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秩父郡東秩父村地域

空から見た東秩父村 1 大霧山 2009年7月

大霧山(おおぎりやま) 766.6メートル
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2009年7月19日 内田泰永さん提供

武蔵比企郡の諸算者32 秩父郡大河原村安戸 豊田喜太郎 三上義夫 1941年

 三十二、豊田喜太郎は秩父郡大河原村【現・東秩父村】安戸の人で、松本寅右衛門の門人であった。秩父郡ではあるけれども、小川町から大河村を経て隣接し、地理的には比企郡への関係が多い土地である。松本の居村竹沢村木呂子へは山越しに隣って居る。安戸から十町餘の同村御堂の淨蓮寺に、豊田の算額がある。

   關流松本寅右衛門門人
          豊田喜太郎
   明治三十四年(1901)一月吉辰

とありて、三問題を記るす。墓に

得應量仙信士、明治三十七年(1904)九月十九日死、俗名豊田喜太郎、享年六十三

と刻する。屋号を小松屋と称し、当主英輔氏は曾孫であるが、算木はあったが今は無く、十露盤をしたと云ふ話しも餘り出ないし、誰から習ったかも家には伝えがない。弟子には宮崎大九、宮崎與十郎などあったと云ふ丈けが記憶に残る。
 宮崎大九氏は医師にして娯山堂医院主であり、他の門人松澤義海了匚三郎氏は昭和十年(1935)に同村々長であった。私は両人の談話を聞く。
 地租改正の時には十露盤が必要であった。義海村長の時に喜太郎は役場へ出て居った。喜太郎の弟子は百人もあったろう。宮崎氏は一の弟子であった。十露盤の秘法を授けると言われて居た。十露盤は嫌いだけれども、一生懸命に海┐童發譴拭I算では真の法ではない。宜しくない。自分の方から頼んで、覚えて置いて貰わなければならぬと言って弟子に引入れられたのである。先づ天元の一を定めると言った。其訳はと聞くと、師匠から教わった通りにするのだと答える。何だか知らないが、本があった。四五寸厚さのものであった。それを寄こす訳であったが、貰わなかった。喜太郎は十露盤で倉の錠をあけたとか、乗馬の人をはぢき落したとか云ふ話しがあった。十露盤は甚だ達者であった。とても調宝がられて居た。地租改正の時には、宮崎氏父元育が安戸の戸長であり、自宅を役場にして居たが、喜太郎は筆生で来て居た。其時の測量などは喜太郎がやった。地図なども作る。宮崎氏は十代も医者をした家柄であり、祖父通泰は長崎に遊学して、和蘭語の辞典をも作って居る。其碑文も写してあるが、今は関係がないから省いて置く。元育は医者で戸長をするのは出来ないが、喜太郎が居るから、戸長も勤まったのである。
     『埼玉史談』12巻3号(1941年1月)22頁〜23頁 目次

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