシ
製糸場 之レナシ
古跡
 城墟 村ノ中央民有地ニアリ東西三町四十間南北四町二十間ナリ凸アリ凹アリ濠形今尚存ス宝亀十一年【西暦七八〇年】陸奥ノ賊某反ヲ謀リ獨リ其意ヲ逞スト故ニ征東ノ令出サレシ処比企十郎重成武蔵ノ入西ニ住居ス征東大使ヘ従軍シ賊地ニ赴キ戰功數回賊尤モ拒キ抜ク能ハスシテ歳ヲ起スルモ終ニ明年平定ヲ秦スト比企氏其功少ナシトセス爲ニ天應年間【西暦七八一〜七八二年】其賞ヲ賜リ爰ニ新城ヲ築キ累世六代ニシテ下総(しもうさ)ノ国ニ相馬將軍叛逆ヲ起自ラ平親王ト称ス關東諸國ヲ陥レ朝議是レヲ誅セント當時參議藤原忠文宣旨ヲ蒙リ征東大將軍ト爲リ兵ヲ率ヒテ東下ス時ニ讒者(ざん(そしる)しゃ)アリ報シテ曰ク比企某將門ニ反ヲ助クト故ニ後チ亡ブト雖モ舊記傅ハレサレハ明祥スルニ由ナシ唯言傅ヲ以テ記スノミ
名勝 之レナシ
物産 
 動物 鶏百五十羽 鶏【卵】五百
 繭  質悪 三十五石
 植物 米 質悪五十五石    大麥 質悪四十八石
    小麥 質中十八石    大豆 質悪貮十石
    小豆 質悪貮石
    桑 質中三百駄     楮 質中五百〆目
 製造物 生絹(きぎぬ) 百五十匹本郡小川村ヘ輸送
     白木綿 二百五十反仝上
     薪 六百駄大里郡熊ヶ谷ヘ輸送
民業
 男農ヲ専ラニスル者四十五戸 工ヲ業トスル者七戸
 女農ヲ専ニスル者五十五人 紡織ヲ専ニスル者十人

七郷村誌原稿 広野村(社寺明細帳・鬼鎮神社) ルビ・注

武蔵國比企郡廣野村社寺明細帳
埼玉縣下武蔵國比企郡廣野村字天沼 村社    鬼鎮神社
一祭神 衝立久那止命(つきたつくなどのみこと) 八衢比古命(やちまたひこのみこと) 八衢比賣命(やちまたひめのみこと)
一由緒 壽永元壬寅年勧請
    現今社殿ハ壽永五壬子年閏二月再建従来村社
一社殿(しゃでん) 間口二間三尺 奥行四間
一神樂殿(かぐらでん) 間口二間 奥行□間三尺
一社務所(しゃむしょ) 間口□間三尺 奥行□間
一神輿庫(みこしくら) 間口二間 奥行二間
一境内(けいだい)坪数□壱坪   官有第壱種
一境内(けいだい)神社□□
   八坂神社
     祭神 須佐之男命
     由緒 元治元年甲子年六月勧請
        上野(こうつけ)国新田郡世良多村【世良田村】鎮座八坂神社ノ分神霊ナリ
     建物 間口三尺 奥行三尺
一氏子戸数弐拾三戸
一管轄廰迄ノ距離 拾壱里
  以上
右之通取調候処相違無御座候也
右社       惣代      明治十六年七月丗一日 権田□右□□ 島崎助次郎  権田恵助   右社       祠掌      小川喜六   戸長      井上萬吉  
 埼玉縣令吉田清英殿

七郷村誌原稿 広野村(社寺明細帳) ルビ・注

戸長役場ノ扣
武蔵國比企郡廣野村社寺明細帳
埼玉縣下武蔵國比企郡廣野村字深谷 村社    八宮神社
一祭神 健速須佐之雄命(たけはやすさのおのみこと)
  由緒不詳
一社殿 間口二間三尺 奥行三間三尺
一境内(けいだい)坪数百六拾坪 官有第一種
【明治四一年三月三日上地林八畝七歩境内(けいだい)編入許可、計四百七坪となる】
一境内(けいだい)神社三社
  榛名神社
  祭神 苛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
       速須佐之男命
     由緒不詳
    建物 間口五尺 奥行□間
【于時文化九壬申((一八一二年))五月二日驟震動雷前代未聞之大大氷乱耕作竹木迄如枯野相成□地及大難男女老若驚入仍而為嵐災難除今般奉辻座此地満行宮令繁栄信願者也 当所講中敬白】(宮本敬彦氏撮影写真により、比企郡神社誌を訂正)

  琴平神社【比企郡神社誌には広正寺境内(けいだい)から明治維新時に境内(けいだい)に勧請したと言うとある】
    祭神 【大己貴命(おおなむちのみこと)】
       崇徳院
     由緒不詳
    建物 間口四尺 奥行五尺
  天祖神社
    祭神 天照皇大神宮
     由緒不詳
  建物 間口七尺 奥行壱間
一氏子戸数五拾五戸
一管轄廰迄ノ距離 拾貮里
  以上
右之通取調候処相違無御座候也
         右社
          惣代
明治十六年七月廿一日      永島竹次郎∪ 永島佐兵衛∪ 永島榮次郎∪ 権田浪吉 ∪ 戸長 井上萬吉 ∪
 埼玉縣令吉田清英殿
埼玉縣下武蔵國比企郡廣野村字寺臺 比企郡市ノ川村永福寺末   廣正寺 
一本尊 阿弥陀佛
  慶長十一丙午年((一六〇六年))五月徳川家臣高木筑後守廣正公法恩謝徳ノ為ニ奉安置
一法堂 間口九間 奥行七間四尺
一境内(けいだい)坪数千九百四拾四坪 官有第四種
一境内(けいだい)建物八ヶ所
 前衆寮(しゅりょう) 間口三間 奥行貮間壱尺五寸  後衆寮(しゅりょう) 間口三間 奥行貮間五尺
     大庫裡(おぐり)堂 間口五間壱尺 奥行四間壱尺
    寳蔵  間口貮間貮尺 奥行三間三尺((昭和六年九月二一日の地震で半壊))
    山門  間口貮間三尺 奥行貮間壱尺
 中雀門 間口七尺 奥行四尺  惣門  間口九尺 奥行五尺五寸  通用門 間口九尺 奥行五尺
一境外(けいがい)所有地
三百五十五番 田三畝廿四歩   廣野村字寺臺 地價金拾四円四拾壱銭三厘 三百五十六番
  畑五畝歩     仝  仝
  地價金六円七拾銭壱厘
三百五十四番
  田五畝拾五歩   仝  寺臺
  地價金貮拾四円六拾銭貮厘
三百八十二番 田壱反拾四歩   仝  字寺前 地價金五拾円四拾四銭四厘 三百八十七番 田四畝廿七歩   仝  仝 地價金弐拾壱円九拾四銭 三百八十八番 田三畝拾九歩   仝  仝 地價金貮拾壱円貮拾五銭貮厘 四百拾九番 田壱畝廿三歩   仝  仝 地價金七円八拾九銭五厘 四百廿番 田弐反四畝四歩  仝  仝 地價金百貮拾四円六拾壱銭九厘 四百二十四番 田壱反弐畝拾八歩 廣野村字寺前 地價金六拾五円八銭六厘 四百二十五番 田九畝廿貮歩   仝  仝 地價金四拾六円九拾壱銭 四百弐拾六番 田壱反九畝拾五歩 仝  仝 地價金八拾七円弐拾五銭六厘 九百九十五番 田貮反五畝廿壱歩 仝  大田坊 地價金百貮拾三円九拾三銭 九百九十六番 田七畝廿三歩   仝  仝 地價金三拾七円四拾五銭四厘 三百八十九番 田六畝六歩    仝  字寺前 地價金貮拾九円八拾八銭壱厘 三百九十四番 田五畝七歩    仝  仝 地價金三拾四円貮拾四銭壱厘 四百十六番 田九畝四歩    仝  仝 地價金四拾七円拾八銭五厘 四百貮十壱番 田貮畝拾九歩   仝  仝 地價金拾五円四拾貮銭貮厘 四百二十二番 田七畝歩     仝  仝 地價金四拾七円拾貮銭 四百二十三番 田弐畝拾六歩   廣野村字寺前 地價金拾六円五拾七銭 四百二十四番 田壱反貮畝拾八歩 仝  仝 地價金六拾五円八銭六厘 四百十七番 田壱反三畝廿一歩  仝  仝 地價金七拾円七拾三銭貮厘 四百十八番 田壱畝廿三歩   仝  仝 地價金七円八拾九銭五厘 四百十九番 田壱畝廿三歩   仝  仝 地價金七円八拾九銭五厘 三百三十八番 畑壱反八畝拾歩  廣野村字寺臺 地價金貮拾六円六拾五銭三厘 三百三十九番 畑八畝三歩    仝  仝 地價金拾五円四拾九銭五厘 三百四十二番 畑九畝拾歩    仝  仝 地價金拾七円八拾四銭 三百四十三番 畑四畝廿三歩   仝  仝 地價金八円壱銭七厘 三百四十四番 畑九畝六歩    仝  仝 地價金拾三円三拾七銭弐厘 三百四十五番 畑九畝九歩    廣野村字寺臺 地價金拾三円五拾貮銭五厘 三百四十九番 畑壱反六畝廿貮歩 仝  仝 地價金貮拾四円三拾貮銭七厘 三百五十六番 畑五畝歩     仝  仝 地價金六円七拾銭壱厘 三百九十八番 畑壱畝拾三歩   仝  字寺前 地價金貮円四拾壱銭七厘 四百貮番 畑三畝廿壱歩   仝  仝 地價金五円三拾八銭六厘 三百六十四番 畑貮反四畝三歩  仝  寺前 地價金三拾貮円貮拾六銭八厘 三百七十三番 畑壱反壱畝廿三歩 仝  仝 地價金拾九円七拾九銭八厘 三百七十四番 畑壱反四畝五歩  仝  仝 地價金貮拾三円八拾壱銭七厘 三百七十五番 畑九畝九歩    仝  仝 地價金拾七円七拾九銭四厘 三百七十六番 畑壱反八畝拾六歩 仝  仝 地價金三拾九円七拾銭四厘 三百七十七番 畑□畝拾八歩   廣野村寺前 地價金拾三円五拾五銭四厘 三百七十九番 畑壱反三畝拾貳歩 仝  仝 地價金拾九円四拾七銭七厘 三百八十番 畑六畝九歩    仝  仝 地價金拾円六拾銭三厘 三百五十七番 林壱反五畝廿三歩 仝  字寺臺 地價金 三百六十番 林壱町四反壱畝廿四歩  仝  仝 地價金 四百四十五番 畑壱反三畝拾九歩 仝  字馬場 地價金貳拾六円七銭壱厘 四百四十六番 畑五畝廿九歩   仝  字馬場 地價金拾円三銭七厘 四百四十九番 畑三畝廿六歩   仝  字馬場 地價金六円五拾銭三厘 四百五十七番 畑四畝廿六歩   仝  仝 地價金九円三拾銭四厘 四百五十八番 畑五畝九歩    仝  仝 地價金拾貳円五拾七銭七厘 四百六十番 畑壱反弐畝八歩  廣野村字馬場 地價金弐拾□円拾貳銭八厘 五百五十五番 畑八畝廿五歩   仝  字竹ノ花 地價金拾四円八拾七銭貳厘 五百五十九番 畑壱反四畝拾五歩 仝  仝 地價金貳拾七円七拾三銭九厘 五百六十番 畑壱反四畝廿貳歩 仝  仝 地價金弐拾四円八拾銭壱厘 七百三十番 畑七畝廿五歩   仝  字大野田 地價金拾円四拾八銭壱厘 八百六十三番 畑七畝七歩    仝  字深谷 地價金九円六拾八銭五厘 千八百九十六番 畑壱畝廿四歩   仝  字天沼 地價金貳円三銭五厘 四百六十一番 宅地四畝六歩   仝  字馬場 地價金拾壱円九拾七銭 千八百九十七番 宅地四畝廿八歩  仝  字天沼 地價金拾七円弐拾六銭七厘 千九百壱番 宅地貳畝拾八歩  仝  仝 地價金九円拾銭 三百二十八番 林六畝拾歩    廣野村字寺臺 地價金九拾五銭 三百七十四番 林六畝七歩    仝  字寺前 地價金九拾三銭五厘 六百十六番 林弐反壱畝三歩  仝  字中郷 地價金三円拾六銭五厘 千九百七十五番 林四反四畝拾弐歩 仝  字岩花 地價金六拾六銭
一檀徒 四百六拾六((ママ))人
一管轄廰迄ノ距離 拾弐里
以上
右之通取調候処相違無御座候也
右寺         明治十六年七月丗一日 惣代 永嶋竹次郎∪ 仝  永嶋佐兵衛∪ 仝  永嶋栄次郎∪ 仝  権田浪吉 ∪ 仝住職        阿山英俊 ∪ 戸長 井上萬吉 ∪
 埼玉縣令吉田清英殿

埼玉縣管下武蔵國比企郡廣野村字寺前 地蔵堂
一本尊地蔵菩薩
  天明五乙巳年((一七八五年))六月廣正寺十代梵光和尚奉安置
一堂宇 間口弐間 奥行三間三尺
一境内(けいだい)坪数弐拾三坪  民有持主 廣正寺
一信徒四百六拾名
一管轄廰迄ノ距離 拾弐里
  以上 
右之通取調候処相違無御座候也
右堂         明治十六年七月丗一日  惣代 永嶋栄次郎∪ 仝  権田浪吉 ∪ 廣正寺住職      阿山英俊 ∪ 戸長  井上萬吉 ∪
 埼玉縣令吉田清英殿

【社寺什物帳      □□□□】

埼玉縣下武蔵國比企郡廣野村字花見堂 薬師堂
一本尊薬師佛
  正和二年((一三一三年))九月九日安置
一堂宇 間口二間三尺 奥行三間
一境内(けいだい)坪数 二百坪 官有第四種
一信徒 四百六拾名
一管轄廰迄ノ距離 拾壱里
  以上
右之通取調候処相違無御座候也
右信徒      惣代     明治十六年七月 永嶋竹次郎 永嶋佐兵衛 廣正寺住職  阿山英俊 
       戸長
        井上萬吉
埼玉縣令吉田清英殿

【昭和一七年三月三一日広野広正寺に所属認可】

七郷村誌原稿 広野村(地籍帳) ルビ・注


地籍帳 武蔵國比企郡 廣野邨
官有地
   第一種
一神社
  村社
    此反別壱反六畝拾壱歩

   第三種
一林反別三反五畝五歩
    内
   用材林反別七畝九歩
   薪炭(しんたん)材反別貮反七畝廿六歩
一芝地反別弐町九反四畝歩
一河反別貮町壱反八畝四歩
    内
   市ノ川反別壱町弐反三畝廿四歩 但長千八百五十七間巾平均弐間
   賀須川反別七反六畝廿歩 但長千百五十間巾平均弐間
   滑川反別壱反七畝廿歩 但長弐百十二間巾平均弐間五歩
一溜池反別貮町四反壱畝拾四歩
一溝渠(こうきょ)反別九反五畝廿六歩
    内
   扇谷水路反別壱反六畝拾七歩 但長四百九十七間巾平均壱間
   用悪水路反別四反三畝拾九歩
   堀敷反別三反五畝廿歩
一堤塘(ていとう)反別七反廿八歩
    内
   市ノ川堤敷(つつみしき)反別六反七畝拾八歩 但長六百七十六間巾平均三間
   賀須川堤敷(つつみしき)三畝拾歩      但長五十間巾平均弐間
一道路反別八町五反八畝四歩
    内
   村道反別貮町三反三畝六歩
   耕作道反別六町貮反四畝廿八歩
一湧水溜(ゆうすいため)反別貮拾貮歩

   第四種
一寺院境内(けいだい)反別七反壱畝拾四歩

    民有地
   第一種
一田反別四拾八町七段四畝拾五歩
    内
   反別壱反廿四歩 冷水場
   反別壱畝拾歩  湧水場(ゆうすいば)
   内反別弐拾五歩  井戸敷
   外反別三町五畝廿八歩 畦畔敷
一畑反別四拾六町三反壱畝拾八歩
    内
   反別八歩 湧水堀
一郡村宅地反別九町六反三畝拾七歩
一林反別七拾四町八反四畝拾壱歩
    内
   用材林反別七町五段六畝歩
   薪炭(しんたん)材林反別六拾七町弐反八畝拾壱歩
一芝地反別壱反壱畝拾五歩

   第二種
一溜池反別弐反弐畝歩
一墓地反別□反五畝廿四歩
一斃馬捨場反別壱反歩
   合反別貮百貮町七段壱畝拾六歩
    此譯
   官有地
    此反別拾九甼貮畝八歩
   民有地
    此反別百八拾三町六段九畝八歩

右者地籍編纂之儀本年本縣乙第六號ヲ以テ御達シ趣ニ依リ私共立會取調候処書面之通リ相違無之候也
            比企郡廣野村
             小前惣代
   明治十五年四月廿九日      小林佐右エ門
                  仝
                   権田浪吉
                  戸長
                   井上萬吉
 埼玉縣令吉田清英殿

七郷村誌原稿 広野村(村誌) ルビ・注

地誌
  比企郡
   廣野村

武蔵国比企郡廣野村
本村古時ヨリ三部ニ分レ東南ノ壱部ヲ川島トシ北ノ壱部ヲ勝田トシ本郡松山領ニ屬シ村名改稱分郷等ノ事ナシ
疆域
東ハ伊子(いこ)太郎丸水房(みずふさ)ノ三村ト山林丘陵ヲ或ハ田畝ヲ以テ界トシ正南ハ月輪(つきのわ)村ト田畝山林ヲ以テ境トス南ヨリ西ハ志賀村杉山ノ二村ニ接ス正西ハ越畑村ト田畝ヲ畫(くぎ)リ北ハ吉田村ニ憐シ北ヨリ東ハ滑川ヲ隔テヽ和泉(いずみ)菅田(すがた)ノ二村相接ス
幅員
東西拾町五十六間南北拾五町五拾間 面積實測ヲ経ス暫ク欠ク 十五年二月十四日本郡戸上申面積六拾壱万八千百五十壱坪
管轄沿革
天正ノ頃((一五七三〜九二年頃))松山領ト言傳ス文禄元年((一五九二年))二月一日徳川氏ノ家臣高木九助廣正之ニ代リ知行トス元禄十一年((一六九八年))寅五月高木廣正遠江ニ知行ヲ遷スニ因リ本村四分ノ三ヲ黒田豊前守代リ領ス其ノ四分一ヲ御代官高谷太兵衛ニ代リ支配ス同暦十一年七月嶋田藤十郎高谷太兵衛ニ代リ知行ス元禄十四年((一七〇一年))正月比企長左エ門黒田氏ニ代リ支配ス同暦十七年((一七〇四年))其ノ三分ノ一ヲ木下伊賀守ヘ渡ス同人之ヲ知行トス残リ三分ノ二ヲ宝永二酉年((一七〇五年))正月内藤主膳ヘ渡ス同人之ヲ知行トス其残地ヲ宝永四亥年九月大久保筑前守ヘ渡ス同人之ヲ知行トス元禄十一年ヨリ寳永四年マテ拾年間ニ漸々本村四給ニ分ル明治元辰年((一八六八年))王政復古ニ際シ同年八月品川縣ノ管轄スル処トナリ仝二巳年九月韮山縣ニ轉ス以後明治四年十一月ニ至リ又入間縣ニ轉シ同六年熊谷縣ノ所轄スル処トナリ
里程(りてい)
熊谷縣廳ヨリ南方貮里三十丁 四隣同郡伊子(いこ)村ヘ三拾町 本村及各村共ニ元標ナキヲ以テ皆掲示場ヨリ掲示場迄距離 月輪(つきのわ)村ヘ三十三町三十二間杉山村ヘ九町和泉(いずみ)村ヘ廿八町太郎丸村ヘ拾四町廿四間近傍(きんぼう)宿町本郡松山町イ貮里拾七町五間小川村イ壱里十八町
地勢
東ハ岡巒起伏シ雜樹叢生ス西南ハ地形平衍(へいえん)ニシテ其中央ヨリ西南ニ賀須川ヲ帯(お)ビ下流市ノ川ニ入ル舟楫(しゅうしゅう)通セス北ハ滑川ヲ帯(お)ビ舟筏(しゅうばつ)【ふねといかだ】便ナラス但薪炭(しんたん)ノ欠乏ヲ知ルモノ稀ナリ
地味(ちみ)
其色赤黒壚土粘土(方言ノツチネバツチ)相混シ過半壚土ヲ交エ稍ニ稲梁(とうりょう)ニ宜シク桑茶ニ適セス水利便ナラス時々水旱(すいかん)ニ苦シム
税地
 田  旧反別四十壱甼五反七畝廿((十二?))歩
    改正反別四十八甼七反四畝十五歩
 畑  旧反別四十七甼四反九畝十二歩
    改正反別四十六甼三反壱畝十八歩
 宅地 旧反別貮甼八反貮畝廿三歩
    改反別九甼六反三畝十七歩
 山林 旧反別貮十弐甼八反二歩
    改正反別七十四甼八反四畝十一歩
 芝地 旧反別四反八畝廿二((四?))歩
    改正反別貮町九反四歩
 聰計 旧反別百拾甼壱反八畝廿五歩
    改正反別百八十二町四反八畝壱歩
飛地
本村ノ東南川島ノ壱部ハ太郎丸水房(みずふさ)月輪(つきのわ)志賀村ノ四村ノ間ニ
 旧反別三十二町四反三畝廿歩
 改正反別六十壱町六反二畝廿六歩
   内
  田  旧反別九甼[一反五畝二十三歩]
     改正反別十壱甼三反八畝廿七歩
  畑  旧反別拾貮町三反五畝八歩
     改正反別拾貮甼六反九畝十四歩
 [宅地 七反九畝十五歩
  山林 九町九反八畝十六歩]
本村北方勝田ノ壱部勝田吉田伊子(いこ)和泉(いずみ)ノ四村ノ間ニ挟リ
 旧反別九町七反三畝五歩
 改正反別十三甼八反六畝壱歩
   内
  田  旧反別四町四反貮畝四歩
     改正反別四町八反貮畝十二歩
  畑  旧反別三町八反壱畝九歩
     改正反別三町九反三畝廿九歩
  宅地 旧反段別三反四畝壱歩
     改正反別□□□□□
  山林 旧反壱甼壱反五畝廿壱歩
     改正反別四町壱反貮畝六歩
字地
中郷(なかごう) 村中央掲示場ノ位置東ヘ[百]二十八間西ヘ四十間南ヘ百三十八間北ヘ八十五間 下郷(しもごう) 中郷ノ東南ニ当リ東西百八十間南北二百四拾五間 廣野ヶ谷戸(こうやがいと) 中郷ノ西北ニ当リ東西百四十三間南北百七十四間 川島 本村東南ニ当リ東西五((三?))百六((二?))十八間南北三百五十間 勝田 本村ノ北ニ当リ東西二百五十間南北四百二十四間
貢租(こうそ)
 地租(ちそ) 旧税 米百三十九石九斗七升四合
       金八百六十九円九十五銭壱厘
    新税 米四百八十八石九斗壱升六合
       金五百六十壱円壱銭五厘
 賦金(ふきん) 旧国税金七十二円六銭九厘
    旧縣税金拾壱円三十銭
    新国税金二百八十円廿銭四厘
    新縣税金百五十九円三十四銭五厘
 聰計 旧税 米百三十九石九斗七升四合
       金九百五十三円三十二銭
    新税 米四百八十八石九斗壱升六合
       金一千円五拾六銭四厘
戸數
 本籍七拾四戸平民 寄留(きりゅう)【九〇日以上、本籍地以外の一定の場所に居住する目的で住所または居所を有すること】三戸平民 社二戸村社二座
 【寺二戸曹洞宗一宇 堂一宇 総計八十一戸]
人数
 男百貮拾五口平民 女貮百三十口平民 聰計三百五十五口 他出(たしゅつ)寄留【(きりゅう)転出者】男四人女四人 外寄留(きりゅう)男五人女五人
牛馬
 牡馬四拾頭
舟車
 荷車壹輌

 金讃(かなさな)山 高サ三拾六丈余周回本村ニ限リ八町五十八間村ノ東方ニアリ岩石聳(そび)エ樹木過半生セス登路一條稍ニ険ナリ西方字下郷ヨリ登ル五丁余

 市ノ川 深キ所五尺淺キ処五寸廣キ処五間狭キ処二間緩流水色澄清舟筏(しゅうばつ)通セス堤防アリ村ノ東南岩花ヨリ東方月輪(つきのわ)境ニ至リ長拾壱丁五十一間水流志賀村ヨリ来リ月輪(つきのわ)ニ至ル長サ三十壱丁四拾間
 滑川  深キ処ハ四尺淺キ処ハ五寸廣キ処五間狭キ処ハ三間緩流水色濁リ吉田村ヨリ来リ伊子(いこ)村ニ至リ其間七丁五十六間田貮町歩ノ用水ニ供ス
 大橋  小川道ヲ屬ス村ノ西方ニ当リ三町二尺賀須川ノ中流ニ架ス長サ三間[三尺]巾貮間土造
森林
 明神((八宮神社の通称))林 官有ニ屬ス東西五十間南北三拾二間段別貮反七畝廿六歩村ノ東南貮丁壱間ニアリ大樹繁茂(はんも)シ雜木多シ
 鬼神林 官有ニ属ス東西三十四間南北二十間段別七畝九歩村南方二十三町五間ニアリ大樹繁茂(はんも)シ□時納涼ニ適ス
原野 ナシ
牧場 ナシ
礦山 ナシ
湖沼
 ・廣野ヶ谷戸溜池(異名殿ヶ谷戸(とんがいと)沼)東西十九間南北十八間周回五十七間村ノ西北ニアリ田壱町七反九畝九歩ノ用水ニ供ス
 ・石倉上ノ溜池((上・下あわせて谷沼)) 東西三十八間南北六十二間周回百七十七間村ノ西北ニアリ田壱丁五反歩ノ用ニ供ス
 ・石倉下ノ溜池((上・下あわせて谷沼)) 東西二十八間南北三[十三]間周回百〇壱((二十二?))間村ノ西北ニアリ田壱町壱反歩ノ用水ニ供ス
 ・寺前溜池 東西三十四間南北三十七間周回六百間村ノ西北ニアリ田壱町壱反歩ノ用水ニ供ス
 ・中郷溜池((わきのぬま))(異名宇塔坂((おとうざか))沼)東西三十壱間南北拾間周回壱町拾三間村ノ東ニアリ田壱町歩用水供ス
 ・大野田溜池(異名弁天沼)東西三十八間南北三十九間周回貮丁八間村北東ニアリ田三町五反歩ノ用水ニ供ス
 ・大野田手洗溜池(異名盥(たらい)沼)東西十二間南北十二間周回四十七間村ノ北方ニアリ田四反三畝歩ノ用水ニ供ス
 ・金塚順平(かねづかじんべい)溜池 東西二十間南北二十間周回壱丁八間村ノ東ニアリ田壱町三反貮畝廿歩用水ニ供ス
 ・金塚溜池(異名深谷ツ沼)東西十五間南北三十七間周回壱丁五十二間村ノ東ニアリ田壱町壱反七畝歩用水供ス
 ・深谷ツ(ふかやつ)溜池(異名雨ヶ谷沼)東西二十八間南北二十五間周回壱丁二十五間村ノ東方ニアリ田壱町三反五畝十五歩用水供ス

 ・下郷溜池(異名ウシロ□ノ池)東西三間南北十三間周回壱丁十九間村ノ東南ニアリ田壱反九畝廿歩ノ用水供ス
 ・金皿溜池(異名ノ扇沼)東西六十間南北六十間周回三丁十一間村ノ東ニアリ田五町七反歩ノ用水ニ供ス
 ・花見堂溜池 東西十二間南北二十四間周回壱丁壱間村ノ南東ニアリ田九反八畝十四歩ノ用水ニ供ス
 ・天沼溜池 東西壱丁南北五十四間周回三丁村ノ南ニアリ田六町八反七畝廿六歩ノ用水ニ供ス
 ・□山溜池 東西四十六間南北十七間周回壱丁三間村ノ東南ニアリ田壱丁八反歩ノ用水ニ供ス
 ・猿田溜池 東西五十[三間南北二十]四間周回二町五十八間村ノ北方[ニアリ]壱町八反七畝廿五歩用水供ス
道路
 熊谷道 村ノ西方武蔵國比企郡杉山村ヨリ入リ北方本郡勝田村ニ至ル長サ九町二間巾壱間半道敷ナシ本郡小川村ヨリ大里郡熊谷驛ニ達スルノ経路ナリ
掲示場 村ノ中央字中郷民有地ニ有リ
塘堤
 囲堤(いてい) 市ノ川ニ沿ヒ南方本村字岩花ヨリ連続シ東方月輪(つきのわ)境ニ至ル長拾壱町五十壱間馬踏(ばふみ)【堤防の上を人馬が通行できるように平にした部分】壱間敷二間半修繕費用ハ民ニ属ス
瀧 ナシ
温泉 ナシ
冷泉 ナシ
陵墓
 高木廣正墓 村ノ北方廣正寺境内(けいだい)ニアリ碑石依然トシテ存高木氏ハ後陽成帝ノトキ徳川氏ノ家臣ニシテ功多シト□□ス慶長十一丙午年((一六〇六年))七月廿六日卒ス

 八宮神社 村社々地東西十五間南北十三間面積百六十坪村ノ東南ニアリ建速須佐之雄命((たけはやすさのおのみこと))ヲ祭ル勧請年月不詳祭日五月十日老杉三本小樹草生ス
 鬼神神社 村社々地東西三十二間南北十四間面積三百三十壱坪村ノ南方ニアリ衝立久那止命((つきたつくなどのかみ))ハ衢比古命((やちまたひこのみこと))ハ衢比賣[命]((やちまたひめのみこと))勧請年月不詳祭日四月廿四日十月十八日老松数本

 廣正寺 東西四十間南北五十間面積千八百六十九坪曹洞宗武蔵國比企郡市ノ川村永福寺末派ナリ村ノ西北ニ有リ慶長十酉年((一六〇五年))麾下高木九助廣正開基(かいき)創建ス
 藥師堂 東西十九間南北十八間面積貮百坪
學校
 村ノ西方同郡杉山村椙山(すぎやま)小斈校ヘ通フ生徒男二十二人女十七人
事務所
 村ノ中央字中郷永島竹次郎ノ宅舎ヲ仮用ス村ノ事務ヲ取扱
病院 ナシ
郵便局 ナシ
製絲場 ナシ
古跡 ナシ
名勝 ナシ
物産
 動物 繭質美悪相混ス八石 鶏二百四十羽 鶏卵一千五十
 植物 米質美二百四十三石 大麦質美九十六石 小麥質美百三十石八斗 大豆質美百六十石 小豆質美[十九石]九斗 粟質悪壱石七斗五升 蕎麦(そば)質悪八石
 器用物 鎌二百挺
 製造物 生絹(きぎぬ)質美百五十疋(ひき)本郡小川村ヘ輸送ス 薪八百駄
民業
 男農桑(のうそう)ヲ業トスモノ六十七戸工ヲ業ヲスルモノ七戸
 女農業紡織ヲ業トスルモノ百四十人

前記之通編輯仕候ニ付此段上申候也
           右村
             戸長
  明治十四年二月十七日        井上萬吉
埼玉縣令白根夛助殿

中郷掲示場ヨリ太郎丸村境迄拾貮町四十八間
同所より太郎丸村掲示場江拾四丁貮拾四間
同所より川島鬼神迄貮拾三丁五間
同所より月輪(つきのわ)村境迄三拾貮丁拾七間
同所より月輪(つきのわ)村掲示場江三拾三丁三拾貮間
同所より松山町元標江貮里拾七丁五間

七郷村誌原稿 古里村(社寺明細帳)(現・嵐山町) ルビ・注

第□□         四月十九日
 埼玉縣比企郡古里村社寺明細帳

埼玉縣下武蔵國比企郡古里村字中内出
         村社
          兵執神社(へとりじんじゃ)
一祭神 武甕槌命(たけみかつちのみこと)
一由緒 未詳
一社殿 間口三間 奥行四間
一境内(けいだい)坪數 貳百□□七坪  官有地第壱種
一境内神社 壱社 
 明治丗六年四月廿日附ヲ以テ官有地ノ内ヲ壱反五畝壱歩境内ヘ編入被聞届∪
  天神社
   祭神 菅原道真
   由緒 未詳
   建物 間口三尺 奥行四尺
一境外(けいがい)所有地 無之
一氏子戸數 八十四戸
一管轄廰迄ノ距離 里數拾貳里貳十七町
             氏子惣代
               安藤照武
               飯嶌瀧次郎
               仝 貴壽
      男衾郡板井村(いたいむら)鹿嶌神社詞掌
             右社兼務
               篠場豐盛
             戸長
               安藤貞良
  明治十七年四月廿八日 
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

仝郡仝村字尾根
        無格社
         愛宕神社(あたごじんじゃ)
一祭神 火産靈命(ひぶせのかみ)
一由緒 未詳
一社殿 間口壱間四尺 奥行貳間
一境内坪數六拾□□  官有地第壱種
一境内神社 壱社
  八坂大神
   祭神 素戔鳴命(すさのおのみこと)
   由緒 未詳
   建物 間口壱間三尺 奥行壱間三尺
一境外(けいがい)所有地 無之
一氏子戸數 八十四戸
一管轄廰迄ノ距離里數 拾貳里廿貳町
             氏子惣代
               安藤照武
               飯嶌瀧次郎
               仝 貴壽
      男衾郡板井村鹿嶌神社詞掌
             右社兼務
               篠場豐盛
             戸長
               安藤貞良
  明治十七年四月廿八日
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

仝郡仝村字清水
        無格社
         稲荷神社
一祭神 稲蒼魂命(うかのみたまのみこと)
一由緒 未詳
一社殿 間口三間 奥行四間四尺
一境内坪數 四百□□坪  官有地第壱種
一境外所有地 無之
一氏子戸數 八十四戸
一管轄廰迄距離里數 拾貳里廿七町
            氏子惣代
              安藤照武
              飯嶌瀧次郎
              仝 貴壽
     男衾郡板井村(いたいむら)鹿嶌神社詞掌
            右社兼務
              篠場豐盛
            戸長
              安藤貞良
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

仝郡仝村字馬内
        無格社
         八幡神社
一祭神 品陀別命(ほんだわけのみこと)
一由緒 未詳
一社殿 間口壱間 奥行九尺
一境内坪數 四□□  官有地第壱種
一境外所有地 無之
一氏子戸數 八十四戸
一管轄廰迄距離里數 拾三里三町
            氏子惣代
              安藤照武
              飯嶌瀧次郎
              仝 貴壽
     男衾郡板井村鹿嶌神社詞掌
            右社兼務
              篠場豐盛
            戸長
              安藤貞良
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

仝郡仝村字藤塚
        無格社
         日枝神社(ひえじんじゃ)
一祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)
一由緒 未詳
一社殿 間口三尺 奥行四尺
一境内坪數 貳百十七坪  官有地第壱種
一境外所有地 無之
一氏子 無之
一管轄廰迄ノ距離里數 拾三里壱町
             氏子惣代
               安藤照武
               飯嶌瀧次郎
               仝 貴壽
      男衾郡板井村鹿嶌神社詞掌
             右社兼務
               篠場豐盛
             戸長
               安藤貞良
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

仝郡仝村字蟹澤
        無格社
         山神社
一祭神 大山祗命(おおやまつみのかみ)
一由緒 未詳
一社殿 間口壱尺 奥行二尺
一境内坪數 九十七坪  官有地第壱種
一境外所有地 無之
一氏子 無之
一管轄廰迄ノ距離里數 十三里
             氏子惣代
               安藤照武
               飯嶌瀧次郎
               仝 貴壽
      男衾郡板井村鹿嶌神社詞掌
             右社兼務
               篠場豐盛
             戸長
               安藤貞良
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

仝郡仝村字上耕地
         無格社
          小女郎神社(こじょろうじんじゃ)
一祭神 拷幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)
一由緒 未詳
一社殿 間口壱尺 奥行二尺
一境内坪數 六十五坪  官有地第壱種
一境外所有地 無之
一氏子 無
一管轄廰迄ノ距離 拾貳里三十町
           氏子惣代
             安藤照武
             飯嶌瀧次郎
             仝 貴壽
    男衾郡板井村鹿嶌神社詞掌
           右社兼務
             篠場豐盛
           戸長
             安藤貞良
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

群馬縣群馬郡白河村瀧澤寺末
埼玉縣比企郡古里村字神傳田
           重輪寺
 曹洞宗一洲派
一本尊 地蔵菩薩
一由緒 未詳
一堂宇 間口八間 奥行□間三尺*
   *明細帳では、「間口六間 奥行六間五尺」。
一境内坪數 千五百五十八坪  官有地第四種
一玄関 間口三間 奥行貳間
一庫裏(くり) 間口五間 奥行七間三尺
一土蔵(どぞう) 間口三間 奥行貳間
一物置 間口四間 奥行貳間三尺
一境外所有地
 八百五十四番字神傳田
 一田九畝十壱歩
  地價金六十七円七十銭三厘
 八百六十五番字仝
 一田壱反十七歩
  仝金七十貳円七十五銭二厘
 八百七十一番字仝
 一田壱反八畝七歩
  仝金百十三円六厘
 八百五十七番字仝
 一畑貳畝九歩
  仝金三円八十七銭【一厘】
 八百七十五番字仝
 一畑九畝十壱歩
  仝金拾貳円五十四銭【六厘】
 八百七十七番字仝
 一畑四畝拾七歩
  地價金七円六十八銭【一厘】
 八百八十三番字神傳田
 一畑貳畝歩
  仝金貳円四十四銭【八厘】
 八百八十六番字上
 一畑六畝七歩
  仝金七円六十三銭【五厘】
 八百八十八番
 一畑三畝三歩
  仝金三円七十九銭【四厘】
 八百九十二番字仝
 一畑五畝廿七歩
  仝金七円廿二銭二厘
 七百三十五番字中内出
 一山林五畝歩
  仝金貳十五銭
 七百八十六番字仝
 一山林壱畝廿壱歩
  仝金廿五銭五厘
 千三百三十番字藤塚
 一山林壱畝廿五歩
  地價金九銭二厘
 千七百廿九番字蟹澤
 一山林五反十三歩
 仝金貳円五十二銭二厘

東京府下浅艸寺末
埼玉縣下比企郡古里村字中内出
            瀧泉寺(りゅうせんじ)
 天台宗
一本尊 阿彌陀佛
一由緒 未詳
一堂宇 間口五間 奥行五間
一境内坪數 四百三十九坪  官有地第四種
一境内佛堂 壹宇
  藥師堂
   本尊 藥師如来
   由緒 未詳
   建物 間口二間 奥行二間五尺
一境外所有地 無之
一檀徒戸數 八戸
一管轄廰迄ノ距離里數 拾貳里廿七町
             檀徒惣代
               安藤照武
               飯嶌瀧次郎
               仝 貴壽
        男衾郡塩村常安寺住職
             右寺兼勤
               朝倉亮真
             戸長
               安藤貞良
  明治十七年四月廿八日
 埼玉縣比企横見郡長鈴木庸行殿

■兵執神社境内図(『埼玉の神社』より)
古里・兵執神社境内図

七郷村誌原稿 古里村(地籍帳)(現・嵐山町) ルビ・注

地籍帳
  比企郡古里村
         戸長役場(こちょうやくば)
  書上候扣(ひかえ)  

 官有地
  第二種
   一神地
     此反別三反九畝壱歩
        内
      村社
       此反別八畝拾七歩
      社地
       此反別貳反七畝廿九歩 六ヶ所
  第三種
   一薪炭材山(しんたんざいやま)反別壹町四反五畝九歩
   一芝地反別壹町六反三畝八歩
   一溜池反別貳町八反六畝廿六歩
   一用悪水路反別壱町壱反三畝八歩
   一土手敷反別五反四歩
   一道路反別拾町四反七畝拾六歩
        内
     村道反別壹町六反五畝拾五歩
     耕作道反別八町八反貳畝壱歩
  第四種
   一寺院境内反別(けいだいたんべつ)六反六畝拾七歩
 民有地
  第一種
   一田反別四拾五町三反拾九歩
    外反別壱町五反壱畝歩 畦畔敷(けいはんしき)*
       *あぜ・くろの面積。
  一畑反別五拾町六反弐拾歩
    外反別八反四畝歩 畦畔敷
      揆上地(かきあげち) 但壱反五歩割
   一郡村宅地反別八町六畝廿八歩
   一山林反別九拾八町九反五歩
        内
     用材山反別五町歩
     薪炭材山反別九拾三町九反五歩
   一芝地反別壹反壱畝廿四歩
 第二種
  一溜池反別四反三畝拾九歩
  一井戸敷反別九歩
  一墓地反別八反四畝八歩
  一斃馬捨場反別九畝貳拾五歩
合 反別貳百貳拾五町八反五畝六歩
   此譯
 官有地
  此反別拾九町壱反壱畝廿九歩
 民有地
  此反別貳百六町七反三畝七歩
 明治十四年(1881)五月
右者地籍編纂之儀本年本縣乙第六号ヲ以テ御達之趣ニ依リ私共立會之上取調候処書面之通相違無之者也
          比企郡古里村
           小前惣代
            安藤照武
            中村森吉
           戸長
            安藤貞良
  明治十五年(1882)五月廿六日
 埼玉縣吉田清英殿

七郷村誌原稿 古里村(村誌)(現・嵐山町) ルビ・注

 村誌
   比企郡古里村(ふるさとむら)戸長(こちょう)*1役場
     *1:村の行政事務をつかさどった者。江戸時代の名主が1872年4月改称。

武藏國比企郡古里村 【現・埼玉県比企郡嵐山町大字古里】
 本村古時ヨリ本郡*1水房庄*2、伊子郷*3、松山領*4ニ屬ス村名改称及ヒ分郷等ノ事ナシ。
  *1:比企郡。
  *2:『新編武蔵風土記稿』では、水房庄は「合村七」とある。『武蔵国郡村誌』では、「水房(みつふさ)庄は十五村(水房、中尾、太郎丸、広野、野田、岡郷、福田、伊古、羽尾、勝田、菅田、吉田、野田、山田、和泉、今村誌に拠る風土記には羽尾以下七村を載せず)。」とあり、古里村は挙げられていない。
  *3:『武蔵国郡村誌』には「渭後(ぬのしり)(沼乃之利(ぬまのしり))と註す今其地を伝えず恐らくは郡の東辺荒川水涯【水のほとり】の地をさすか)。」とあり、郷域には諸説がある。
  *4:『武蔵国郡村誌』には「松山領五十五(松山町、柏崎、市ノ川、長楽、岩殿、毛塚、葛袋、今宿、赤沼、熊井、早俣、石坂、正代、上押垂、下押垂、青鳥、古凍、今泉、上野本、下野本、石橋、羽尾、水房、伊古、中尾、奥田、須江、大橋、竹本、鎌形、千手堂、上唐子、下唐子、神戸、高見、能増、奈良梨、高谷、上横田、下横田、勝田、中爪、太郎丸、広野、越畑、吉田、平、野田、山田、岡郷、大谷、福田、和泉、土塩、泉井・按月ノ輪、菅田、古里の村誌に此名を記すれども風土記には載せず、是非判然せず、又長楽村方今川島領と称すと云、今風土記及村誌に拠る)。」とある。

疆域(きょういき)*1
 東ハ男衾郡(おぶすまぐん)*2塩村ヲ境トシ、北ハ同郡板井村本田村、西ハ同郡西古里村ニ接ス。南ハ亦比企郡吉田村ニ接ス。何レモ高低四隣ノ境界ヲナセリ。
  *1:境界。
  *2:1896年(明治29)大里郡に合併した。

幅員
 東西拾七町五拾間。南北拾五甼五拾間。

管轄沿革
 當村御繩入(なわいれ)*1ハ元和元年(げんな)(1615)ノ古帳面アリ。正保ノ頃(しょうほう)(1644-1648)ニハ高室喜三郎*2御代官所及ヒ酒井紀伊守*3有賀半左衛門*4市川太左衛門*5内藤權右衛門*6松崎權左衛門*7長井七郎右衛門*8カ知行*9トアリ。後、宝暦年中(ほうれき)(1751-1764)ニ至リ御料所(ごりょうしょ)*10ノ分ヲ清水殿*11ノ領知ニ賜リシニ、寛政年中(1789-1801)上リテ亦御料所トナレリ*12。松崎權左衛門ノ知行ハ子孫權左衛門忠延ノ時、延享二年(1745)七月二男松崎伊織幸喜(ゆきよし)*13ニ分テリ。酒井紀井守ノ知行ハ子孫兵部*14ノ時上リ、元禄十壱年(1698)林半太郎、横田源太郎、森本惣兵衛カ家ニ賜リ*15、猶此等ノ子孫、長井五左衛門、市川瀬兵衛、内藤熊太郎、有賀滋之丞、松崎藤十郎、仝弥兵衛、林半太郎、横田源太郎、森本惣兵衛ノ知行所ナリ。又御料所ハ清水殿領知トナリ、亦安政二卯年(1855)上リテ御料所トナリ、次ニ徳川氏政権奉還ノ後、明治元年辰(1868)十月御料、品川知縣事古賀一平支配トナル。又明治二年(1869)韮山縣管轄所ト換ル。仝四年(1871)入間縣管轄ト移リ、仝六年(1873)ニ至リテ熊谷縣權令楫取素彦支配ナリ。仝九年(1876)九月ニ至リシヨリ当令埼玉縣令白根夛助殿ト遷替タリ。
  *1:検地を行うこと。田畑を一筆ごとに間竿・縄などを用いて測量し、税別・品位・反高を定めること。
  *2:高室喜三郎昌成。『川本町史通史編』267頁参照。
  *3:酒井紀伊守忠吉。『川本町史通史編』279頁参照。
  *4:有賀半左衛門種親。『川本町史通史編』275頁参照。
  *5:市川太左衛門友昌。
  *6:内藤權右衛門種清。『川本町史通史編』274頁参照。
  *7:松崎權左衛門吉次。
  *8:長井七郎右衛門吉勝。『川本町史通史編』273頁参照。
  *9:領知。
  *10:幕府の直轄領。天領。
  *11:徳川将軍家の親族である御三卿の一つ。田安、一橋、・清水の三家。『川本町史通史編』278頁参照。
  *12:1795年(寛政7)7月。
  *13:松崎権三衛門忠延の弟。『滑川村史通史編』433頁では松崎忠富の弟としている
  *14:酒井兵部忠経。
  *15:林昭信と横田奉松も加える。

里程(りてい)*1
 熊谷縣廰(けんちょう)ヨリ西方二里廿甼。本郡吉田村元標ヘ[ 不明*2 ]。男衾郡西古里村元標ヘ拾六町。同郡本田村元標ヘ壹里。同郡板井村元標ヘ拾六町三拾間。仝郡塩村元標ヘ拾五町。本郡松山郡役所ヘ三里拾町。本郡小川村ヘ壱里廿町。榛澤郡寄居町ヘ三里五町。男衾郡今市分署*3ヘ卅町ナリ。
  *1:みちのり、里数。
  *2:「吉田村誌原稿」によれば吉田ー古里は15町。『武蔵国郡村誌』では10町。
  *3:1876年に設置された今市屯所(とんしょ)が翌年新築されて今市分署となる。1882年には松山警察署小川分署今市交番所、1876年には寄居警察署今市分署となる。

地勢
 東西山巒(さんらん)相連リ*1、地凸凹運輸便ナラズ。南北僅カニ水田ニ接ス。只薪炭(しんたん)贏餘(えいよ)*2アルノミ。
  *1:山がめぐりつならること。
  *2:余り。

地味(ちみ)*1
 其色赤黒土ニシテ真土(まつち)少ナシ。尤全村山林多クシテ、又北田ノ方水理不宜。時々旱損(かんそん)*3ノ患アリ。
  *1:地質の良否の状態。
  *2:耕作に適した良質の土地。
  *3:日照り、干害。

税地
 田 旧反別 三拾二甼(ちょう)七反七畝歩
   新反別 四十五甼三反十九歩
 畑 旧反別 三拾甼二反五畝廿七歩
   新反別 五拾甼六反二十歩
 宅地 旧反別 壱町九反壱畝貳拾八歩
    新反別 七町九反九畝歩
 山林 旧反別 九町壱反廿壱歩
    新反別 九十八町九反八畝三歩

飛地
 無之。

字地
 前田(まえだ)  明時(みょうとき)  下耕地(しもこうち)
 駒込(こまごめ)  岩根沢(いわねざわ)  尾根(おね)
 長峰澤(ながみねざわ)  向井(むかい)  薮谷(やぶやつ)
 内出(うちで)  中内出(なかうちで)  神傳田(じんでんだ)
 上耕地(かみこうち)  柏木(かしわぎ)  道三山(どうさんやま)
 神山(かみやま)  御領臺(ごりょうだい)  藤塚(ふじづか)
 馬内(もうち)  原後(はらご)  林合(はやしあい)
 中ノ下(なかのした)  新林(しんばやし)  蟹沢(がんざわ)
 二塚(ふたつか)  茨原(いばら)  保井(ぼい)
 元全町(がんぜんちょう)  清水(しみず)  善久(ぜんきゅう)
 上土橋(かみどばし)  下土橋(しもどばし)

溜池
 当村溜池十ヶ所アリ。
 字駒込沼(こまごめぬま) 東西十五間、南北四拾間。元標ヨリ寅ノ方*1ニアリ。
 字岩根沢沼(いわねざわぬま) 東西拾二間、南北四十間。元標ヨリ寅ノ方ニアリ。
 字尾根沼(おねぬま) 東西拾五間、南北拾間。仝寅ノ方ニアリ。
 字藪谷沼(やぶやつぬま) 東西廿五間、南北五拾間。元標ヨリ子ノ方*2ニアリ。
 仝所沼 東西拾二間、南北三十五間。仝子ノ方ニアリ。
 字神山沼(かみやまぬま) 東西三拾間、南北拾五間。元標ヨリ戌ノ方*3ニアリ。
 字馬内沼(もうちぬま) 東西三間、南北百五十間。元標ヨリ亥ノ方*4ニアリ。
 字原後沼(はらごぬま) 東西拾間、南北廿間。仝亥ノ方ニアリ。
 字林合沼(はやしあいぬま) 東西二拾五間、南北拾五間。元標ヨリ仝亥ノ方ニアリ。
 字蟹沢沼(がんざわぬま) 東西二拾五間、南北百二拾間。元標ヨリ子ノ方ニアリ。
 字茨原沼(いばらぬま) 東西拾貳間、南北廿五間。元標ヨリ子ノ方ニアリ。
 右溜池田方用水ナリ
  *1:東北東。
  *2:北。
  *3:西北西。
  *4:北北西。


貢租(こうそ)*1
 地租(ちそ)*2】 旧
         新
  *1:年貢。租税。
  *2:田・畑・宅地・山林等、土地に課した税。

戸數
 本籍 七拾九戸 平民

人數
 男 二百拾貳人 平民  女 貳百九人 平民
 総計 四百二十二人(ママ)


 牡馬(おすうま) 三拾壱疋(ひき)

舟車
 荷車 中三輌


 和田川(わだがわ)ハ鷹巣村(たかのすむら)、本田村(ほんだむら)ノ境ヨリ来リ、村ノ北境ヲ東流シテ板井村(いたいむら)ニ入ル。川幅八尺餘。

森林
 無之。

牧場
 無之。

礦山
 無之。

湖沼
 無之。

道路
 熊谷駅ヨリ小川村ヘノ通路アリ。東ノ方塩村境ヨリ来リ、西南ノ方西古里村地内ニ至ル。長拾壹町壹間壹尺、道幅二間。

堤塘(ていとう)*1
 無之。
  *1:つつみ。土手。


 無之。

温泉
 無之。

冷泉
 無之。

陵墓


【後に貼付られたもの】
   戰利兵□□  壱個
   奉納記    壱通   兵執神社
    明治四十三年(1910)五月拾参日、陸軍省ヨリ下附 印



 兵執神社(へとりじんじゃ)   本村鎮守。
  社地東西拾間、南北拾五間。本村中央字中内出ニアリ。勧請(かんじょう)*1年月未詳。武甕槌命(たけみかづちのみこと)ヲ祭ル。社内古木頗(すこぶ)ル繁茂セリ。
  祭日毎年九月十九日。
  *1:神仏の分身、分霊を迎えてまつること。

 稲荷神社   平社*2ナリ。
  社地東西拾壹間、南北廿壹間。本村元標ヨリ東北隅字清水ニアリ。勧請年月未詳。稲蒼魂命(うかのみたまのみこと)ヲ祭ル。社内老松等頗(すこぶ)ル繁茂セリ。毎年祭日二月初午。土俗ニ鎌倉稲荷ト称ス。然レドモ古紀書籍ハナケレドモ此辺旧小地名ヲ稲荷ト云ヒ、亦鎌倉稲荷ト云フ。然ルヲ中世誤テ社名ヲ脱シ小地名ヲ改メシカ、今ニ此辺元全町ノ小地名猶存セリ。此地徃古近隣ノ貢租(こうそ)取束ネ、國ノ主助ノ廰ヘ納ムル地ヲ以テ称セシ由、古老ノ口碑ニ傳フルナリ。
  *2:1871年(明治4)の太政官布告で、村社にもならなかった無格社のこと。

 愛宕(あたご)神社   平社ナリ。
  社地東西九間、南北六間。本村元標ヨリ東字尾根ニアリ。勧請年月未詳。火産靈命(ひぶせのかみ)ヲ祭ル。

 八幡神社   平社ナリ。
  社地東西四間、南北拾貳間。本村元標ヨリ西字馬内ニアリ。勧請年月未詳。保武夛別命(ほんだわけのみこと)ヲ祭ル。

 天満神社   平社ナリ。
  社地鎮守社内ニアリ菅原道真公ヲ祭ル。祭日貳月廿五日。

 日枝(ひえ)神社   平社ナリ。
  社地東西八間半、南北拾七間。本村元標ヨリ西字藤塚ニアリ。大山咋命(おおやまくいのみこと)ヲ祭ル。

 小女郎(こじょろう)神社  平社ナリ。
  社地東西九間、南北七間。本村元標ヨリ西字上耕地ニアリ。拷幡千々姫(たくはたちちひめのみこと)ヲ祭。

 山神社
  社地東西九間、南北拾貳間。本村元標ヨリ西北字蟹澤ニアリ。大山祗命(おおやまつみのかみ)ヲ祭。


 瀧泉寺(りゅうせんじ)
  天台宗。勧請年月未詳。江戸山王社別當観理院末金剛山金洲院ト云フ。開山ノ僧ハ貞治三年(1364)十月示寂(じじゃく)*1セシト云フノミ。其名詳ナラス。当寺元ハ光林寺ト号セシヲ、慶安三年(1650)真海ト云フ僧中興セシ時今ノ寺号ニ改メ、又安永六年(1777)光海ト云フ僧本堂再興ス。其後御一新ノ折柄右勧理院復飾(ふくしょく)*2ニ付東京浅草浅草寺末ニ相成。
  *1:高僧が死ぬこと。
  *2:僧が俗人にもどる事。還俗。

 重輪寺
  元ハ重林寺ト書セリ。曹洞宗上野國(こうづけのくに)群馬郡白川村瀧澤寺(りゅうたくじ)末舊里山(きゅうりざん)ト号ス。慶長二年酉年(1596)九月草創ニテ、開山理山銀察ハ寛永十年(1633)十一月廿五日寂ス。本尊地蔵ヲ安セリ。亦明和年中(1764-1772)七世愚友享賢中興ス。

學校
 公立小學一ヶ所。本村及ビ吉田、和泉、菅田、勝田五ヶ村聯合校ニシテ吉田學校ト称ス。本村元標ヨリ巳ノ方*1吉田村神沢安右衛門ノ宅ヲ假用ス。生徒男[ 不明 ]
  *1:南南東。

事務所
 本村中央字内出戸長(こちょう)安藤貞良ノ宅舎ヲ假用シテ事務ヲ扱フ。

病院
 無之。

郵便局
 無之。

器用物
 無之。

製糸場
 無之。

古跡
 無之。

名勝
 無之。

物産
 動物 繭五拾三石 鶏七拾羽 鶏卵二千百個
 植物 米質美百拾石 質悪三拾石
    大麥八拾五石 小麥四拾七石七斗
    大豆拾四石 小豆七石
    粟三石九斗 麥蕎拾石五斗
    實綿三石二拾八斤 製茶九拾七斤
    楮皮千二百斤

民業
 男農桑(のうそう)之暇間、薪炭(しんたん)ヲ業トスル者二十戸。
 女外稼之暇間、縫織(ほうしょく)ヲ業トスル者概畧(がいりゃく)*3
  *1:農耕と養蚕。
  *2:縫うことと機(はた)を織ること。
  *3:おおよそ。

                    比企郡古里村戸長安藤貞良
    明治十三年四月
  比企横見郡長鈴木庸行殿

七郷村誌原稿 勝田村(地誌) ルビ・注

武藏國比企郡勝田村地誌【埼玉県比企郡嵐山町大字勝田】
 本村古時ヨリ本郡水房庄松山領ニ屬セリ。同郡元菅田(すがた)村ト一村タリ。安永五申(さる)年(1776)代官久保田重左エ門支配ノ内高貳百五十四石七升八合内六十石四斗五升七合分割シテ両村トナリ。

疆域
 東ハ同郡伊古(いこ)村ト山峯或ハ溪澗ヲ以テ界トシ、西ハ吉田村ト林峯道路ヲ境トシ、南ハ越畑廣野ノ両村ニ跨リ田畑山嶺道路ヲ以テ界トシ、北ハ廣野村飛地ト耕地ヲ接セリ。和泉(いずみ)村ハ字滑川中央ヲ境トセリ。

幅員
 東西拾丁南北拾五丁。面積実測ヲ經ス暫ク欠ク。

管轄沿革
 建久ノ頃(1190〜1199)毛呂太良季綱領地タリシ事武藏風土記ニ見ヘタリ。其後徳川氏ノ領地トナリ水野太良作同苗平左エ門支配ス。慶安年中(1648〜1652)岡部久太郎支配ス。其後モ子孫六代續キテ知行セシカ、安永元辰(たつ)年(1772)二月岡部徳五郎罪アリテ断絶ス。同(1772)二月代官久保田重左衛門支配ス。同六年(1777)代官飯塚伊兵ニ代ル。天明元年(1781)旗下猪子左太夫ニ移ル。子孫五代續キテ猪子兵助代ニ上知セリ。維新之際明治元辰年(1868)品川県管轄トナル。同二巳(み)年(1869)韮山県ニ轉シ、同五申年(1872)入間縣ニ、同六年(1873)熊谷県ノ所轄トナル。

里程(りてい)
 熊ヶ谷縣廰(けんちょう)ヨリ南ノ方三里。
 四隣 同郡吉田村ヘ貳十丁。和泉(いずみ)村ヘ拾四丁。廣野村ヘ貳十五丁。伊古(いこ)村ヘ三十丁。
 近傍(きんぼう)宿駅 同郡松山町ヘ貳里三十丁。大里郡熊ヶ谷駅ヘ三里。小川村ヘ貳里半。榛沢郡寄居宿ヘ四里半。

地勢
 東西南ハ山巒(さんらん)連亙(れんこう)シ雑樹鬱生(うつせい)ス。北ハ地形平坦ニシテ田野拓ケタリ。

地味(ちみ)
 其色赤黒黄相混シ小岩交エ其質悪ク稲麦桑ニ應セリ。殊ニ旱損(かんそん)ノ患多シ。

税地
 田 拾五丁二反四畝六歩
 畑 貳十四町壱反廿四歩
 宅地 六反七畝拾三歩
 山林 拾八町八反六畝拾弐歩
 総計 五拾八町九反廿五歩

飛地
 本村ノ東ノ方同郡廣野村ノ飛地字柳町之内田弐反拾九歩。同郡菅田(すがた)村字両家之内畑廿六歩。

字地
 高倉 村ノ中央ヨリ西ニ当ル。東西三丁南北三丁四十五間。

貢租(こうそ)
 地租(ちそ) 六拾四石六升弐合 金三拾六円六拾五銭壱厘
 賦金(ふきん) 國税金六円 県税金三円
 総計 六拾四石六升弐合 金四拾五円六拾五銭壱厘

戸数
 本籍 三拾三戸 平民
     社三戸 村社
     寺壱戸 真言宗
 総計 三拾七戸 明治九年(1876)一月一日調

人數
 男八十八人 平民
 女八十人 平民
 総計 百六十八人 明治九年(1876)一月一日調

牛馬
 牡馬 貳十壱頭

舟車
 ナシ


 ナシ


 滑川 深キ処六尺浅キ処貳尺。廣キ処五間狭キ処三間。水土色。堤防堰有。普請其他修繕等ハ同郡和泉(いずみ)村ニテ共同ス。此処ヨリ水引上ヶ田三反八畝拾三歩ノ用水ニ供ス。
 悪水堀 深キ処壱尺浅キ処五寸。村ノ中央ヨリ始マリ同郡吉田村境ヲ流ル滑川ニ入ル。

森林
 ナシ

原野
 ナシ

牧場
 ナシ

礦山
 ナシ

湖沼
 長沼 東西廿六間南北貳丁貳間周圍五丁拾三間。村ノ南方ニアリ。
 洞分沼 東西廿五間南北廿七間周圍貳丁四十八間。村ノ南ノ方ニアリ。
 尺尻沼 東西壱丁六間南北十四間周圍貳丁四十貳間。村ノ南ノ方ニアリ。
  以上三ヶ所ニテ田九町三反廿弐歩ノ用水ニ供ス。
 蓮沼 東西廿八間南北廿三間周圍壱丁三十四間。村ノ南ノ方ニアリ。田五反壱畝廿四歩ノ用水ニ供ス。
 油面沼 東西拾五間南北拾四間周圍壱丁弐間。村ノ南ノ方ニアリ。田三反九畝歩ノ用水ニ供ス。
 池ノ頭沼 東西八間南北三十五間周圍壱町廿弐間。村ノ西ノ方ニアリ。田五反七畝拾九歩ノ用水ニ供ス。
 芳沼 東西拾五間南北四十七間周圍貳丁三十間。村ノ西ノ方ニアリ。田貳町七反七畝拾壱歩ノ用水ニ供ス。
 谷ノ沼 東西拾弐間南北廿三間周圍壱丁三間。村ノ西ノ方ニアリ。田六反貳畝拾九歩ノ用水ニ供ス。
 寺沼 東西七間半南北七間半周圍貳拾七間。村ノ西ノ方ニアリ。田壱反拾三歩ノ用水ニ供ス。

道路
 小川路 村ノ北方同郡和泉(いずみ)村中央ヨリ入リ南ノ方廣野村界ニ至ル。長サ拾五丁四十五間巾壱丈【一丈=十尺】。小川村、熊ヶ谷駅ヘ達スル經路ナリ。
 寄居道 村ノ東ノ方同郡伊古(いこ)村ヨリ入リ西ノ方吉田村界ニ至ル。長サ四丁五間巾九尺。松山町、寄居駅ヘ達スル經路ナリ。

堤塘(ていとう)
 ナシ


 ナシ

温泉
 ナシ

冷泉
 ナシ

陵墓
 ナシ


 淡洲(あわす)神社 村社々地東西十五間南北十一間半面積百五十一坪。村ノ中央ニアリ。息長足日賣(おきながたらしひめ)命ヲ祭ル。勧請年月日不詳。祭日九月十九日。
 天神社 村社々地東西六間南北七間半面積七十一坪。村ノ中央ニアリ。菅原道真公ヲ祭。勧請年月日不詳。祭日二月廿五日。
 鹿嶋神社 村社々地東西九間半南北五間面積四十七坪。村ノ東ノ方ニアリ。武甕槌(たけみかづち)命ヲ祭ル。勧請年月日不詳。祭日三月十五日。


 勝福寺 東西三十三間南北十五間半面積五百十八坪。真義真言宗男衾郡富田村不動寺ノ末流、宝蔵山ト号ス。開山(かいさん)祐尊万治元年(1658)九月十六日示寂(じじゃく)ス。本尊弥陀ヲ安ス。

学校
 村ノ南ノ方杉山村杉山学校ニ通フ。
 学生生徒 男拾貳人 女拾貳人

事務所
 村ノ北ノ方戸長田中清五郎ノ宅舎ヲ仮用シ村ノ事務ヲ扱フ。

病院
 ナシ

郵便局
 ナシ

製絲場
 ナシ

古跡
 ナシ

名勝
 ナシ

物産
 動物 繭質悪四石
    鶏七十羽
     鶏卵約千個
 植物 米質悪百五十石
    大麦質悪五十石
    小麦質悪弐十五石
    大豆質悪拾五石
    小豆質悪三石三斗
    粟質悪三石弐斗
    桑質悪百六十五駄
    楮質悪千貫目
 製造物 生絹(きぎぬ)質悪百五十疋(ひき)
     薪五百駄

民業
 男 農業ヲ専トスル者五十人。
 女 農業縫織【紡織?】ヲ業トスル者五十人。
              【明治十四年(1881) 田中浪吉編】

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