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堂庵明細帳

堂庵明細帳 越畑・薬師堂 七郷村(現・嵐山町) ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡越畑村(おっぱたむら)字大堂
 同縣同国同郡同村曹洞宗宝薬寺(ほうやくじ)持
  曹洞宗通幻派(そうとうしゅうつうげんは)*1
  *1:曹洞宗は鎌倉時代に道元によって開かれた仏教の宗派。通幻派は南北朝時代に活躍した通幻禅師の流れを汲んだ人びと。通幻禅師は主に越前・能登・丹波で活躍し、通幻派は曹洞宗のなかで大きな勢力になり、通幻の建てた福井県の龍泉寺は通幻派の本山になっている。

 ○薬師堂(やくしどう)
一 本尊(ほんぞん) 薬師如来(やくしにょらい)
一 由緒(ゆいしょ)  當本尊ハ行基(ぎょうき)*1ノ作ニシテ人皇(にんのう)*2四十七代*3聖武帝(しょうむてい)ノ御宇(おんう)*4帝護國家(みかどこっかをまもり)村内安全(そんないあんぜん)ノ為メ創(はじ)メテ村ノ西北ニ方(あた)リテ一宇(う)*5ヲ建立ス。故ニ今其所ヲ堂ノ入リト称シ其後天平八年(てんぴょう)(736)今ノ大堂ニ移し、軍民挙テ恭敬(きょうけい)ヲ尽(つく)スニ霊験(れいけん)一時ニ著(いちじる)シク今ニ至テ絶ヘズト。此説審(つまびら)カナラズト雖(い)ヘトモ数十年耒人口ニ膾炙(かいしゃ)*6スル所ヲ記スノミ。
  *1:奈良時代の名僧。布教しながら諸国を回り、道路、橋、用水施設を建設した。
  *2:にんのう。じんこう。建国神話で神代(じんだい)の天神七代、地神五代に対して、神武天皇以後の天皇をいう。
  *3:皇統では四十五代が正しい。
  *4:時代。
  *5:建物などを数えるのに使う助数詞。
  *6:知れ渡る。

   昭和十七年(1942)三月三十一日比企郡七郷村大字越畑曹洞宗寶薬寺(ほうやくじ)ヘ所属認可

一 本堂 間口五間
     奥行六間

一 境内 百七十七坪 官有地第四種(一三七坪トアリ)

一 信徒 八拾八人

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾四里
                   以上

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2003年5月22日 小川京一郎さん撮影

堂庵明細帳 観音堂 菅谷村(現・嵐山町)志賀 ルビ・注

埼玉縣管下武蔵國比企郡志賀村(しかむら)字久保前(くぼまえ)
 同縣同國同郡同村宝城寺(ほうじょうじ)持
  天台宗比叡山派(ひえいざんは)*1
   観音堂(かんのんどう)
   *1:比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の派。

一 本尊 正観音(しょうかんのん)*1
   *1:六観音の一つで聖観音とも書く。本来の姿の観音のことで、変化(へんげ)の観音と区別して聖の字を冠する。

一 由緒(ゆいしょ) 不詳(ふしょう)

一 本堂 間口弐間三尺 奥行三間

一 境内 三百二拾五坪 民有地第一種村持

一 信徒 九拾五人

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾壱里拾三町
                      以上

昭和十六年四月二十一日同村宝城寺へ所属ノ件認可ス

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2003年5月22日 小川京一郎さん撮影

堂庵明細帳 不動堂 菅谷村(現・嵐山町)平沢 ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡平沢村字入
 同縣同国同郡同村平沢寺持
 曹洞宗三門派(ママ)(そうとうしゅうさんもんは)*1
不動堂
  *1:曹洞宗には三門派はない。天台宗の山門派の間違いではないか。1940年の宗教法人法の規定で仏堂は寺院に属することになり、その関係で不動堂が天台宗の平沢寺に属するようになったため、天台宗の山門派が誤記されたのではないか。

一 本尊 不動尊(ふどうそん)

一 由緒(ゆいしょ) 人皇(にんのう)四十一代持統(じとう)天皇十八年*1二月建立。降テ宝永七年(ほうえい)(1710)二月再建
  *1:持統天皇は690年に即位し、在位7年。十八年では年数が合わない。

一 本堂   間口三間三尺
       奥行四間

一 境内   百七拾坪 官有地第四種

一 信徒*1  四拾六人
  *1:信者。

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾壱里九町貮間四尺
                         以上
 昭和十七年(1942)三月三十一日比企郡菅谷村大字平沢天台宗平澤寺(へいたくじ)へ所属ノ件認可。

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2003年5月22日 小川京一郎さん撮影

堂庵明細帳 観音堂 根岸村(現・嵐山町) ルビ・注

埼玉縣管下武蔵國比企郡根岸村字道上
 同縣同國同郡大蔵村安養寺持
  天台宗比叡山派(ひえいざんは)
  ○観音堂(かんのんどう)
一 本尊   正如意輪観世音(しょうにょいりんかんぜおん)
一 由緒   不詳
一 本堂   間口弐間三尺
       奥行三間三尺
一 境内   百弐拾坪   民有地第一種安養寺名受
一 信徒   四拾人
一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾壱里
                   以上
昭和十七年三月三十一日比企郡菅谷村大字大蔵天台宗安養寺ヘ所属ノ件認可。

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2003年5月14日 小川京一郎さん撮影

堂庵明細帳 阿弥陀堂 七郷村(現・嵐山町)吉田 ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡吉田村(よしだむら)字前(まえ)
 村持
  真言宗*1新義派(しんごんしゅうしんぎは)*2
   阿彌陀堂(あみだどう)
   *1:空海(くうかい)(弘法大師)(こうぼうだいし)(774-835)を開祖とする日本仏教の一宗派。
   *2:新義真言宗。真言宗の一派。紀州・根来寺(ねごろじ)を開いた覚鑁(かくばん)(1095-1143)を派祖とする。その後、大和・長谷寺(はせでら)を総本山とする豊山派(ぶざんは)、東山・智積院(ちしゃくいん)を総本山とする智山派(ちざんは)とに分かれる。

一 本尊(ほんぞん) 阿彌陀如来(あみだにょらい)

一 由緒(ゆいしょ) 寛永二年(かんえい)(1625)九月十五日創立

一 本堂 間口二間三尺 奥行四間

一 境内 百九拾貮坪 官有地第四種

一 信徒 四拾人

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾四里

               以上

昭和十七年(1942)二月十七日比企郡七郷村大字吉田曹洞宗(そうとうしゅう)宗心寺(そうしんじ)所属ノ件認可ス

※宗心寺→「寺院明細帳 曹洞宗 宗心寺 七郷村(現・嵐山町) ルビ・注

堂庵明細帳 蔵身庵 七郷村(現・嵐山町)杉山 ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡杉山村(すぎやまむら)字豊岡(とよおか)
 同縣同国同郡大谷村宗悟寺(そうごじ)*1持
  曹洞宗(そうとうしゅう)*2通幻派*3
   蔵身庵(ぞうしんあん)
   *1:現・東松山市大谷にある扇谷山宗悟寺。1592年(天正20)大谷村の領主となった旗本森川金右衛門氏俊が、大谷村比丘尼山にあった寿昌寺を現在地に移して再興し、寺名を改めて同氏菩提所とした。
   *2:鎌倉時代に道元によって開かれた仏教の宗派。福井県の永平寺と横浜市鶴見の総持寺が大本山。
   *3:南北朝時代曹洞宗の名僧通幻寂霊を慕った門弟が全国にその教えを広めたので、その法系を通幻派という。

一 本尊(ほんぞん) 地蔵尊(じぞうそん)

一 由緒(ゆいしょ) 不詳(ふしょう)
   昭和十七年(1942)一月十四日比企郡大岡村大谷曹洞宗宗悟寺(そうごじ)ヘ所属ノ件認可ス

一 本堂(ほんどう) 間口(まぐち)六間三尺 奥行(おくゆき)五間

一 境内(けいだい) 貮百五拾壱坪(にひゃくごじゅういちつぼ) 民有地第一種
   蔵身庵名受(なうけ)

一 境外(けいがい)所有地
田反別(たたんべつ) 五畝拾四歩(ごせじゅうよんぶ) 杉山村字中窪(なかくぼ)
 地價(ちか) 金貮拾四円四拾六銭五厘(りん)
田反別 壱畝三歩 杉山村字同所
 地價 金四円五拾四銭四厘
畑反別(はたけたんべつ) 七畝六歩 同村字関口
 地價 金七円拾六銭
林反別(はやしたんべつ) 貮反三畝三歩 同村字豊岡
 地價 金三円四拾六銭五厘

一 信徒(しんと) 拾壱人(じゅういちにん)

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾貮里(じゅうにり)廿五町(にじゅうごちょう)

堂庵明細帳 地蔵堂 七郷村(現・嵐山町)広野 ルビ・注

埼玉縣管下武蔵國比企郡廣野村(ひろのむら)字寺前(てらまえ)
 村持(むらもち)
  曹洞宗(そうとうしゅう)山門派(さんもんは)*1 地蔵堂(じぞうどう)
   *1:比叡山を本山とする天台宗の一派に山門派はあるが、曹洞宗にはない。

一 本尊(ほんぞん) 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

一 由緒(ゆいしょ) 天明五年(てんめい)(1785)六月廣正寺十代梵光和尚(ぼんこうおしょう)安置ス

一 本堂 間口(まぐち)二間(にけん) 奥行(おくゆき)三間三尺

一 境内(けいだい) 廿三坪(つぼ) 

   民有地(みんゆうち)第一種 広正寺名受(なうけ)

一 信徒(しんと) 四百六十人

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾貮里(じゅうにり)

※広正寺→「寺院明細帳 曹洞宗 広正寺 七郷村(現・嵐山町)広野 ルビ・注

仏堂千日堂東昌寺所属認可申請書 1940年11月

     仏堂寺院所属認可申請書
      埼玉県比企郡菅谷村大字菅谷
       仏堂 千日堂
右仏堂左記ノ通リ寺院ニ所属致度ニ付御認可相成度関係書類添付此段及申請候也
 昭和十五年 月 日 仏堂受持僧侶
     比企郡菅谷村大字菅谷東昌寺住職
                     中島信龍 印
 埼玉県知事土岐銀次郎殿

     記
一、名称 千日堂
二、所在地 比企郡菅谷村大字菅谷字東側百五拾四番
三、本尊ノ称号 千手観世音
四、由緒沿革
 宝永三年(1706)先ノ知行岡部藤十郎元貞廃寺跡ヲ多田兵馬重勝ニ賜リ即チ一宇ヲ建立千手観音ヲ安置シ多田堂ト名ケ永ク子孫ノ墳墓ノ地トス。享保八年(1723)松山宿吉田七兵衛比企郡内ノ観音ヲ順拝札所ヲ開基シテ之レヲ比企弐拾六番ノ札所トナス。寛政九年(1797)重勝ノ嗣子一角英貞ノ建テタル由来ノ碑文モ境内ニ現存シアリ。明治七年(1874)五月時ノ判官ニ依リ千日堂ト改称シ来レリ
五、教義儀式及行事ニ関スル事項
 教義ハ曹洞宗ノ教義ヲ布演。儀式ハ曹洞宗ノ儀式ニ依遵(いじゅん)シ毎年九月二十日祭典ノ行事ヲ行フ
六、管理維持ノ方法
 東昌寺住職管理ノ責ニ任シ維持費ハ仏堂所有財産ノ内ヨリ毎年度ノ予算ニ計上シ充当ス*1
   *1:1919年(大正8)10月、千日堂所有の土地(畑5反4畝20歩)を菅谷小学校敷地として代金824円で売渡し、それで債券を購入して利子を受け取っていた。

七、属スヘキ寺院ノ名称及所在地
 比企郡菅谷村大字菅谷九番地東昌寺
八、属スヘキ寺院所属宗派ノ名称
 曹洞宗
九、属スヘキ寺院ノ選定理由
 大正八年(1919)ヨリ東昌寺受持トシテ事実上ノ管理ヲ受ケ来リタルニ由ル


   同意書
    埼玉県比企郡菅谷村大字菅谷
    仏堂 千日堂
右仏堂ヲ当寺ニ所属スル事ニ同意候也
 昭和十五年 月 日
   埼玉県比企郡菅谷村大字菅谷九番地
    曹洞宗東昌寺住職 中島信龍 印
   同所 九拾貳番地
    右寺檀徒総代 関根清一 印
   同所 八拾八番地
    同      関根子之助 印
   同所 四百拾六番地
    同      関根正作 印
   同所 大字志賀百番地
    同      水野眞平 印


   承認書
    埼玉県比企郡菅谷村
     曹洞宗 東昌寺
 一、仏堂千日堂ヲ東昌寺ヘ所属セシムルノ件
前記ノ件ニ関シ所轄官庁ニ認可申請スルコトヲ承認ス
 昭和十五年九月十九日
  曹洞宗管長代務者 高階瓏仙 印

※現在、嵐山町菅谷の東昌寺山門のそばにある「比企西国第二十六番札所多田堂」の由来のわかる資料である。
  →「比企西国札所26番 多田堂
  →「領主岡部家と陣屋の多田家

堂庵明細帳 不動堂 大蔵村(現・嵐山町) ルビ・注

埼玉縣管下武蔵國比企郡大蔵村字小谷
 同縣同國同郡同村安養寺持
  曹洞宗三門派(そうとうしゅうさんもんは)*1
  *1:曹洞宗には三門派はない。1940年の宗教法人法の規定で仏堂はいずれかの寺院に属することになったので、不動堂が安養寺に所属するようになったと思われる。その関係で、天台宗の山門派を誤記したものと思われる。
   不動堂
一 本尊 不動明王(ふどうみょうおう)
一 由緒 不詳
一 本堂 間口弐間
     奥行弐間三尺
一 境内 百弐拾坪 民有地第一種村持
一 信徒 三拾弐人
一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾弐里弐丁
   以上

堂庵明細帳 越畑・地蔵堂 七郷村(現・嵐山町) ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡越畑村(おつばたむら)字三反町
 同国同郡同村金泉寺(きんせんじ)持
  曹洞宗通幻派(そうとうしゅうつうげんは)*1
  *1:曹洞宗は鎌倉時代に道元によって開かれた仏教の宗派。通幻派は南北朝時代に活躍した通幻禅師の流れを汲んだ人びと。通幻禅師は主に越前・能登・丹波で活躍し、通幻派は曹洞宗のなかで大きな派になった。通幻の建てた福井県の龍泉寺は通幻派の本山になっている。

 ○地蔵堂(じぞうどう)
一 本尊 地蔵尊(じぞうそん)

一 由緒(ゆいしょ) 文明十四年(ぶんめい)(1482)八月建立

一 本堂 間口二間三尺
     奥行三間

一 境内 廿弐坪 官有地第四種

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 十四里
                   以上

堂庵明細帳 釈迦堂 吉田村(現・嵐山町) ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡吉田村字三反田
 村持
  真言宗(しんごんしゅう)*1
  *1:空海(くうかい)が唐(とう)に渡って密教(みっきょう)を学び、帰国して開いた宗派。

 釈迦堂(しゃかどう)
一 本尊 釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)

一 由緒(ゆいしょ) 天明元年(てんめい)(1781)荒井甚平(あらいじんべい)ノ創立ニシテ後宗心寺ニ寄附(きふ)

一 本堂 間口三間
     奥行三間一尺

一 境内 百拾壱坪 民有地第一種
           吉田村宗心寺名受

一 信徒(しんと) 四拾人

一 管轄廳(かんかつちょう)迄(まで) 拾四里
                    以上

堂庵明細帳 観音堂 吉田村(現・嵐山町) ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡吉田村字中谷
 村持
  天台宗比叡山派(ひえいざんは)
 ○観音堂(かんのんどう)

一 本尊 十一面観世音(じゅういちめんかんぜおん)

一 由緒(ゆいしょ) 寛永十一年(かんえい)(1634)三角坊開基ノ創立

一 本堂 間口二間
     奥行三間

一 境内 八拾壱坪 官有地第四種

一 信徒 四拾人

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾四里
                   以上
昭和十七年(1942)三月廿四日比企郡七郷村大字吉田曹洞宗(そうとうしゅう)宗心寺(そうしんじ)へ所属ノ件認可

堂庵明細帳 阿弥陀堂 吉田村(現・嵐山町) ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡吉田村字前
 村持
  真言宗新義派(しんごんしゅうしんぎは)*1
  *1:空海(くうかい)を開祖とする真言宗の一派。

 ○阿彌陀堂(あみだどう)
一 本尊(ほんぞん) 阿彌陀如来(あみだにょらい)

一 由緒(ゆいしょ) 寛永二年(かんえい)(1625)九月十五日創立

一 本堂 間口二間三尺
     奥行四間

一 境内 百九拾貮坪 官有地第四種

一 信徒 四拾人

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾四里
                   以上
昭和十七年(1942)二月十七日比企郡七郷村大字吉田曹洞宗(そうとうしゅう)宗心寺(そうしんじ)所属ノ件認可ス

堂庵明細帳 千日堂 菅谷村(現・嵐山町) ルビ・注

埼玉縣管下武蔵国比企郡菅谷村字西側
 同縣同国同郡遠山村(とおやまむら)遠山寺(えんざんじ)末東昌寺(とうしょうじ)持
 曹洞宗(そうとうしゅう)通幻派(つうげんは)*1
千日堂(せんにちどう)
  *1:曹洞宗は鎌倉時代に道元によって開かれた宗派。通幻派は南北朝時代に活躍した曹洞宗の名僧通幻寂霊の教えを弟子が受け継ぎ広めたが、その流れの人たちを通幻派という。

一 本尊 千手観音(せんじゅかんのん)*1
  *1:すべてのものを救うため千の手を備えている観音。

一 由緒(ゆいしょ) 長慶寺(ちょうけいじ)轉移(てんい)*1ノ后一堂ヲ建ツ、即チ千日堂*2ナリ、其后*3時ノ領主岡部ナルモノ*4多田一角(ただいっかく)*5ニ賜フ、因(よっ)テ多田山(たださん)ト号ス
 昭和十年(1935)十二月三日堂宇(どうう)類焼(るいしょう)*6
  *1:字西側の地から現東昌寺の地への移転。
  *2:最初は多田堂(ただどう)といった。領主岡部藤十郎から領地支配命じられていた多田平馬重勝(ただへいましげかつ)がこのお堂を建立し、岡部家の開祖岡部主水元清(もんどもときよ)の母で将軍秀忠の乳母(うば)岡部局(おかべのつぼね)の持仏であった千手観音を安置した。後に菅谷村の人たちが堂の世話をするようになってから千日堂と呼ぶようになった。
  *3:その後ではなく、長慶寺を廃寺にした岡部藤十郎がその跡地を多田平馬重勝に与え、重勝がそこに多田堂を建立したのである。
  *4:岡部主水から始まる岡部家の五代目岡部藤十郎。
  *5:多田一角ではなく父の多田平馬重勝が正しい。多田家は地元で「陣屋(じんや)」といわれるようになっていた。
  *6:菅谷の大火による。

一 本堂   間口 【調査中】
       奥行 【調査中】

一 境内   百八坪   民有地第一種
             多田亀三郎*1名受
  *1:多田家七代目。

一 境外所有地
   林反別(たんべつ) 三反九畝(せ)拾六歩(ぶ) 菅谷村字西側
    地價(ちか) 金五円九拾三銭 未定

一 信徒(しんと) 四拾七人
  *1:信者。

一 管轄廰迄(かんかつちょうまで) 拾里廿八町三拾七間二尺
                    以上

   畑 壹反五畝拾貮歩 大字菅谷東側一五五ノイ
     地價 拾五円六拾壹銭

 昭和十六年(1941)三月十四日同村東昌寺ヘ所属ノ件認可*1
  *1:1940年(昭和15)制定の宗教団体法で,独立の仏堂はいずれかの寺院に所属することになった。1920年(大正9)から東昌寺が管理していたので、以後正式に東昌寺に属することになった。千日堂については別稿「東昌寺観音堂物語」参照。

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