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工場誘致

菅谷村工場誘致条例が決まる 1957年10月

 十月十五日の臨時村会できまった菅谷村工場誘致条例は次の通りである。

第一条 この条例は本村内に工場又は事業場(以下「工場」という)の新設を奨励しもって産業振興に寄与し村勢の振展を図ることを目的とする。
第二条 村長は第五条第二項の規定によって、指定した工場に対し村の会計年度(以下「年度」という)における村民税及び固定資産税の合等額相当する額の範囲内で奨励金を交付することが出来る。
第三条 前条の規定による奨励金の交付期間は指定を受けた工場が事業を開始した日の属する年度から三年ないし五年とする。
第四条 指定を受けようとする工場は、左の各号に掲げる規模を有するものでなければならない。
一、投下固定資産総額 五百万円以上
二、乗じ使用する従業員数 参拾人以上
第五条 指定を受けようとするものは、工場の新設に関する事業計画書を添え、申請書を村長に提出しなければならない。
2、村長は前項の申請書を受理したときはこれを調査し、適当と認められたものにつき指定する。
第六条 村長は奨励金を受けている工場が左の各号の一に該当するときはその事由の生じた翌年度からその指定を取消し又奨励金の交付を停止することができる。
一、不正の手段によって指定を受けたとき
二、事業を廃止若しくは休止したとき又は、廃止若しくは休止の状況にあると認められるとき
三、事業の縮小に依り第四条の指定の基準を欠くに至ったとき
第七条 この条例の施行について必要な事項は村長がこれを定める。
   附則
この条例は公布の日から施行する。

     『菅谷村報道』85号 1961年(昭和32)11月30日

工場誘致委員会が開かれる 1961年7月

   工場誘致委員会
 七月二十四日、午前十時から役場第一会議室で開催し、村長から菅谷地内県道舗装について、栄建設に寄附を要請し、社長の承認を得た旨報告。
 明星食品関係について委員長から、村有防風林二六万、採草地二八万に売却値段を定めたこと、青木議長から根岸忠与氏所有山林二町七畝六歩を向山光学が買収、工場建設に着手したこと、ゴルフ場関係は、鎌形の大口地主二名が未解決の旨報告し、主題に入り、日興包装の事前調査申請書の進達につき、添付の村長の意見について協議、本村の土地計画にてらして、概(おおむ)ね適当であろうということになった。

     『菅谷村報道』125号 1961年(昭和36)8月15日

論壇 工場誘致条例を廃止せよ 1961年8月

   誘致条例を廃止せよ
 三十二年(1957)十月の臨時村議会は村内に工場事業所を誘致して村勢の発展を図る目的のもとに、「工場誘致条例」を制定した。この条例は、投下固定資産総額五百万円以上で常時使用する従業員数三〇人以上の工場に対して、その工場の村民税、固定資産税の合算額の範囲内で奨励金を交付するというものである。
 奨励金の交付ということは税金を免除するということであって、その期間は三年から五年となっている。この条例のできた当時は、村でもどんな工場でも来てくれれば、農家の次三男が勤められて農家経済が楽になり、工場から税金があがってくるので財政が豊かになるという考え方であった。
 そらから今日までの約四年間、この条例は全くの空文であった。村当局は条例をつくったままで、これを活用する積極さに欠けていたのである。図(はか)らずも今度明星食品をきっかけとして幾つかの工場が建設されることになったが、これとても先方からの申込みを受け入れただけのことで、誘致に努力した結果ではない。吾々は先ずこの条例を死文化して今日まで来た村当局の怠慢を厳しく責めなければならないであろう。工場を受け容れる態勢もできていなければ、工場誘致の専門家も置かず、立地条件や会社の研究もしないで、「何かいい工場は来ないだろうか」程度のことでは何の効果もないことは明かである。
 茨城県岩井町【現・坂東市】の吉原町長は、二億円の工場誘致予算を町議会に要求して、一ヶ月で百三十万平方メートルの土地を買収し工場誘致のための敷地を確保し、「聯合紙器」、「日本タイプライター」など一流の会社を含めて二十七の会社の誘致に成功した。しかも大企業の誘致第一号の収入は教育、二号は産業改革、三号は道路、四号は消防・衛生、五号は減税に当て、中小企業からの分は役場の職員のベース・アップをやる(『週刊朝日』七月二十一日号所収)という話を聞くと、その政治性と実現のための熱意とには全く敬服させられるものがある。
 政治には政策とこれを具現化する力とがなければならぬ。遺憾ながら吾々の村には都市計画も、道路計画も、工場指定計画もないのである。政治に携わる人は十年後にこの村がどのように変貌するかの未来図ができていなければならないであろう。
 今度相次いで出来る工場が誘致条例の適用を受けるかどうか、議会でもまだ論議されていないようであるが、期せずして工場が進出してきた今日の現状からみれば、すでに誘致条例の恩恵を与える必要はないようである。投下資本の五百万円以上は土地代金だけでもそれを上廻ってしまうし、従業員三十人以上などというのは随所に見られる町工場のようなものでしかない。今日では誘致条例がなくても、立地条件さえよければ工場はどしどし進出してくるし、職があっても人が足りない実状からして、条例制定当時とは社会情勢も、経済情勢も大きな変化を来している。誘致条例はこれを速やかに廃止して、工場からの税収入を図り、村の教育や道路やその他の施設に力を尽くすことの方が賢明であろう。

     『菅谷村報道』125号 1961年(昭和36)8月15日

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