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七郷村誌原稿

七郷村誌原稿 勝田村(社寺明細帳) ルビ・注

[前欠]
 畑反別[三]畝八歩       同【字菅原臺】
  地價金 五円四拾九銭三厘   字同所
 畑反別六畝廿七歩        同
  地價金 三円五【六?】銭   字同所 
 畑反別五畝拾四歩        同
  地價金 貳円四拾三銭三厘   字同所
 畑反別六畝拾八歩        同
  地價金 貳円五拾貳銭貳厘   字同所 
 宅地反別貳畝廿壱歩       同
  地價金 六円[七]拾九銭三厘 字前耕地
 林反別七畝拾九歩        同
                 字菅原臺
 林反別壹畝拾歩         同
                 字同所
 林反別六畝九歩         同
                 字同所
一管轄廰迄ノ里程(りてい) 拾三里
右之通取調候所相違無御座候也
             右村
              戸長代理
                 筆生(ひつせい)
 明治十二年(1879)□月五日     田中喜一郎 印
比企横見郡長鈴木庸行殿


埼玉縣下武藏國比企郡勝田村字菅原臺
      同國男衾郡冨田村不動寺末
                 勝福寺
 真言宗新義派
一本尊 阿弥陀如来
一由緒 開山(かいさん)祐尊、万治元年(1658)九月建立寳蔵山ト号ス。
一本堂 奥行四間半
    間口五間半
一堂室 奥行弐間半
    間口六間半
一境内(けいだい)坪數四百四拾貳坪 官有地第四種
一境外(けいがい)所有地
 百貳拾五番
一林七畝拾九歩     字菅原臺
 地價金 七拾六銭三厘
 百貳拾八番
一畑四畝九歩      字同所
 地價金 六円貳拾五銭八厘
 百三十番
一田四畝八歩      字同所
 地價金 拾四円六拾八銭八厘
 百三十壱番
一畑三畝八歩      字同所
 地價金 五円四拾九銭三厘
 百三十六番
一畑六畝廿七歩     字同所
 地價金 三円六銭
 百三十七番
一畑五畝拾四歩     字同所
 地價金 貳円四拾三銭三厘
 百三十八番
一林壱畝拾歩      字同所
 地價金 貳拾六銭七厘
 百三十九番
一田六畝五歩      字同所
 地價金 貳拾壱円貳拾五銭貳厘
 百四十番
一畑六畝拾八歩     字同所
 地價金 貳円五十弐銭貳厘
 百四拾七番
一林六畝九歩      字同所
 地價金 六拾三銭
 三百二十六番
一宅地貳畝廿壱歩    字前
 地價金 六円七拾九銭三厘
 七十八番
一畑三畝拾七歩     字西新井
 地價金 五円拾八銭七厘
 九十七番
一畑貳畝歩       字同所
 地價金 八拾八銭七厘
 十七番
一田壱畝六歩      字西新井
 地價金 七円四拾三銭六厘
 七十七番
一田壱畝八歩      字同所
 地價金 五円六拾九銭貳厘
 九十五番
一田壱畝歩       字同所
 地價金 五円拾五銭七厘
一檀徒三拾四戸
一管轄廰距離拾三里
右之通取調候所相違無御座候也
             檀徒総代
               関口伊三郎 印
明治十六年三月   武蔵国男衾郡富田邨
             不動寺住職
               廣瀬海静 印
             戸長
               田中浪吉


埼玉縣下武藏國比企郡勝田村字前
              村社
               淡洲神社
一祭神 保武田別(ほむだわけ)命
    息長足日賣(おきながたらしひめ)命
    武内スク子(たけしうちのすくね)
一由緒 寳永年中(1704〜1711)中宮建立。其後文化年中(1804〜1818)上屋建立。
    勧請年内不詳。鳥居(とりい)嘉永年中(1848〜1854)建立。
一社殿間數 奥行貳間 間口壱間四尺
一境内(けいだい)坪數 百五拾壱坪 官有地第一種
一氏子數 三拾四戸
一管轄廰里程(りてい) 拾三里
右之通取調候所相違無御座候也
            氏子惣代
             田中喜一郎 印
 明治十六年三月    同郡伊古村
            祠掌
             武内大庫 印
            戸長
             田中浪吉 印

埼玉縣下武藏國比企郡勝田村字菅原臺
                無格社
                  天神社
一祭神 菅原道真公
一由緒 寳永年中(1704〜1711)中宮建立。其後文化年中(1804〜1811)上屋建立。勧請年月不詳。
    明和□(1764〜1772)旗本岡部某鳥居(とりい)建立。其後明治年中再建。
一社殿間數 奥行貳間 間口壱間四尺
一境内(けいだい)坪數 七拾壱坪 官有地第一種
一管轄廰里程(りてい)拾三里
右之通取調候所相違無御座候也
           氏子総代
            田中喜一郎 印
           同郡伊古村
           祠掌
 明治十六年三月    武内大庫 印
           戸長
            田中浪吉 印


埼玉縣下武藏國比企郡勝田村字前
              無格社
                鹿嶋神社
一祭神 武甕槌(たけみかづち)命
一由緒 享保年中(1716〜1736)中宮建立。其後文政年中(1818〜1830)上屋建立。
    勧請年月不詳
一社殿間數 奥行貳間 間口壱間四尺
一境内(けいだい)坪數 七拾七坪 官有地第一種
一管轄廰里程(りてい) 拾三里
右之通取調候所相違無御座候也
           氏子総代
            田中喜一郎 印
           同郡伊古村
           祠掌
 明治十六年三月    武内大庫 印
           戸長
            田中浪吉 印

七郷村誌原稿 越畑村(地籍) ルビ・注

   地籍

官有地
 第一種
  一神地
   此反別 五反六畝拾五歩
    内
    村社 此反別 壱反四畝拾壱歩
    社地 此反別 四反貮畝四歩 八ヶ所

 第三種
  一用材林反別 一六反九畝拾九歩
    内
    用材林反別
    薪炭(しんたん)材林反別
  一 河反別 壱町三反六歩
    内
    市ノ河反別 八反九畝歩 但長千六拾八間巾平均貮間三尺
    粕河反別 四反壱畝六歩 但長三百九間巾平均四間
  一用悪水反別
  一堀敷 壱町三反五畝廿三歩
  一土手敷 反別壱反壱畝拾三歩
  一道路反別五町八反五畝廿歩
    内
    村道反別 弐町七畝八歩
    耕作道反別 三町七反八畝拾弐歩

 第四種
  一寺院境内(けいだい)反別 弐反三畝四歩


民有地
 第一種
  一田反別 五拾町六反八畝七歩
    内反別 廿貮歩 冷水堀敷
    外反別 三町弐反廿九歩 畦畔(けいはん)敷
  一畑反別 三拾八町七反三畝歩
    外反別 弐町四反五畝八歩 畦畔敷
  邨内
  一宅地反別 七町九反五畝廿六歩
  一□荒地反別廿七歩
    明治九年(1876)ヨリ仝十七年(1884)マテ九ヶ年季
  一山林反別 六拾八町六反三畝拾八歩
     内
    用材山反別 二町弐反六畝四歩
    薪炭(しんたん)材山反別 六拾六町三反七畝拾四歩
  一林反別 三拾七町八反壱畝拾歩
     内
    用材林反別 九反六畝廿六歩
    薪炭(しんたん)材林反別 三拾六町八反四畝拾四歩
  一芝地反別 拾六町五畝拾四歩

 第二種
  一溜池反別 五町六反七畝拾歩
  一墓地反別 三反弐畝拾四歩
  一斃馬捨場反別 五畝拾壱歩

合反別 貮百四拾壱町七反弐畝四歩
  此譯
   官有地 此反別拾町壱反弐畝拾歩
   民有地 此反別貮百三拾壱町五反九畝廿四歩
右者地籍編纂之義本年本県乙第六号ヲ以御達之趣ニ依リ私共立會取調候所書面之通相違無之候也
               比企郡越畑村
                   小前惣代
 明治十五年五月廿四日        馬場仙蔵
                       市川半左衛門
                       市川佐平司
                   戸長 船戸鍋六
埼玉県令吉田清英殿

七郷村誌原稿 越畑村(村誌) ルビ・注

第十六号 十二月十三日
   地誌
               第六大區五小區
                    比企郡
                     越畑村

武蔵國比企郡越畑村【埼玉県比企郡嵐山町大字越畑】
 本村古時庄領郷ノ唱ヲ傅ヘス。村名改称及ヒ分郷合村等ノ事無シ。

疆域(きょういき)
 東ハ同郡吉田勝田ノ両村ト鄰リ山林或ハ耕地ヲ以テ界トシ、西ハ同郡奈良梨(ならなし)横田(よこた)二村ヲ隔テ市ノ川【市野川。寄居町大字牟礼(むれ)に発し川島町東大塚で荒川に注ぐ】其界ヲ劃(かぎ)ル。南ハ同郡中爪杉山廣野三村ニ相對シ山林田野其界ヲ接ス。北ハ男衾郡西古里村ト山嶺ヲ以テ境トス。

幅員
 東西拾三町四拾間南北貮拾六町五間。面積六拾八万四千四百六拾貮坪【『新編武蔵風土記稿』では東西七町・南北二〇町、『武蔵国郡村誌』は東西一五町・南北一七町一〇間】。

管轄沿革
 年暦不詳本村元高四百六拾八石壱斗九升高木筑後守知行タリシカ、元禄十一年戊寅(つちのえとら)年(1698)五月代官高谷太兵衛支配ト成リ、同年八月該高ノ内二百三拾四石九升酒井但馬守ノ知行ト成リ、寛保二壬戌年(1742)残高七拾八石三升ヲ羽太(はぶと)清右衛門【『新編武蔵風土記稿』では左衛門、『武蔵国郡村誌』は右衛門】七拾八石三升ヲ山高重右衛門【『新編武蔵風土記稿』では左衛門、『武蔵国郡村誌』は右衛門】右二氏ノ知行トナリ、其後残高七拾八石三升ヲ黒田豊前守知行ト成リ、右四氏累世之ヲ分知ス明治元辰(たつ)年(1868)各縣ノ所轄トナリ、酒井羽太山高三氏ノ分品川縣ノ管轄トナリ、黒田氏ノ分岩鼻(いわはな)縣ニ屬シ、同二年(1869)八月品川縣ハ韮山縣ニ転ジ、同四年(1871)韮山(にらやま)縣入間縣ニ転ジ、此時四氏ノ領知一般入間縣ニ屬シ、同六酉(とり)年(1873)熊谷縣ニ轉ス。

里程(りてい)
 熊谷縣廰(けんちょう)ヨリ西南三里ニシテ、四鄰同郡吉田村ヘ拾貮町【『武蔵国郡村誌』では一五町】、奈良梨(ならなし)村ヘ拾五町、杉山村ヘ貮拾町【『武蔵国郡村誌』では二一町】、男衾郡西古里村ヘ三拾町【『武蔵国郡村誌』では一〇町】、近傍(きんぼう)宿町大里郡熊谷駅ヘ三里、本郡松山町ヘ三里拾町、榛沢郡寄居町ヘ三里。

地勢
 高峻四圍率子(おおむね)山ニシテ、東ハ山林起伏シ雑木欝生(うっせい)シ、南ハ耕野平衍(へいえん)【たいらでひろいこと】ニシテ田疇(ちゅう)【耕作地】相ヒ連リ、西北ハ峯巒(らん)重疂シ極メテ絶嶮是ヲ以車馬ノ運輸最モ不便ナリ。

地味(ちみ)
 其色赤黄埴土相混シ、土質悪シク、菽麦(しゅくばく)【まめ・むぎ】楮(こうぞ)桑ニ適セス、稲粱(とうりょう)【稲・粟】ニ應セリ。水旱(すいかん)【洪水と日照り】倶ニ患多シ。

税地
 田 四拾三町二反四畝四歩五厘   改正五拾町六反七畝拾五歩
 畑 四拾三町九反八畝廿八歩    改正三拾八町七反三畝歩
 宅地 壱町六反六畝六歩      改正七町九反五畝廿六歩
 山林 三拾八町七反七畝貮歩    改正百六町四反四畝廿八歩
 柴地 貮反三畝拾九歩
 総計 百廿七町六反六畝拾歩五厘  改正総計貮百四町四畝廿八歩

字地
 柳原(やなぎはら) 本村元票ノ北隅ニ位シ東西壱町五拾三間南北四町
 前太月(まえおおづき)【『風土記稿』では前大月】 柳原ノ正南ニ連リ東西貮拾町五拾四間南北壱町廿五間
 嶋 前太月ノ南ニ連リ東西三町三拾間南北壱町三拾四間
 後谷 島ノ西ニシテ東西三町三拾四間南北壱町拾四間
 大木 後谷ノ東南ニシテ東西三町四拾間南北壱町貮拾九間
 小栗(おぐり) 大木ノ正南ニ亘リ東西貮町五拾五間南北貮町三拾貮間
 中櫛引 小栗ノ西北ニシテ東西壱町四拾三間南北三町貮拾六間
 下櫛引 中櫛引ノ南ニ連リ東西壱町拾七間南北三町四拾三間

貢租(こうそ)
 地租(ちそ)米百三拾壱石六斗五升 金七拾壱円貮拾九銭八厘
 賦金(ぶきん)國税金四拾壱円五拾銭 縣税金五拾銭
 総計米百三拾壱石六斗五升 金百拾貮円七拾九銭八厘

戸數  
 本籍 八拾八戸 平民
 社三社 村社壱座 平社貳座
 寺貮戸 曹洞宗
 堂壱戸 薬師堂
 総計九拾四戸

人數
 男 貮百貮拾六口 平民
 女 貮百貮拾貮口 平民
 総計 四百四拾八口

牛馬
 牡(おす)馬 三拾頭

舟車
 荷車 壹輌 小車


 淺間山(せんげんやま) 高サ貮拾丈周囲夲村限リ五町三間。本村ノ西方ニアリ樹木林立繁茂シ登路壱條頗(すこぶ)ル嶮ナリ。山脈ハ男衾郡高巣村【鷹巣村】ニ連亘(れんこう)シ嶺上ヨリ西南ニ對シ、奈良梨(ならなし)横田(よこた)近傍(きんぼう)ノ村落ヲ一眸(ぼう)ス。


 市ノ川用水 同郡奈良梨(ならなし)村ヨリ来リ、本村ノ西方ヲ流レ南ニ環リ、中爪(なかつめ)杉山両村ノ間ニ入リ、深キ処五尺浅キ処貮尺五寸、廣キ処三間狭キ処壱間半、長サ拾六町貮拾六間、田貮甼四反五畝歩ノ用水ニ供ス。
 賀須川用水 本村ノ西方字十三間川越岩【川後岩】両池ノ水縱横溝渠(こうきょ)ニ濯漑淋漓(りんり)【したたるさま】シテ自ラ其ノ源ヲナシ、村ノ東南ヲ環流シ濃(すぎやま)村ノ東ニ沿ヒ下流市ノ川ニ合ス。深キ処五尺、浅キ処貮尺。廣キ処三間、狭キ処四尺。長サ六町拾六間。田貮町九反三畝九歩ノ用水ニ供ス。
 庚申橋 熊谷道ニ属ス。村ノ東南ニ當リ賀須川ノ上流ニ架ス。長サ三間巾五尺、石造。
 野郎子橋(やろこばし) 熊谷道ニ属ス。本村ノ西南ニ当リ、市ノ川ノ上流ニ架ス。長サ四間巾壱間土造。

原野
 大谷ツ原(おおやつはら) 民有地ニ属ス。村ノ北方ニ下リテ、東ハ本郡吉田村ニ屬シ、西ハ奈良梨(ならなし)村ニ接シ、北ハ男衾郡西古里村ト界ヲ連ス。樹木無クシテ芝草繁茂(はんも)セリ。

湖沼
 川後岩沼 東西四拾間南北廿六間周回五畝五拾六間。本村ノ北ニアリテ村ノ用水ニ供ス。
 十三間沼 東西廿六間南北九拾間周回三町四拾貮間。本村ノ西隅ニアリテ村ノ用水ニ供ス。
 三田堂沼 東西百八拾壱間南北廿三間周回七丁。本村ノ南ニアリテ村ノ用水ニ供ス。

道路
 熊谷道 村ノ北方男衾郡西古里村ノ界ヨリ入リ、西方比企郡奈良梨(ならなし)村ノ界ニ至ル。長サ四町三拾四間三尺巾九尺。大里郡熊谷駅ヨリ比企郡小川村ヘ達スル逕路ナリ。

掲示場
 村ノ東方字日向民有地ニ在リ。

堤塘(ていとう)
 囲堤(いてい) 市ノ川ニ沿ヒ村ノ西方本郡奈良梨(ならなし)村ノ界ヨリ連続シ濃(すぎやま)村ノ界ニ至ル。長サ四町三拾七間堤敷(つつみしき)貮間半。修繕費用大破ハ官ニ屬シ小破ハ民ニ屬ス。


 八宮社 村社々地東西廿間南北廿九間面積四百三拾壱坪。村ノ東方ニアリ、素盞鳴命(すさのおのみこと)ヲ祭ル。勧請年月不詳。祭日三月十日。
 淺間社 平社々地東西二拾間南北三拾間面積六百八拾貮坪。村ノ西方ニアリ、木花佐久夜命【『武蔵国郡村誌』では姫】ヲ祭ル。勧請年月不詳。祭日六月十五日。
 社宮司社 平社々地東西拾三間南北拾七間半面積貮百壱坪。村ノ西隅ニアリ、稲蒼魂命ヲ祭ル。勧請年月不詳。祭日三月十五日。


 寳藥寺 東西廿三間南北廿八間面積三百八拾三坪。曹洞宗同国同郡廣野村廣正寺末派ナリ。村ノ中央字大堂ニアリテ、元和年中(1615〜1624)ノ僧南叟玄壽(げんじゅ)【『新編武蔵風土記稿』では壽玄とあるが誤り】開基(かいき)創立ス。
 金泉寺 東西廿七間南北廿貮間半面積百三拾七坪。位置ハ寳藥寺ト同所ニシテ該寺ノ西方アリ。年代開基(かいき)創立供ニ寳藥寺ト同断。
 藥師堂 東西九間南北拾六間面積百三拾七坪【『堂庵明細帳』では百七拾七坪】。位置ハ寳藥寺ト同所ニシテ該寺ノ西ニアリ。藥師ハ行基(ぎょうき)【668年〜749年。奈良時代の渡来人系の僧。諸国を巡遊し社会事業に尽力、また大仏造営に協力し大僧正に任じられた。死後、文殊菩薩の化身とあがめられ、諸国に行基を開基(かいき)・作者とする寺院・仏像等がある】ノ作ニシテ勧請年月不詳。

事務所
 村ノ北隅字柳原戸長(こちょう)船戸鍋六ノ舎宅ヲ仮用シ、村内ノ事務ヲ扱フ。

病院
 ナシ

郵便局
 ナシ

古跡
 城山(じょうやま)城墟 東西五町南北三町。本村ノ西方ニ當リ懸崖八九仭(ひろ)【高さの単位。八九仭(ひろ)は約140メートル】、山巓ニ塁址ノ形今尚存セリ。武藏風土記ニ云、村ノ西ニアリ土人(どじん)【その土地の人、地元民】其所ヲ城山ト呼フ、今ハ陸田(りくでん)【はたけ】ト成レリ、何ノ頃何人ノ住セシト云フコト詳(つまびらか)ナラス。或ハ庄主水(しょうもんど)ト云シ人ノ居蹟トイヘド其年代モ定カナラズ。按(あん)スルニ当国七黨【平安末期武蔵国の武士団。横山・猪俣・野与・村山・児玉・西・丹党の軼沺私市党・綴党を入れる説もある】ノ内児玉ノ黨ニ庄ノ権頭弘高トアレバ是等ノ後裔(こうえい)ナルヤト記載セリ。此外別ニ記録ナシ。

物産
 動物 繭質中拾五石
 植物 米質美百七拾六石五斗
    大麥質悪シク三拾四石四斗
    小麥質悪シク九拾四石八斗
    大豆質悪シク五拾五石五斗
    楮質悪シク三百斤
 器用物 竈石(かまどいし)質美五拾箇
 生造物 生絹(きぎぬ)質美百疋(ひき)大里郡熊谷駅ヘ輸送ス
     瓦質美五百駄
      薪八百八拾駄大里郡熊谷駅ヘ輸送ス

民業
 男農樵ヲ業トスル者貮百廿三人。工ヲ業トスル者三人。
 女農桑(のうそう)ヲ業トスル者二百人。紡織ヲ業トスル者二拾人。

七郷村誌原稿 越畑村(神社明細帳) ルビ・注

神社明細帳
 埼玉縣管下武蔵國比企郡越畑村字日向
                 村社 
                  八宮神社
                   【別当観音寺】
一祭神 素盞鳴尊(すさのおのみこと)
一由緒 勧請人皇(じんのう)四十七代【45代】聖武天皇ノ御宇(おんう)ト申ス其後承平年中(931〜938)【源】経基(つねもと)公關東征討ノ節此二祈願シ遂ニ八ヶ所二是ヲ祭ルト云フ。
一社殿間数 間口 貮間三尺六寸 奥行 三間
一境内(けいだい)坪数 四百三拾壱坪 官有地 第壱種
                       官民有地何程ナルヤ
一氏子戸数 八拾八戸
一管轄廰迄ノ距離 拾四里
 以上
右之通相違無御座候也
            神官仝郡杉山村村社八宮神社祠掌
 明治十二年              右兼務  杉山儀順 印
                    氏子惣代 船戸鍋六
                         市川治右衛門 印
                         馬場仙蔵
                    右村戸長 船戸鍋六


神社明細帳
 埼玉縣管下武蔵國比企郡越畑村字冨士山(ふじやま)【現在・越畑1921番地】
                  無格社 
                    淺間神社
一祭神 木花開夜姫命(このはなさくやひめのみこと)
一由緒 不詳
一社殿間数 間口 壱間貮尺七寸 奥行 壱間四尺三寸
一境内(けいだい)坪数 六百八拾二坪 官有地 第壱種
                       何程ナルヤ
一信徒人員 □□八人
一管轄廳迄ノ距離 拾四里
 以上
右之通相違無御座候也
            神官仝郡杉山村村社八宮神社祠掌 
明治十二年                兼務   杉山儀順 印
                     信徒惣代 船戸鍋六
                          市川治右衛門 印
                          馬場仙蔵
                     右村戸長 船戸鍋六

神社明細帳
 埼玉縣管下武蔵国比企郡越畑村字幡後谷前(はたごやつまえ)【現在・越畑1158番地】
                無格社 
                 雷電社(らいでんしゃ)
                   【金泉寺持】
一祭神 大雷神(おおいかづちのかみ)
一由緒 不詳
一社殿間数 間口 五尺五寸 奥行 四尺五寸
一境内(けいだい)坪数 四拾七坪 官有地 第壱種 何□
                         何程
一信徒人員 □人
一管轄廳迄ノ距離 拾四里
 以上
右之通相違無御座候也
            神官仝郡杉山村村社八宮社祠掌
明治十二年                右兼務  杉山儀順 印
                     信徒惣代 船戸鍋六
                          市川治右衛門 印
                          馬場仙蔵
                     右村戸長 船戸鍋六


神社明細帳
 埼玉縣管下武蔵国比企郡越畑村字柳原(やなぎわら)【現在・越畑1545番地】
                無格社
                 神明神社(しんめいじんじゃ)
一祭神 伊邪那岐命(いざなきのみこと)
一由緒 不詳
一社殿間数 間口 五尺 奥行 五尺
一境内(けいだい)坪数 六拾九坪 官有地 第壱種
                     何程ナルヤ
一信徒人員 □人
一管轄廰迄ノ距離 拾四里
 以上
右之通相違無御座候也
            神官仝郡杉山村村社八宮社祠掌
明治十二年                右兼務  杉山儀順 印
                     信徒惣代 船戸鍋六
                     兼戸長ニテ更ニ惣代□
                     ○神官□□
                          市川治右衛門
                          市川佳次郎
                     右村戸長 船戸鍋六


神社明細帳
 埼玉縣管下武蔵国比企郡越畑村字社宮司【現在・越畑1961番地】
               無格社  
                社宮司社
一祭神 稲蒼魂命(うかのみたまのみこと)
一由緒 不詳
一社殿間数 間口 貮間奥行 貮間三尺
一境内(けいだい)坪数 二百壱坪 官有地 第壱種
一信徒人員 拾貮人
一管轄廰迄ノ距離 拾四里
 以上
右之通相違無座候也
            神官仝郡杉山村村社八宮社祠掌
明治十二年                右兼務  杉山儀順 印
                     信徒惣代 船戸小十郎 印
                          船戸鍋六
                          市川治右衛門
                     右村戸長 船戸鍋六


神社明細帳
 埼玉縣管下武蔵国比企郡越畑村字下串引(しもくしひき)【現在・越畑218番地】
               無格社  
                大天獏社(だいてんばくしゃ)
                  【観音寺持】
一祭神 別雷命
一由緒 不詳
一社殿間数 間口 三尺六寸 奥行 四尺四寸
一境内(けいだい)坪数 五拾七坪 官有地 第壱種
                     何程ナルヤ
一信徒人員 三人
一管轄廰迄ノ距離 拾四里
 以上
右之通相違無御座候也
            神官仝郡杉山村村社八宮社祠掌
明治十二年                右兼務  杉山儀順 印
                     信徒惣代 船戸小十郎 印
                          船戸鍋六
                          市川治右衛門
                     右村戸長 船戸鍋六


神社明細帳
 埼玉縣管下武蔵国比企郡越畑村字後谷(うしろやつ)【現在・越畑1028番地】
               無格社 
                山神社(やまがみしゃ)
一祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと)
一由緒 不詳
一社殿間数 間口 四尺四寸 奥行 三尺六寸
一境内(けいだい)坪数 百拾九坪 官有地 第壱種
一信徒人員 八拾八人
一管轄廰迄ノ距離 十四里
 以上
右之通相違無御座候也
            神官仝郡杉山村村社八宮社祠掌
明治十二年                右兼務  杉山儀順 印
                     信徒惣代 船戸小十郎 印
                          船戸鍋六
                          市川治右衛門
                     右村戸長 船戸鍋六


神社明細帳
 埼玉縣管下武蔵国比企郡越畑村字大堂(だいどう)【現在・越畑1084番地】
               無格社 
                八大社
一祭神 櫛入玉神
一由緒 不詳
一社殿間数 間口 貮間 奥行 壱間三尺
一境内(けいだい)坪数 四十貮坪 官有地 第壱種
一信徒人員 九人
一管轄廰迄ノ距離 拾四里
 以上
右之通相違無御座候也
            神官仝郡杉山村村社八宮社祠掌
明治十二年                右兼務  杉山儀順 印
                     信徒惣代 松本四郎次
                          船戸鍋六
                          市川治右衛門
                          【治右衛門は現在・市川紀元家】
                     右村戸長 船戸鍋六


神社明細帳
 埼玉縣管下武蔵国比企郡越畑村字清水【現在・越畑331番地】
               無格社
                八幡社
一祭神 品陀別命(ほんだわけのみこと)
一由緒 不詳
一社殿間数 間口 三尺六寸 奥行 四尺四寸
一境内(けいだい)坪数 四拾七坪 官有地 第一種
一信徒人員 五人
一管轄廰迄ノ距離 十四里
 以上
右之通相違無御座候也
            神官仝郡杉山村々社八宮神社祠掌
明治十二年                右兼務  杉山儀順
                     信徒惣代 久保五十蔵
                          久保松之助 印
                          船戸房吉
                     右村戸長 船戸鍋六

七郷村誌原稿 吉田村(社寺明細帳) ルビ・注

   明治十六年(1883)七月十二日
    社寺明細帳
         比企郡吉田村

埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字宮山
            村社
             六所神社
 一祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
 一由緒 寿永弐年(1183)九月十五日創立
 一社殿 間口弐間三尺 奥行三間
 一境内(けいだい)反別 百弐拾九坪 官有地第一種
   境内(けいだい)
  一稲荷神社 壱社
   祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
   建物 但間口三尺五寸 奥行三尺
 一氏子 四拾戸
 一管轄廰迄距離 拾四里
右之通取調候所相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十弐日
               右村氏子惣代
                 藤野兵左衛門
               仝断
                 中嶋半次郎
               戸長
                 藤野文八


埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字陣屋東
                村社
                 峯野神社
 一祭神 大山祗命(おおやまつみのみこと)
 一由緒 慶長五年(1600)折井市左衛門源次忠ノ創立
 一社殿 間口弐間 奥行弐間
 一境内(けいだい)反別 百弐拾五坪 官有地第一種
   境内(けいだい)
  一稲荷神社 一社
   祭神 倉稲魂命
   建物但間口三尺五寸 奥行三尺八寸
  一琴平神社 一社
   一社殿 但間口壱尺五寸 奥行八寸
 一氏子 弐拾壱戸
 一管轄廰迄距離 拾四里
右之通取調候所相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十弐日
              右村氏子惣代
                内田太一郎
                鞠子萬右衛門
              戸長
                藤野文八


埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字宮田
               村社
                手白神社
 一祭神 手白香姫(たしらかひめ)命
 一由緒 天治元年(1124)九月十五日創立
 一社殿 間口壱間四尺 奥行壱間四尺
 一境内(けいだい)反別 百六拾四坪 官有地第一種
   境内(けいだい)祭神 壱社
    祭神 倉稲魂命
    社殿 間口三尺五寸 奥行三尺五寸
 一氏子 拾壱戸
 一管轄廰迄距離 拾四里
右之通取調候所相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十二日
              右氏子惣代
                嶋田藤右衛門
                小林磯五郎
              戸長
                藤野文八


埼玉縣武藏國比企郡吉田村字西ノ谷
              村社
               五龍神社
 一祭神 高霊神(たかおかみのかみ)命
 一由緒 建長七年(1255)九月十五日創立
 一社殿 間口五尺 奥行六尺
 一境内(けいだい)反別 六拾四坪 官有地第一種
 一氏子 八戸
 一管轄廰迄距離 拾四里
右之通リ取調候処相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十二日
               氏子惣代
                 好田佐吉 
                 小林初太郎
               戸長
                 藤野文八


埼玉縣管下武藏国比企郡吉田村字宮田
               村持
                嚴嶋神社
 一祭神 弁戈天命
 一由緒 永久弐年(1114)四月創立
 一神殿ハ石 間口壱尺弐寸 奥行壱尺
 一境内(けいだい) 八坪 官有地第一種
 一信徒 拾壱戸
 一管轄廰迄距離 拾四里
右之通取調候所相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十弐日
               右信徒惣代
                 嶋田藤右衛門
                 小林磯五郎 
               戸長
                 藤野文八


埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字長竹四百卅番
                   村持
                    稲荷神社
 一祭神 倉稲魂命
 一由緒 天正三年(1575)四月創立
 一神殿ハ石 間口壱尺 奥行壱尺弐寸
 一境内(けいだい) 弐坪 官有地第一種
 一信徒 八戸
 一管轄廰迄距離 拾四里
右取調候所相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十弐日
                右信徒惣代
                  荒井新兵衛 
                  荒井太右衛門
                  小林常吉
                戸長
                  藤野文八


埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字清水
          村社
            白山神社
 一祭神 大山祗命
 一由緒 天明弐年(1782)九月ノ創立
 一神殿石 間口弐尺 奥行壱尺
  字清水弐千百四十□番
   一林反別三畝廿壱歩  民有地第壱種
     地價金 三拾七銭    山越新造受
     地租(ちそ)金 九厘
       内 民有地第壱種
      境内(けいだい)拾歩 山越新造受
 一信徒 六戸
 一管轄廰迄距離 拾四里
右取調候所相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十弐日
                 信徒惣代
                   山越新造
                   山越長兵衛
                   山越富八
                 戸長
                   藤野文八


埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字中谷
               村持
                観音堂
 一本尊 拾壱面正観音
 一由緒 寛永十一年(1634)三角坊ノ開基(かいき)創立タリ
 一本堂 間口弐間三尺 奥行三間
 一観音堂境内(けいだい)敷 此坪数八拾壱坪 官有地第一種
 一信徒 四拾戸
 一管轄廰迄距離 拾四里
右之通取調候所相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十弐日
                  信徒惣代
                    藤野政次郎
                    馬場久左衛門
                  戸長
                    藤野文八


埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字三反田
                村持
                 釋迦堂
 一本尊 釈迦牟尼佛
 一由緒 天明元年(1781)荒井甚平之創立ニシテ後宗心寺ヘ寄附
 一本堂 間口三間 奥行三間壱尺
 一境内(けいだい) 此坪数百拾壱坪 民有地第弐種
     此地價金三拾弐銭 宗心寺
 一信徒 四拾戸
 一管轄廰迄距離 拾四里
右之通リ取調候所相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十弐日
                信徒惣代
                  鞠子萬右衛門
                  内田太一郎
                戸長
                  藤野文八


埼玉縣管下武藏國比企郡吉田村字前
              村持
               阿彌陀堂
 一本尊 阿弥陀如来
 一由緒 寛永二年(1625)九月十五日ノ創立
 一本堂 間口弐間三尺 奥行四間
 一阿弥陀堂敷 此坪数百九拾弐坪 官有地第四種
 一信徒 四拾戸
 一管轄廰迄距離 拾四里
右之通リ取調候所相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十弐日
                信徒惣代
                  鞠子萬右衛門
                  内田太一郎
                戸長
                  藤野文八


埼玉縣武藏國比企郡吉田村字馬場
      同郡中尾村慶徳(けいとく)寺末
              曹洞宗通幻派 宗心寺
【通幻は曹洞宗の僧侶。越前武生に元享二年(1322)生まれ。明徳二年(1391)越前武生龍泉寺で没。総持寺五世(妙高庵開基(かいき))、兵庫県永澤寺・石川県聖興寺(廃寺)、千葉・滋賀県総寧寺開宗心寺開山(かいさん)。禅師亡き後は「通幻十哲」と呼ばれる弟子たちが全国に曹洞宗の教えを広め、爆発的に各地に寺院を開いて檀信徒を獲得。現在、全国一万五千の曹洞宗寺院のうち、九千ヶ寺が通幻禅師の流れを汲んでおり、「通幻派」として一大勢力を形勢。龍泉寺はその通幻派の本山として、丹波の永澤寺とともに、宗門に重き立場をなす。】
 一本尊 釈迦牟尼佛
 一由緒 慶長五年庚子(1600)開山(かいさん)ハ雲哲和尚開基(かいき)折井市左衛門源次忠ノ創立
 一本堂 間口八間三尺 奥行六間三尺
   外ニ間口貳間 奥行壱間四尺 玄關上【?】
 一境内(けいだい)此坪數 千六百六拾五坪 民有地弐種
   此地價金 百拾六円八拾銭 宗心寺受
 一境内(けいだい)建物
  白山妙理権現堂 間口三尺 奥行三尺
  由緒 慶長五庚子年(1600)雲哲和尚ノ創立
 一鐘樓(しょうろう)  壱宇 壱間四面
 一庫裏(くり)  間口 九間三尺 奥行 三間三尺
 一土蔵(どぞう)  間口 弐間 奥行 三間
 一衆寮(しゅりょう)  間口 五間三尺 奥行 弐間
 一隠寮(いんりょう)  間口 五間 奥行 三間
 一木小屋 間口 四間 奥行 弐間
 一境外(けいがい)所有地 民有地第一種
 字寺前 百三十弐番
  一田 壱畝壱歩  此地價金 八円弐十一銭六厘
 字宮田 九百四十一番
  一宅地 四畝拾弐歩 此地價金 拾円六拾五銭
 字八反田 弐百弐番
  一田 壱反弐畝廿三歩 此地價金 七拾円三拾壱銭九厘
 字亀井作 弐千百弐
  一田 弐反弐畝九歩 地價金 八拾四円四十五銭六厘
 字前 八百九十八番
  一畑 壱反九歩 地價金 拾弐円六十銭七厘
 字馬場 千五十番
  一畑 四畝十九歩 此地價金 六円拾九銭七厘
 字仝所 千五十一番
  一畑 弐畝拾五歩 地價金 弐円七拾六銭九厘
 字馬場 千五十弐番
  一畑 壱反三畝拾九歩 地價金 拾九円八十一銭四厘
 字仝所 千五十六番
  一畑 弐反八畝拾九歩 地價金 三拾八円三拾弐銭七厘
 字仝所 千五十四番
  一畑 三畝三歩 地價金 三円四十四銭三厘
 字仝所 千五十七番
  一畑 四畝九歩 地價金 六円七十四銭七厘
 字馬場 千五十九番
  一畑 四畝廿七歩 地價金 七円六十八銭一厘
 仝所 千六十壱番
  一畑 九畝拾三歩 地價金 四円九十弐銭七厘
 字宮田 九百四十七番
  一林 六反九畝廿八歩 地價金 拾円四拾九銭
 仝所 九百六十七番
  一林 壱反壱畝拾八歩 地價金 壱円七十四銭
 字馬場 千弐十番
  一林 六畝七歩 地價金 九十三銭五厘
 字仝所 千五十三番
  一林 九反三畝八歩 地價金 拾三円九拾九銭
 字仝所 千六十九番
  一林 壱町壱反九畝十九歩 地價金 拾七円九十四銭五厘
 字小在地 千弐百五十七番
  一林 弐十一歩 地價金 拾銭五厘
 字鶴巻 千九百十弐番
  一林 壱反壱畝壱歩 此地價金 壱円六拾五銭五厘
 字山下 千九百五十一番
  一林 九百五畝十三歩 此地價金 拾四円三十一銭
 字天神臺 弐千十六番
  一林 壱反九畝廿九歩 此地價金 弐円九拾九銭五厘
 一檀徒人員五百五十四人
 一管轄廰迄距離拾四里
右取調候所相違無御座候也
  明治十六年(1883)七月十弐日
                 檀徒惣代
                   嶋田新太郎 
                   嶋田藤右衛門
                 戸長
                   藤野文八

 字明賀 第弐百七拾番
  一田 五反廿壱歩 地價金貳百六拾壱円八拾壱銭四厘
    明治十八年(1885)六月十八日 小林政右衛門ヨリ買受済

七郷村誌原稿 吉田村(地籍帳) ルビ・注

    地籍編纂帳
        比企郡吉田村
           戸長(こちょう)役場

 官有地
  第一種
   一神地 反別壱反六畝拾歩
     内
    村社 此反別壱反六畝歩  四ヶ所
    社地 此反別拾歩     二ヶ所
  第二種 ナシ
  第三種
   一用材林 反別貳反三畝廿八歩
   一原野 反別拾壱町壱反八畝拾六歩
      内
     芝地 反別三反八畝壱歩
     秣場(まぐさば)【肥料、飼料用の草を刈り取る場所。村々の入会や一村持ちのものが多い】 反別拾町八反拾五歩
   一滑川 反別九反九畝拾五歩
   一池 反別九歩
   一溜池 反別七町弐畝弐拾五歩
   一溝渠(こうきょ)【みぞ】 反別九反九畝六歩
      内
    一溜池用水路 反別九反九畝六歩
      但 長五千九百五十弐間巾平均三尺
    一堤塘(ていとう)  壱町壱反貳畝廿六歩
       内
      滑川堤敷反別四反九畝廿歩
       但 長千四百□□□巾平均壱間
         土手所反別六反三畝六歩
    一道路 反別七町八反弐畝弐歩
       内
      村道 反別壱町五反五畝弐十弐歩
        内
       反別弐歩 掲示場敷
      耕作道 反別六町弐反六畝拾歩
    一堂宇敷 反別九畝弐歩


 民有地
  第一種
   一田 反別六拾弐町五反九畝廿四歩
       外ニ反別弐町五反廿九歩 畦畔敷
   一畑 反別三拾四町九反壱畝拾五歩
       外ニ反別壱町四反弐十歩 堀敷
   一比企郡吉田村宅地 反別八町五反弐畝廿三歩
   一林 反別百三拾五町壱反拾弐歩
      内
     薪炭(しんたん)材林 反別百三拾五町八畝拾七歩
     竹林 反別壱畝廿五歩
   一芝地 反別三反拾四歩
   一萱野 反別壱反五畝廿四歩
  第二種
   一溜池 反別弐畝拾弐歩
   一墓地 反別八反拾歩
   一斃馬捨場 反別壱反四畝九歩

合計 反別弐百七拾六町壱反三畝廿六歩
  此譯
 官有地
  此反別弐拾九町六反四畝拾四歩
 民有地
  此反別弐百四拾六町四反九畝拾弐歩

右ハ地籍編纂之儀本年本縣之第六号ヲ以テ御達之趣ニ依リ私共立會取調候所書面之通リ相違無之候也
  明治十五年十二月
   比企郡吉田村
            小前惣代
              島田新太郎
            仝
              小林儀五郎
            戸長
              鞠子萬右衛門
 埼玉縣令吉田清英殿

七郷村誌原稿 吉田村(村誌) ルビ・注

   武藏國比企郡吉田村誌 仝 【埼玉県比企郡嵐山町吉田】

凡例
一熊谷縣廰(けんちょう)ヲ載セテ埼玉縣廰(けんちょう)ヲ載セサル者ハ當時該縣ノ所轄ナレハナリ
一全村ノ面積未タ實測ヲ経サレヲ以テ暫ク之□□□如キモ□□實測ヲ経サレハ少差ナキ□□□□□村□記載ニ随フ
一原野牧場等該村ニナキ者ハ総テ科目ヲ掲ケス
一田畑其他反別ハ明治九年改正以前ノモノヲ記ス各村録申ニ據ル
一戸數人口學校生徒及舟車牛馬等ハ総テ明治九年(1876)一月一日ノ調査ニ據ル 仝上
一森林社□□□係ル者ハ該村元標 元標ナキ
 □□□家輻湊□□□リス[   ]リ之ヲ定ム
一管轄□□等新編武藏風土記大成武鑑藩翰譜武藏田園簿(むさしでんえんぼ)【正保期(1644〜1648)の武蔵国郷帳の控。各郡村高及び寄せ高、道のり等が書かれている】等ニ據リ校正シ猶疑ハシキ時ハ風土記或風田園簿或田ノ字ヲ冠シテ嵌(かん)注シ異同ヲ示ス
一字地ハ新編武藏風土記ニ載スル小名ノ如キ古称ヲ採ルト雖モ其古称ヲ失セシモノハ地租(ちそ)正後ノ称ヲ以テ之ヲ補フ

比企郡吉田村
 本村古時伊古郷水房庄松山領ニ属ス

彊域(きょういき)
 東ハ滑川【『新編武蔵風土記稿』比企郡総説に「水源は吉田・古里の二村の悪水流れ、古里村にて一条となり。三里ばかり流れて、松山町の北にて市ノ川に入。すべて砂利川なり」とある】ヲ隔テヽ和泉廣野両村ト相對シ西ハ越畑村南ハ勝田村ト山巒(らん)或ハ樵径(しょうけい)【小径】ヲ限リ北ハ土塩村【塩村の誤り】古里村男衾郡西古里村ト小径及ヒ耕地ヲ接ス

幅員
 東西拾九町廿間南北ニ拾三町廿間

管轄沿革
 天正十八年庚寅(かのえとら)(1590)徳川氏ノ有ニ帰シ後村高ヲ割(さ)キ旗下士折井市左衛門【寛永十年〜折井市左衛門次忠】山本四兵衛【寛永十年〜山本四兵衛正吉】曽我又左衛門【寛永十年〜蘇我又左衛門古祐】松下清九郎【寛永十年〜松下清九郎重氏】ノ采地(さいち)【領地・知行所】トス
 風土記○【?】高三百六十三石五斗八升折井左京二百石山本四郎兵衛十九石曽我又左衛門八十石六斗六升九合松下清九郎知行トノス
 曽我氏ノ采地ハ其後菅沼氏ニ替リ四氏世襲ス明治元年戊辰(つちのえたつ)(1868)折井氏四百石山本氏二百石松下氏八十石六斗六升九合菅沼氏十九石八升二合明治元年戊辰(つちのえたつ)武藏知県事ノ管轄トナリ二年己巳(つちのとみ)(1869)二月品川縣ニ隷(れい)シ【属し】八月韮山(にらやま)縣ニ轉シ四年辛未(かのとひつじ)(1871)十一月入間縣ニ属シ六年癸酉(みずのととり)(1873)熊谷縣ノ所轄トナル

里程(りてい)
 熊谷縣廰(けんちょう)ヨリ西方三里八町字前谷(まえやつ)ヲ元標トス
 四隣和泉(いずみ)村ヘ弐拾町勝田村ヘ十六町越畑村ヘ十五町古里村ヘ十五町土塩村【塩村の誤り】ヘ十五町小江川村(おえがわむら)ヘ三十町
 近傍(きんぼう)宿町松山町ヘ三里中山道熊谷驛ヘ三里八町

地勢
 山巒山巒(さんらん)連亘(れんこう)【長くつながり続くこと】起伏シ東ニ市ノ川【滑川の誤り】ヲ帯(お)ビ東北ニ少シク平地アルノミ運輸不便薪ハ餘アレトモ炭ハ乏シ

地味(ちみ)
 色赤或黄埴ヲ交ユ稲梁(とうりょう)ニ適シ麦桑ニ應ゼズ水利不便時々旱(ひでり)ニ若シム

税地
 田 四拾五町四反弐十四歩
 畑 四拾町四反九畝六歩
 宅地 壱町六反弐畝弐十九歩
 大縄場(おおなわば)【新たに開墾した土地の四囲を測量・検地し、およその面積を求めたもの】 弐十四町九反六畝四歩
 総計 百十弐町四反九畝三歩

字地
 長竹(ながたけ) 村ノ西隅ニアリ東西七町南北八町三十間
 沼下(ぬました) 長竹ノ東ニ連ル東西五町弐十間南北九町弐十間
 前谷(まえやつ) 沼下ノ東南ニ連ル東西九町三十間南北十六町弐十間
 下(しも)  前谷ノ東ニ連ル東西三町四十間南北十町三十間
 上(かみ)  下ノ西北ニ連ル東西八町五十五間南北六町三十間

貢租(こうそ)
 地租(ちそ) 金千三十七円八十一銭三厘
 賦金(ふきん)【わりあての金銭。県税】 金拾円四拾九銭六厘
 総計 金千四十八円三十銭九厘

戸數
 本籍 八拾四戸平民 社四戸 寺一戸曹洞宗
    総計八十九戸

人數
 男弐百六拾四口 女弐百三拾九口 総計五百三口

牛馬
 牡(おす)馬四拾貳頭

船車
 荷車一輛小車

山川
 滑川 深処一丈浅処三尺廣処五間狭処二間緩流濁水村ノ北方土塩村【塩村の誤り】ヨリ来リ東南端勝田村ニ入ル其間十一町五十間

湖沼
 三反田沼(さんたんだぬま) 東西五十間南北百弐拾間周回百七十間村ノ西方ニアリ
 五反田沼(ごたんだぬま) 東西百八十間南北三十間周回弐百十間村ノ西方【南方か?】ニアリ
 新沼(しんぬま)   東西百弐十間南北四拾貳間周回百六十貳間村ノ南方【西方か?】ニアリ

道路
 寄居道 村ノ東北【?】勝田村界ヨリ西方古里村界ニ至ル長三拾四町三間幅八尺
 □道  村ノ東方和泉(いずみ)村界ヨリ西方越畑村界ニ至ル長十三町廿五間巾三尺


 峰(みね)社  村社々地東西拾三間五尺南北拾三間五尺面積百弐拾五坪村ノ北方ニアリ祭神不詳祭日陰暦十月十五日
 六所(ろくしょ)社 村社々地東西十三間五尺南北十三間五尺面積百二十九坪村ノ南方ニアリ大山祇命ヲ祭ル祭日十月十五日
 手白(てじろ)社 村社々地東西十弐間三尺南北十六間一尺面積百五十弐坪村ノ中央ニアリ手白香姫命ヲ祭ル祭日十月十五日
 五龍(ごりゅう)社 村社々地東西九間南北十間面積七十四坪村ノ乾ノ方ニ在リ高□命ヲ祭ル祭日十月十五日


 宗心(そうしん)寺 東西三十一間南北五十一間面積千六百六十五坪村ノ中央民有地ニアリ曹洞宗中尾村慶徳(けいとく)寺ノ末派ナリ文禄三年(1594)元地頭折井市左衛門次忠開基(かいき)僧雲哲ヲ開山(かいさん)トス

事務所
 村ノ北方戸長(こちょう)宅舎ヲ假用ス

物産
 繭 拾石  楮 三百四十貫目  生絹(きぎぬ) 百六十疋(ひき)【布帛二反が一疋】
 薪 五百駄

民業
 男ハ農業ヲ専トシ女ハ農桑(のうそう)紡織ヲ専トス

  明治十五年(1882)七月編輯
           埼玉縣八等屬 三輪 正

右ハ当村由緒明治十五年(1882)ニ至リ密細捜索之上我等盡力編製之上縣令エ進達ノ後御下附候也
        比企郡吉田村
          筆生(ひつせい)【書記】
               藤野佐十郎∪
          仝
               藤野光五郎
          仝
               藤野喜一郎∪
               島田藤右衛門
          戸長
                鞠子萬右衛

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