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唐子村郷土誌

明治43年(1910)8月都幾川出水の状況(『唐子村郷土誌』水害史より)

二 唐子村出水當時ノ状況
明治四十三年八月七日ヨリ暴雨連リ仝十日午后七時ニ至リ都幾川水量十二尺余ニ至リ部内堤防水越トナリ水防ハ如何共為ス能ハザル惨状ニ陥リ仝十時頃ニ至リ大字葛袋奈目曽堤四十間余破壊シ之カ為メ全部落人民一面水浸リトナリ家財諸道具何一物取方付クルノ暇ナク瞬時ニ一面泥海ニ化シタリ翌十一日ニ至ルモ濁流切口ヨリ激浪奔流シ下高坂村大字西本宿悪戸耕地ニ漲リ其破堤口ニ當レル人家ハ流亡シ或ハ破潰シ實ニ悲惨ノ状態ナリシ依テ被害民ニ焚出ヲナシ食餌(しょくじ)ヲ給スルニ勤メタリ右ニ對シ郡衙ヨリ【及と並記】各方面篤志者ヨリノ水災地寄贈品ヲ被害究民ニ分配セリ

三 明治四十三年八月十日以来暴風雨被害状況 唐子村【省略】

※「明治43年(1910)8月の水害について菅谷村役場達(1)」、「明治43年(1910)8月の水害について菅谷村役場達(2)」、「明治43年(1910)水害復旧工事に対する陳情書」「都幾川水害の歴史 (『唐子村郷土誌』水害史より)」、「大正2年(1913)8月都幾川の大洪水(『唐子村郷土誌』水害史より)」、埼玉県編『埼玉県水害誌 明治四十三年』。

大正2年(1913)8月都幾川の大洪水(『唐子村郷土誌』水害史より)

 大正二年九月大洪水[ママ。八月が正しい]

一、大正二年八月二十六日午前中ヨリ降雨二十七日午前二時頃ヨリ東北風起リ午前六時ヨリ風力次第に加ハリ十一時頃ヨリ増水午后一時石橋葛袋地内都幾川北岸堤防総越水一尺ニ及ビ四十三年度ノ大洪水ヨリモ高キコト二尺為メニ葛袋字河北ハ侵水床上三尺ニ及ヘルモノアリ午后三時頃ヨリ減水セリ

二、都幾川南岸ニアリテハ大字下唐子字中井ハ流域ニ最モ接近セルヲ以テ被害甚シク堤塘亦半潰セル所アリ高橋馬太郎ノ宅ハ半潰ニ及ベリ

三、水量は四十三年度ヨリ多大ナルモ風力甚タ弱カリシト時間ノ短カカリシトヲ以テ被害ノ程度激甚ナルニ至ラザリシハ不幸中ノ幸ナリシ

四、大字上唐子地内月田橋ハ其ノ橋詰ノ道路崩潰シ塵防柱ヲ失ヒ橋身ニ歪ヲ生セリ

五、都幾川河身ニモ変化ヲ来セル所アリ

六、被害状況【以下省略】

※「明治43年(1910)8月の水害について菅谷村役場達(1)」、「明治43年(1910)8月の水害について菅谷村役場達(2)」、「都幾川水害の歴史 (『唐子村郷土誌』水害史より)」、「明治43年(1910)8月都幾川出水の状況(『唐子村郷土誌』水害史より)」、埼玉県編『埼玉県水害誌 明治四十三年』。

都幾川水害の歴史 (『唐子村郷土誌』水害史より)

   水害史
一 本村【唐子村】水害ノ沿革
本村ハ都幾川流域村ノ中央ヲ西ヨリ東ニ流レ南北ニ両断シ年毎初夏ヨリ秋分ニ至ル間 川水漲溢(ちょういつ)シ両岸ノ耕地水害ヲ蒙(こうむ)ラザリシハ殆ト希(まれ)ニシテ年二三回ハ必ス水害ニ罹(かか)ルヲ常トス然レトモ大洪水ノ悲惨ヲ蒙ルコトハ近古万延元年申年(1860)ノ洪水大字葛袋字寺前破堤全部落人家床上浸水全部ニ亙レリ近クハ明治十九年(1886)大字神戸字明戸堤破壊耕田凡ソ拾町歩立毛損害ヲ蒙リ最近ニ至リ明治四十年(1907)ノ水害ハ多大ノ立毛ヲ損失セリ殊(こと)ニ四十三年(1910)八月十日以来古今未曽有ノ大洪水ニテ全村殆ント七分水冠トナリ其惨害状況下表ニ示スカ如ク是カ為メ損害ヲ蒙リタル一切ノ概算額金六万円ニシテ是レ本村住民五百六十餘戸ノ蒙リタル損害ナリ
【加筆】大正二年(1913)八月二十七日午前二時大洪水四十三年度ヨリ高キコト二尺石橋葛袋堤防総越水葛袋字河北ハ床上浸水三尺ニ及ベルモノアリシ
【唐子村水害区域畧図は省略】

※「明治43年(1910)8月の水害について菅谷村役場達(1)」、「明治43年(1910)8月の水害について菅谷村役場達(2)」、明治43年(1910)8月都幾川出水の状況(『唐子村郷土誌』水害史より)」、「大正2年(1913)8月都幾川の大洪水(『唐子村郷土誌』水害史より)」、埼玉県編『埼玉県水害誌 明治四十三年』。
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