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自分史

私の100話 94 小正月の準備 大塚基氏 2011年

 小正月の準備は、今では仕事の都合で餅つきと準備を早くする年もありますが、通常は1月13日の小正月用のもち米を研ぐことから始まります。
 そして1月14日の朝は、早く起きて餅つきをします。餅はもち米餅を2臼、米粉餅を1臼、そして最後に米粉を熱湯でこねて繭玉(だんご)を1蒸籠に入れながら作って蒸かします。
 繭玉は普通のだんごの大きさですが、年神様に供える繭玉は普通の繭玉の3〜4倍ぐらいの大きいもので12個(閏年は13個)作ります。
 小正月は繭玉正月とも言われるように、昔は何処の家でも蚕をしていましたので、たくさん繭玉が取れますようにと祈るお祭りであったのだと思います。
 餅つきと繭玉作りは昼頃には終わります。午後からは、年神様に繭玉を供える木(山が荒れる昭和40年代初めの頃までは山に行って団子の木を根株ごと切り取ってきて、根株から伸びている枝に繭玉をさしましたが、今は桑の木か、梅の木に刺しています。)に大きな繭玉を刺して、年神様以外の神々へはお供え用として梅の小枝に1〜3個ぐらい刺します。
 その他の繭玉は、保管しておいて雑煮に入れたりして食べるのですが、昔は今よりもたくさん作って、かたぎ(コナラ)の木に刺して大黒柱に括りつけました。ですから座敷いっぱいに繭玉の花が咲いたようでした。その繭玉も16日の朝にはもぎ取り、保管しておいて、雑煮の中に入れて食べたり、囲炉裏で焼いて食べたり、やましに行くときには持っていって休みの時間に焼いて食べたりしました。
 そして、小正月のものつくりをします。お供え用の繭玉飾りの準備が終わると、ハナ木(ニワトコ)を切ってきて、年神様用の筋の良いハナ木の2本を床の間に飾れる長さに切って、半紙で中程を束ね麻で結えます。その他の神様用としては、ハナ木の芽を一つ又は三つ付けて(奇数にする)切ります。家によっては、ハナ木を削って削り花を作って年神様や玄関に飾る風習を残している家もありますが、我家のハナ木は、子供の頃には削り花があったような、無かったような気がします。定かでありません。
 そして次は、オッカド(ヌルデ)の木を山から取ってきて、筋の良いところの皮をむき、2本の杭を作って、上の切り口を十字に割ってそこに繭玉を挟んで小豆粥の掻き棒を作ります。残ったオッカドの木で、箸の真中が妊婦のお腹のように膨らんでいるはらみ箸を作ります。
 父が作った箸は真中が特に太く、両側も太かったので食べづらい箸だといつも思っていましたので、できるだけ食べやすいようなはらみ箸を作るようにしています。
 でも、大きいほうが子宝に恵まれ子孫繁盛につながるのかなとも思ってしまいます。
 小正月は、繭玉正月だけでなく女の正月とも言われますが、子宝に恵まれ子孫繁盛を願うお祭りであったのかも知れません。
 そして、餅つきが終わり、繭玉飾り、ものつくり(小豆粥掻き棒、はらみ箸、ハナ木の用意)が出来ると、年神様の注連飾りを外して、年神様に年神様用の繭玉とハナ木を飾り、お正月に注連飾りをお供えした神々にも飾ります。そして、墓場に行って墓場に供えた注連飾りと交換してハナ木を飾ります。
 これで我家の小正月の準備は終わります。
 そして、夜はうどんを内外の神々に供えて小正月を待ちます。

権田重良『埼玉の電気事業と昭和史・電気工事組合小川支部』(2009年)目次

●目次

●はじめに

●埼玉の電気事業

●●1.電気工事事業の発生

●●2.戦中・戦後の埼玉の電気事業の推移

●●●川越電気鉄道


山下たえ『われに詩あり』(2000年2月)目次

1 四季折々のうた

2 健康を祈りて

3 人生・我過ぎ越し日々に

4 旅の思い出

5 亡き人々を偲んで

6 山下貞さんを偲んで

7 藤縄あきさんを偲んで

8 俳句

あとがき
 これは私が83年間生きてきて、我が人生を振り返って見たとき、ああ、あんな時代もあったっけ、こんな事もあったなあと思出しながら、自分が体験してきた苦労や悲しみ、また喜びをも思出しながら、その時その時を過ごしてきた私の歩んだ道、体験や生活を、短歌と言う三十一文字の歌の世界に現したものです。
 無学な一人の女が農家に嫁ぎ、そして戦争と言う辛く苦しい生活を強いられ、家を守り、二男二女を育て上げた。悲しく辛い人生を歌に託して、折りある毎に書き留めてきた拙い歌で有ります。自分が生きてきた証しとして、この度小冊子に纏めてみました。
 言葉も語彙も少なく稚拙なうたでは御座いますが、みな体験から出来た歌であり、美辞麗句を並べて作った綺麗な歌でも有りません。誰に読んでもらわなくてもいい、誰に聴いてもらわなくとも良い、自分の本音で、自分の話し言葉で綴ったものであります。
 これからも命ある限り、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、三十一文字の歌の中に自分の気持ちを折り込むことが出来れば幸いと思います。何時までもペンと雑記帳を離さないように持ち歩き、生活の歌をたくさん作って生きて行こうと思います。

   平成十二年(2000)二月二十日
                    山下たえ

権田本市『吾が「人生の思い出」』(1989年8月)目次

●吾が「人生の想い出」1 はじめの言葉

●吾が「人生の想い出」2 幼年時代

●吾が「人生の想い出」3 子守り奉公に出される

●吾が「人生の想い出」4 少年時代  手伝い

●吾が「人生の想い出」5 少年時代 家庭教育

●吾が「人生の想い出」6 少年時代 関東大震災

●吾が「人生の想い出」7 少年時代

●吾が「人生の想い出」8 少年時代

●吾が「人生の想い出」9 少年時代

●吾が「人生の想い出」10 少年時代

●吾が「人生の想い出」11 少年時代

●吾が「人生の想い出」12 少年時代

●吾が「人生の想い出」13 少年時代

●吾が「人生の想い出」14 青年時代 徴兵検査

●吾が「人生の想い出」15 青年時代 入隊通知

●吾が「人生の想い出」16 青年時代 入隊通知

●吾が「人生の想い出」17 青年時代 入隊通知

●吾が「人生の想い出」18 軍隊入隊

●吾が「人生の想い出」19 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」20 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」21 軍隊生活 外泊

●吾が「人生の想い出」22 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」23 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」24 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」25 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」26 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」27 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」28 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」29 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」30 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」31 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」32 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」33 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」34 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」35 余裕の無い行動で失敗

●吾が「人生の想い出」36 盧溝橋事件勃発、日本鋼管に就職

●吾が「人生の想い出」37 軍隊生活 召集電報

●吾が「人生の想い出」38 軍隊生活

●吾が「人生の想い出」39 軍隊生活 召集解除

●吾が「人生の想い出」40 海軍航空技術廠に就職

●吾が「人生の想い出」41 自動車教育班

●吾が「人生の想い出」42 間違いの召集電報

●吾が「人生の想い出」43 第二トラック班

●吾が「人生の想い出」44 親子三人でアパート暮らし

●吾が「人生の想い出」45 大空襲

●吾が「人生の想い出」46 疎開電車

●吾が「人生の想い出」47 いよいよ終戦

●吾が「人生の想い出」48 帰郷後の生活

●吾が「人生の想い出」49 岡村かじ屋で働く

●吾が「人生の想い出」50 青木木工所で働き我が家を建てる

●吾が「人生の想い出」51 露天商をはじめる

●吾が「人生の想い出」52 キャンデー屋をはじめる

●吾が「人生の想い出」53 左官に転職

●吾が「人生の想い出」54 駐留軍で運転手となる

●吾が「人生の想い出」55 乳牛を飼う

●吾が「人生の想い出」56 タクシー会社同盟交通誕生

●吾が「人生の想い出」57 家を新築

●吾が「人生の想い出」58 子ども達の独立

●吾が「人生の想い出」59 歳月は流水のごとし

●吾が「人生の想い出」60 光陰矢のごとし

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