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獅子舞

上唐子の獅子舞奉納 7月22日(日) 更新

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上唐子氷川神社の夏祭り 2012年7月22日(日)
お昼過ぎから午後2時過ぎまで獅子舞奉納


上唐子の獅子舞
上唐子の獅子舞は江戸時代中期の正徳3年(1713年)に祭りが始められたと太鼓の内側に記されており、300年もの間、脈々と伝えられてきました。戦中戦後のしばらくの間、中断せざるを得なかったり、昭和61年、平成20年に奉納先の氷川神社が焼失するなど悲しい過去もありましたが、地域の方たちの並々ならぬ努力によりほぼ原形に近い形で行われています。
 現在は、7月24日に近い日曜日に唐子上一公会堂から「街道くだり」が出発し、氷川神社に向かいますが、かつては、その年の神社の総代の家から23日に浄空院、24日に氷川神社で奉納をしていました。
 上唐子の獅子舞の中でもっとも複雑できれいな曲は「昇(正)殿神楽」と言われています。この曲は街道くだりの途中と後庭の最後で演奏しますが、この曲が流れると「田んぼの上を風が渡ってくるように涼しさを感じる」と地区で語り継がれています。(東松山市公式Webサイト「東松山市の獅子舞」より)

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氷川神社沿革(境内の石碑より)
創立慶長年代(1596-1615)の棟札があったが年月不詳。後に1867年(慶応3)社殿を新設、鎮守として1873年(明治6)村社に定められる。
1986年6月22日、火災により社殿焼失。
1987年12月、氏子の総意により社殿を再建。
2008年8月2日、唐子地区で起きた一連の放火事件により、氷川神社の社殿、本殿を焼失する。
2009年11月30日、臨時氏子総会で直ちに再建を決め、氷川神社再建委員会を立ち上げ、完成する。
2009年12月12日、本殿遷座祭及び、社殿社殿竣功奉祝祭を行う。


   氷川神社の場所(東松山市公式Webサイトより)

野田の獅子舞奉納 2012年7月8日(日)

赤城神社の夏祭り終わってました。7月8日(日)午後5時からでした。
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東松山市公式WEBサイトにある開催日=7月14日、10月14日に近い日曜日」は、
正確には、「7月14日、10月14日に近い前の日曜日」なのでは?


野田の獅子舞
 市内で最も古くから行われている野田の獅子舞は寛永12年(1635)に始められたと言われています。8畳ほどの敷物の上で3匹の獅子が穏やかに舞うことから「座敷獅子」と呼ばれています。
 昭和40年(1965)に市指定文化財に指定された獅子舞道具の中に「獅子頭」と「太右エ門さんの笛」があります。桐を材料にした獅子頭は前面に縄文風の線刻を施して気品を表現し、吊り上った大きな目が獅子の力強さを表わしています。また、笛の名手と今でも語り継がれる「太右エ門さんの笛」は笛の師匠から4代に渡り引き継がれているもので他の笛と比べると響きが良く気持ちの良い音がでるそうです。
 この笛を受け継いだ故長谷部喜夫さんは、長い年月をかけ、笛の音を一音一音確かめながら○●の記号で表した楽譜「ささら獅子舞・笛の音曲」を昭和53年に作成しました。こうした努力により野田の獅子舞の笛の音は絶えることなく、吹き継がれてきました。(東松山市公式Webサイト「東松山市の獅子舞」より)


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再建記念碑
赤城神社は室町時代文亀二年(1502)二月此の里に祀らる今より
四百六十年前也御祭神は大國主命豊城入彦命彦狭島命と
素盞嗚尊菅原道真公を合祀す永正二乙丑年(1505)一月四日松山
城主上田正直公より里名野田と賜るに依って野田村鎮守
社と改め奉祀す本殿は当時の建造に倣て宝暦十一辛巳年(1761)
十二月に修復並びに外殿建立安政元年(1854)春雨乞い祈願の為
御池を掘り翌安政二年秋に大願成就の意を以って拝殿を建
て奉る外殿二百二年拝殿百八年の星霜を重ねて老朽す氏
子協議の結果外殿拝殿を再建す総工費壱百七十五万円な
り建碑して記念に録す
 昭和三十七年(1962)十月十月十四日 建主 総氏子中

今年の神戸の獅子舞奉納 7月21日(土)・22日(日)

神戸神社の夏祭り
 
2012年7月21日(土)・22日(日)
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午後2時から獅子舞奉納



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神戸の獅子舞
(東松山市指定文化財)
・奉納日:7月24日、25日(それぞれに近い土・日曜日)
・奉納場所:神戸神社(東松山市神戸875)
獅子舞は厄除(やくよ)け・豊作祈願の夏祭りに奉納されています。一日目が宵宮(よいみや)で二日目が本祭りになります。太鼓に『寛政三年(1791年)六月吉日・武州熊谷梅町・太鼓屋三左衛門』と墨書されていることから二百年ほど前から始められたと考えられます。古くは神戸家(旧善能寺・現存していない)で仕度を整え、神戸神社まで街道下りを行っていました。現在では社務所で仕度を整え、村内を回り街道下りを行います。神戸神社の境内に16俵の俵で土俵を作り、舞庭が作られ舞われますが、昔、日照りが続いた時は、「鞍掛渕(くらかけふち)にすり込む」と言って、都幾川の鞍掛渕の河原で獅子舞を舞ったこともありました(昭和26年が最後)。神戸の雨乞い獅子は近辺に有名で「神戸の獅子が雨乞いに出た」とのうわさが広がると、期待が高まったそうです。(東松山市庁舎1階の「東松山市の獅子舞」展示解説より引用)
   神戸神社の場所(東松山市公式Webサイトより)
   東松山市の獅子舞(東松山市公式Webサイトより)

鎌形八幡神社獅子舞の写真 年欠

鎌形八幡神社の獅子舞
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鎌形八幡神社社務所に掲げられている写真

多和目天神社の獅子舞・なんじゃもんじゃの木

坂戸市・多和目天神社
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多和目天神社の獅子舞
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坂戸市指定無形民俗文化財

なんじゃもんじゃの木
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カゴノキ(クスノキ科)

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古い写真 越畑の獅子舞 3 1971年7月

越畑の獅子舞

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1971年(昭和46)7月25日 嵐山町越畑八宮神社で撮影

古い写真 越畑の獅子舞 2 1971年7月

越畑の獅子舞

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1971年(昭和46)7月25日 嵐山町越畑八宮神社で撮影

古い写真 越畑の獅子舞 1 1971年7月

越畑の獅子舞

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1971年(昭和46)7月25日 嵐山町越畑八宮神社で撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 7 1963年

越畑・八宮神社の獅子舞
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1963年7月25日に撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 6 1963年

八宮神社に到着
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1963年7月25日八宮神社石段で撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 5 1963年

街道下り
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1963年7月25日 宝薬寺〜八宮神社で撮影

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1963年7月25日 八宮神社から撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 4 1963年

街道下り
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1963年7月25日 宝薬寺〜八宮神社で撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 3 1963年

街道下り
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1963年7月25日 宝薬寺〜八宮神社で撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 2 1963年

越畑・八宮神社の獅子舞
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1963年7月25日 宝薬寺薬師堂前で撮影

古い写真 越畑八宮神社の獅子舞 1 1963年

越畑・八宮神社の獅子舞
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1963年7月25日 宝薬寺薬師堂前で撮影

   村の文化財 越畑八宮神社の獅子舞 小林峰久
 七月二十五日、猛暑の昼下がり、越畑の八宮神社鎮守の森からは横笛の優雅な音色が流れ出る。
 昭和三十三年(1958)三月、埼玉県無形文化財の指定を受けた獅子舞いの奉納である。伝えによればおよそ数百年前、当地方に旱天が続き農作物は枯死、収穫は全く無く、数年におよぶ大飢饉が続いた。
 それに加えて疫病ははやり、住民の苦しみは一方ならぬものがあった。この時、村人相はかり、神仏の加護によらんと獅子頭を作り、伊勢の国山田の里(現三重県伊勢市)に行なはれる獅子舞を移して鎮守に奉納し、天災、疫病を払ったのがその始まりである。

 内容説明に氏子総代からの解説書をそのまま掲載すると、
○氏士は大頭(だいがしら)(白髪にして黒色)、雄獅子(栗毛髪にして茶褐色)、雌獅子(黒髪にして赤色)の三頭にて笛鼓に合せて舞う。舞楽荘重にして典雅。年々鎮守の例祭に神前に奉納し、天災、悪疫の防除を祈念し、鎮守の信仰と氏子共栄の中心となし来たり。然(しか)して獅子舞は門外不出、一社相伝にして、代々氏子中の長男を以って当り、祭日一ヶ月前より斎戒、之に奉仕す。
 例祭当日は獅子舞関係者、氏子総代一同寺に集いて、法螺貝を合図に大行列にて社頭に練り込みて、奉納終れば再び集りて、恙(つつが)なく行事目出度終了せしことを氏子一同祝福するを通例とす。(冨士浅間神社祭神木花咲弥姫(このはなさくやひめ)

○歌(古風なる歌調にして獅子独特なもの)長唄。
  初庭の歌詞
 まへり来て、これのお庭を眺むれば、黄金こ草が足に絡(からまる)。
  二庭歌詞
 この宮は飛騨のたくみのたてたげな楔一つで四方かためる

○獅子舞の解説
(初庭の情景)
イ、牡丹、芍薬、桜草百花爛漫、競い咲きたる花園、何処からともなく流れ来る天然の音楽、その楽の音に乗り、踊ったり、跳ねたり、起きつまろびつ三巴(みつどもえ)になり遊びたわむれている雌雄(しゆう)の獅子、いつかは沸立(わきた)つ愛情。雌獅子のあで姿に心引かれた雄獅子。いつかは雌獅子を恋いしたった。
(二庭の月情景、雌獅子隠し)
ロ、折あらばと機をうかがった雄獅子は霧の深みに乗じ、知謀たくみに大頭獅子を煙(けむ)にまいた。思意のままに行った雄獅子。色男ぶりを存分に発揮した。こちらは大頭獅子。雌獅子を見失なったので百花咲満ちた花園の中を、西に東に必死となって駈け巡りて探し求めた。今は心身共につかれ果て已(すで)に倒れん計(ばか)り。岩根にもたれ思わず吐息をもらす折、ちらりと岩陰に見出したもつれ合う二つの姿! その瞬間、今までのつかれる姿は何処へやら、憤怒に燃えた大頭獅子は砂煙を立てておそいかかった。されど恋の勝利者雄獅子は大頭を嘲笑と共に真向よりおどしつけた。残念さのはがみと共にしばし黙して考え込んだが、突如猛然と二つの間に割って入り、心ゆくまで散々と雄獅子をおどしつけた。おどされた雄獅子は情熱の怒りに一度は口こたえたが、自分の行跡(ぎょうせき)を悟り黙々と考えた。しかる後、自分の行跡をひたすらに詫びた。ここに和合なりて凄惨(せいさん)を極めた恋の嵐は何処へやら、三巴になりて跳ねたり踊ったり、こけつまろびついともなごやかな平和が訪れたのである。

 以上、解説書によったが、この舞は、通称「ささら」とも云われるとおり、ささらっ子の果す役目も大きい。これにつき若干説明すると、かすりの着物にわらじ履きで頭に花笠をつけ、手に十二本に割ったささらを持ちすり合せるが、その意味は百花咲きほこる花園の中に十二ヶ月の鳥の鳴き声を表わすと云われる。この音色と横笛が融和する中に、獅子舞は絶頂に達するのである。
 後継者の都合により、明治末期から大正初期にかけて一時の中断はあったが、各地で祭事も略化されて行く今、旧態を護り益々盛んなこの行事は、まさに指定文化財の名に相応(ふさわ)しい存在である。
     『菅谷村報道』33号 1963年(昭和38)7月25日

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