GO! GO! 嵐山 3

嵐山ふるさと塾・チーム嵐山

鮎・ハヤ・クキ・釣り

参加者募集 9/17 親子地曵網体験 in 越辺川(更新)

越辺川地曳網


地曳網漁は40 年ほど前まで越辺川水系の各地で、夏期アユを捕るため盛んに行われてきた漁法で、流域各地の夏の風物詩でした。昨年に引き続き、標識アユの溯上調査を兼ねて、子供たちにも昔のアユ漁法を体験してもらうために今年も企画いたしました。お子様連れで是非ご参加下さい。

 今川橋上流 2011年9月8日、左岸(鳩山町今宿)から撮影
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 今川橋 2011年9月8日、上流左岸(鳩山町今宿)から撮影
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 今川橋 2011年9月8日、下流左岸(鳩山町赤沼)から撮影
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埼玉県道171号ときがわ坂戸線が越辺川を渡る今川橋。左岸は鳩山町今宿(いまじゅく)、右岸は毛呂山町(もろやままち)苦林(にがばやし)。今宿は近世の河岸場で、対岸の苦林が古い時代に宿があり、「古宿」と言われていたのに対して「今宿」と名付けられたと言う。

今宿河岸の水神塔(今川橋の左岸上流) 2011年9月8日撮影
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1876年(明治9)、水上安全を祈願して建てられた常夜塔。

参加者募集 8/27 都幾川で遊ぼう(更新)

都幾川(嵐山町)で遊ぼう
アユ漁体験、川遊び、水族館づくり
2011年 8月27日(土)10:00〜15:00
都幾川学校橋下流(学校橋河原)
参加費無料

都幾川で遊ぼう
財団法人河川環境管理財団河川整備基金緊急助成事業
主催:NPO法人荒川流域ネットワーク/武蔵漁業協同組合
共催:比企の川づくり協議会/NPO法人エコネットくまがや

※東北から避難されている子どもたちを勇気づけ、埼玉の子供たちと川遊びを通して交流します。
 東日本大震災で突然被災され、故郷を離れて不自由で、困難な生活を送られている皆様に心からお見舞い申し上げます。
 この度、猛暑が続く季節を迎え、住み慣れない土地で不安な暮らしをしている東北から避難されている児童と地元の児童に魚取りや川遊びを通して交流してもらい、川遊びの楽しさや川の恵みを一緒に体験してもらうことになりました。開催地は、荒川支流・都幾川の嵐山町にある学校橋下流で、比較的浅瀬の清流が続く景勝地です。
 熊谷市及び坂戸市周辺、比企地域の自治体に避難されている児童、保護者と地元周辺の児童、保護者を対象に参加希望者を募ります。夏休みの終わり1日のんびりと川遊びで過ごして頂きたいと思っていますので、是非ご参加下さい。
震災緊急助成事業
開催日時:2011年 8月27日(土) 順延日:9月3日(土)
開催時間:10:00〜15:00
開催場所:都幾川学校橋下流(学校橋河原)
参加費:無料
昼食:ヤキソバをご用意します。
※自家用車で来られる場合は、駐車料金300円が必要です。
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 2011年6月28日、内田泰永さん撮影

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 2010年8月26日、内田泰永さん撮影

参加者募集 親子地曵網体験 in 都幾川 8月13日(土)

親子地曵網体験 in 都幾川
開催日時:8月13日(土曜日)10時〜13時
集合場所:都幾川二瀬橋下流左岸
参加費:無料
都幾川地曳網
主催:NPO法人荒川流域ネットワーク
   武蔵漁業協同組合
共催:比企の川づくり協議会

※地曳網漁は、40年ほど前まで都幾川で夏期アユを捕るため、盛んに行われてきた漁法です。1909年(明治42年)、菅谷村(現・嵐山町)で約190kgのアユが捕れたという記録もあります。この度、荒川流域ネットワークが行っている標識アユの溯上調査を兼ねて、子供たちにも体験してもらうために企画いたしました。是非子供連れでお越し下さい。

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  2011年8月10日、内田泰永さん撮影

槻川をきれいにする会 保育園児がウグイを放流(更新) 2011年6月

今年は、「槻川をきれいにする会」結成40周年にあたります(→「槻川をきれいにする会が発足する」)。恒例の嵐山県民休養地バーベキュー場槻川(つきがわ)河原での嵐山町立嵐山幼稚園児のウグイの放流に続き、6月22日、都幾川(ときがわ)学校橋下流で実施されました。杉の子会東昌保育園、東昌第二保育園、恵会嵐山若草保育園の園児60名が参加し、右岸から10僂曚匹離Ε哀43圓鯤流しました。参加者には『比企の川 生き物図鑑』(埼玉県東松山県土整備事務所河川砂防部、2011年3月発行)が配られました。

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※ときがわ町でのウグイの放流(広報『ときがわ』2007年3月号)
   ウグイの稚魚の放流を玉小生が体験
 1月17日(水)、玉川小の4 年生がグラウンド(ふれあい広場)南側の河原で、ウグイの稚魚を放流しました。これは町観光協会の呼びかけと、武蔵漁業協同組合都幾川支部、渓魚を育てる会、鮎愛会などの団体の協力によって行われたもので、町の豊かな自然にふれ、郷土を愛する心を養うことを目的としています。子どもたちは放流されて元気に泳ぎ回るウグイに向かって、「大きくなってね」と盛んに声をかけていました。

※ときがわ町でのヤマメの放流(広報『ときがわ』2011年3月号)
   萩ヶ丘小、明覚小の児童がヤマメの稚魚を放流
 2月1日㈫、町内の都幾川流域にヤマメの稚魚が放流されました。ときがわ町観光協会が主催するこの事業には、武蔵漁業協同組合都幾川支部や町コミュニティ協議会などが協力。今年は平保育園前河原と本郷球場前河原の2ヶ所で放流が行われ、萩ヶ丘小からは、2年生5名、3年生10名、5年生11名、明覚小からは3年生34名、4年生45名が参加しました。体長が約 5僂飽蕕辰臣婬を手渡された子どもたちは、「元気に育ってね。」などと声をかけながら放流しました。この日は合計約 7,000 匹の稚魚が放流され、3年で30僂曚匹寮魚に育つとのことです。


※東秩父村でのウグイの放流(広報『東ちちぶ』2010年6月)
   ウグイを放流しました!!
 槻川をきれいにする会では、毎年槻川にウグイを放流しています。
 今年は5月30日に安戸・御堂・坂本地内の3箇所の槻川において、近所の子どもたちと一緒に放流を行いました。


※小川町でのウグイの放流(『東京新聞』埼玉版 2011年5月23日)
   いつまでも魚すめる川に 小川町で親子ら ウグイを放流
 小川町増尾の日の出橋の下を流れる槻川の上流などで二十二日、子どもと親らが川魚のウグイを放流した。
 川の水質を改善し親しんでもらおうと、町の呼びかけで放流しており、二十七回目。町は槻川と市野川の六カ所に放流する稚魚一万二千匹を用意した。
 酒井河原では小川町野球スポーツ少年団の団員や幼児、親たち八十人が参加。プラスチックのたらいやバケツに入ったウグイを流れに放った。自分の年齢と同じ数の稚魚を放した子どももおり、流れに消えていく稚魚を見つめていた。(村田秀雄)

槻川をきれいにする会が発足する 1971年5月

   槻川をきれいにする会発足
 槻川をきれいにして昔のような清流にもどし鮎の住めるような川にしようという願いをこめて、槻川に関係する東秩父村、小川町、嵐山町の三町村で「槻川をきれいにする会」を設立した。五月二十六日、小川町の中央公民館でこの設立総会が開かれた。この会は活動目標として、水質の汚濁防止、水域の環境保全に力をいれ、河川、工場の共同視察をするほか、防止協議会を開催したり、汚濁防止のための資料を整備する。
 この会議で会長に小川町長、副会長に嵐山町長、東秩父村長が決まり、常任委員は小川十名、嵐山、東秩父それぞれ五名づつとなった。
 嵐山町関係の委員は次の通り、議長(観光協会長)山岸宗朋、民生文教委員長吉場雅美、議員瀬山芳治、岩沢茂雄、新藤武治、商工会長島本圭三、区長根岸卯平、青木高、関根昭二、中島宣顕、根岸善三郎、田幡安平、中島源蔵、荒井清作、吉野松蔵、杉田正治、小林友次、金井佐中、小沢多造。

     『嵐山町報道』214号 1971年(昭和46)6月30日

槻川の鮎漁 涼風颯々清流に満つ 1962年8月

 報道三十五号発行記念に、計画された鮎漁は本会主催で、全村八十余名の有志が参加して昭和二十八年(1953)八月二日に行なわれた。これは村民レクリエーション大会として後世に伝うべき一行事であった。以来、世も移り、新村*が誕生して満七年。人も変って、当時の花形も、すでに数人が故人となり失せた。歳月は流れて夢のように早い。報道も更に一〇〇号を加えて、この七月で一三五号となった。九年の昔を偲んで、槻川上に鮎漁の風物を捉えた。自然は変らない。槻川の清流に、颯々として昔ながらの涼風が吹いている。

   岩間ゆく 清き川瀬にあそびけん
     鮎にしあれば 見るも涼しき
               伊藤左千夫

   飛鮎の底に雲行くながれ哉
               鬼貫**

     『菅谷村報道』136号 1962年(昭和37)8月5日

*:1955年、菅谷村と七郷村が合併し菅谷村(現・嵐山町)が誕生した。
**鬼貫(おにつら):上島鬼貫(うえしまおにつら)、1661年(万治4)〜1738年(元文3)。江戸時代中期の俳諧師。「夕暮は鮎の腹見る川瀬かな」もある。

村民懇親鮎漁大会が開かれる 8 1953年8月


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   記録 鮎漁大会会計
一、収入  一万七五〇〇円
 会員八〇名分 一万六〇〇〇円
 寄附 一五〇〇円(報道委員会 一〇〇〇円 万民新聞社 五〇〇円)
二、支出 一万七三九五円
 料理材料 二八三五円
 酒    九三七五円
 サイダー 一〇二五円
 弁当   三七四〇円
 会員章   四九〇円
 燃料    一〇〇円

     『菅谷村報道』36号 1953年(昭和28)8月10日

村民懇親鮎漁大会が開かれる 7 1953年8月

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   記録 鮎漁大会参加者
 別項、村民鮎漁大会はこの計画発表と共に村内は勿論、他町村からも絶大なる賛同を得て、遂に八月二日、早朝より日没に亘って開催、予期以上の成果を得てその幕を閉じたが、この会の参加者は次の通り八十三名の多数に達し、その顔ぶれは、村内の各界各層を網羅して名実共に村民大会の盛況を示し、更に会員外の手伝参加者等を加えれば百二十名の多数に上って、その交歓の声は、しばらく槻川畔を制圧して賑いを極めた。
○菅谷
 根岸巷作、馬場光男、関根子之助、木村光男、細谷信一郎、関根長倭、中島正男、松浦高義、中島操、山岸一利、中島勝哉、福島秀雄、米山永助、根岸卯平、米山時次郎、根岸義次、高山千吉、吉野巌、新井一平、青木高、岡村定吉、須沢襞治、山岸宗朋、田幡順一、関根由平、島本茂信
○川島
 島和一郎、森田清、岩附木一、権田喜又、権田和重、権田徳寿、吉田又五郎
○志賀
 滝沢長重、大野文平、根岸喜儀、儘田雪光、高崎達蔵、恒木美浪
○平沢
 小林忠一、小林久、奥平竹次【武治?】、山田巌、内田実
○遠山
 小菅山栄、栗原彌之助、吉野賢治、山下賢治
○千手堂
 高橋正忠、瀬山修治、内田佐助、中島元次郎
○鎌形
 杉田喜平、中島金吾、小林才治、杉田寅造、内田武一、山下欽治、長島甲子雄、杉田喜作、杉田武平、内田源作、大野優弘、小林博治、小林康雄
○大蔵
金井宣久、金井示夫、山下伝次郎、山下庫次郎、金井東輔、金井倉次郎
○将軍沢
 鯨井軍次、小久保幾喜、忍田喜三、金子幾太郎、加藤重太郎
○その他
 内田家寿、小沢利政、荻山栄一、藤田真造、長島林平、木村幹次、橋本儀一

     『菅谷村報道』36号 1953年(昭和28)8月10日

村民懇親鮎漁大会が開かれる 6 1953年8月

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   鮎漁大会役割り
      一人の傍観者もなし
 村民鮎漁大会は文字通り、全く村民の協力一致によって成立したもので、参加会員が各々その得意とする役割りを自ら引受けて、持場持場でその責任を果し、一人の拱手(きょうしゅ)傍観者もなかったのであり、その役割りに甲乙はないが、尚後日の参考のため各係りを記録すれば次の通りである。
○投網
 岡村定吉、米山永助、細谷信一郎、内田武一、杉田善作、杉田寅造、山下倉次郎
○釣
 新井一平、関根由平、吉野巌、木村光男、根岸卯平、小林康雄、中島正男、山岸一利、大野文平、中島勝哉
○料理及び会場の準備
 米山時次郎、高山千吉、木村光男、恒木美浪、杉田喜平、小沢利政、新井一平、加藤重太郎、小菅山栄、大野優弘、中島元次郎、小林康雄、藤本真造、国立喜代子、松浦千代野、大野克子、中村美江
○受付、案内
 福島秀雄、森田與資、忍田喜三、金井宣久

     『菅谷村報道』36号 1953年(昭和28)8月10日

村民懇親鮎漁大会が開かれる 5 1953年8月

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   嵐山釣友会活躍
      鮎漁大会に競釣
 去る八月二日の村民鮎漁大会に嵐山釣友会の活躍は次の通り。即ち別項のやうに当日最も重要な料理係には、同会の米山時次郎、木村光男、高山千吉の三君が得意の腕を奮って参会者を喜ばせ、更に当日は午前四時頃から会員十数名が会場に先行し、午前八時までに三貫目獲得を目標に日頃錬磨の技を競ひ、多大の成果を挙げ、これに対し釣具店島本氏から賞品が寄贈されたが、この成果は次の通りであった。
  順位 氏名   釣上高
  一、 新井一平 二八〇匁
  二、 関根由平 二五〇匁
  三、 吉野巌  二五〇匁
  四、 木村光男 一四〇匁
  五、 根岸卯平 一三〇匁
  六、 小林康雄 一二五匁
          (以下略)
 尚釣法はたたき釣り専門である。

     『菅谷村報道』36号 1953年(昭和28)8月10日

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村民懇親鮎漁大会が開かれる 4 1953年8月

   村民レクリエーション大会
     清流に鮎を追ひ 緑陰に酒を温む
 「報道」第三十五号発行記念、村民鮎漁大会は、清風快晴に明けた八月二日(日)早朝より、槻、都幾の合流点二瀬附近より、武蔵嵐山附近一帯の川筋に於て盛大に開催せられた。
 定刻午前八時、主催報道委員会の福島、忍田、金井宣氏等が本部内田源作氏裏手の河原に受付を開始、全村よりの参加者約八十名が、申し合はせた様にいづれも白シャツにパンツの軽装でぞくぞくと集合、会員章真紅のリボンを胸に飾って、各自思ひ思ひの作業についた。
 この日未明先発第一陣として川に向った嵐山釣友会の面々は午前八時半早くも、夥(おびただ)しい獲物を提(さ)げて本部に帰着、米山、高山、木村氏等がリーダーとなって直ちに料理、天ぷら揚げに着手、料理係り、会場係りの目まぐるしい活動が開始された。
 一方二瀬漁場は、前日より内田武、杉田寅の両氏等が出張、準備を始め、投網係、米山、岡村、細谷、杉田善、山下庫氏等のベテランが主軸となって、当日の圧巻、セメ川が開始された。次第に狭まる曳網の中に、右往左往逃げ惑ふ年魚を追って、一網打尽の見事な網さばきが連続する。声援、賞讃の拍手喝采が期せずして河原に爆発する。かくて午前十一時、更に漁場を槻川橋下に移して、心ゆくまで漁撈の興をつくし、午後零時半、一同本部会場に引揚げた。
 次いで、午後一時半より懇談会に入り、涼風あふれる河原の緑陰に円陣を張り、報道委員会長、及び村長の挨拶に始って、文字通り体も裸、心もはだか、村民一同は面倒臭い、儀礼や、理屈は抜きにして、右手に天ぷ羅を握(つか)み、左手に一合入の酒杯を傾け、歌ひ、呑み、語り、且つ踊って此の日の興趣を満喫した。かくして午後五時、懸案の鮎漁大会は村民融和協調の力強い足跡を印して無事散会した。


1 二瀬漁場大観 地曵を引く会員、午前十時過、盛夏の陽光がサンサンと大空に溢れ、台風の余波、秋を思はせる涼風が颯々(そうそう)と川面を吹く。
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2 網打ち風景 網が狭まるにつれて逃げ惑ふ鮎の姿が忙しく漁師の眼をうばふ。網を投げた米山氏、腕を組んだ杉田氏。どうやら目ざす獲物は網をくぐったらしい。「えいッ少しでかくしてやれ」杉田氏の負け惜しみ、といふところ。
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3 手練の早わざ 一網打尽と内田氏の網が投げられた瞬間、村長が飛沫を浴びて跳び上っている。午前十一時頃。
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4 通人 鮎は斯うして食ふもの。生の鮎を丸囓(かじ)りにして舌鼓をうつ杉田善作君。
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5 懇談会 最初の五分間「さァどうぞ」お揃ひの浴衣がお酌をする。天ぷらを頬ばりグッと一杯。最初の五分は至って神妙。
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6 見物席 宴たけなわ。関根氏の珍妙ダンスに拍手喝采する役場の娘さん達。
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7 フィナーレ 「いやもう充分」御満悦の四氏。八十名の会員がみなこんな顔をしていた。
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     『菅谷村報道』36号 1953年(昭和28)8月10日

※写真は荻山栄一さん撮影。
 1959年の鮎漁の写真は、「古い写真 鮎豊漁 1959年

村民懇親鮎漁大会が開かれる 3 1953年8月

   村民レクリエーション大会
     清遊交歓の一日 七月十八日(土)と決定
 既報報道委員会主催、村民懇親鮎漁大会は、この計画発表と共に各方面から熱心な賛同を得て、着々具体的準備を進めているが、先づ開催期日は一応七月十八日(土)と決定した。投網解禁は六月二十三日であるが、本格的漁期は七月三日曳網解禁後で、農繁期や天候の関係で例年七月二十日頃から最盛期に入るのが常である。従って十八日の期日は先ず無難というところ。小川漁業組合役員の大沢喜作氏は「本年三月から五月までの間に三浦三崎から四万、琵琶湖から四万、利根から二万以上、合計十万尾以上放流した。村の分では嵐山と千手堂橋附近に入れたから相当いる筈だ。三寸位のも入れたから七月中旬には七寸位にはなっているだろう。時々間違ってかばりにかかるという噂もある」といっているから、数量も生育状況も上乗。水加減と天気がよければ、絶好の機ということになろう。
 参加者は七、八十名から百名位と予想されている。前号の賛助団体の外、青年団や、自警団の若人達の参加も予想され、明治、大正、昭和を貫き各年代の村民が一所に会同して歓を通ずる光景は蓋(けだ)し近来の盛観であり、とくに嵐山釣友会が特別応援に乗出し、日頃錬磨の妙技を公開して、初心者には実地指導をするというから一層興味深いものになろうと期待されている。
 網は参加会員の奉仕、従って経費は最小限、興趣は最大限を基本方針として、会費は二百円、弁当とお酒をたっぷり用意し、鮎料理は菅谷の米山時次郎君が釣友会から参加して、大いに腕を振う計画。いづれにしても、これは面白さうだというので街は鮎漁の評判で賑っている。

   実施要領
 前号で予告した村民レクリエーション鮎漁大会は左記のように決定しました。何卒多数御参会下さるようお願いします。
   第三十五号発行記念
     村民レクリエーション大会

   
一、日自 七月十八日(土)早朝より天候と水加減により変更する場合は予めお知らせします。
二、集合場所 午前九時槻川橋下に集合、漁場は先発隊が選定しておきますから適宜漁撈作業に参加して下さい。
三、懇談会 午後一時より会場は内田源作氏裏手河原の予定。
四、参加申込 七月十七日正午まで。
  会費二百円を添へて報道委員会へ。

     『菅谷村報道』34号 1953年(昭和28)6月20日

村民懇親鮎漁大会が開かれる 2 1953年8月

   第三十五号発行記念 村民レクリエーション大会予告
 本誌三十五号発行を記念して、茲(ここ)に村民レクリエーション大会を開催し、清流都幾、槻のほとりに鮎を追い、緑陰に清酌して、歓談、大いに村民融和の実を示し活力の根源を涵養セントする。奮って御参会を請う。

   要項
一、日時 七月中旬
   ある天気晴朗なる一日早朝より
二、場所 漁 嵐山より月田橋 八幡橋より二瀬
     懇親会 槻川橋附近
三、会費 二百円
四、申込 只今より随時報道委員会へ
     主催 菅谷村報道委員会
     賛助 菅谷村長
        菅谷村議会議員
        同区長会
        同教育委員会
        同農業委員会
        同選挙管理委員会
        同農業協同組合
        同消防団

     『菅谷村報道』33号 1953年(昭和28)6月10日

村民懇親鮎漁大会が開かれる 1 1953年8月

   報道委員会 第三十五号記念祝賀会開催
 報道委員運営委員会は六月五日午後、役場で開催された。農繁期のため欠席者が多かったが、当日出席の会長小林、副会長j山岸氏の外、村長、中島勝哉、森田與資、権田和重、儘田雪光、出野憲平、奥平栄洲、忍田喜三氏等によって左の件が決定された。
 報道委員会総会、毎年四月に開催されることになっているが、本年はその機会が得られなかったので、七月中旬、農休み頃に開催し、役員の改選を行って本年度の事業計画を定めることとなったが、七月は恰(あたか)も第三十五号発行の月となるので、この機を卜(ぼく)して別項の如く記念号を発行し、第三十五号発行祝賀会を開催することになった。祝賀会は、村議、区長、教育委員、農業委員、農協理事、消防役員、PTA、その他村の各種団体、各階層の有志に呼びかけ、都幾川筋に一大鮎漁を開催し、村民レクリエーション大会を開くことになった。
 尚当日の投網には、中島勝哉、杉田寅造、田幡順一、内田武一、山岸宗朋、米山永助、福島秀雄、根岸寅次、岡村定吉、関根茂良、小林才治等の活躍が期待されている。

     『菅谷村報道』33号 1953年(昭和28)6月10日

蚊鉤の名手・吉野巌氏にきく 小林博治 1953年

   蚊釣*
 「麦の花かけ」は「かばり」のシュンである。夜来の雨で水量を増した川瀬は都幾、槻川ともに絶好の釣場である。暮陰漸くこまやかになる頃、水辺に佇(たたず)む釣人の閑雅(かんが)な竿さばきは、縁(えん)なき吾々にも、そぞろ釣心の勃々(ぼつぼつ)たるを誘ふ。そこで一夕(いっせき)、嵐山釣友会長吉野氏に重ねてかばりの奥義(おうぎ)をきく。
 天気の日は夕陽が西の山に沈むのを見て、やをら腰を上げ、悠々煙草を二、三服。ブラブラ川に出かけるですな。まだあはてる必要はない。川辺でまた一服。ゆっくりと竿を打ち振って水辺に立つ。水は瀬でも瀞(とろ)でもよろしい。三尺巾の流でも上等ですよ。風に背を向け、残照に向って立つのが理想です。然し仲々さううまく條件は具(そなわ)らない。風に向ふと糸がもつれる。光を背にすると影がうつる。この理屈を念頭において、右岸か左岸かを選ぶ訳ですよ。尤(もっと)も夫婦けんかと、昼の風は夜になるとおさまるといって、大抵の風も夕方には凪(な)いできますがね。
 「浮き」は軽い方がよい。フハリと投げこむ。グーッと竿を引く。餌がにげる。パクリととびつく。百発百中である。全部ヒットである。カラ振りは一本もない。
 竿は九尺、軽い竿で腕を一パイに伸ばす。この方が経済的である。コツッと当ってススッーとにげるのは針が悪い。針がのびている。先がかけている。ゴミがついている。堅い針はかけたがる。やはらかい針はのび易い。一本悪い針があっても不思議にかからない。針は矢張り四本がよい。赤にはクキ、黒にはハヤが多いやうですな。黄昏(たそがれ)が濃くなると大ていの所で釣れるが、四、五日連続して竿を入れた場所は難かしい。百発百中、十匹も上げたら流に沿って三歩下る。ここは又新しい釣場である。続いて又三歩、釣れ出したら広く移動する必要はない。三歩宛(ずつ)前進すればよい。
 左腕をグッと水平に前に出す。親指を立てて、爪(つめ)を見る。爪と皮との境が分らなくなる。ここまで暗くなる二、三十分間。これが最高潮、百発百中の時間である。魚も大きい。七、八匁のやつが、ドサリドサリと抛(ほう)り込まれると一尾一尾の重さが次第に腹にこたへる。どうです、今日の話は去年よりもちと高尚でせう。近日中に一つ実地に手ほどきしますかな。呵呵(かか)。五月十九日(小林)

     『菅谷村報道』33号 1953年(昭和28)6月10日

*蚊釣:ママ。蚊鉤、蚊針(かばり)

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